第38話−内部事情
「チチチチチ……いや、見事なものだね、よくやってくれたよ」
アーロンを撃破した、その直後にかけられた声。
その方向を見れば、ネズミ大佐、そして彼の部下達。部下達は早くも、アーロンの一味、既に倒れた魚人達を次々と捕縛を始め、更には一部はアーロンパークから財宝の運び出しを始めようとしている。
そればかりか、アーロンも捕縛しようとしていた。
おそらく、アーロンが形勢不利と見た時点から、これを見越して動き出していたのだろう。
立場に物を言わせて、アーロンに懸けられた懸賞金を始めとして、捕縛の功績も含めた全てを自らの懐に入れようと考えているのだろうが……。
「どうするつもりだ……アーロンと結託していた腐敗軍人が」
「チチチ……言葉に気をつけたまえ!」
アスラの言葉に、笑っていたネズミ大佐がくわっと形相を変えると、強い口調で怒鳴りつけてきた。
そうして、彼は『自分が本当にこんな海賊と結託する筈がないだろう、自分はこいつの隙を窺っていたのだ!』と主張するが、アスラは平然とネズミに近づいていく。
……ネズミは小物だ。
虚勢の迫力など、本物を知るアスラにはそよとも迫力を感じさせない。
アスラがこれまで出会ってきた本物達……。
海軍のセンゴク元帥やガープ中将、大将達。
或いは王下七武海を構成するミホークやジンベエ。
或いは海賊の中でも白ひげや赤髪……。
彼らは無駄な凄味などいちいち出したりはしなかった。そんな必要はなかった。
彼らはそこにあり、普通にいるだけで、存在感を漂わせていた。
比べればネズミ大佐のそれは……紙とすら言えない。空気に等しい。
歩み寄ったアスラは。
「!?」
問答無用で、ネズミ大佐の頭を掴み、地面へと叩き付けた。
周囲からは一瞬の静寂の後、銃が構えられる音が響く。視線を向けるまでもない、ネズミの配下である海兵達が銃を向けたのだろう。彼らの表情は一様に卑しい、或いは怯えている。
「……貴様らも海軍に所属する海兵だろう。恥を知る者は銃を降ろせ、こいつが何をしてきたか知っているならばな……」
アスラの小さく、しかしよく通る声が周囲に響くが、銃を降ろした者は殆どいなかった。
とはいえ。
『……3人か。まあ、全くいないよりはマシだな』
そう考えているアスラに向け、起き上がったネズミが怒りの形相で喚いた。
「き、貴様……!私にこんな事をしてタダで済むとでも……!」
「黙れ」
ただ一言。
それだけで、ネズミも周囲の海兵らも体が硬直し、声が出なくなる。
威圧する訳ではない。脅迫している訳でもない。
ただ、そこにあるだけで、周囲に余計な事を言わせない本物の力がそこにあった。
それでも、震えながらでも声を出せただけ、ネズミ大佐は凄い、と海兵らは思えたぐらいだ。
「……ふ、ふん……だ、だが、俺に、海軍に手を出した以上、お前も手配してやる……!貴様、なんて名前だ!」
ふん、とアスラは鼻を鳴らす。
所詮は虎の威を駆る狐ならぬ鼠。
この後に及んでも、それしか言えないか。
「海軍本部所属、アスラ中将だ」
「そ、そうか!覚えたぞ、海軍本部のアスラちゅう……じょ…?」
ニヤリと笑い、指を突きつけて威勢良く喚こうとしたネズミ大佐の声が尻すぼみに小さくなっていく。
それと同時に、ようやっと頭でアスラの言葉を理解した海兵らが一斉に『へ?』とでも言いたげな、呆気に取られた様子になる。
ネズミはと言えば、慌てて、自身の脳裏をフル回転させる。
ネズミ大佐はこれまでゴマスリとおべっかと金の力で、現在の地位までのし上がってきた。当然、その脳裏には海軍上層部などおべっかを使うべき相手の容姿などもインプットされている。が、まさか今の立場でそんな相手に出くわすとは思ってもいなかった彼はその可能性というか、姿を完全に忘れていた。
が、海軍本部中将というのは海軍に措けるエリート中のエリート。
何しろ、海軍本部に駐留する将官の数は決まっている。
海軍元帥1名、海軍大将3名、そして参謀を含めた海軍中将が16名。合計20名しかいない海軍の頂点達。
その中の1人の顔は、紛れもなく眼前の男にネズミ大佐の頭の中で一致した。
それが理解出来ると同時に、ネズミ大佐はムンクの叫びの如き様相を示す。周囲の海兵達も『えーーーーーーー!』とばかりに顎が外れんばかりに口を全開にして、声を出さず叫んでいた。
もちろん、それを嘘と決め付け、この場を乗り切ろうとする事は出来る。
だが、果たしてそれが可能かと問われたならば……まず無理だろう。
一番手っ取り早いのは、目の前の中将を殺して、本部からの確認にしらばっくれる事だが、それは無理だ。そんな事が出来る程、海軍本部中将は弱くない。大体、真相を知って、部下の内何人が自分の命令に従う事か……。
次に考えたのは、偽者と決め付ける事。こんな場末の場所に、海軍本部中将がいる筈がない……だが。
やった所で、何の意味があるのか。相手が本物ならば、自分が喚いた所で何ら状況は変わらない。本部に伝えた所で、相手が本物ならば、本部中将と支部大佐、その信頼度は天と地、月とすっぽん。自分の言う事などまるで相手にされまい。
となれば……残る手段は……。
そうやって、ネズミ大佐が必死に頭を巡らせている間に、アスラは近海に待機させておいた自分の艦を呼び寄せていた。
その間にも百面相でころころと顔色と顔面を変えるネズミ大佐の様子を何の気なしに見ていたアスラだったが、どうやらネズミ大佐の脳裏で結論が出たらしい。
「いや〜まさか、本部中将の方とは思いもよらず……」
満面の卑屈な笑顔で、揉み手をするネズミ大佐。
どうやら、ゴマスリで何とかこの場を乗り切ろうと決めたらしい。
ちなみに、逮捕に動いていた海兵はともかく、アーロンの財宝を運び出そうとしていた海兵らも今では全員が直立不動だ。下手にこれ以上財貨を運び出したりしたら、ネコババする可能性を疑われる事になる。その時、追求されるのは自分達だ!
ネズミ大佐の忠実な部下として、おこぼれに預かっていた彼らは危機に敏感だった。ただ1つ、完全に手遅れな以外は。
ネズミ大佐としては必死だ。
ここを何とか乗り切らなければ、自分は破滅。懸命に、これまでのアーロンの暴虐を訴えたり、自分では勝てないと思い、やむなく隙を窺って雌伏の時を過ごしていただの、或いはさすが海軍の至宝と謳われるだけの事はある、だの更にはアーロンの犯罪の証拠を提出したりと必死だったが、アスラはというと、サンダーソニアらが呆れた様子で見ているのとも異なり、それらを完全に無視して、海の方を黙って
見ていた。
ネズミ大佐も、やがて、何を見ているのだろう、とふっと海側に視線を向ける、それに釣られて彼の部下の海兵らも視線を海側に向けると……そこに見え、近づいてくるのは海軍本部の大型戦艦。
やがて、錨を降ろした、その艦から降りてきた人員がアスラの元へと駆けつけると、副官と思しき人材が正義のコートを差し出し、更に整然と成立する有様にようやっと目前の人物が海軍本部中将なのだと実感したのだった。
SIDEナミ
虚脱状態のままネズミ大佐当人も、その配下の海兵らも海軍本部の海兵らによって一旦捕縛される中、ナミはその光景を呆然と見詰めていた。
彼女もまた、ネズミ配下の海兵によって、他のアーロン一味同様拘束されていたのだった。
彼女の心の内は、様々な思いで渦巻いていた。
今更来るぐらいなら、何故もっと早く来てくれなかったという思いがある。アーロンがこの周辺にやって来た当初に来てくれれば、そうすればベルメールもあんな事に、ならなかったのではないか、ゲンさんもあんな怪我を負わずとも済んだのではないか、そう思うのだ。
だが、同時に安堵の気持ちもある。
自分は捕らえられるかもしれない、だが、間違いなくこれでこの島はアーロンから解放される。
そう思った時、ふっと目の前に立った人がいた。
ああ、確かこの人はアーロンを倒した、ここにいる中で一番偉い人だ。
「アーロン一味の航海士、ナミか」
確認のように呟く。
そして、私は荷物のように担ぎ上げられ、持ち上げられる途中で自分でも気付かぬ内に拘束されていた縄は切られていた。
何時切ったのかさえ、分からなかった。
そうして、私を担いだまま、アスラと呼ばれていた海軍中将は歩き出した。
どこへ行くのか?そんな私の問いへの答えは簡潔だった。
『ココヤシ村』、と。