第22話−天竜人
先だってのシルバーズ・レイリーとの話は楽しいものだった。
ぼったくりBARとありながら、シャッキーは別に法外な金を要求したりはしなかった。至極美味い酒とつまみで、至極良心的なお値段……つまりは、ああも堂々とあんな看板を上げているのは、余計な輩がやって来るのを避ける為なのだろう。
もし、想像通り彼女もまた大海賊の一味というならば、本人が生活していくだけの金は十分持っていてもおかしくないだろうと思えるからだ。
……レイリーは、まあ浪費すれば、どんな大金があってもきりがないという事なんだろう、きっと。
そして、今日は……最悪の気分だった。
傍若無人、正義の名を目の前で踏み躙られながら、こちらは手が出せない相手。そう、天竜人の来訪だ。
天竜人。
どうもこいつらには何かありそうだ。俺自身はまだまだ予測だが、本当はこいつらこそが世界を今のようにした、元凶だったんじゃないかと考えている。でなければ、オハラがそうであったように、ああも過去を徹底的に、それこそ失われた時代を研究したら抹殺するまでに封印したりはしないだろう。
本当に天竜人の祖先こそがこの世界を救ったりしたならば、堂々と研究でも何でもさせればいいんだ。
内心では、そう思いながら、今俺は目の前を歩いてきている天竜人の前に整列している。それも、駐留部隊の司令官である少将の横で。
実の所、このシャボンディ諸島の駐留部隊司令官という職は普段は楽な職だ。
治外法権の場所が多い、手が出せない場所が多い、しかも、それらは治安が悪いからではなく、世界政府がそうするように命じているも同然、という事は逆に言えば、見回りとか治安維持しなければならない場所が少なくてすむ、という事でもある。
犯罪起こすような連中にした所で、そうした場所だけは神妙にしているか、入らなければ後は自由なんだから、普段は住み分けが出来ているから、治安責任のある場所での騒動は実は滅多に起こらない。
時折、どこぞで海賊が暴れているという通報があった時とかは、さすがにそれ以外の場所でも出撃しなければならないが、それでさえ通報がなければ放置出来るし、そもそも下手すれば海軍本部大将まで出てきかねない場所で、本当の意味で大物や期待のルーキーに属する海賊が騒動起こす訳がない。
原作のルフィは……あれは例外だ。ルフィとて、ケイミーが攫われ、尚且つヒューマンショップで天竜人が出てきたりしなければ、あんな大騒動にはならなかった、しなかっただろう。
なので、普段は暇で、その一方重要な場所だから、実入りもでかいという……まあ、そうは言っても逆に僅かな仕事がある時は迅速で確実な仕事をしないといけない場所でもあるから、海軍も本当に不真面目な輩は責任者につけたりしないんだが。
お陰で普段は楽な職場なんだ。
責任者の少将も真面目に仕事をする人だから、昼前には大体書類仕事なんて終わってしまうし、後は見回りという名の仕事ぐらいしかないんで、前の時のように自由にうろつきまわる事も出来る……今日のこんなイベントを除けば、ね。
まあ、前の世界のサラリーマン時代もあった事さ。
気に喰わない上司の怒鳴り声に、表立っては神妙な表情して腹の中では盛大に文句を言ってたり、殴り倒したくなるような嫌味や要求、無茶苦茶なクレームばかり言ってくる取引先や客に表だけは申し訳なさそうな顔して、頭下げたり……。
ストレス溜まる話だが、よくある事だった。それと同じさ、今日一日の我慢我慢……。
……なんて思ってた時が俺にもありました。
(……ぐあああああああ、腹が立つ!)
ストレスが滅茶苦茶に溜まる。
元の世界の上司や取引先なんて考えたのが拙かった。むしろ、元の世界で言えば、江戸時代とかの参勤交代の大名相手とかそういうレベルの話だと考えるべきだった。
時代劇とかで本とかで見た事はないだろうか?『下にぃ〜下にぃ〜』とか言う先触れと共に長い行列作って行進して、その両脇で農民とかが平伏してるアレだ。
うん、正にアレだ。
アレも、前を横切ったりしたら、『無礼者!』で斬られたりした、出来たらしいからねえ……。
何が言いたいかというと、先程の話なんだが……。
1、小さな子供が1人天竜人の前を走り抜けました。
2、怒った天竜人がその子供を捕らえさせて、撃ち殺そうとしました。
3、母親が出てきて、命乞いをしました。
4、その母親が相当な美人だったので、天竜人がその女性を『第14夫人にしてやるえ』とか言いだしました。
5、もちろん、子供はそのまま放置状態で、母親だけ強制的に連れていかれました。
……辛い。
周囲の人から……駆けつけてきた父親(父親も泣きながら悔しげに俯いて、でも子供を離さなかった)に抱きしめられながら、母親を呼んでいた子供の姿が、連れ去られながら子供と夫を呼ぶ母親の姿が……物凄く辛い。
周囲から浴びせられる憎しみの篭った視線が凄くきつい。それでも、俺らは、天竜人のすぐ後ろについて歩む俺らは顔を歪めたりする事は出来ない。
気配から探っても、海兵らは殆どが何とも言えない雰囲気が漂っている。
……ここら辺が困った話だ。
不良の海兵、人を踏み躙っても平気で、金や出世の為ならゴマをすれるような輩ならこういう場所は正に望む所なんだろうが、そんな人間は逆に何かあったが最後大問題になる、ここには配属されない。
結局、真面目に仕事が出来る奴が配属される訳だが……そういう奴は『正義』という奴をしっかりと胸に持った連中が多いから、こんな光景を見せ付けられる仕事は非常にストレスが溜まる。ここでの仕事は基本海軍本部から交代で配置されるらしいが、成る程ごもっとも……こんな仕事をずっと配置させられ続けてたら、精神がもたんだろう。
ちらりと先程見えた背後で握られた少将の手も強く握りすぎて、色が白くなっていた。
本当に精神衛生上、悪い場所だ。
このまま、ヒューマンショップという名の奴隷販売所(ここは外での警備だ……中では奴隷売買そのものが行なわれてるから、海軍は入らない)まで何事もなければいいと思っていたんだが……。
平伏していた、ある男が脇に置いていた売り物と思しき果物の籠。
そこから1つの果物が転がり落ちた。
……普段なら特に問題は起きなかっただろう。
……それが天竜人の足元に転がって、踏み潰してしまう事にならなければ。
本来なら、謝るのは踏み潰した側だ。だが……ここではそれは当て嵌まらない……!
「貴様……」
睨み付けた天竜人の手が腰の銃へと伸びかけて……いかん!
そう思った時には、既にこちらの体が動いていた。とはいえ、この場で、天竜人を殴り倒す訳にはいかないので、果物を転がしてしまった男の方を地面に叩きつける。
「天竜人様に何を失礼な真似をしている」
とにかく声だけでも……サカズキ中将の怒っている時の声を真似して、冷徹に聞こえるように、声を出してみる。
叩きつけられて、呻き声を上げる間もなく気絶した男の姿に天竜人は腰に伸ばしかけた手を止め……。
「ふん……気が削がれたえ」
そう言って、気を失った男の体でぐりぐりと靴の汚れを踏み躙るように拭ってから、再び歩き出した。俺も何も言わず、黙って天竜人の背後につく。
……まあ、実の所男自身への打撃はそう強いものじゃない。むしろ、気絶させるのを優先したから、見た目の派手さに比して、怪我とかは負わせたりしていない。しばらくしたら目が覚めるだろう。
あのままだと間違いなく、射殺されていただろうからな……。
ちなみに、ヒューマンショップに着いて、外で警備を始めた後、少将から『危険な事をしたな……だが、よくやった』と褒められた。どうやら少将には気付かれてたみたいだな。
結局、この後は連れて行かれた女性の姿に気持ちが塞いだものの、特に何事も起きずに終わった。
え?奴隷?いた事はいたんだが……凶悪な面構えで、手配書で見た覚えがある遊び半分の大量虐殺、拷問やら悪逆非道で有名な海賊だったんだ。同情する気も奴の顔見た途端になくした。
……けど、むしろ翌日、見覚えのある顔、昨日果物を落としてしまった、あの男性から『ありがとうございました、お陰で昨日は助かりました』とお礼を言われた時の方が辛かった。
……やめてくれ、何も出来なかったんだよ、俺は。
そうして、俺はこの日を最後に、駐留部隊の交代に合わせて、マリンフォードへと帰還する事になった。