第50話−世界最悪
政府諜報機関CPが機能不全に陥った。
この情報を受けて、蠢くものもまた、いた。
南の海に位置する、とある王国。
この王国の王族、貴族は天竜人に憧れていた。憧れだけならばまだ、いい。だが、問題はその行動まで真似た事だ。まあ、天竜人の絶対的権力に憧れた、という面もあるのである意味仕方のない事かもしれないが。
結果として、この国では王族貴族の絶対的権力と、それ以外の一般人、という区分がはっきりついていた。
しかし、悪い事に天竜人程、住む場所や利権に差はなかった。
結果どうなったかというと、天竜人がやらかすような綺麗な人妻や娘を奪うといった行動の一方で、頑張って一般人が商売で利益を上げても、それで僅かでも貴族の経営している店に損害が出ようものなら、店は潰され、連行される、といった行動が常態化していた。
当然、貴族らも全てが全て能天気に『自分達は選ばれた民だから、この生活も当然』と考えていた訳ではなく、怨まれている事をきちんと理解している者達もおり、自分達の住む場所を要塞のような頑丈な壁でぐるりと囲い、国の軍隊とは別に資金をたっぷりと回した近衛隊によってガッチリ守られている。
ただ、そうした『特別』を演出すればする程、調子にのる者も多く……国の歪みはその大きさを増しつつあった。
その日までは。
その日の昼、何時もの事が起きた。
貴族街から出てきた貴族が、1人の女性に目をつけ、強引に連れ帰ったのだ。
自分はこの国の人間ではない、そう言った女性だったが、『この国では我らが法だ』と問答無用で連れ去られた。
もっとも……夜に彼女の行動を見れば、どっちが引っ掛けられたのかは疑問だったが。
その晩、お楽しみの前の一杯と持ってこさせた貴族は、酒に混ぜられた眠り薬でいい気持ちで夢の中だったからだ。
「ヴァターシを抱こうなんて、そうそう簡単にはいかなっキャブルよ」
彼女(?)はそう呟くと、素早くその家……当然、貴族街の中にある宅からするりと外へ出た。
なまじ、外へガッチリとしたガードが行なわれているだけに、中は案外警備が甘い。彼女……いや、エンポリオ・イワンコフは門の入り口付近に身を潜めた。最悪の場合は、彼女自身が門を制圧する必要があるのだが……。
この少し前。
優しげな風貌の老人が、門の詰め所に差し入れを持ってきた。
「おっ、爺さん。今日も悪いな」
相貌を崩す警備兵の様子を見ると、これは昨日今日の事ではないらしい。
実際、この老人の仕事は貴族街内部の清掃などを行なっているのだが、1年ぐらい前からだろうか、差し入れをしてくれるようになっていた。井戸でよく冷やした珈琲や干したナツメヤシなどだ。最初は警戒していた警備兵だったが、老人は差し入れを置くと、そのまま自分の仕事をこなしに帰ってしまう。
無理に勧めるでもない。ためしに飲んでみたが、よく冷えて美味い。
何しろ南の海での夜だ。暑い中、この差し入れは歓迎され、何時しか日常となっていた。
兵士の声に、老人は何時も通りのにこやかな笑みを浮かべて、顔を振ると、そのまま何時ものように帰っていった。見回りをすませた1時間程したらまた取りに来るし、何よりよく冷やされた珈琲が放って置いたらぬるくなってしまう。皆ありがたく、喉を潤した。
……そして、1時間後。
街中の見回りを行なった老人が門脇の部屋を見やると、そこには兵士達が全員思い思いの格好で寝こけていた。
それを確認すると、老人は手に持つランタンを持つ腕をゆっくりと右に2回、左に2回回した。
しばらくすると、イワンコフ(女性ver)が駆けつけた。
「うまくいったみたいっキャブルね」
様子を確認すると、イワンコフは即座に門の閂を開けにかかる。
その様子を確認して、老人は頭を下げて、一足先に行く旨を告げた。
「……気をつけるッキャブルよ?」
……何と言うべきか、イワンコフは迷った。
結局、彼女に言えたのは万感の思いを込めた、それだけだった。老人はけれど、変わらず微笑みを浮かべたままの顔で、懐に刃を抱き、街中へと急ぎ足に戻っていった。
その背中をイワンコフは作業を並行して行いつつ、見送っていた。
イワンコフは老人の事情を知っていたからだ。
……老人には若い頃、美しい妻がいた。
だが、彼女は美しかったが故に、ある日突然、貴族に連れ去られた。
その時は老人は諦めた。貴族に逆らっても、意味はないと思っていたし、貴族の下なら自分の所にいるより贅沢な生活も送れると思っていたからだ。
妻が数年後、無残な死体となって、捨てられているのを見るまでは。
夫の事を忘れられない彼女に業を煮やした貴族が彼女を惨殺した上、夫であった彼の家の前へと捨てたのだった。
それでも彼はその時耐えた。
彼の元には娘がいたからだ。
そして、娘は美しく成長し、やがて気のいい若者と愛し合い、夫婦となった。
孫も生まれ、ようやく老人が不幸を忘れかけていた時。
娘が貴族に連れ去られた。
絶句し、内心でマグマが荒れ狂った老人が、それでも貴族の元へ自暴自棄となって怒鳴り込まなかったのは、連れ去られる妻を守ろうと抵抗したが故に致命傷を負わされた娘婿が、今にも絶えそうな息の元、老人の孫を、娘の事を懸命に頼んだからだった。
そうして、老人はそれから間もなくして、脱走を図った娘が捕まり消息を絶った事を、その貴族の召使……老人に同情した人物からそっと伝えられた。
それでも老人は孫の事を思い、耐えた。
だが、その孫ももういない。
2年程前の事。孫は同じ子供達と遊んでいた時、貴族にぶつかってしまい、怒った貴族に殺された。まだ12だった。
絶望し、そして激怒した老人に彼らが……革命軍が接触してきたのは、それから間もなくだった。
以後老人は彼らの協力者となり、今日この日を迎えた。
(……せめて、本懐を遂げられる事を願うのが彼への感謝の気持ちだッキャブルね)
そう心の葛藤にケリをつけると、イワンコフは二重の門を開け放った。
その日、王国は大混乱に陥った。
恐ろしく頑丈な上に二重になり、間には鉄格子まで入っている筈の門があっさり解放され、そこから一般市民と武装兵で構成された面々が侵入したからだ。
無論、彼らは遂に王族貴族の横暴に耐えかねての決起であり、武装兵が加わっていたのは、近衛以外の一般の軍隊は一般市民からの出身のみで構成されていた為に、賛同した者が多かったのだ。
これを迎撃すべき近衛はというと、装備も訓練の度合いも、全てが上の筈だったのだが、何故か急な体調不良に武器は異常が続出、加えて最初から門を突破されての市街戦を余儀なくされるなど数だけでなく、全てにおいて不利だった事もあり次第に劣勢に追い込まれた。
そうなってくると、命がけで参加した側と、金で雇われただけの側とで矢張り差が出てくる。
市民側はここで負ければ、貴族からの報復を考えるととにかく勝つしかない。それ故の決死の思いに押され、犠牲を出しつつも遂に近衛の防衛線は破られ……王宮と貴族街に市民軍が雪崩れ込んだ。
王族も貴族も……このごに及んでも、まだ間抜けな事をほざいていたが、それらは却って市民の怒りを買っただけで、惨殺される貴族や王族が相次いだ。例えば……。
『貴様ら!貴様らの汚い足で我が庭に踏み込むとは何たる奴!首を撥ねてやるから、その剣を寄越せ!』
『我輩の安眠を邪魔するとは死刑じゃ!死刑!誰か、こやつらを死刑にせよ!』
『これだから下々の者は……さっさと貴様ら自害せよ。それで私の目を汚した罪は許してやる』
……こんな事を武器を持った市民や兵士を眼前にして、ほざいていたのだから、どうしようもない。
当然だが、剣を渡す奴も、命令を聞く奴も、自害する奴もいる訳がなく、彼らは全員殺された。剣で切られ、銃で撃たれ、殴られ、それでも喚いていたが、本気で殺されそうになっているとようやく気付いて命乞いをした時には既に遅かった。
結局、王国はこの日をもって、倒れた。
王族貴族の内、王族は滅亡し、貴族も実に8割がたがこの一夜に殺された。殺されなかった者も僅かな子供を残して、皆殺された。……子供であっても、歪んだ教育を長らく受けてきた子供達は、ごくごく僅かな例外を除き(サボのような)、正に貴族の縮図でしかなかったが故に市民の怒りから逃れられなかった。
遂に貴族から解放され、明るい雰囲気が街を包む中、イワンコフは墓地へとやって来ていた。
眼前の墓には老人の名前が刻まれている。
「……あなたは、今頃向こうで奥さんや娘さん、娘婿やお孫さんと仲良くやれてるッキャブルかね」
この革命において、多大な貢献を果たした老人は、妻や娘が眠る墓地の一角で致命傷を負いつつも、妻を連れ去った貴族はもう亡くなっていたが、まだ生きていた残る2人の首と共に自身もまた倒れているのが発見された。
その顔は穏やかなものであったという。
この王国を含め、複数の王国帝国にて、革命軍によるクーデターがこの後1年程の間に頻発。
CP再建の隙をつかれた形となったこの革命は、CPが総力を挙げて追うも、何しろCPメンバーの大量逮捕による混乱の中に未整理のまま放置された膨大な情報の中に、必要な情報もまた埋まっていると思われる状態では手の打ちようがなく、結果革命軍の後背を世界政府は仰ぎ続ける事になる。
この結果、世界政府は革命軍のリーダー、ドラゴンへの危険視を強め、「世界最悪の犯罪者」として各国政府の最重要警戒対象となっていく事となる。