第161話−虎穴
五老星の元を辞して、マリージョアの通りを歩く。
同じマリージョアではあるが、天竜人の住む区画とはきちんと分けられている為、出会う事はない。妙なトラブルを避けたいのはどこも同じだ。
天竜人には、一般人のエリアとは区別しているといえば、それで済む。もちろん、逆の見方をしてみれば、天竜人をこそ隔離していると見えなくもないのだが……。
メルクリウス号が見えてきた所で、アスラは「ふう」と溜息をついた。
アスラにも分かっている。
自分に任せたのは別に五老星の優しさなのではない、と……。ただ単に、下手にこれ以上情報が周囲に洩れる危険性を減らしたかったのだろう。
クロコダイルが背後にいる、となるとそれなりの力量を持つ実力者が必要になってくる。
その上で、最悪はクロコダイルが出てくるという事を教えておかねばならない。味方面して出てきて、背中を向けてたら全滅させられました、など論外だからだ。
だが、知る人間が増えれば増える程、秘密は洩れやすくなる。
それならば、ちょうど一番事情を知っている人間が担当可能な役職を持っている事もあり、この事件に関しては任せてみようという判断になったのも分からないでもない。
無論、それだけではないだろうが……。
(ロビンの事は言えずじまいだったな)
最大の理由は証拠不足だ。
クロコダイルが関わっている事さえ表立っては言えた話ではない。
ましてや、ロビンの場合、表どころか裏にさえ全く出てこない。
せめて、クロコダイルのカジノの奥深くに諜報員を送り込む事が出来れば、彼女がいるかどうかの確認も取れるのだろうが……さすがに本拠地だけある、というべきか、試みた者で生きて出てきた者は未だ1人もいない。
まあ、それはCP本部も同じ事なのだが。
せめて、ニコ・ロビンがいる、と断言出来れば、五老星の危険に対する認識も大幅に上昇していたのだろうが……。
さすがに「いるかもしれません」の状況では言えない。原作とは既に大幅乖離している現状、果たして原作通りなのかも不明だし。
そんな事を考えている間に、船に到着した。
「出航だ。目的地はアラバスタ王国!」
アラバスタ王国にとって、世界政府関係の船というのは最近では悪い意味での注目の的だ。
実の所、王国の国民で本当に騒いでいるのは極一部に過ぎない。
正規軍の軍人達は国王の下にあり、むしろ騒ぎ立てる人間に苦々しい思いを抱えている。
国民の大部分にとっては、騒ぎ立てるより日常の生活の方が大事だ。無論、だからといって世界政府の船を歓迎しているという訳ではないが、わざわざ妨害までしようとはしない。
問題は、極一部だ。
大声で喚くその一部こそが、騒動の主因であり、目立つが故にアラバスタ王国と世界政府との間の混乱を発生させていた。
これがBW(バロックワークス)の仕込みというならば、アスラは当に片をつけていたのだが、最初こそ扇動を行い、資金提供なりを行なっていたのだろうが……それは最初だけだった。今では彼らは勝手に集まり、勝手に動いている。その動きを制御しようという事をクロコダイルは行なっていない。する必要がない。
そして、今日もまた、世界政府の旗を掲げる船が到着した。
多数の市民からすれば、旗をあげるのを止めてくれれば目立たないし、静かになるだろうにとも思うのだが、世界政府からすればそれは出来ない相談だ。そんな事をすれば、世界政府が屈したと見られかねない。
かくして、船は常に堂々と旗を上げ、結果的にまた騒動が起きるのだった。この日までは。
「来たぞ!世界政府の船だ!」
その日入港したのは豪華客船を思わせる船だった。
自衛の為だろうか、目立たぬよう幾門かの大砲が取り付けられてはいるが、どちらかと言えば見栄えと居住性を重視した船だ。逆に言えば、それなりの立場の人間が乗船するという事でもある。
加えて上げられた旗は世界政府の外交船である事を示していた。
「またきやがったのか!」
「懲りない奴らだな!」
口々に喚く彼らだが、その身なりは整っている。
当然だろう、彼らはそれなりに裕福な家の出ばかりだ。
だからこそ、こうして港を見張り、寄港した船が世界政府の船なら何時でも集まれるだけの時間的余裕がある。
それぞれが武器なりを隠し持って、待ち構えていた訳だが……。
「え……」
誰かが呆然と呟いた。
船の降り口で待ち構えていた集団の前に、だが微塵の動揺も見せずに降りてきた人間は海軍軍人。それも、海軍本部中将の階級章を持つ人物だった。アスラである。
更に、続いて海軍准将スモーカーに多数の海兵が整然と降りてくる。
所詮は暴徒といえど、普通の市民だ。
武装した軍人に喧嘩を売る程、命を捨てられない。
呆然としたままふと船を見れば、偽装されていた武装が全て顔を出していた。
飾り板などで巧妙に隠されていた武装が露になった、その姿は紛れもなく海軍の軍艦、それも中将座乗の戦艦の姿だった。
「ではスモーカー。留守は任せた」
「了解した」
そう告げると、アスラは一歩を踏み出す。
その一歩に反応するかのように、道を塞ぐ群集が一歩下がり……無意識の内に遠ざかろうとするのか道が出来る。一歩、また一歩と歩むごとに、群集が割れ、そこに道が出来る。その足取りは全く躊躇がない。
敬礼で見送る海兵らかの視線を遮る事なく、群集を真っ二つに切り裂いて、アスラは王宮へ向け歩み去った。
この日。
世界政府の船が寄港したにも関わらず、騒動が起きなかった事に港近辺の住人は安堵した。
ようやく、落ち着いた日々が戻ってくるのか、と……。
当初こそ愛国心が燃え立っていても、話し合いに来た世界政府の外交官が射殺された、といった記事が表に出てくれば、次第に引け目も感じるようになる。
ここにCPからの情報操作も加われば尚更だ。
CPの情報操作は別に、アラバスタ王国の軍人が悪いというものではない。
初期こそそれもあったかもしれないが、次第に国民に冷静になるよう呼びかけるような内容へと変化していた。なまじ煽るような意見が反乱していただけに、国民は少し落ち着いて、『まあ、きちんと話し合えば……』という空気が醸成されていた。
このまま状況が落ち着けば、クロコダイルには都合が悪い筈だ。
けれど、クロコダイルは……この時点では不気味に沈黙を保っているのだった。
(さて、今回のこちらの行動で、奴がどんなリアクションを返してくるか……)
最悪、面談の最中に国王暗殺を仕掛けてくる可能性も視野に、アスラは王宮へと歩を進めた。