第16話 三沢塾
その部屋には窓がない。
ドアも階段もなく、エレベーターも通路もない。
学園都市にある建物として全く機能していない様に見えるビルは、核シェルターを優に追い越す強度を誇る
「少しまずいことになった」
部屋の中央にある直径4m、全長10mを超す強化ガラスでできた円筒の器に液体が満たされ、緑色の手術衣を着た人間が逆さに浮いていた。
そしてそれに対峙するようにステイルが立っている。
「
先ほどの言葉に答えるようステイルが口を開く。
その言葉遣いは上条やタローに対して使ったことがない敬語だ。
それだけステイルは現在、自分の身が晒されている危険を理解している。
円筒の中にいる人物は学園都市の統括理事長で、名をアレイスターと言う。
「とある生物を殺す能力を有する少女が監禁されている」
ここは科学サイドの本拠地で、魔術サイドに属するステイルにとっては、ラスボスの前に居るようなものだ。
しかしステイルが良く見ると、円筒には小さなヒビや傷が入っており、部屋の中も少し荒れている。
まるで大震災が起きた後の部屋を、無理に片付けたようだ。
「問題なのは、この事件に本来立ち入ってはならない魔術師が関わったことだ」
インデックスを救うために学園都市に侵入したステイルは、その問題を理解している。
科学側の問題は科学側が、魔術側の問題は魔術側が処理せねばならない。
それに介入するということは、お互いの世界そのものと戦争となる。
「魔術師の1人や2人、こちら側で潰すのは容易いが、そちらの立つ瀬もなくなるだろう。それで例外たるキミを呼んだと言う訳だ」
その言葉に合わせ、どんな仕組みか分からないが、ステイルの眼の前にある暗闇に直接映像が浮かび上がる。
それは今回の“戦場”となる場所の見取り図……そして、その見取り図の端には“三沢塾”と記されている。
その各種データを目で追いながらステイルはふと呟く。
「そうなると、そちらの増援を迎えるのも難しそうですね」
それを聞いてアレイスターはニヤリと笑う。
「我々は魔術に対する天敵を保有している。あれは
ステイルが思い浮かべるのは現在インデックスとともに住んでいる上条の事。
彼のチカラは魔術で解析できるものではないし、彼が魔術を把握できるとは思えない。
しかし、それよりも理解出来ない存在をステイルは頭に浮かべる。
「そして科学サイドでも魔術サイドでもない第3の勢力。言うなればスポーツサイドと言うべき存在がいるな」
まるでステイルの心を読んだかのように、アレイスターは言った。
その言葉にギクリとステイルは硬直する。
「アレは両サイドにとって天敵……すべてを無にする存在だ」
その言葉にステイルは心の中で頷く。
自分の
きっと科学サイドの技術でも、彼には何の意味も持たないだろう。
「先日、おりひめⅠ号が大破した。
ステイルは知らないが、このおりひめⅠ号には“
これの破壊により各種実験のシミュレーションなどが全く出来なくなり、学園都市の機能は半減したと言っても良い。
「彼に対する
アレイスターが一瞬だけ苦渋の表情をしたのをステイルは見た気がする。
そしてステイルは気がついていないが、この窓のないビルが2度も致命的な被害を受けていることを……。
ステイルが窓のないビルから出て行った後、アレイスターは1人呟く。
「彼にはこの学園都市から退場して貰おう。その為なら
そう言って笑うアレイスターを誰も見ることはない。
「錬金術師の被害を彼女が受けた時、彼はこの街に残り続けることを選択出来るかな?」
科学サイドと魔術サイドに巻き込まれるスポーツサイドの運命はいかに……。
「ご主人様、そろそろお嬢様を起こしてきてもらえますか?」
あの
今日から昼間は部活に精を出し、夜は夏休みの宿題をやり、その合間に2人で学園都市で遊んで過ごす。
そんな予定を昨日の夜に話していた。
「はーい。って、ご主人様と言いつつもこの扱いっておかしいよね? まぁ、イレインは朝食を作ってるからなー」
タローはそんな事を呟きながらも、アリサの部屋をノックする。
けしてイレインが朝食の支度で手が離せないわけではない事に、タローはイマイチ気が付いていない。
そして反応がないため、タローはアリサの部屋に入って行く。
「アリサー朝だよー。今日は久しぶりに部活に行くんじゃなかったのかーい?」
「…………」
タローの声にアリサは動く気配がない。
仕方がなくベッドサイドまで移動して、アリサの顔を覗き込むタロー。
一瞬だけタローはあの目覚めないアリサの姿が脳裏に浮かぶが、笑いを堪えながら目を開けないよう我慢しているアリサのがそこにいる。
「アリサ……起きてるなら目を開けてよ。イレインが朝食作ってるよ」
「……んー」
アリサの声は聞こえるが、一向に目を開ける気配はない。
むしろ何かを待っているかのようだ。
「ねぇ、アリサ。もしかしたらなんだけど、なにか待ってるのかな?」
「…………」
アリサの返事はないものの、明らかに頷く仕草をしている。
そして口元は少しニヤけ、期待するかのように目を開けずに我慢している。
「アリサは何を待ってるのかな?」
「……んーっ」
タローの問いかけにアリサは唇を少しだけ突き出す。
それを見てタローは頬をかきつつも、優しくキスをする。
「おはよタロー。遅いから寝坊するところだったじゃない!」
「おはよアリサ。素直に起きてくれれば問題なかったんだけど……」
「昨日の今日なんだから、これを癖にしてくれると嬉しいんだけどね」
「流石にそれは無理かな」
「むー」
タローの言葉に頬をふくらませ、精一杯訴えるアリサだが、タローはスッと部屋から出て行ってしまう。
そんなタローを見届けると、アリサは大人しくベッドから起きて着替え始める。
「もう少し積極的に行かないとダメかしら……。でも、あたしも恥ずかしいから、どうしようかしらね?」
頬を赤らめながら呟くアリサは今日も悩む。
朝食のテーブルに3人が揃い、一緒に食べ始める。
イレインは充電だけで良いはずだが、食べることは出来るので一緒に食べている。
「そう言えばご主人様とお嬢様の夏期講習の通知が来ておりますが、いかがなさいますか?」
イレインがそう言って取り出す文書には、8月1日から2週間と書かれている。
アリサの視線はタローに向いており、それを感じ取ったタローが口を開く。
「正直、ここの授業について行けないから、僕は行こうと思うんだけど……」
「それならあたしも行くわ。イレイン、よろしくね」
「了解しました」
イレインは頷き手続きを始める。
その夏期講習の場所が三沢塾となっていることに、誰も違和感を感じ取れないまま……。
上条とインデックスは真夏の学園都市を歩いていた。
当然そんな状態が長くもつ筈もなく、安価でお腹が膨れるファーストフード店に避難することとなる。
しかし、現実はいつでも残酷だ。
満席のため座る場所もなく、上条の買ったシェイクは徐々に熱を帯びてくる。
「とうま……。私は是が非でも座って一休みしたい」
インデックスのハイライトの消えた瞳に見つめられ、上条は今までの汗とは別の嫌な汗が吹き出てくる。
むしろデッド・オア・アライブと言う雰囲気を感じ取り、店員さんの元へダッシュした。
「それなら相席にしていただくしか方法がありませんね」
店員の指差す先にはまさに台風の中心地、人混みの中にポッカリと穴が空くように4人がけのテーブルがあった。
しかし、そのテーブルには巫女さんが突っ伏して寝ている。
(なんじゃこりゃー!? アレに関わるとまた不幸が加速度的に襲ってくる予感しかしないぞ!)
上条が脳内で絶叫上げている隙に、インデックスはそのテーブルに付いて、シェイクを貪り飲んでいる。
しかもとても幸せそうな表情に、上条は諦めにも似た笑いを浮かべテーブルに近付いて行く。
そうすると巫女さんはピクンと肩を動かせ口を開く。
「……食い倒れた」
満席のファーストフード店内にポッカリと空く4人がけのテーブル。
そこに巫女さんが突っ伏して謎のセリフを呟く。
しかもその対面にはインデックスが座って、シェイクを美味しそうに飲んでいる。
(逃げるに逃げれねーか……)
諦めきった表情で上条がインデックスの横に座り、勇気を振り絞って巫女さんに声をかける。
「あ、えーっと……食い倒れたって何ざましょ?」
当り障りのない会話に逃げた上条を、誰も責めることは出来ないだろう。
ファーストフード店に巫女さんがいる時点で非現実的だ。
例えばボールに乗って空をとぶ野球選手が居るぐらいに……。
(まぁ、巫女さんぐらいなら
上条が思い浮かべる非常識の塊であり命の恩人。
それと一緒にしたら、この巫女さんに失礼だ。
「あの、もしもし?」
続けて上条が声をかけると、巫女さんの肩がピクリと動き口を開く。
「1個58円のハンバーガー。お徳用の無料券がたくさんあったから……」
何が言いたいのか良く分からないながら上条は頷く。
「とりあえず30個ほど頼んでみたり」
「お得すぎだ馬鹿」
反射的に突っ込んだ上条の言葉に、巫女さんはピクリとも動かなくなってしまった。
無言だからこそ、何だかとても傷ついているらしいのが全身から漂う悲しいオーラで感じ取れる。
しばらく沈黙が続くと巫女さんは不意に言葉を紡ぐ。
「やけ食い」
「は?」
「帰りの電車賃。400円」
意味が余計わからず上条は首をかしげる。
「全財産。300円」
「……その心は?」
「買いすぎ。無計画」
つまりこの巫女さんは帰りの電車賃が足りないぐらい食べたというわけだ。
正直呆れた眼差しでしか上条は見れない。
しかし、上条は
だからって、100円すら貸せないだなんて恥ずかしすぎる……。
その後、咬み合わない雑談をしているふとした瞬間に気がつく。
自分達のテーブルを取り囲むように10人近い人間が立っていることを。
そして今もなお、満員満席の他の客は誰1人何も異常に気づいていないように見えた。
「帰る」
周りを囲んでいる彼らに対して気にも止めず、巫女さんは席を立つ。
彼らは巫女さんに道を譲るように一歩後ろに下がる。
それを見て上条はつい口を挟む。
「え、あ、何だよ? この人達って知り合いなのか?」
「…………」
巫女さんは少しだけ視線を泳がし、何かを考えている。
「ん。塾の先生」
そう答え巫女さんは通路を歩いてファーストフード店から出て行く。
10人近い彼らは、それこそ影のように護衛のように、音もなく声もなく従って行く。
「一体何なんだよ……」
上条は呆気にとられて思わず呟くが、その答えは誰も教えてくれない。