第173話−戦い済んで(BW編)
砂嵐に紛れて、クロコダイルはアスラを見ていた。
膨大な質量を持った銀の鞭が荒れ狂っていたが、さすがに巨大なそれら全てに覇気を行き届かせるのは無理だ。事実、幾度かクロコダイルの体も粉砕されていたが、その全てにおいて即座の再生を果たしていた。
「……ふん」
ここは砂漠。クロコダイルのフィールドだ。
だが、今手を出す訳にはいかない。
アスラ中将が指名手配されているMr.2を狙って動き、Mr.1と3はその妨害をしたという理由で攻撃したように、クロコダイルもまたアスラ中将に手を出せば反撃を受ける。
別にそれが恐ろしいとは思わないが、下手に手を出せば、自分が関わっている証拠になる。
どのみち今も関わっている事には変わりないが、姿を見せていない以上、確たる証拠には程遠い。少なくとも、自身が関わっているという証拠として、堂々とBWに対して攻撃を仕掛けるには弱いだろう。
「……本気で殺り合う時が来るのかね」
面白そうに呟きながら、背を向け歩き出す。
面倒なだけだから来て欲しくないような、全ての計画を放り出して思う存分やりあってみたいような気持ちが入り混じっているような複雑な気分だ。
口元に微かに笑みを浮かべたまま、クロコダイルはその場を離れて行った。
アスラとの戦闘があった場所から実に数キロ離れた場所。
それでも尚、アスラが立っていた場所からは死角となる位置を選ぶように、白く大きな球体が砂漠から浮かび上がってきた。
しばらくすると、溶けるようにして崩れ去り、その中からMr.2を肩に担いだMr.1と、ボロボロながら何とか立って歩けるまでに回復したMr.3が出てきた。
この辺の差は単純に鎧をまとっていたかどうかだけでなく、殺す気だった相手とおまけの差もあっただろう。
あの時、砂嵐に身を隠した後、即Mr.3は根性でこの球体を作らされた。
作らなければ死ぬ、そう言われては死ぬ気でやらざるをえない。
Mr.3も先程の戦闘から考えて、『死ぬ』という言葉が冗談の類だと考えれる程楽観的にはなれなかった。そうやって、完成させた自分達をすっぽり包んで尚余裕のある蝋の球体は中からは分からなかったが、そのまま地面が流砂——それも液体並に柔らかく溶け崩れ、球体を飲み込み、そのまま流れに乗せて、ここまで運んできたのだった。
球体にしたのは圧力の関係上で、何しろ砂という水と比べれば遥かに圧力の高い中を通るのだ。シェルターに用いられているように、球体という形で圧力を分散させるのは基本だった。
「……な、何とか生き残れた、カネ」
どことなく落ち着かない風情で辺りをきょろきょろと見回すMr.3を責めたりはしない。
(……まだまだ未熟という事か)
ふう、とMr.1は溜息をつく。
上には上がいる。
そんな事は分かっていた。
西の海にいた頃、ダズ・ボーネスは敵なしだった。超人系悪魔の実スパスパの実を食い、刃物人間となってからは尚更だった。それはBWにおいても変わらず、ボスを除けばトップの地位にあるMr.1の名を順調に手に入れた。
新世界でも初期は勝てない相手もいたし、苦戦もしたが、何時しか普通に航海を可能としていた。
……だが、勝てなかった。
(……海軍本部中将にして、CP長官アスラ……)
大将に最も近い中将とも呼ばれる相手。
それがどこまで真実かは分からない。何しろ、ダズは海軍本部大将とやりあった事などないのだから、比べようがない。だが、相手は中将だ、大将がそれより劣る事はあるまい。
面白い、と本気で思う。
これだから世界は面白い。
そんな事を考えるダズの傍で、Mr.3もまた考えていた。
今回生き残ったのは本当に偶然の結果だ。
もし、最初からアスラ中将が自分も殺す気で迫っていたら……そう考えると震えが走る。
Mr.3の食った超人系悪魔の実ドルドルの実は、確かにMr.2のマネマネの実よりは戦闘にも使いやすい能力だ。その能力は悪魔の蝋を生み出す事であり、それを操作する事。固まれば鉄並の硬度を持つから、壊すのも簡単にはいかない、いかない筈だった。
だが、現実はどうだっただろう?
(まるで歯が立たなかったガネ……)
あれが世界トップクラスの実力か、と思う。
自分はオフィサー・エージェントの中では元々強い方ではなかった。
単純な戦闘力ではMr.4の方が上と言われながら、それでも策略を巡らす能力などが評価され、現在の立場に至った。
新世界に放り込まれ、死ぬかと思いながらも何とか生き延びた。
嘗ては仲間でも利用する道具だった。
昔の自分だったら、Mr.2が「逃げろ」と言われた時、さっさと逃げていた筈だ。もっともあの時点でなら、「しめた」と思う以前に本物の恐怖から逃げていたかもしれないが。
だが、それでは新世界で生きられなかった。
利用するだけの道具扱いで生き延びられる程、新世界は甘い海ではない。
いや、単純に生活するだけなら何とかなるかもしれないが、間違っても戦闘ではそんな事は不可能だった。
ちらり、と視線をようやっと駆けつけたBWの構成員達に運ばれていくMr.2を見る。
この場所はBWの集結地点の1つだ。
今回の場合で言えば、Mr.2のおつき連中があの場所から脱出して、再集結した地点であり、彼らの顔はMr.2を心配する様子がありありと浮き出ている。
オカマだのなんだのは関係ない。
(……純粋に上に立つ者として慕われてるガネ)
ある意味羨ましい話だ。
見た目ではなく、中身、という事か。これまで積み重ねてきた信頼の成果だろう。
とはいえ……。
(私にはアレはマネ出来んガネ)
誰かの為に命を賭ける。
それも愛する人などではない。同じ組織の人間とはいえ、これまで親しくつきあっていた友人という訳でもない。
仲間。
ただ、それだけでMr.2は命をあっさりと賭けた。
あれははっきり言ってしまえば、組織の幹部としては失格だ。組織の上に立つ人間、しかもBWの策略で重要な役割を任されているという事は聞いていたから、そんな責任者は何が何でも生き延びねばならない。
そう、それこそあの場ではMr.3を犠牲にしてでも生き延びねば……。
それが理解出来て、ぶるりと体を震わせた。一歩間違えれば、自分の命はあそこで終わりだったのだろう。とはいえ……何とかしたいからと思った所で、今からすぐ、アレを何とか出来るぐらいに、アレを足止めして逃げ延びるぐらいに強くなれるなら誰も苦労はしない。
(……とすると……)
なるべく、あんなのと当たらずに済むように頭を使うしかあるまい。
(まあ、海軍本部中将なんて相手とそうほいほい出会う事もないガネ……ないでほしいガネ)
自分が働いているのが真っ当な組織ではない事に改めて思い至る。
そりゃあ、表立ってはまだBWは犯罪組織ではない。
だが、裏切り者の粛清なんて任務まであれば、ここが相互に助け合う単なる互助会だなんて思える訳がない。上げられている理想だって穏便に済む計画だなんて思っていない。それでも1人でせこせこやっているよりは未来に目があると思ったから、今ここにいる。
今更抜けるなんて道もない。
(しかし……)
今回の脱出で自分達をここまで運んだのは何者なのか。
さすがに砂の中をキロ単位で運ばれ、運ばれた先がBWの集結地点の1つだなどという奇跡が偶然起きるとはMr.3とて思わない。間違いなく、何者かが関わっているのだろうが、何故その相手は姿を見せないのか?
単純なエージェントならば、自分含めたここにいるメンバーの立場を考えると顔ぐらいは出すだろう。
だとすると……。
(……まだ、顔を見せない組織のボスカネ……)
一体どんな相手なのだろう、ふとそう思った。
せめて、今度あんな相手が出てきたら、その相手と戦える人がボスでありますように、本気で空に輝きだした夜空の星に祈るMr.3であった。