第8話 完全記憶能力
タローと神裂は対峙する。
2人の思いの強さ故に。
一瞬、神裂の右手がブレる。
轟! と言う風の唸りと共に、恐るべき速度で何かがタローに襲いかかってきた。
タローはその攻撃を見切り、全てを避けてみせる。
「あまり私を怒らせないでください。魔法名を名乗りたくはないんです」
神裂の視線はより一層強くタローを射抜く。
しかしタローはそんな視線を気にする様子もない。
「うーん、ワイヤーじゃなくてその刀は使わないの?」
「!?」
神裂はタローの言葉に驚愕する。
一瞬と呼ばれる時間に七度殺すレベルの斬撃速度……それ故に七閃。
しかしタローは刀ではなくワイヤーと言ってのけた。
「七閃!」
再度七本の鋼糸を操りタローへ攻撃を仕掛けるが、それは全て一箇所に集まっていく。
……そう、タローのグローブの中に。
「御神流の鋼糸とは随分違うものなんだね。やっぱり流派とかが関係してるのかな?」
無造作に鋼糸を神裂に投げて返すタロー。
そして普通に神裂に向かって歩いて行く。
「火織さん。貴女の思い、鋼糸をボールと見立て……貴女とのキャッチボールを通して伝わって来ました」
「何を言っている……」
タローの言葉に神裂は疑問符を浮かべる。
ゆっくりと近づきながらタローは口を開く。
「インデックスは……火織さんの同僚で、大切な親友なんでしょ」
「!?」
タローの言葉に神裂は明らかに動揺している。
しかしタローは敢えて語りだす。
神裂だけでなくステイルからも伝わってきた思いを……。
3人が一緒に生活し、家族も同然だったこと。
インデックスには完全記憶能力があり、彼女は脳の85%を十万三千冊の魔道書の記憶に充て、残りの15%で日常を過ごしている。
そのため一年周期で記憶を消さなければ彼女の脳はパンクしてしまう事。
「なぜ私達の事を理解できたかは分かりませんが、貴方は理由を知ってまで立ち塞がるというのですか!」
タローの言葉が癇に障ったのか、神裂は怒鳴る。
「知ったような口を利くな! 私達が今までどれほど苦しんで、どれほどの決意の下に敵を名乗っているか! 大切な仲間のために泥を被り続けるステイルの気持ちが、貴方なんかに分かるんですか!」
「ごめん、分からない」
その独白に対して、タローは素直に頭を下げる。
一瞬毒気を抜かれ、呆然とする神裂。
「でも、そこから救い出す方法は考えられる。僕は考えるのは専門外だけど、頼れる人がいるから」
そう言ってタローは携帯電話を手にしてコールする。
わずかワンコールで相手は電話に出た。
「タロー、どこほっつき歩いてんのよ! 家電の設置はとっくに終わってるんだから、いい加減に帰って来なさい!」
「あー、ごめんごめん」
タローが何かを口にするよりも早く、アリサの怒鳴り声が聞こえた。
しかしその声音からは心配している感情が伝わってくる。
「アリサ、ちょっと聞きたいんだけど良いかな?」
「なによ!」
タローはそのままアリサに聞いてみた。
何の工夫もなく、そのまま全て。
少しの沈黙の後、アリサの優しい声が聞こえる。
「はぁ、またトラブルに自分から巻き込まれてるのね……。この科学の街で魔術師とか、いい加減になさいよね」
「うん、ごめん」
「全く反省してないだろうし、どうせまた同じ目に合うから言っても仕方がないんだろうけど、今回はちゃんとあたしも巻き込んでくれたから許してあげるわ」
「ん?」
「それでタロー。とりあえず携帯をスピーカーモードにして、そばにいる魔術師にも聞かせなさい」
タローは覚束ない手つきで携帯電話を操作し、スピーカーモードに変える。
「出来たよー」
「遅いわよ! まぁ、タローだから仕方がないけど……。それでそこに魔術師さんはいるのかしら?」
「貴女は……何者ですか?」
アリサの問いかけに神裂は警戒の色を示す。
「あたしの名前はアリサ・バニングス。そこで貴女の常識を傾けた存在の相方よ」
なんとも言えない自己紹介だが、神裂は思わず納得してしまう。
「とりあえず魔術師さんは科学のことを全く理解していないってのが分かったから、なるべく簡単に説明してあげるわね……」
アリサは語る。
完全記憶能力があっても、人間の脳は元々140年分の記憶が可能なので、脳がパンクすることはない。
そして記憶には種類があって、言葉や知識を司る“意味記憶”運動の慣れを司る“手続記憶”思い出を司る“エピソード記憶”など。
つまり、どれだけ魔導書を覚えさせられて“意味記憶”を増やしても、他の記憶が圧迫されることは脳医学上ありえない。
「へー、そーなんだー」
「タローはいい加減勉強をやり直さないと、そのうち大変なことになるわよ」
「ば、バカな……」
アリサの説明をのんきな口調で返すタローとは別に、先程まで気絶していたはずのステイルが声を上げた。
「あら、さっきの声と違う人ね。魔術師だからって魔術のことを勉強するのは良いけど、一般学力ぐらい養っておきなさい」
「なっ!」
「とりあえずあたしが言えることは、あなた達は騙されてるってこと。まー、大方その子に対する首輪ってところかしら? 失礼な言い方かもしれないけど、逃走盗難防止って理由で魔術的な細工でもしたんじゃないかしらね」
アリサの言葉に神裂とステイルは黙り込む。
「人として誰かと出会い、友達になったり恋をする。それって組織としては厄介なことよね。感情で魔術を使われるかもしれないとか考えるとね」
あたしは感情で、好きな人のためになら自分の能力を使うし……とアリサは付け加える。
「そっかー。記憶を消さなければインデックスが死ぬって理由なら、本人だけでなく監視者の情も利用できるって訳か」
アリサの分かりやすい説明と、タローの直感的な言葉。
その両方が神裂とステイルの心に突き刺さる。
「じゃあ、あたしの話は終わりね。タローは周りに迷惑かけないようにしなさいよ」
「うん、ありがとうねアリサ」
そう言ってタローとアリサの通話は終わる。
突如地面を……コンクリーを殴る音がした。
「僕が! あの子を守っていたつもりで! 一番傷つけていた!」
ステイルは悔しさのあまり泣きながら拳を地面に打ち付けている。
言われたことを盲目的に信じ、命令を鵜呑みにして、彼女の隣に立つ権利を自ら捨てていたことに。
「何が魔法名はSalvere000だ! 何が救われぬ者に救いの手をだ!」
神裂は両手で顔を覆い嗚咽する。
彼女のためと思い続けていたことは全て無駄だった。
命令とはいえ彼女を怖がらせ、痛い思いをさせていたことに。
「もうそれで終わり?」
2人の涙を眺めつつタローは呟く。
「まだ
タローの言葉に2人は涙を拭い始める。
「諦めなければ試合は続くんだよ。いや、むしろ真実に気が付いたんだ。全てはここからさ」
そう言ってタローは2人に笑いかける。
その言葉に無言でうなずき立ち上がる2人。
「……取り乱しました。もう大丈夫です」
「……僕も平気だ。奪われたなら取り返せば良い」
そう言う2人の瞳には決意の色が現れている。
「ここからが
「あぁ!」「はい!」
2人の魔術師を連れ、タローは歩き出す。
自分に出来る事を……手を伸ばせば救えるみんなの味方をするために。
「気配だけでインデックの方角に進むって、タローは何を考えてるんですか!」
神裂の叫び声がタローに炸裂する。
それを横目に人差し指を耳に入れて呆れているステイル。
「いやぁ、どこで合流とかそんな話をしてないし、当麻の電話番号聞いてなかったんだよね」
あははーと笑いながらタローは頭をかく。
自信満々に2人の前を歩いて行っただけに情けない限りだが、タローにシリアスを求めるのは酷と言うもの。
しかし足取りは迷わずに、一直線にインデックスの元へ進んでいることに2人はまだ気が付かない。
「神裂……野球選手には何を言っても仕方がないと、ここ十数分で理解できただろ……」
「それとこれとは話が違います! だいたいタローはですね……」
まだ出会って1時間程度しか過ごしていないのに、神裂は何の気負いもなくタローにツッコミ……いや、説教をする。
しかし暖簾に腕押し、豆腐に
この程度でしっかりしたら、アリサは毎日苦労していない。
「歩いているから遠く感じるのかな?」
「いや、そう言う問題じゃない」
タローの呟きにステイルも冷静にツッコむ。
しかも何だか慣れた様子と言うか、同年代の友人に対するように……。
「ステイル……14歳で喫煙って身体に良くないよ」
「うるさい。僕は好きで吸っているんだ。人に言われてやめることはないよ」
「まぁ、その外見じゃ14歳には見られないだろうけどさ」
「年のことを言うなら神裂に言え! 僕よりもアレで18歳は詐欺だ……」
ステイルはその言葉を最後まで言い切れなかった。
神裂から膨れ上がる殺気によって。
「ステイル……無駄口叩かずキリキリ歩きなさい」
恐怖のあまりコクコクと縦に首を振る。
神裂はそれを見て満足すると先に歩き出す。
「うーん、可愛いと言うよりは美人さんなんだから、火織さんはアレでいいんじゃない?」
「野球選手は命知らずだな……」
「そうかい? それよりもその野球選手って呼び方より、ちゃんとタローと呼んで欲しいなステイル」
「ふん、気が向いたらね。……タロー」
そう言って神裂の後をステイルは付いて行く。
「おーい、2人共ー。道はこっちだよ」
「早く行ってください!」「早く言いたまえ!」
2人の怒ったような口調がハモり、後ろを振り返る。
神裂の顔が赤らんでいるのは、タローとステイルの会話が聞こえていたかもしれないが……。