第203話−終焉一つ
クロコダイルの鉤爪が閃く。
明らかに毒が滴るその爪を、砂嵐に紛れまるで砂の壁の中から手だけが伸びて襲ってくるかのような状況の中、ルッチとスモーカーは臨時のコンビを組んで、背中合わせになって防ぐ。
スモーカーは背中から十手を外し、それで。
素手戦闘に関してはスモーカーを上回るルッチは毒に触れぬよう巧みに伸びてくる腕を弾く。
(……ふん、やはりな)
砂嵐の中からクロコダイルはそれを静かに見ていた。
純粋な格闘の腕では海軍本部少将はMr.6に劣る。
無論、だからとて自然系の能力者である相手を甘く見るつもりはないが、だからこそ今の、自然系の特徴とも言える実体があって実体のない状態になれない相手を片付けておきたい。
そうして、幾度目かの攻撃の時、それは起きた。
スモーカーに向け、再び毒に濡れた鉤爪が伸びてくる。それをスモーカーは十手で弾き……直後伸びてきた右腕がスモーカーの喉を掴んだ。
「ぐっ……!?」
それまで左の鉤爪を殊更に用いていたのはフェイク。
元よりクロコダイルにとって最大の武器は右腕であり、左腕の毒は手段の1つに過ぎない。
砂の能力の真骨頂とでも言うべき力を宿すのがクロコダイルの右腕。
接触した点から対象の水分を吸い取り、渇きを与えるというもの。その力は大地を砂の砂漠と化し、人一人ぐらいならば瞬時にミイラの如き姿へと変える、はずだった。
「……なに?」
奇妙な脱力感。
吸い取れぬ水。
ふと気付く、左の鉤爪を逸らした後、押し付けられていた十手……いや、この強烈な脱力感は……。
「……海楼石かっ!?」
そうだ、この力の抜ける感覚は……悪魔の実の能力者に共通する弱点。海に触れた時に感じるのと同じものだ。
しまった。
自身が鉤爪に意識を集中させようとしていたように、この男も十手に海楼石を仕込んでいたのを隠していたのか……。
もっとも、ここら辺はアスラの裏技のせいと言える。
何しろ、アスラは原作知識でもって、クロコダイルの技を細かい点はさすがに最早覚えていないが、主だったものを忘れてはいない。
無論、クロコダイルの右手の事も覚えており、事前にルッチとスモーカーの両者に伝えてあった。
だからこそ、2人は最終的なクロコダイルの狙いが右手であろうと予測もしていたし、対応も出来た、ただそれだけの事にすぎない。
……そして、次はない事ぐらいはスモーカーらも気付いていた。
クロコダイルが掴んだ右手を引く前に左手でスモーカーが伸ばされた手首を握り。
「今だ、やれ……!」
瞬時にルッチがちょうど十手と挟み撃ちにする位置へと移動し、両手の拳を押し付ける……!
「【六王銃(ろくおうがん)】!」
衝撃がクロコダイルを貫いた。
更に、とばかりにルッチは連射する。
「【六王銃(ろくおうがん)】!」
「【六王銃(ろくおうがん)】!」
無論、体への負担は並大抵のものではない。
だが、二度はない。
クロコダイルがもう一度、このような状況を許すとは思えない。
だからこそ、ここで全力を注ぎ込む……!
「調子に乗るな……!【砂嵐・重(ぺザード)】!」
だが、忘れてはならない。
海に触れたとて、能力を完全に封じれる訳ではない。即座にクロコダイルは周囲の砂嵐の一部を掌握し、自身も巻き込みながら無差別に圧縮した砂嵐を放つ。
最初の一撃こそ自分にもダメージが来るが、さすがにこれを喰らって十手を押し当て続けるのは難しい。
瞬間僅かに離れ、クロコダイルもそれを逃しはしなかった。
全身を砂へと変え、離脱。
「【砂漠の金剛宝刀(デザート・ラスパーダ)】!」
更に2人が背中合わせを停止した事により空いた間へと刃をぶち込む。
咄嗟に2人は後方へと跳び退る。結果として距離が開いた。
瞬時にクロコダイルは周囲を確認する。
強引に砂嵐を掌握して技として放った為に、周囲の砂嵐は急速に弱まりつつある……ならば。
ゆらりとその形を崩し、次に現れたのはロブ・ルッチの傍だった。
「「!」」
なまじ、スモーカーを明らかに狙っていた為に反応が遅れる。
それだけではなく、【六王銃】という六式の奥義を連発して放った為に、ルッチもまた体力の限界が近く、それが故に更に反応が遅れた事も大きいが、とにかく結果から言えば、ルッチはその右腕を掴まれ……。
咄嗟に放った暴風を伴った蹴りによって全身が干からびる事は防いだ。
だが、右腕は完全に干物と化し、少なくとも戦闘に使える状況ではない。
一見、クロコダイルが有利になったかに思えるが、周囲の砂嵐が収まりつつある現状、スモーカーがその本領を発揮出来る状況が整いつつある上、クロコダイル自身も先程連発された【六王銃】によるダメージが想像以上に大きかった。やはり、海楼石で強制的に実体化された所へ叩き込まれたのが大きかった。
(これ以上やり合ったとしても……)
おそらくこれ以上は単なる消耗戦。
ましてや、海軍本部少将が自分に対して攻撃を仕掛けてきたとなれば、面倒な証拠を握られた可能性が高い。
瞬時にこれ以上の戦闘続行とそれに伴う不利益、ここで2人を逃す事による自身の権威の失墜などの不利益を検討し、クロコダイルは即座にこの場からの離脱を選択した。
砂を巻き上げ、視界を遮り……無論、瞬時にルッチとスモーカーはそれでも背中合わせになり、周囲を警戒する。
やがて砂が収まった時……周囲には誰もいなかった。
「……逃げられたか」
舌打ちするスモーカーに対して、だが、ルッチは焦る様子を見せなかった。
『クロコダイルと思われる影はA−4ルート方面に向かう予定』
『こちらポイントφ、クロコダイルを確認。A−4ルートを想定通り進行中』
『クロコダイルを確認。予想進路を逸れる様子はなし』
……クロコダイルとて道を選ぶ。
如何に砂漠を進んでも問題ないとはいえ、彼の立場がそれを許さない。連絡を取る者や、その支援を行う者の事を考えると、道なき道、砂漠のど真中では目印も何もない。
自然と使われていない裏街道や古いオアシスを通過してゆく。
そこで情報を得ながら、焦りを隠して本拠地へと向かうのだ。
……この時点ではなまじクロコダイルに権限が集中していた為に混乱し、状況を把握しきれていない。もし、この時点でクロコダイルが完璧に状況を把握していれば、即効で身を隠すなり、別の拠点なりに向かっていただろう。
だが、その全ては仮定だ。
CPからの攻撃を受け、現場が混乱している事のみをかろうじて掴み、それ故にクロコダイルは急ぎ戻っていた。
……そう、脇道を通る余裕すらなく。
それであれば、進路を読む事も、先回りする事も容易い。
そうして、2人は出会った。
「……貴様……!」
「久方ぶりだな。まだ回復しきれていないようだ……当然か、まだ1日とて経っていない。その時間でここまで戻ってくるとは砂漠での移動速度は矢張り素晴らしいものがあるな」
クロコダイルの眼前に立ちはだかるは海軍本部中将アスラ。
ルッチが焦らなかった理由がここにあった。
……そして結果から言えば、2人の戦いは一方的なものになった。
万全の状態であれば、クロコダイルとてこうまで一方的にやられはしない。
だが、激しい戦闘で負傷し、それを推して強行軍でここまで戻ってきた。幾ら砂漠を移動するのに通常の人間より遥かに体力の消耗が少ないとはいえ、長距離を移動すれば疲れも生まれる。回復もままならない。
一方、戦闘も行わず、移動も僅かな修正の為の移動のみでほぼ万全といっていい状況なのがアスラだ。これではまともな戦闘になどなりはしない。
更に……。
「がはっ……!」
苦悶の呻きを上げて、クロコダイルが崩れ落ちる。
その脳天から新たな水が流れ落ちる。
事前に樽で水を用意し、九尾でそれらをクロコダイルが倒れた所を狙いぶちまける。かろうじて回避したものもあるが、その大半を受け、既にクロコダイルの全身はびしょ濡れだった。
覇気でも自然系(ロギア)の能力者ならば物理的な攻撃を覇気で打ち消す事によって、ダメージを減らす事が出来る。
だが、これではどうにもならない。
「手前……!」
「すまないな、クロコダイル」
証拠を掴んだとはいえ、お前が権力とコネをフルに活用した場合、まだ束縛を逃れられる危険がある。
伊達に長年、王下七武海を務めてはいないから……だからこそ。
「ここで消させてもらう。ワの国の言い回しにある……【死人に口無し】、という奴だ」
「………ふん」
クロコダイルはアスラを睨み付けていたが、やがて諦めたようにごろりとその体を投げ出した。
「負けたか。……しょうがねえ、やれ」
雑魚にやられるより、まだマシだ。
もう、体に力が入らない。
このまま惨めに追われ、訴追されるなぞ真っ平御免だ。ああ、そうだな……。
長年、互いの全力を交わし続けてきた相手ならば、友とは言えない。だが、好敵手ぐらいには呼んでもいいだろう。
「一足先に地獄で待っててやる」
「ああ、どうせこっちの行き先も同じだろうからな」
この世界に足を踏み入れた時点で、ろくな死に方をしないとは覚悟していた。それも終わりか。死に場所には不満もあるが……だがまあ、こんなロクデナシの死に方としてはそう悪くもないだろうさ。
そう思い、口元に何時もの皮肉げな笑みを浮かべて。
次の瞬間、何か湿ったものを貫くような音がした後、静けさが訪れた。