第68話−休暇(センゴク元帥)
「……ふう」
1つの解を割り出し、センゴク元帥は満足げに息をついて、お茶をすすった。
アスラ中将が海軍に入ってから、幾つかの遊戯も考え出した。
今、センゴクがやっているのも、そうした遊戯の1つ、将棋だ。
なまじ、この世界では遊びというものが少なかった為に、カードやチェスに相当するものがある程度だった。それ故に、遊びに飢えたアスラが以前に幾つかの遊戯を考え出したのだった。
さすがにコンピュータゲームには手が届かない為、例えば、それは将棋であり、囲碁であり、オセロであり、TCGだった訳だが……この内、TCGは想像以上に流行らなかった。結局の所、島ごとの需要しかない事や所詮カードの種類がアスラの知識の範囲内であり、種類が限られていた事が原因だろうとアスラは判断したが、反面、他の遊び、特に将棋やオセロは爆発的に広まった。
将棋とチェスの最大の違いは、取った駒を自分の手駒として扱えるかどうか、という事にある。
センゴク元帥が気に入ったのは、そこだ。
彼は仏のセンゴクと呼ばれているが、同時に智将とも呼ばれている。そうした彼にとって、相手の勢力を或いは利を持って、或いは謀略を持って敵を味方としてしまう、という策は当たり前だったが、この将棋は擬似的ながら、それを再現出来ると感じた次第だ。
すっかり嵌ったセンゴク元帥にとって、最近同好の輪が広がり、同じくアスラが概念を説明した詰め将棋はセンゴク元帥にとって暇潰しの格好の遊びになっていた。
こうした概念が一旦広まると、次から次へと新しい詰め将棋の盤面が紹介されたりする状況だったのは、それだけ娯楽に飢えていたのだろう、人々は……。元の世界からの借り物と自覚していたアスラは生活に困っていない事もあり、こうした遊びを自由に解放していたので普通に紙や板切れに書いても遊べるという事が急速に世界中に広まる要因となっていた。
また、海軍にとって重要なのは、アスラが元の世界では当たり前だった、駒に磁石を仕込む、という手法を取った事だ。海軍の船に娯楽として搭載されたこれらは、海が多少荒れようが、普通に遊ぶ事が出来るとしてよりカードに負けず、大勢の人間を惹き付ける要因となった。
「……ふむ」
パチリ、と新たに発売された詰め将棋の本を元にセンゴクは駒を置く。
何しろ、まだ世界に広まって10年と過ぎていない遊戯だ。センゴクにとっても予想外の盤面が出てきたりして、実に面白い。ちなみに、遊びを考案した、とされるアスラ当人は案外将棋とか弱かったりして、現在ではセンゴク元帥らに勝てなかったりする。
「あなた、お昼ご飯ですよ」
「む?おお、もうそんな時間か」
楽しい時間とはついつい、時間を忘れて没頭してしまうものだな、と苦笑を浮かべながら、センゴク元帥は立ち上がった。
センゴク元帥自身は幸い未だ奥方と死別していないが、亡くなった者も多い。軍務経験が長いと、辛い思い出もある。
例えば、過去には彼を庇って死んだ嘗ての戦友の子が、父を失い、その後の苦労で母をも失い、海賊となってセンゴク元帥に怨みを抱き、刃を向けてきた事もある。或いは、戦傷で引退した嘗ての仲間が、たまたま隠居した島の近くを通りかかった為に立ち寄った所、周辺の支部が放置していた海賊に襲われた村で、村は殆どボロボロ、そんな中すっかり痩せ細り、衰えた彼が不自由な体でそれでも畑を耕していた、という事もあった。
ただ、そうした思い出もまた、大事な思い出だ。
辛くとも、それでも前へと進まねばならない。その覚悟を決めさせた思い出でもある。
そういう意味合いでは、アスラはそうした経験が少ない、というか殆どない。或いは、自身が敵わない圧倒的強者との戦いというものを経験していない。そのあたりが次世代を担う者としては不安材料だ。
……とはいえ、後半に関しては現状のアスラがそこまでの危機感を抱くとすれば、それこそ四皇の一角でも相手にせざるをえまい。
(まったくままならんものだ)
「あなたーご飯冷めちゃいますよー?」
「ああ、すまんすまん」
つい考え事に意識が集中してしまったようだ。慌てて、センゴク元帥は居間へと向かった。
気付けば、夕方になっていた。
昨日はのんびりと妻とマリンフォードを何をするでもなく、2人で回った。
お互いに何を話すでもなく、何をするでもなく、ただ静かに散策をし、途中で公園のベンチでただ穏やかに時を過ごす。古女房ゆえの気のおけない、傍にいるのが自然な関係。
とりあえず、明日の午前中に明後日の分まで何とか処理して、明後日からしあさってにかけて、日帰りだが近くの温泉保養施設へと行って来る予定だ。何しろ、ここ何年もそういう夫婦2人でどこかに行く、という余裕がなかった事でもあるし。
そう明日からの事に考えを向けていると。
「あなた〜ガープさんが来られましたよ」
そう妻が声をかけた。
上がってもらうよう、センゴクが声を掛けると、しばらくして、ガープが酒瓶を片手にやって来る。
「おう、センゴク、何やら黄昏とるのう」
「仕事はどうした」
つい出る癖のようになっている言葉だが、さっきまでずっと書類仕事だったと何やら疲れたような様子でガープは言う。思えば、この友人とも長い付き合いだ。
本来ならば、彼は自分同様大将へと昇進してもおかしくない立場だった。
悪魔の実の能力者でこそないが、若い時分から無茶はするものの、幾つもの功績を挙げ、実力も人望も高かった。先代のコング元帥からも幾度となく大将への昇進を打診され、その全てを『柄ではない』『何かをするにはこのぐらいが適当だから』と全て断ってきた。
そんなガープは、今でも海軍に残り、自分へとある意味傍若無人、ある意味気さくに声を掛ける、数少ない友だ。
若い頃からの友人達も、その殆どはある者は海賊との戦いで命を落とし、ある者は引退し、ある者は病気や怪我で、ある者は出世街道から外れて、中には海賊へと身をやつした者も、と様々な理由で海軍本部から姿を消していった。
今でも海軍に残る、なんだかんだで気のおけない仲にある者など、ガープを除けば、おつるさんぐらいのものだろう。
「……昔を思い出しとるのか?」
「……ああ、仕事に追われている時はともかく、こうしてふと時間が出来ると、な」
ふう、と溜息をつき、さりげなく妻が持って来てくれたつまみと杯にガープが持って来た酒を注ぐ。
「お互い、長生きしてもうたからな」
「……ああ」
どこかしんみりとした空気が流れる。
ガープとて、普段は笑っているが、息子の事では忸怩たるものがあるだろう。……ドラゴンの事はセンゴクも知っている。生真面目な、人間味のある、苦しむ者を見捨てられない人間だった。……だからこそ、あんな道を選んでしまったのだろう。
センゴクとて、現在の世界に何も思わない訳ではない。
嘗ての友の中で、海軍を去った、或いは海賊に身を落とした者の中には、現在の王族貴族の暴虐に、正義を背負いながらの矛盾に、現実に打ちのめされてそうした道を選んだ者もいる。
……海軍と海賊として遭遇した時に、その魂の叫びとでもいうべきものを投げかけられて、内心で全く動じなかった訳ではない。だが、それでも海賊は叩き潰してきた。
これでいいのか、他にも道はあったのではないか、そう問いを続けつつ……気付けば、こんな所まで来ていた。
互いに、相手の気持ちが分かるが故に、口数の減る、けれどどこか安心出来る空間。
長年、共に背を預け、互いに命を預けて戦ってきた男同士だからこそ分かり合える、そんな雰囲気が確かにそこにはあった。
とっぷりと日が暮れる頃、ガープはセンゴクの家から帰って行った。
「おう、センゴク」
「……なんだ」
「あまり背負いすぎるな。偶には肩の力を抜け。……老けるぞ」
「ふん、先に白髪だらけになった奴に言われたくはないな」
違いない、そう言って、ガープは笑いながら、片手を上げて去っていった。
その姿を見送りながら、どこか肩が軽くなったような気がした。
ガープの姿が見えなくなってから、さて、家に入るか、と振り向いた時、向こうから見知った顔が歩いてくるのを見かけた。全身傷だらけの男と葉巻を咥えた男、どこかその全身から疲労が漂っている。とはいえ、その顔を忘れる訳がない。
「どうした、ドーベルマン中将、ヤマカジ中将」
「「!?これは、センゴク元帥」」
敬礼してくる2人に、センゴクもまた敬礼で返す。
「仕事が終わったか?」
「はい……どうにも疲れますな。と言いますか、これだけの仕事をこれまで4人にお任せしていたのかと思うと、内心忸怩たる者を感じます」
「同感ですな。まあ、ガープ中将に逃げられたのも痛かったのですが……」
ねぎらいの言葉をかけようとしたセンゴクだったが、ヤマカジの言葉に聞き逃せない単語があった気がした。
「ガープが逃げ出した、だと?」
「はあ、夕方までは何とか我々も逃がさないよう見張っていたのですが……一瞬の隙をつかれて逃亡されまして……」
「一時は追い詰めたのですが、この近辺で完全に姿を見失い……仕事を放置しておく訳にもいかず、やむをえず帰還した次第で……あの、センゴク元帥、どうかされましたか?」
次第に顔面が引きつり、ぷるぷると震えだした元帥の姿に中将2人も違和感を感じる。
当のセンゴクは、と言えば、ようやっとガープが何故突然うちに来たのか、理解出来て怒りが湧きあがってきた。何の事はない、まあ確かに昔を思い出したというのがない訳ではないだろうが、最大の狙いは隠れる先として選んだという事か!
海兵らもまさか、元帥の家に踏み込む訳にもいかないし、中将らは中将らで、まさかガープが逃げ込む先に何時も怒鳴られているセンゴク元帥の所を選ぶとは思わなかったのだろう。
それが分かっただけに、思わずセンゴク元帥は怒声を上げずにはいられなかった。
「ガ——————プ——————!」
……その怒声はマリンフォード全域に響き渡ったそうである。