第17話 目覚め
「それじゃ、行ってきます」
「「いってらっしゃーい」」
折角の休みも終わり、勤務日である今日は家の誰よりも早く通勤する。
通勤手段が自分の足なだけに、家から15キロ離れた職場まで結構な時間がかるのだ。
「おはようございます」
「おーっす」
「はよー」
俺が職場……消防署へ辿り着くと、俺よりも早く通勤していた救助隊と救急隊の先輩たちが気軽に挨拶をしてくる。
2人共俺より5歳年上の35歳で、高卒後すぐに消防職員となっているベテランだ。
「おのっちは、毎朝頑張るねー」
“おのっち”は先輩たちが使う俺の呼び名だ。
小野孝助……それが俺のフルネーム。
「おめーはバイク通勤だけど、俺は一応チャリ通で頑張ってるぜ」
「うっせ。僕はバイクが趣味なんだから良いんだよ」
「はいはい、言い訳ね」
「んだとー」
2人は俺を他所にワイワイと騒ぎ始める。
俺が着替え終える頃には全然違う話で盛り上がっており、隊が違ってもこの2人は仲が良い。
この2人に限ったことではないが、この消防という仕事は24時間一緒にいるだけあって、上司も部下も関係なく仲が良いのだ。
「そだ、おのっち。スポーツニュース見たか?」
「あっ、はい。マリナーズからヤンキースへの移籍はビックリしました」
「「はぁ?」」
僕が気になったニュースの内容を話すと、2人は驚きの声を出す。
「どうしました?」
「い、いや……なぁ」
「あぁ……うん」
先輩たちは顔を見合わせ、その後は俺の方をチラチラと見る。
「おのっちが野球のニュースを先に言ってくるのが珍しくてな」
「それよりもJリーグの試合結果とか、海外サッカーの話をするかと思ってたよ」
「そうそう。ニュースでも日本人GK初の欧州カップ戦出場となるか! って盛り上がってたもんな」
そう言えばそうだ。
なんで俺はサッカーよりも野球の話をしたんだろう?
「でも、あの移籍はビックリだから仕方がねーか」
「そそ。サッカーやってるとか関係なく、口に出るもんだろ」
「そ、そうですよね」
2人のフォローに少し違和感を感じ、また頭の奥に軽い痛みが走る。
「そら、そんなことより反対番の申し送りを受けに行くべ」
「あーあ、昨日も出場多かったんかなー」
「救急隊は仕方ねーだろ」
「出場しないで訓練ばっかの救助隊に言われると、少し腹が立つが事実だな」
「それが嫌ならお前も救助来いよ」
「嫌だね。僕は出場が多かろうが少なかろうが、救急が気に入ってるんだ」
「んなこたぁ知ってるよ」
まるで漫才のようなテンポの良さで毒づいたりする2人。
消防署は24時間で勤務が変わるため、昨日24時間務めた反対番から申し送りを受ける。
そして明日の朝には同じように反対番にウチ番が申し送る。
そうやって常に24時間365日、消防署は稼働しているのだ。
「なんでサッカーじゃなくて野球の話が俺から出る? ずっとサッカー一本でやってきていた俺が?」
先輩たちの後ろを歩きながら無意識に声に出して呟く。
それによってまた頭痛が起きるが、仕事に集中しているとそんな余分なことは記憶の片隅に追いやられて行く。
まるで早く忘れるように……。
毎日が凄い速さで過ぎて行く。
仕事に行けば訓練や査察、出場や調査に追われ、家に帰れば妻と出かけたり、子供と一緒に遊んで過ごす。
1回仕事に行けば2日過ぎてしまうから、元々この消防という仕事は日々が過ぎていくのが早いのだが……。
——タロー!
どこからか女の子の声が聞こえた。
周りを見渡すがここには俺と家族しか居ない。
「どうしたの孝助さん?」
「いや……誰かの声が聞こえた気がして」
俺の顔を覗きこんでくる愛美に、俺は首を傾げながら答える。
「そー言えば、おとーさんは仕事じゃなくっても、サイレンの音が聞こえるって良く言うよねー」
「それはね、職業病っていうのよ」
明の言葉に愛美は笑いながら答える。
だけど、明は不安気な表情を浮かべてしまった。
「おかーさん、おとーさん病気なの?」
「ううん、明の言ってる病気とは違うのよ。孝助さんはいつも誰かのことを思って、届く範囲で手を差し伸べているだけよ」
「良く分かんなーい」
愛美の言葉に俺は苦笑いを浮かべる。
正直言って明の質問の答えになってないしな。
「ふふふ。明には難しかったわね。つまりおとーさんはヒーローなの」
「ヒーロー!? 仮面ライダーと一緒だ! すごい、すごーい」
「そうよ、孝助さんは凄いのよ。だって、助けを求める人の声は聞き逃さないんですもの」
愛美が嬉しそうに明に語る。
そう言えば道に迷って困っている愛美を案内したのが最初だったっけな。
——タロー、目を覚まして!
愛美との出会いに思いを馳せていると、また女の子の声が聞こえる。
周りを見渡すが、やっぱり俺達以外に誰もいない。
「孝助さん、顔色が悪いわよ」
「おとーさん、すごい汗だよ」
愛美と明が不安気に声をかけてくる。
その言葉に自分の顔を触れてみると、汗が手につく。
鏡を見ればきっと顔色も悪いだろう。
「い、いや……大丈夫だよ」
2人を心配させないよう返事をするが、その声は震えてしまった。
愛美は俺の左手を握ってくる。
「大丈夫には見えないわよ。家に帰りましょ」
それを見て明は愛美の真似をするように、俺の右手をギュっと握ってくる。
「おとーさん、おウチに帰ろー」
2人の表情は不安でいっぱいだ。
俺はその2人を安心させようと口を開くが……。
——いい加減に起きなさいよ!
僕の脳を揺さぶるかのような大きな|アリサ《・ ・ ・》の声が響く。
「……アリサ?」
そうだ、アリサの声だ。
なんで俺は……いや、僕はその声を忘れていたんだろう。
「孝助さん?」
「おとーさん?」
2人が僕の顔を覗き込んでいる。
だけど僕は“孝助”でも“おとーさん”でもない。
そっと2人と繋いでいた手を放し、自分の頬を両手でピシャンと叩く。
「「!?」」
僕の突然の行動に2人は驚いた表情を浮かべる。
「ごめん。僕はもう行くよ」
「それが孝助さんの……小野孝助の答え?」
愛美の言葉に僕は首を左右に振る。
「“小野孝助”じゃなくて、“一之瀬太郎”の答えだよ」
その言葉に2人は泣きそうな顔になって俯く。
「この世界なら……失った世界の続きが出来るのよ。孝助さんが消防士を続けて、私と明の3人でいつまでも暮らせるの」
「僕達、向こうの世界にはいないんだよ。もう、絶対に会えないんだよ」
俯いたまま言葉を紡ぐ2人を見つめ、僕は口を開く。
「でも、それは儚く悲しい夢だ。自分の幸せだけで満足して、僕を呼ぶ声……助けを求める声に耳を塞いでなんていられない」
きっと、愛美と明は自分勝手な僕を望んだりしない。
少しの沈黙の後、2人が俯いた顔をあげた時には、満面の笑みを浮かべていた。
「そうやって私も救ってくれたんですものね」
「おとーさんはヒーローだもんね」
その言葉に僕はニコリと笑って頷く。
「そんな孝助さんだから、一生支えて行きたいと思ったの」
「僕はそんなおとーさんが大好きなんだよ」
愛美の差し出した手にはバットが、明の差し出した手にはボールがある。
そのバットとボールを僕は掴む。
「それじゃ、行ってきます」
「「いってらっしゃい」」
ボールを上に投げ、落ちてきたボールをバットで打つ。
全力で、どこまでも遠くに飛ばすように……。
「サヨナラ……私の愛した人」
「おとーさん……バイバイ」
打ち出したボールによって世界にヒビが入り砕けて行く。
「お酒飲むとアレなんだから気をつけてくださいね」
「同じ布団で寝ると抱きつく癖、治してねー」
最後がちょっと締まらないけど、それが孝助と愛美と明……小野家の関係だ。
※
空が見える。
「タロー!」
寝ている僕の右側にアリサが座っていた。
「タロー君!」
左側にはすずかが座っている。
「やっと起きたね」
僕とアリサ、すずかを守るように、ユーノが防御結界を張っていた。
そして上空では見たことのない少女と、それを囲む様に位置したマテリアル4人。
対峙するのは、誰1人として欠けてはいないが、ボロボロで傷だらけのみんな。
「タローが闇に包まれた後もコピー達との戦いは続いていたんだ。僕達は傷つきながらそれを全て倒すことができたんだけど、タローが包まれた闇を中心にあの少女が現れたんだ」
「誰なの?」
「白銀の護り手……クライドさんはあの少女を“紫天の盟主ユーリ”と呼んでいたよ。ユーリの力は強大で僕達は全く歯がたたない……」
ユーノは僕が居なかった間に起きたことを説明してくれる。
「対処方法とかは分からないの?」
「あの4人とユーリがパスで繋がっていて、強大な力をコントロールしているのは分かるんだけど、全く手が出せないんだ。誰かに攻撃しても魔力によってすぐに回復してしまう……」
「魔力切れにはならないの?」
「駄目なんだよタロー。“永遠結晶エグザミア”を|核《コア》として魔力を無限に生み出し続ける“無限連環機構”と言われる永久機関システムがある限り、魔力切れは存在しない」
正直お手上げさと自虐的にユーノは呟く。
そんな説明を受けていると、いきなり右の耳が引っ張られた。
「話は分かったわね! だからちゃっちゃと、なんとかしてきなさい!」
「あ、アリサちゃん……」
僕の耳を引っ張りながら怒鳴るアリサと、それを止めようとするすずか。
その怒鳴り声でみんなも僕が起きたことに気が付いたみたいで、ユーリたちを警戒しながらもアースラ艦上に降りてきた。
「やあ、みんな。おはよ」
『おはよ……じゃなーい!』
僕に対するツッコミに全員の声が揃う。
いやはや、凄いねぇ。
「あの闇から出てこれるとはな……」
ユーリたちも僕の存在に気が付き、クライドさんがそう言ってくる。
「お姫様の呼び声にヒーローはやってくるものだよ」
どうしたんだコイツ? っぽい視線が周りから突き刺さる。
「そんな理由で闇から出てこれるはずがなかろう!」
「ヒーローってすごーい」
「レヴィ。そんなこと言ってるとディアーチェに怒られますよ」
ありえんわ! とか言ってるディアーチェに、相変わらず緊張感を感じさせないレヴィ。
そしてしっかりとツッコむシュテルを他所に、無表情のままユーリが口を開く。
「貴方……一体何者なの?」
「そうだね。名乗るのが遅れてごめん」
僕は立ち上がって自分についたホコリを叩く。
そしてデバイスから野球のユニフォームを取り出し、一瞬で着替える。
そんな動きにみんな驚くけど、それはどうでもイイや。
「僕の名前は一之瀬太郎……」
デバイスから取り出した野球帽を被りユーリたちを見据える。
「……野球選手さ!」