第198話−罪と罰と
【SIDE:ニコ・ロビン】
「——取り消して」
自分でも驚く程冷たい声が出た。
この男は何を言った?
クローバー博士が馬鹿?
違う!あの人は立派な人だった!真実を追究しただけなのに、理不尽な理由で追い詰められ、そして殺された。
睨みつける私に、けれどアスラ中将は冷静極まりない視線を向けている。
「何故取り消す必要がある?真実だろう?」
再び頭に血が昇りかける。
落ち着け、この男は噂に聞くだけでも、相当タフなネゴシエーターだ。そんな相手に血が昇った状態で相対すればいいように翻弄されるだけ。中は業火で燃え盛っていても、頭は氷のように冷徹でなければ駄目よ、ロビン!
「真実?私達は正に真実を探求しただけよ!それが悪いというの!」
頭を冷やし、けれど落ち着いていないと見せかける為に口調はあくまで荒々しく。
そう叫ぶ私に彼は口調はあくまで穏やかに告げた。
「ああ、悪い」
そうして彼は告げる。
オハラの、クローバー博士の過ちを。
「そもそも、彼らが犯したのはれっきとした違法行為だ。——法を犯せば罰せられる。当然の事だ。たとえ、それが悪法であれ、法は法だ」
【SIDE:アスラ】
納得しきれていないな。
だが、語ったのは真実だ。
嘗て「悪法でも法は法」として従容として毒を呷り死んだソクラテスという哲学者がいた。
今回は悪法かどうかはさておき、正式に法として存在しており、オハラの考古学者達もまた、自分達が違法行為を行なっているという事を理解していた。
——そして、法を犯せば罰せられるというのもまた当然の理だ。
アスラの元の世界を見ても、後世や外から見れば理不尽な、或いは奇妙な法は幾らでもあった。
例えばまだ穏やかなものではアメリカの禁酒法。
アルコールの製造そのものを禁止するこの法律によって結果起きた事は密造酒の横行。その違法行為によってマフィアが大いにその懐を暖める事となった。実際、名高いアル・カポネはこの時代に最も名を上げた男だ。
カンボジアはポル・ポト派。
彼らは僅か4年の統治の間に、人口800万の国で直接間接的に200〜300万人を殺したと言われる。その中には都市部に住み眼鏡をかけていただけで知識階級とされ殺されたという話すらある。
何故そんな事が起きたのか?答えは簡単だ、それが法だったからだ。
考古学に絞った話であっても、エジプトで考古学の為に地面を掘り返すにしても、どこの地区のどの範囲なら掘ってもいいけれど、こちらは掘ってはいけない、といった事が定められている。
オハラを考えてみれば、どうだろうか?
客観的な事実だけを指摘するならば、彼らは『好奇心に勝てず、違法行為に手を染めた』という事に他ならない。
それに罰が与えられるのは当然の話だ。
——まあ、自分が言うな、と言われるかもしれないが、もし、それが嫌ならば対抗策を取るしかない。
或いは権力を執行する相手に対抗可能なだけの力を持つか。
或いは法自体をひっくり返すか。
或いは権力者と取引をするか。
或いは自分自身が権力の側に立つか。
どれでもいい。何がしかの、相手が権力を振るうのを躊躇うか、振るう気にならない何かを持てばいい。
それが駄目でも、何がしかの対策を取っておくべきだが……オハラの学者達は何もしなかった。
「クローバーが馬鹿だったのは、折角五老星に繋げられるだけの力を持っていながら、その使い方を誤った事だ」
あの時、五老星はクローバーが禁断の名を出そうとした瞬間に口封じを決意した。
あの瞬間まで、五老星はその命令を、バスターコールの発令を指示しなかった。
クローバー博士があの時、もし、自分達が集めた情報から誤った方向へと進んだように偽装していたらどうだっただろうか?考古学者の信念を少し曲げて、自分達は真実に辿り着いたという満足を胸に五老星と取引していたらどうだっただろうか?
おそらく、実際に研究に携わった考古学者達への何らかの処罰は免れなかっただろうが……それでも、オハラにバスターコールがかけられる事はなかったのではないだろうか。研究しただけでバスターコールが行なわれるのであれば、クローバー博士があの名を語るその瞬間まで、黙って聞いていた意味がない。
それなのに——クローバー博士が為したのは、『最高権力者に自分達は違法行為に手を染めて、貴方達が秘密にしたがってる謎を解き明かしましたよ』と考古学者の誇りという名の、ちっぽけなプライドの為に自慢したに過ぎない。
「言うなれば、彼らのプライドの為に、オハラは生贄に捧げられたようなものだ」
だから——アスラはクローバー博士らを馬鹿と呼ぶ。
……そして、そんな連中の想いという名の違法行為を、唯一人生き残った少女は『もう、その違法行為は自分しか出来ないのだから』と、それが違法行為という自覚なしに未だに続けている。……これを呪いと呼ばずして、何と呼ぶのか。
「…………」
クローバー博士らの行動をそう断定されたロビンとしては沈黙するしかない。
理解はしていたつもりだ。クローバー博士達オハラの皆がやった事も、自分がやってきた事も、『真実を解き明かす』という言葉を隠れ蓑にした違法行為でしかない事など。
けれど、オハラを滅ぼしたのが他ならぬクローバー博士達自身であると言われるのは想定外だった。
あの時、あの瞬間に何があったのか、細かい点はあの時避難していた、させられていたロビンには知る由もない。
あの場にいなかったという意味ではアスラとて同じだが、アスラには前のCP長官であったスパンダインが『何かに役立つかも』と書き残した資料と、当時スパンダイン長官と共に現場にいた人員の生き残り、当然彼らは汚職に手を染めて逃走した後拘束されたのだが、知る限りの事を話すという司法取引を交わしている。
そうしてアスラは更に五老星からも許される範囲で情報を得た。
おそらく、あの時のオハラの状況を当事者であった五老星以外では最も詳しく知る人間といっていいだろう。
「その上で改めて言おう。……違法行為を止め、代わりに我々の下で働け」
そうすれば、彼女の本分たる考古学を研究する事も可能だろう。
世界政府の為であり、監視がつくだろうが、落ち着いた安全且つ快適な生活を送る事も可能だろう、だが……。
「……嫌よ!」
それでも。
長年、ロビンは世界政府を、海軍を敵として逃げ続けてきた。
仲間の、友の、母の、恩師の仇として憎み続けてきた。それを全て捨てて、仲間となって自分達の為に働け、など……理性はアスラの言葉の意味を理解しつつも、感情が納得出来る訳がない。
「【八輪咲き(オーチョフルール)・クラッチ】!」
彼女の殆ど叫ぶような声と共に、アスラの体から腕が生える。
8本の腕が生え、それぞれが首・腕・肩を掴み、背骨を捻じ曲げようとして……停止した。
曲がらない。曲げられない。
アスラの体から生えている腕はその全てがロビンの腕と同じだ。
そして、ロビンの腕力は決して高いものではない。海軍中将たるガープが船すら上回る巨大な鉄球を投げる事すら可能とする程、接近戦闘を得意とする海軍の上層部の力はアスラの元の世界の住人からすれば想像を絶するものがある。
これに対してロビンの腕力は、原作におけるスカイピアで神官長ヤマという、如何に巨漢とはいえ所詮は人に過ぎない重さを吊り下げて、腕が軋み、痛みを感じていた。その程度の腕力でしかない。
関節技を多用するのも、より少ない力で、より効率的に相手を倒す為のものだ。
……だが、どのような技を使ってくるか分かっていれば、逆に筋力で抵抗する事も可能だ。
そして、アスラとロビンの単純な筋力の差といえば、それこそ生まれたての赤ん坊がキングコングを投げ飛ばそうとするぐらいの悲しい程圧倒的な差がある。
「やむをえんか。……とりあえずは」
次の瞬間、ロビンはその意識を刈り取られた。
微かに最後に『眠ってもらう』、そんな声が聞こえたようだった。