第158話−ウイスキーピーク(後編)
「はあ……はあ……」
たしぎは荒い息を整えた。
何人を斬っただろう?
人を斬る感触は初めの頃は吐いた。
人を斬り吐き、臓物をぶちまけた死体に吐き、恐怖や絶望、怒りを浮かべたまま事切れた顔を見て、また吐いた。誰もが通る道だと、エースもサボもゾロも見て見ぬ振りをしてくれた。
何時頃からだっただろう?それに吐かなくなったのは。
人を斬る感触に慣れる事だけはしたくなかったが、ふと気付いた時、慄然としたのは何時だっただろう?
だが、この道を選んだのは自分自身。
悪党の手に渡った名刀を再び表の世界へと取り戻す、そんな夢を抱いたけれど、今、愛刀として使っているそれらを「はい、そうですか」と渡してくれるような相手がいるだろうか?そんな訳がない。
戦って取り戻すしか道はなく、そこには当然命の遣り取りがある。
などと、それらしく書いてはみたが、今息を切らせているのはそれらとは全く別の事。
ただ単に、多数を相手にして体力切れを起こしかけているだけの事だ。
これでも大分マシだ。
彼女の周囲には少し距離を置いてとはいえ、サボがゾロが、サンジがついてくれている。
たしぎは頑張ってはいるが、それでも原作のゾロのような無双が出来ている訳ではない。前方ではブルックが大暴れしているが、あんな事もまだ、今の彼女には出来ない。
仕留めたつもりが仕留め損ねていて奇襲を受けかけた事だってあるし、奇襲というならそれこそ路地から襲撃をかけてきたり、大量の銃撃を浴びせてきたり、或いは子供を庇う振りをして哀れっぽく涙まで流して見せつつ、『神のご加護目潰し!』と十字架から目潰しを吹き付けてきた相手までいる。
その度にフォローを受けてきた。
自信をつけるはずが、自信を失いつつあるような気がしてしまう。
(駄目だ、こんな事を考えていたら!)
頭を軽く振って、戦いに集中する。
前から殴りかかってきた男の脇をすり抜けざまにその脇腹を刀でなぞる。
悲鳴をあげて、倒れるが、その時点で既に次の相手が立ちはだかっていて、男にトドメを刺す余裕なんてない。
倒せばまた、その次が……。
感覚が麻痺するような中、次第に機械のように体はそれでも動き……たしぎが、朦朧と仕掛けた時それは起きた。
受け止められた刃。
その音。
そして輝き。
それが、たしぎの意識を引っ張り上げた。
「よくもやってくれたな!だが、このMr.11が……!」
目の前の男が喚いているが、そんな事はどうでもいい。
パートナーとなる女がいたようだが、そちらはゾロが片付け……フェミニストのサンジと揉めているようだが、それもどうでもいい。
目の前の輝き。
その刃紋。
それは紛れもなく……!
「それは……良業物【花州】!」
「は?」
思わずMr.11は気の抜けた声を上げた。
……確かに、自分の愛刀はその通りだ。
以前に、とある海賊を倒した際に手に入れた刀。実力と釣り合っていないという陰口があるのも知っている。
だが、手に入れた以上は俺のものだ……。
「力が足りないなら、鍛えればいい。諦めなければ、生き続ける限り、可能性は残る」
そう思って頑張ってきた。そのお陰か順調に数字も減り、11という数字を手に入れた訳だが……この女は一体何を言ってるんだ?というか、何か目が怪しい……。
それがMr.11の最期の記憶だった。
その光景を見ていたサボもゾロもサンジも引いていた。
たしぎを弁護するならば、疲労やらで朦朧としていた部分もあっただろう。
だが、名刀を見るなり、生気を取り戻して、相手を瞬殺するというのは如何なものだろうか?
刀を奪って、鞘に納めた後頬擦りするというのは如何なものだろうか……。
後に、たしぎにそれとなくこの時の事を聞いてみたが、彼女は全く覚えていなかった。
何故、自分の傍に良業物があるのか、それもまた覚えていなかった。
それを知った時、一同の心は一致した。
(なかった事にしよう)
当人とて自分がそんな事をしたとは信じたくなかろうし、知りたくもないだろう。
ウイスキーピークでは疲労の限界に達した彼女は倒れ、その刀はゾロ達が拾ってきたという事にしたのだった。無論、彼女は落ち込んだが、この事件は完全な黒歴史として一同の間では封印される事になった。
尚、この後、たしぎは倒れたと聞いて、それが悔しかったのだろう。
嘆くより何より鍛錬に励む事になる。
ただ、その彼女へ向けられる視線はどこか生暖かいものだったそうだ。
追伸ながら……ウイスキーピーク壊滅の一報を受けたクロコダイルは……。
「壊滅?どこぞの海賊にでもやられたか?」
「違うみたいね……訪れた賞金稼ぎのペットの鯨を食料として狙った挙句、怒った相手に返り討ちにされた、とあるわ」
「……金にもならん事に手出しやがって。俺は忙しいんだ、そんな事をいちいち言いに来るな」
海軍本部中将アスラとの激烈な暗闘と駆け引きを繰り広げているクロコダイルはこの一件を完全に無視した。
事実、ウイスキーピークの中途半端な連中は所詮、兵隊に過ぎない。
指揮官がやられたならばまた話は別だが、あの島にいるぐらいの兵隊連中ならば、幾らでも替えが効く。そう判断し、重要度の低い書類としてそれは回され……そのままアンラッキーズによって描かれたエース達の似顔絵もクロコダイルが目を通す事なく処分される事になるのだった。