第39話−ナミ
ココヤシ村は一種異様な雰囲気に包まれていた。
無論、原因は言うまでもない、ナミを連れた海軍の将校が現れたからだ。
村人達の雰囲気は複雑だ。海軍将校が新たに現れたという事から、遂にアーロンの支配が終わったのではないか、と期待する者もいれば、ネズミ同様彼もまたアーロンに屈した1人ではないかと疑う者。
かと思えば、ナミに対して裏切り者と憎悪の視線を向ける者もいれば、きっと何か理由があったのだと信じる者、ナミの選択も仕方ない事と諦めた者様々だ。
そんな中から、歩み出てきたのは、1人の男性。
傷だらけの全身、帽子には風車が一輪。駐在のゲンさんだった。
「失礼ですが……どちら様でしょうか?」
力及ばずとも戦った結果が、その傷だ。
見た目は厳つくとも、心は優しい。
だからこそ、ナミへ向ける視線にも心配げな光が宿っている。
「海軍本部中将、アスラだ。休暇にて東の海へ来たが、『ノコギリ』のアーロンが好き放題していたようだったのでな……結託して海軍の名を汚していたネズミ共々捕縛した」
その言葉に。
一瞬呆けた村人達だったが、次の瞬間、歓喜の声が沸き起こった。
アーロンの支配がやっと終わった。
実際には1年少々ぐらいだろうが、それだけ恐ろしかったのだろう。金を払わなければ殺される、金を払えなければ殺される、逃げても矢張り殺される。逆らったりしたら、もちろん殺される。
……確かに並大抵の重圧ではないだろう。
それだけにこうして、喜ぶのも分かるが、そんな中に幾人かは心配そうな視線でナミを見ている。ゲンさんと……あれはノジコか。それに幾人か同じような視線の村人がいるな……。
だが、そんな中にベルメールと思われる姿は、ない。
だが、それでも……まだナミには心配してくれる人が、信じてくれる人がいる、それだけでも良かったと思う。
「それでは……その、ナミは……」
ゲンさんが言いづらそうにしているのは理解できる。
ナミは突然、アーロン一味に入ると宣言し、今ではアーロン一味で幹部的な待遇を得ている。
それだけに心配なのだろう。
ひょっとしたら、これが今生の別れ、の為に連れて来た可能性もあるからだ。
「ああ、分かっていると思うが、どういう理由があるにせよ、海賊の一味であった以上は無罪放免という訳にはいかない」
矢張りか、とどこかつらそうな顔になるゲンさんや、悲しそうな顔になるノジコ。
だが、ナミが口を開く前に、ナミが彼女らに自分の事を心配させまいと憎まれ口を叩く前に、アスラは続けた。
「だから、連れて来た。しばらくは、海軍で奉仕活動だからな。まあ、1年おきぐらいならうちの連中の里帰りに同道ぐらいは何とかなるかもしれんが」
「「「「「「え?」」」」」
てっきり処罰されるものだと思っていただけに、当人であるナミ自身も、或いはゲンさん、ノジコ、村人らから一斉に声が上がった。
「そうだ。まあ、ナミだったか、お前が何故アーロン一味に入ったのか知れば、まあ年齢的なものもあるし、そもそも原因の一端は海軍にあるからな。既に元帥にも連絡して、了承を得た。一応名目上とはいえ幹部扱いだった以上、無罪放免とはいかないから、しばらく海軍の……測量部隊で働いてもらう事になるな」
望むなら、そのまま海兵としての雇用もあると言われて、呆然としていた一同の中で、真っ先に我に返ったには、実はノジコだった。
何故、アーロン一味に入ったのか、それは彼女が一番疑念に思っていた事だったからだ、それを目前の海軍将校は知っているという。ナミは間違いなく、ベルメールを母として慕っていた。
その母を殺したアーロンの一味に何故入ったのか……彼女はそれを知りたかった。
その問いに、ナミ自身は『言わないで!』と叫んだものの、アスラはそれを無視して、告げた。
そう、ナミが『アーロン一味の測量士として働く代わりに、ココヤシ村のある島を1億ベリーで買う』という約束を。正確には、買う権利を得た、という事を。
聞いたが故に、村人達も理解した。
ナミはナミなりに、このココヤシ村の事を考え、戦おうとしていたのだと……。
ちなみにアスラがセンゴク元帥に承認を求めたのは本当だ。無罪放免も考えて相談したのだが、矢張り名目上とはいえアーロン一味の幹部であった、という事実がある以上、それは困難という事で、一応同じく名目上海軍で働くという事で帳消しにする、という形になっていた。
真実を知り、ある者は恥ずかしげに視線を逸らし、ある者は安堵の息を洩らし、ある者は感嘆の視線を向ける中……当のナミは。
「どうして……」
俯いて、搾り出すような声を上げた。
「どうして……そこまで知る事が出来たなら、どうしてもっと早く来てくれなかったの!」
涙をボロボロと流しながら、アスラを糾弾する。
そうすれば……そうすれば、ベルメールさんも死なずに済んだかもしれないのに!と泣きながら、掴みかかる。
ベルメールは最後まで母だった。2人分の金しかないから、とナミとノジコの分を払い、自身の分はないからとアーロンと戦い、そして殺された。
嘗ては諦めていた。
アーロンには勝てないのだと、兵を出した海軍将校がアーロンにあっさりと殺され、別の海軍将校がアーロンと結託して私腹を肥やしているのを見て、真っ当な手段でアーロンをどうこうするのは無理なんだと。
けれど、違った。
海軍にはまだまだ強い人がいて、ネズミ大佐なんかよりずっと権限を持った人がいた。
だからこそ悔しかった。
アスラもまた、ナミの好きなようにさせていた。だが、言葉にして謝る事はしなかった。
謝るのは容易い。
だが、謝ってどうするのか。
日本人の感覚では謝る、というのは別にこちらの責任を認めるものではない。あくまでその後を円滑に進める為の挨拶のようなものだし、アスラの内にも或いは取引先からの、或いは客からのクレームだったり、純粋な苦情だったりに『申し訳ありません』とまず謝った記憶がある。
だが、王侯貴族らと付き合う、付き合わざるをえなかった中で、その感覚はアメリカなどと同じなのだと認識せざるをえなかった。
謝れば、それをダシにして、『こちらの責任』としてくるような連中ばかりだった。無論、こんな田舎でそんな事を言うような、考えるような者はまずいないだろうが……それ以上に。
自分達もまた全力で行い、そしてこの結果となった。実際、この辺りでもそれと知られた将校であったプリンプリン准将は彼なりの正義に従って、アーロンを討伐に向かい、そして命を落としている。
海軍本部は本部で、懸命にグランドラインの大海賊達と戦い続けている。東の海にアスラほどの海軍軍人が来る事自体が基本的に例外中の例外なのだ。
今だけ謝っても……それを癖としてしまえば何時どこでつい出てしまうか分からない。だからこそ今アスラに出来る事は、泣きながらアスラにすがるナミを黙って立ち尽くす事だけだった。
この翌日、ナミはアスラの軍艦で共に旅立った。
その旅立ちに見送りに来た人間は少なかったが、出航の後アスラの軍艦には、立派なみかんの木が積まれていた。