第132話−その理由は
赫足のゼフは思う。
思えば、あの嵐で孤島に小僧と2人流れ着いた時、自分は1度死んだのだと。
以前の自分であれば、子供と2人孤島に、となればあんな真似はしなかっただろう。財宝も食い物も全て我が物にして、恥じなかったはずだ。その結果として、子供1人が飢え死にか、それとも自分に蹴られて死のうが大して気にも留めなかっただろう。
それなのに、結局自分は子供を救った。
食い物全てを子供に分け与え、自身は自らの足を食って生き延びた。
とはいえ、食い物もなくなり、最早これまでかと思ったが、最後の最後で助けは来た。
しかし、気付けば船の中だったとはいえ、自分は賞金首。
とはいえ、逃げるだけの力もなく、助かったが、行き先はインペルダウンか処刑台かと観念したが、サンジの証言で助かった。
もっともサンジの反応自体は疑問に思う事ではない。
ストックホルム症候群といい、或いはもっと身近な言い方をするなら吊り橋効果という。
窮地を共に超えた経験は強い連帯感を生み、本来は敵のはずの相手からの親切な対応は親友のような間柄を生む。今回の場合も基本は同じだ。
たった2人孤島に流れ着き、敵だと思っていた人物の思いもよらぬ好意に気付いた為に隔意が反転した、という感じになるか。
しかし、自由の身になったとはいえ、改めて海賊をしようという気持ちにはならなかった。
片足を失ったという事もある。
部下達を失ったという事もある。
だが、それ以上にあの子供に対して情が湧いてしまった。
そうして、料理を教え込んで、足技を教えて……本人に熱意も才能もあったのだろう。今ではすっかり一人前のコックであり、足技に関しても一流だ。
だが……。
自分に恩義を感じているが故に、自分の願いを押し殺している。
かつてのクック海賊団最後の襲撃時のサンジの願い、オールブルーを見つけるという自分の夢と同じ夢を持つ子供は、今も願いを抱え込みながら、船を出ずにいる。
そうして、今もゼフの言葉に睨むような視線を返していた。
「落ち着け、ちゃんと理由はある」
「なんなんだ、一体」
自分の夢を追って欲しいなどといったら、それこそこじれるだけだろう。
「お前、船でのコックを一人前になってから体験した事はあるか?」
「…………」
サンジは沈黙した。
実の所、サンジは航海する船のコックという経験は少ない。
それこそ見習いの頃、オービット号にあのまま乗っていれば、やがて経験を積み、一人前の船のコックとなっていただろうが、船はそうなる前に沈んでしまった。
その後は島で料理店を開いて経験を積み、修行し、今のバラティエも元々料理店としての運用を前提とした船。
通常の意味での船とは異なる。
そして、船のコックとは通常の料理店のコックとはまた異なる。
船とは小さな閉じられた空間だ。
限られた食材、限られた調味料。全て望むものが揃うとは限らず、調理器具も専門のものが揃っているとは限らない。
新鮮な食材など得られるのは最初の内だけ。少し長い航海ともなれば、途中からは新鮮な食材は釣りたての魚だけ、という事も珍しくない。
けれど、そんな中でコックは美味い料理を作らねばならない。サンジが乗っていた客船などはその代表例だが、『新鮮な食材がなくなりました』で客が不満を感じるような食事を出すようではコック失格だ。
「何時か、経験の為にもやらせるつもりだった。とはいえ、でかい船ならもうコックはいるだろうし、下手な奴の船に乗せるのもと思っていたが、そこの奴らはちょうどコックが船から降りる事になったし、見た所目も問題なさそうだ。……いい経験だと思って、船のコックを体験してこい。……そちらの面々は構わないか?」
何やら成り行きに困惑していたエース達だったが、コックが乗ってくれるというなら文句を言う筋合いはない。
変な相手ではないようでもあるし。
「……分かった。そういう事なら引き受ける」
そう告げるとサンジは荷物をまとめてくる、とその場を立ち去った。
その背を見ながら、ゼフは思う。
願わくば、航海で自分の夢をもう一度思い出してほしいと。
(お前の夢見たオールブルーは、俺の夢でもあるんだぜ……息子よ)