第63話−海軍の事情
会議室。
その中でも特別な、ここに入れるのは海軍では本部中将以上の階級にある者だけだ。
そこに入ったアスラの足が思わず止まった。
理由は、目の前に広がる光景だ。片方には既にボルサリーノ大将こと黄猿大将の他、幾人かの中将が座っている。黄猿大将の隣2つがあいているのは、青キジ大将とガープ中将のものだろう。
一方、机の対面側は……誰が座っているのかよく分からない。
理由は、黄猿大将らの側には各人の前にそれなりの厚みの、けれど1mには届かない……大体50〜80cm程度だろうか?それぐらいの厚みの書類の山が積まれている。
これに対して、もう一方は……書類に埋もれていた。
机の上には幾つもの山が積み重ねられ、椅子の脇にも背後の壁際にもうず高く積まれている。
そうして、机の一番奥にはセンゴク元帥がどっしりと腰を下ろしていた。
(……見なかった事にしたいなあ)
センゴク元帥に敬礼と答礼による挨拶を交わした後、そう思い、書類の少ない側に座ろうかと思ったが、その前に書類の山の陰から顔を覗かせたおつるさんが、呼びかけた。
「ああ、来たかい、アスラ坊。あんたはこっちだよ」
そう言って、書類がうず高い山をなしている側にある、もう一つだけ空いている椅子を指差す。
やっぱりか、そうどこかで諦めと共に思いつつ、山に当たって崩さないように椅子に座る。
それからしばらくして、他の中将や青キジ大将とガープ中将もやって来て、全員が揃った。とはいえ、全ての席が埋まっている訳ではないが、これは巡回に回っている面々の席だろう。
ちなみに、この場には巨人族の中将はいない。
基本、巨人族の中将はいても、巨人族の大将以上は海軍の歴史を探しても、殆ど存在しない。理由は穿ったものでは、『巨人の寿命が人の3倍になるから、一旦なると人間になかなか大将とかの位が回ってこなくなる』という意地悪なものもあるが、実の所、書類のせいだったりする。
中将までは現場の功績のみで何とかなるんだが、そこからは書類も大量に面倒見ないといけないんだが……海兵の大半は人間サイズで、書類もそれ相応……さて、人間サイズの書類を巨人が処理出来るだろうか?それも中将という階級に見合うぐらいに大量に。……まあ、難しいのは分かるだろう。人間で言えば、切手サイズの紙にびっしり書かれた文字を読み取って、それにいちいちサインしないといけないんだ。かといって、書類を全部巨人サイズに直すには手間も時間も足りない。
かくして、巨人族の中将らは存在しても、それ以上の昇進は厳しくなってしまう、という訳だ。結果、作戦会議でもない限り、巨人族の中将らは会議に出席しなくなる。逆に言えば、ここで会議をやる以上、戦闘に関係するような議題ではない、という事だ。
「揃ったな」
センゴク元帥の方をアスラが向くと、こちら側には自分の他に赤犬大将とおつるさんの2人だけが座っているのが見えた。残りは全員反対側だ。
一体何だろう、さすがに疑念を持ちつつも、すぐに語られるだろう、とアスラは黙っていた。
「さて、お前達を招集したのは他でもない。目の前の光景が何か分かるか?」
そうセンゴク元帥から言われて、改めて各人が自分の前を見る。
それはどう見ても……。
「書類じゃのう」
「書類だねえ〜」
「書類だね」
「書類じゃな」
代表する形で、大将3人とガープ中将が口々に言う。おつるさんが何も言わないのは……あの様子だとセンゴク元帥が言いたい事を既に知っているという所か。
「そうだ、書類だ……そして、各人の前にあるのが、お前らがこの十日間でそれぞれ処理した書類だ!」
センゴク元帥の言葉に、1度自分の周囲を取り囲む書類の山を見た。
そうして、目の前に並ぶ黄猿大将青キジ大将から中将一同の書類の山を見た。……何故かな?えらい差があるんだけど。
ちなみに、一番山が低いのがガープ中将で、次に低いのが青キジ大将なのは思わず納得してしまった。
「いいか、お前ら……赤犬におつるさん、アスラに頼りすぎだ!なんだ、この量の差は!」
怒られた面々が一斉に目を逸らした、いや、ガープ中将だけは堂々としたもんだ。自慢にならないけど。
「まったくお前らは……アスラ中将、最近『マーキュリー』号を使う機会はあったか?」
と、センゴク元帥がアスラに尋ねた。
その言葉に、アスラは当面の記憶を探ったが……。
「……いえ、ないですね」
そう答えるしかなかった。事実だし。
少し説明しておくと、マーキュリー号とは、アスラの中将としての正式な旗艦であり、同時に『緊急展開部隊及び護衛艦隊』の総旗艦でもある戦艦だ。
本部中将の乗艦する海軍の一角を担う部隊の総旗艦なだけはあり、担当している部隊の性質上、艦内病院に工作室まで備え、少なからぬ物資の搭載も可能で、武装も十分という船だ。まあ、その分速度が犠牲になっている訳だが、何しろその役割は病院船やレスキュー部隊の作業艦に物資を搭載した輸送船などを連れて向かう事な訳で、そうした部隊を置き去りに出来ないから、多少速度が遅くても問題ない、というのが理由だったりする。
ただ、アスラの仕事の役割上、あちらこちらへと飛び回らねばならないのも事実で、この船とは別に、アスラには、もう一隻の準旗艦が与えられている。
「最近は、ヘルメスしか使った覚えがありませんね……マーキュリーは預けっぱなしですよ」
もう一隻の準旗艦たるヘルメス号は、こちらは武装や積載量よりも速度を最重視されて設計された巡洋艦に分類される艦だ。
2隻も旗艦相当の艦が与えられているのは珍しいのだが、ヘルメス号では本部中将の正式な乗艦としては格が足りず、かといって普段からマーキュリー号を使用するには、鈍足が祟る、という具合だった。
アスラの言葉にセンゴク元帥は頷いて言った。
「いいか、赤犬もおつるさんもアスラも人間だ。体調を崩す事もあるのだぞ!」
さて、こうして話を聞いていると分かってきた事だが……センゴク元帥はある日、海軍の回ってくる書類回ってくる書類がふと、決まった名前ばかり目に付くのに気付いたらしい。
今まで気付かなかったと言うなかれ、海軍のトップたる元帥などという地位に立つと、海軍の仕事だけでは終わらないのだ。
おまけに鬼のように忙しいのは変わらないし……。
まあ、ただ一旦気になって調べてみると、赤犬大将おつるさんアスラ中将の3人に対して、他全員の書類を合わせても3人に到底届かないと判明したから、こうして怒っている訳だ。
そこで、どうやら我々を休ませると共に、これまで押し付けてきた他一同に書類の処理を代わりに命じる、という行動に出る事にしたらしいのだが……。
そうすぐには終わらなかった。
ガープ中将を筆頭とした、サボリ組(仮称)の抗議は無視出来たが、3人からの意見は無視出来なかったからだ。
大変なのは、センゴク元帥も同じであり、赤犬大将らに休暇を与えるのならば、元帥も休まねばならない旨を赤犬大将とおつるさんが主張した。ちなみにアスラはと言えば、目上の2人が既に自分も同感な意見を発言している以上、大人しく黙っていたりする。
元帥は『いや、自分にはやらねばならない仕事がある』『こればかりは誰かに任せる訳にはいかん』と反論した訳だが……。
「それはワシらとて同じじゃあ」
「私らとて、そういう書類はあるんだよ」
「今、手を放す訳にはいかない書類は山程ありますからね……」
これまた3人からセンゴク元帥と同じ言葉が返ってきた。
別にこれは休みたくないから、という言い訳ではなく、休みが欲しくない訳ではないが、純粋な本音として確かに誰かに任せる訳にはいかない書類とかはあるものだ。アスラの場合だと、CP長官としての書類とか……。
それも理解出来るので、一時はセンゴク元帥も悩んだのだが……ガープ中将の。
「ほれ、そう言っとる事じゃし、これまで通りでええじゃないか!」
という言葉に、逆にセンゴク元帥が切れてしまった。
結局、十日間の間、センゴク元帥・赤犬大将・おつるさん・アスラ中将は当人指定の緊急要件以外は午前で上がる事。
残る書類は全部、黄猿大将を総責任者として、以下青キジ大将ガープ中将他中将一同で処理する事、と相成った。
ちなみに逃亡者が出た時には、他一同で責任を持って処理を行なう事と定められた為、この後の十日間は逃走を図る青キジ大将を問答無用で黄猿大将がレーザーで吹っ飛ばしたり、逃げ出したガープ中将を他の中将らが数人がかりでマリンフォード中を追いかけっこをしたりと、大騒動に事欠かない日々となった……。
少なくとも、この日々が終わった後、一部を除く面々がもう少し真面目に書類をこなすようになった事や、赤犬大将やアスラ中将への酒や栄養ドリンクなどの差し入れが増えた事、十日間の間、効率悪化でえらい大騒動になった事などは密かな噂になった程だったのは確かなようだった。