第92話−ローグタウン6
全身から血を噴出すヨウゴーク大佐に、3人は一瞬、いや、その場の全員が何が起きたか理解出来なかった。
つい先程まで、戦況は大佐に有利だった。
自分達は全力を込めて、一撃を打ち込んだ筈だった。
それでも、自分達はその一撃の内、1つ届けば良しと覚悟していたはずだ。
そんなどこか呆然とした彼らを横目にぐらりと体を傾けたヨウゴーク大佐は、それでも壁まで辿り着き、ずるずると座り込むように崩れ落ちた。
それで、ようやく我に返ったのか、エースとサボとゾロの3人は近づいた。
「ふう……」
全身を朱に染めながらも、尚もどこか悠然とした呟きをヨウゴークが洩らしたのを皮切りにエースが口を開いた。
「あんた……まさか」
最初から俺達に自分の幕引きをさせるつもりだったのか。
そう問いかけようとした言葉を遮るようにして、ヨウゴークは言った。
「すまんなあ、最後まで逃げさせてもらってな」
ニヤリ、と笑ったその態度に、悲壮感も苦痛も何もない。
ただ、してやったりとも見える態度があった。
互いに顔を見合わせる3人に、ヨウゴークは語る。
「生き残ったとてどうなる?良ければ、降格程度だろう……だが、その後の事を考えた事はあるかね?」
全身から血を流している。
何しろ、彼ら3人が全力を込めた一撃を防御なしで受けたのだ。
分厚い筋肉が血を押し留めてはいるものの、傷は深い物は内臓まで届いているだろう。……今は平気なように見えても、遠からず命は尽きる。むしろ、激痛が襲っている筈だ。
それでも、ヨウゴークは苦痛を表に出す様子はなかった。
「外へは隠せても中には隠せん。これが海賊の更正の為に階級を捨てた、だの言うならば非難する者がいる一方で、理解してくれる者もいるだろう」
そして、ふう、と息をついて続けた。
だが、賄賂と海賊との結託で降格なんぞ喰らって同情する奴はおらん、と。
「自分はこの年だ。今更まともな昇進の目もなしに、年下の上司の下で、これから周囲から何年も何十年も白い目で見られつつの飼い殺しかね?真っ平御免だ」
「……だから、俺達の一撃を受けたってのかよ」
ゾロがどこか不満げな様子で言った。
彼からすれば、本当に久方ぶりの強者との死合いのつもりだったのだろう。
それだけに、この結末が御気に召さないらしい。
その表情にくっくっと笑い声を洩らし、ながらヨウゴークは謝った。
「すまんすまん。だが、インペル送りや処刑なんてのも御免だったのでな。自分で選んだ結果だ、自分の幕引きぐらい選びたかったのだよ」
死に行く者の言葉となれば、ゾロとしても何とも文句を言いづらいのか、ちっと舌打ちして、そっぽを向いた。
だが。
「それに死ねば……海軍は自分の死を偽装するだろうからね」
その言葉には思わず、3人が3人ともヨウゴークの顔を見た。
そこで、ヨウゴークが何かに気付いたように、ほがらかな声を掛ける。
「おお、戻ってきたか。終わったから、君も来るかね?」
3人が振り返ると、たしぎの姿が恐る恐るといった風情で、ドアの陰から顔を覗かせていた。
「戻ったって……どっか行ってたのかよ?」
ゾロの呟きに、ヨウゴークが笑いながら、『君らが電伝虫を守ってくれと言うから、海兵共々巻き込まれんように逃げていたよ』と事情を話していた。
そこでふと我に返ったサボが先程の言葉の意味を問うた。
「そうだ!さっきのはどういう意味なんだよ、海軍があんたが死んだら、死んだのを偽装するって……」
「言葉通りの意味だよ。……人というものは具体的な形の見えないものを憎み、怒るのは難しい。分かりやすい形ある物をつい憎しみの対象として選んでしまうものだ。……自分が生きていれば、自分に罪があると分かりやすく示せばいい。だが、死ねば死んだ人間を怒り続けるのは難しい」
だから、自分が死ねば、放っておけば海軍が代わりに怒りの対象となる。だから、当たり障りがないよう、自分は事故死か病死、もしくはそこらに転がってる海賊に罪をおっかぶせて、戦闘中の死と偽装するだろうと語った。
電伝虫の向こうからは、聞こえているであろう誰も返事をしない。それが答えだった。
「……ふざけないでよ」
呻くような声で言ったのは、たしぎだった。
「あれだけ、金を毟り取って、海賊から賄賂まで受け取って、それで何もなかった事になるの!?貴方の贅沢の為に、どれだけの人が苦しんだと思ってるの!?」
「贅沢?」
だが、ヨウゴークは、その言葉にはきょとんとした様子だった。
「……ああ、そうか。そうだったな。金なら、そこの金庫に手に入れたのは全額放り込んだままだ。好きにしろ。鍵番号は40509だ。まあ、苦しめたのは悪かったな」
「「「「はあ?」」」」
その言葉に一斉に呆れたような声が上がった。
「……何かに使ったんじゃないのかよ?」
「うーむ、酒は味が分からんからな。むしろ、若い頃から呑んでいた安酒の方が性に合う。そして安酒なら大佐の給与で十分でなあ。女は、この見た目にこの年だ。どうせ、金と権力に寄って来るだけと思えば、燃え上がりもせんかったし、賭博はどうにも熱くなれんかったから、試しにやってすぐ止めたし……」
サボの問いかけに、思わずといった風情で、ぶつぶつと呟く大佐に誰からともなく、『じゃあ、何でお金なんて受け取ったんだよ』という声が洩れた。
「……なんでだろうなあ。きっとそれが自分が堕落したんだって、思う為の鍵だったのかもしれん」
どこか疲れたような声だった。
分かりやすい、自分がもう上に登る資格を失った証として、金を受け取るという行動をしていたのかもしれん。
そう呟いた。
『……お前の実力そのものは評価されていた。アスラには敵わずとも、次代ではそれなりの役職を占める事も可能であったろうに』
「……ええ、分かってます。何で、でしょうねえ……」
センゴク元帥の声に、次第にかすれだした声で、答えて、どこか虚ろになった視線を空中に向けた。
戦闘の余波で天井が崩れ、そこから太陽が姿を覗かせていた。それを見て、ふと気付いたように呟く。
「……ああ、そうか……自分は……地面に動いてる人の力になりたくて……海軍に入ったのに……眩しい太陽に……目を取られて……見えなくなって……」
余りに眩しいアスラ中将という同期の姿に目を取られて、肝心の自分の大切なものを見失っていたのか。
そう呟いて、ふう、と1つ大きな溜息をついて俯いて。
その後は、もうヨウゴーク大佐はそれ以上言葉を発する事は永遠になかった。