第89話−ローグタウン3
ヨウゴーク大佐はその日、何時も通りに過ごしていた。
彼は本部大佐という階級にある通り、強い。
彼とて最初から今のようになった訳ではない。
彼が今のように強欲になったのは、ある挫折が原因だった。
それまで支部で頭角を現し、実力をつけて本部へ召喚。
そこでも、才能を発揮し、功績を順調に上げ、彼は本部大佐へと順調に階梯を進めていった。このままいけば、末は海軍本部の中枢へも夢ではない、そんな時同じように階梯を、いや、彼以上の速度で駆け上がってきたのがアスラ中将だった。
強さだけならば、ヨウゴーク大佐は諦められた。
悪魔の実の能力者。それは海軍においても出世に大きな影響を与える。実際、海軍本部の中佐以上になると能力者がそれなりの割合で混じってくる。
事実、現在の海軍元帥に3人の大将は全員が能力者だ。
もし、アスラが強さだけの人間ならば、彼は素直に諦めただろう。能力者には敵わない、という理由でもって。
だが、それだけではなかった。
様々な提案をし、それを『やれるものならばやってみるがいい』とばかりに試された仕事をやり遂げた。
強いだけの男なら良かった。
能力者ではないヨウゴーク大佐は『俺だって悪魔の実さえありゃあ……』と逃げられる道があったはずだ。
強いだけでなく、緊急展開の為の救助部隊を創設し、その為に艦隊を仕立て上げ、更には密かに掌握した情報でもってCPの陰謀を妨害した末に、CP長官の地位まで手に入れた。
何時しか、彼に押し付けられたとも見える仕事の量に、同情する向きも増えたが、それにヨウゴークはまた打ちのめされた。
自分にはあれだけの書類は処理出来ない。
アスラ中将が美しい妻を迎え、上層部の覚えが目出度くなり、出世街道を駆け上がり、次代の大将元帥と看做されるようになっていく中で、ヨウゴークは酒に逃避した。
仕事こそ無難にこなし続けし、才能も示したが、既に次代のリーダーとして脚光を浴びるアスラ中将の陰の1人、そう、強い光があれば、その影に落ち込む者もまた多い。誰もがスモーカーのようにあいつはあいつ、俺は俺とばかりに我が道を行ける訳ではない。
会社とて、1人の社長や役員が生まれる陰で、何十人何百人が或いは退職し、或いは閑職に、或いは別会社へ転籍し、或いは部長や課長という役職に落ち着いてゆく。そして、組織である以上、海軍も同じだ。
同じように出世を重ねてきた者でも、ある者は何処かで止まり、ある者は更に先へ進む。ヨウゴークは前者であり、アスラは後者だったと、それだけの事だし、ヨウゴークとて理解はしているが、納得するのはまた別だ。
そうして、ヨウゴークはやがて、大佐という階級から動かぬまま、他の海へと赴いた。
彼が少し他の者と違っていたのは、彼の事務処理能力は十分評価されていたが、彼自身がこれ以上アスラという輝きを見続ける事から逃げたという事だった。
そうして、彼はローグタウンへと赴き……何時しか、そこで淀み、腐った。
「ういっく……で、俺にどうしろってんだ?」
酒を手にヨウゴークは海賊の1人と会談していた。
「いやあ、ただちょっとね?海軍艦艇の到着が整備の為に遅れるだけですよ」
「整備の遅れか。なら、仕方ないな」
ちらり、と海賊が差し出した金塊を確認して、頷いた。
言いつつ、片手でその方面を担当する哨戒艇の点検作業に入るよう書類を仕立てている。
これで、その海域での海賊への被害は対処が遅れる事になるだろう。
「では」
と海賊が立ち上がりかけた所で、扉が盛大に開き、誰かが倒れこんできた。
入り込んできたのは、1人の少女、そして落ち着けと声を掛ける短髪の若者。その癖、若者は後ろから止めようと迫る海兵を押し返して、或いは武器を奪っていたりする。とはいえ……自分にどうこう出来るだけの腕はない、そう判断すると油断はせずとも敢えて反応する必要もないとばかりに鋭い視線を向ける。
「誰だ?」
「私は、このローグタウン自警団の人間です!……大佐!お願いです!海賊達の撲滅に動いて下さい!」
なんだ、とばかりに鼻を鳴らす。
隣の海賊もまた嘲りの笑みを浮かべている。
こうした陳情は何度か起きる恒例行事だ。
「何故、私がそんな面倒な事をやらねばならんのだ?」
だから、ヨウゴークは彼の本来の任務を否定するような言葉を平然と吐く。
そう、これもまた恒例行事。
一般の生活を行なっている市民では、荒稼ぎを結託して行なう海賊達にその財布の中身で敵わない。だから、彼は動かない。商人達が結託して動こうとするなら、その前に海賊が襲撃する。こうして、この町は上手く回る。
何時も陳情に来る者がするように、目の前の彼女もまた、唇を噛み締める。
「……大佐は……この町がどうなってもいいって言うんですか!」
「それに、隣のそいつ手配書で見た事あるぜ。海賊だろう」
叫ぶ彼女と並ぶ若者もまた、言うが、大佐は面倒臭そうに答える。
「ああ、そうだよ、面倒臭い。海賊?私の懐を癒してくれるなら、構わないよ」
言いつつ、鼻毛を抜く。
「ああ、そうそう。君ら海兵に怪我させたから来週その分税を上げるから」
「!怪我なんかさせてません!」
「そうだぜ!俺らは抑えてるだけだろうが!」
「私がそう言ったらそうなんだよ。はい、決まり」
まったく面倒な、とばかりに視線を向けたヨウゴーク大佐は、だが、そこに浮かんでいた表情に疑念を感じる。
悔しげに俯くか、涙を流しているかと思えば、2人が2人とも笑みを浮かべているからだ。
加えて、先ほどまで揉み合っていた海兵も、きちんと整列している。
「何をしている?そいつらをさっさと叩きだせ」
命じたが、その声に被せるようにして、声が響いた。
『いやあ、叩き出されるのは君じゃないか?』
その声が聞こえた瞬間、ヨウゴーク大佐の形相が変わった。
その声を忘れる訳が、忘れられる訳がない。
椅子を倒す勢いで立ち上がった大佐の様子に、海賊もまた驚いている。その形相は面倒臭そうな様子を隠しもしなかった先程までと一変し、憤怒の形相だ。
気配もまた一変し、嘗ての、海軍本部にて前線を張っていた頃の剣呑な気配が周囲に満ちている。その気配は、たしぎが顔を青褪めさせている程だ。ゾロもまた、顔を顰めている。
「何故だ……」
だが、そんな事に構っている余裕などない。その声はこんな所で聞く筈がないからだ。
「何故、貴様の声がここで聞こえる!アスラ中将!」