第108話−遭遇戦
目的の島は帝国を構成する諸島のほぼ中央に位置する。
その絶妙の位置故に、帝国第二の港と最大の薬草・薬種の市場を有し、その為にこの島には薬の製造工房も数多い。
ジャブラが目標としたのは、そんな中でも大規模な部類に入る工房。
先だっての地元諜報員が入手した情報によると、この工房の地上部分では普通の貴重な薬を生産しているらしい。だが、表向きには存在しない地下部分があり、そこが怪しいらしい。
ちなみに、これらの情報は例の諜報員の奥さんの親友の旦那が、ここに勤めている事、博打好きな事を把握した上で仕込んだ手の者を使い、博打で大借金を作らせ、それを気の毒に思った彼が肩代わりする形で旦那にも接近。酒を酌み交わして、説教しながら酔い潰し、あれこれ聞きだした、らしい。
とっても酷い方法ではあるが、最終的に血を見なかっただけ、まだマシな方法ではある。
ジャブラの服装は戦闘衣と呼ばれる特徴の全くない特殊な耐刃・耐弾繊維で編まれた服だ。
この上に暗緑色の衣を纏う。完全な黒色は却って目立つ為だ。
更に悪魔の実の能力を発動させる。
ジャブラも【生命帰還】をある程度使える為、その姿は獣人と呼ぶに相応しい。
この姿を取ったのは、身体能力の向上という面もあるが、それ以上に例え万が一姿を見られても、人間に戻れば正体の把握が困難な為という事がある。
音もなく工房に接近。
ジャブラの悪魔の実は、イヌイヌの実モデル:狼(ウルフ)。
当然、人間より耳も鼻も効く。
双方をフルに働かせ、人の気配を探る。
しばらくして、どうやら地上部分には既に人がいないと判断し、更に工房に接近する。そのままするりと屋内への侵入を果たした。当然中は暗いが、そこは動物の強み。自然系が自分自身を自然現象とし現象を引き起こす事が、超人系が自らの肉体を変異させ周囲に干渉する事が強さならば、獣人系の強みはその純粋な身体能力の向上にある。
暗闇にも戸惑う事なく、屋内を探る。
地上部分は事前情報通り、ごく普通の工房だ。
(さて、問題はここからだ)
地下部分へは当然だが、侵入経路は限られる。
物資搬入用の隠し扉、人員が通常出入りする通用口、複数の空気孔。この辺りになるが、まず前者2つは正直厳しい。
さすがに正面は警備ぐらいはいるだろうし、扉を開ければ自然系だの透明になれる超人系だのでない限り普通は気付かれる。
となると……。
(……空気孔ぐらいしかないか)
とはいえ、勤め人の情報とてそういう施設がある、という事は分かっても中へは入っていない。
逆に言えば、空気孔を降りた先が警備室だった、という可能性もなきにしもあらず。とはいえ、それを怖れていては何も出来ない。蓋となる格子を外すと、両手両足を使って垂直に近い孔を降りてゆく。
無論、ジャブラは月歩を使えるが、脱出ならともかく隠密の侵入で使える訳がない。
ある程度降下しては匂いと音を確認、大丈夫だと判断すればまた降りて……と一般人なら嫌になりそうなぐらい根気良く時間をかける所はかけて降りてゆく。
……幸い使った孔は廊下に繋がっていたらしく、人の気配もない。
孔の中で器用に上下を反転させると孔の周囲を確認。何もないと思って安心していると電伝虫が設置されていて、警備室に丸見えだったなんて間抜けな事になりかねない。
それもない、と確信してから静かに床に降り立つ。
ここから先は地図もない。
周囲を確認しつつ、素早く動いて確認していくが……どうやら、そう複雑な構造にはなっていないようだった。
(……工房、警備室、書類置き場を兼ねた事務室、休憩室、食堂、倉庫……後は個別の部屋という所か)
個別の部屋、というのが気になる。
単なる警備ならば警備室と仮眠も取れる休憩室で十分な筈だが……。
(或いは特別な誰かがいる、って事か)
とはいえ、今回の目標となるのは1つはダンスパウダーの現物。
これは倉庫だろう。
もう1つは資料。
例え、クロコダイルが直々に関わっているという証拠でなくとも、BW(バロックワークス)が関与している証拠だけでもあれば、それなりに意味がある。こちらは事務室だろう。
問題は警備を消すかどうかだが……遠目に開け放たれた警備室内部の様子を確認し、ジャブラは消す事にした。
どうせ侵入者などいないだろうとばかりに、ぼんやりと電伝虫からの映像を眺めながら時折欠伸をしている。
電伝虫の画像の角度を弄りもせず、時折飲み物を口に運んだりしながら、仕事が終わるのを待っている様子だ。そもそも警備室の扉を開け放っている時点で気が緩んでいる事が伺える。
電伝虫の映像から、置かれている場所も大体見当がついた。
やはり厄介な事に倉庫入り口や事務室の入り口それに内部には電伝虫が置かれている様子だ。これではどうやっても自分の侵入は感知されてしまう。
(剃)
瞬時に駆け寄り。
『ん?』と警備員が緩慢な動作で風が動いた事に意識を向ける間もなく、彼の意識は暗転した。
救いだったのは、何の苦痛もなく逝けた事だろうか。
そのまま、ジャブラは休憩室で仮眠中の交代要員も潰しておくが、どちらも体勢を整え、ぱっと見には仕事をしているように死体をセットしてから、警報を切り、動く。
倉庫からはダンスパウダーの現物を確認し、更に事務室へ。
そうして、書類を探している時だった。
瞬間。
長年鍛え上げられ、彼を今まで生き残らせてきた第六感が警報を発し、それを脳が理解する更に一瞬前にはジャブラの肉体が自動的に反応して、全力での回避行動を取らせていた。
スパリ。
音で例えるなら、そんな感じか。先程まで書類を確認していた机が綺麗に2つに分かれて倒れた。
「……ただのネズミではないらしい」
そこにいたのは一人の坊主頭の男。
赤銅の鍛え上げられた肉体を持つ大男。
その分厚い胸に描かれるは【壱】。
(……こいつは……まさか)
声を出せば、そこから自身の正体に辿り着かれる危険がある故に、この状況でも声を出す事なくジャブラは呻く。
(BWオフィサーエージェントのトップ……Mr.1。こいつがここの警備にあたっていたのか……)
自身の役割はここで戦って奴を倒す事ではない。
ジャブラの仕事は帰還して初めて意味を為す。
そもそも、彼は恋人が待っているのに、こんな所で死ぬつもりなどない。
ならば三十六計逃げるに如かず、といきたい所なのだが、生憎唯一の入り口を抑えられている。相手の仕草には隙がなく、その脇を抜けての脱出というのは出来そうにない。
ならば、戦うしかない。
一瞬でそう判断すると、ジャブラは拳を固めた。
という訳で、ジャブラ遭遇戦闘です
少しはスパイらしさが出たかな……?