第194話−ミス・ダブルフィンガー
スパイダーズ・カフェ。
それはBW(バロックワークス)の中でも精鋭、オフィサーエージェント達の為に用意された隠れ家的な酒場である。
表向きは古び、寂れた普通の酒場に見える。
だが、その中身は世界の銘酒から、くつろぎの為の娯楽施設に温泉まで用意してあり、任務で疲れた体をのんびりとリラックス出来るようセキュリティもしかりしている。
この酒場の店主こそがMr.1の相棒たるミス・ダブルフィンガーだった。
店の外へと出たその姿を離れた崖の上から見つめる姿があった。
事前にCP隊員による旅人を装った人間に入らせた所、「これから用事があって出なければならないの」という話で水を貰って店を出ている。
「どうやら間に合ったようですね」
ゆっくりと伏せていた身を起こし、【視力強化】を解除する。
ここからなら十分だ。
切りかえた【聴力強化】で確認するが、物音は地下からはしてはいない。未だ地上部分で動き回っている。
脇に置かれた巨大な荷物に手を伸ばす。
「パワパワ——筋力強化」
一気に片腕で荷物を掴み、持ち上げ、それを投げる。長時間は自分の体がもたないから、一連の行動は瞬時に行なわなければならない。
巨大且つ大重量の荷物を強引に持ち上げた事で崩れそうになるバランスは己の鍛えた感覚で乗り切り、筋力強化を行なって、筋肉は耐えられても骨が耐えられない。軋み、外れた部分もあったが、即座に【回復力強化】を行い癒す。
激痛が走っているだろうが、そこはCP9というべきか、顔を歪めもしない。
その視線の先で放物線を描いた荷物は……見事にスパイダーズ・カフェに直撃した。
轟音を上げ、着弾して間もなく大爆発が起き、スパイダーズ・カフェは木っ端微塵に吹き飛んだ。
もうお分かりだろう。投げつけたのは爆弾だ。
その爆発を契機に隠れていたCP隊員らが駆け出し、配置につく。もし、あれから生き延びていたとしても無傷ではすんでいる筈がない。そこを複数による狙撃によってとどめを刺す。
ミス・ダブルフィンガーの存在は長らくCP(サイファーポール)にとっても不明だった。
内偵による、Mr.1にも相棒がいる事は確実だった。だが、姿が見えてこない。
当初はそういう能力者なのかと疑われた程だったが、ルッチが新世界に派遣される程になって、ようやく概要が掴めた。
オフィサーエージェントらの集合場所となる隠れ家の主。
そうなると、今度はその場所を突き止める為に大騒動だった。
この場所がようやく突き止められたのはごく最近になって、オフィサーエージェントらの動きがアラバスタ王国内において活発化してからの事だ。
ここで問題になったのは彼女の能力だった。
『能力が分からない』
悪魔の実の能力者である事は複数の証言から疑いようがない。だが、前線に滅多に出てこないから、なかなかその能力を識別する機会がない。
Mr.1と異なり、BW(バロックワークス)に入る以前から名前が売れていたという訳でもないから過去の彼女を探すのもまた大変だ。
しかし、能力が分からなければ、想定外の事態が起きる可能性がある。
実際、獣人系であっても鳥類であれば空を飛んで逃げられる可能性があるし、超人系なら他ならぬCP9にドアドアの実の能力者という実例がある。
そうして最終的に判断されたのが……。
『能力を発動させる前に消してしまえ』
というものだった。
酒場の看板を上げている以上、経営をしていない訳ではない。
時折、何も知らない旅人を装い、或いは何も知らない旅人が入れば後でこっそり聞きだして、ポーラと名乗る彼女がいる事を確認し続けた。
これが街中にあれば、こんな手段は取れなかった。
隠蔽の為に荒野に作ったからこそ、このような乱暴な手段が取れたのだ。
海軍には出来なかった。
彼女は指名手配されている訳ではない。
今回の作戦はいささか派手ではあるが、要は暗殺だ。
他のオフィサーエージェント相手ならこのような方法は取れなかった。
彼らは様々な街を渡り歩いており、どこか一箇所に拠点を定めているという訳ではなかったからだ。
彼女相手だからこそ、出来た事だった。
狙撃兵を配置した上で、カリファはゆっくりと残骸となったスパイダーズ・カフェへと近付く。
ある距離まで到着した所で【聴力強化】で音源を探る。
……いた。
「……しぶといわね」
生きてはいる。
だが、血の流れや筋肉の動き、骨の音。それらを分析するに大怪我を負って、まともに動けずもがいているという所か、そう判断すると彼女はそれでも警戒を緩めず近付き……。
「【嵐脚】」
巻き込まれ吹き飛ぶ残骸の中に赤く染まった人体が混じっているのが見えた。
地面に転がった彼女へとゆっくり歩み寄る。
……既に致命傷だ。
治癒能力を異常なレベルまで高められるといった、そういう能力者でもない限り、最早助かる道はあるまい。
放っておいても死ぬだろうが……。
「あ……あん、た……なに、も……の」
「……まだ声が出せましたか、しつこいですね」
途切れ途切れで掠れた声ながら、まだ声を出すミス・ダブルフィンガーにカリファは冷徹な視線を向ける。
そのままゆっくり歩み寄ってくる彼女の姿に不吉なものしか感じられなかったのだろう、動かない体を何とか動かそうとするが、最早体は言う事をきかず、かすかに痙攣しているようにしか見えない。
その彼女を射程に捕えると、カリファは銃を撃った。
1発ではなく、2発3発……。
ミス・ダブルフィンガーが確実に死亡した事を確認して、ようやくカリファは背を向けた。
「後片付けをお願い」
「了解しました」
CP隊員の傍を通り過ぎる際に命令を下し、隊員もまたそれを当然のように冷徹に判断し、行動にかかる。
……明日にはこの場所には酒場があったという痕跡すら残ってはいないだろう。