第17話 錬金術師
(何かがおかしい……?)
夏期講習でふとした瞬間にタローは違和感を覚える。
今日だけではなく、夏期講習のため三沢塾に来た日からずっとだ。
最初のうちはアリサにその都度訪ねていたが、毎回答えが変わらないため、授業そっちのけでタローは1人で悩んでいた。
(なぜだろう……。この塾でたまにアリサが血まみれになるヴィジョンが見えるんだよね)
目を細め良く見ると、タローにはそんなものが見えてしまう。
まるで今いる位置がコインの表で、アリサが血まみれになるコインの裏があるように。
「アリサ、ちょっとトイレ行ってくるね」
「もう、授業中なんだから大人しくしてなさいよね」
アリサに断り教室から1人タローは出て行く。
この違和感を探るために……。
上条とインデックスが自宅でのんびりしていると、唐突に来客を告げるインターホンが鳴る。
「はいはい、どちら様でせうかーっと」
「僕だ」
上条達が数日ぶりに聞く声が、ドアの向こうから響いて来た。
「“僕だ”さんと言う知り合いはいませんよ」
ニヤニヤと笑いながらドアの覗き穴から来客者……ステイルを見ながら、上条はふとした悪戯心でしらばっくれる。
しかしその悪戯心は一瞬で後悔に変わる。
なぜならステイルが手に炎の剣を作り出したからだ。
「無理やり開けて良いかな?」
「ごめんなさい! すぐに開けますので勘弁して下さい!」
上条はドアロックを外し、扉を開けると同時に土下座する。
その美しいまでの一連動作に、ステイルは迷わず上条の頭を踏みつけた。
「最初から大人しく開けていれば良いんだよ。これだから能力者は……」
「あー、すているなんだよ!」
室内からインデックスが身を乗り出して声をかけてくる。
その声でまた名前を呼んでもらえる嬉しさを顔に出さず、ステイルは口を開く。
「やあ、インデックス。今日はお土産があるんだけど、中に入れてくれるかい?」
そう言って横においてあるケーキ屋さんの包を見せると、インデックスは目を大きく開いて満面の笑みを浮かべる。
「うん、どうぞなんだよ。とうまもそこで寝てないで早く入るんだよ!」
「いや、寝てるわけじゃないんだけど……はぁ、不幸だ……」
室内でインデックスがケーキを独り占めして食べている。
そんな姿を見てステイルは頬を緩めるが、それを上条は見逃さなかった。
ステイルは上条と目が合うと、それを誤魔化すように咳払いを一つし口を開く。
「三沢塾に女の子が監禁されているから、どうにか助けだすのが僕の役目なんだ」
その言葉に上条はギョッとしてステイルを見た。
そんな視線を気にせず、封筒から紙束を出して上条の前に広げる。
「詳しいことはその資料を見てもらえば分かるとは思うけどね」
上条にはその資料を理解するほどの知識は無いが、その中にある写真を見て驚く。
「この子は……」
「そうだ。その子が救出対象である
その写真に写っていたのは上条達が、先日ファーストフード店で出会った巫女さんだった。
上条の驚きを余所に、ステイルは説明を続ける。
三沢塾が姫神を巫女としての役割をもたせるために監禁している。
しかし、
「錬金術師の名前はアウレオルス・イザード。3年前から行方を眩ませていて……それがひょっこり戻ってきたワケだ」
3年間どこで何をやっていたのかと言うステイルのボヤキを聞きつつ、上条はファーストフードで姫神との出来事を思い出す。
電車賃がない……やけ食い……。
たったそれだけの単語かもしれないが、そこで気が付いていればと拳を握る。
「とうま。行いを悔いるのは分かるけど、その後どうするかに意味があるんだよ」
上条の拳をインデックスの両手が包む。
思わず上条はインデックスの顔を見つめると、インデックスはニコリと笑う。
「私を助けてくれたように、秋沙も助けてあげるんでしょ」
インデックスは上条の行動を確信を持ってそう言う。
ステイルは面白くなさそうに鼻で笑うが、上条の言葉を待っているようだ。
「あぁ、そうだな。ステイル、俺も一緒に行くよ」
「当たり前だ能力者。ただ僕の行動を伝えるだけに、わざわざ寄るもんか。だけど、その間インデックスをどうするかだけど……」
ステイルは急に心配そうな表情でインデックスを見つめる。
だが、その視線に気が付くこと無く、インデックスは口を開く。
「私も行くよ! 科学のことはさっぱりだけど、魔術師相手なら私の知識が役に立つもん」
「だけど危険かもしれないぞ」
上条は心配気な声を出すが、そんな事はお構いなしだ。
「私のことはすているが守ってくれるんでしょ」
「当たり前だ! 僕がいる以上、キミには指一本触れさせない! ……あっ」
ステイルはインデックスの言葉に反射的に答えてしまい、心の中で後悔の嵐が吹き荒れていた。
そこの言葉を聞いてインデックスは行く気満々になり、上条は頭に手を当てて呆れている。
その後、何を言っても無駄だと悟ったステイルと上条は、大人しくインデックスを連れて行くこととなった……。
三沢塾の中を1人ウロウロとタローが歩く。
時折首を傾げながらもひたすら歩いて、ある箇所に辿り着く。
「うーん、やっぱり何だかおかしいな……」
学生食堂の近くにある壁、そこにタローは違和感を感じるらしく立ち止まる。
しかし、壁に違和感があっても何が出来るわけでもなく、ウロウロしてまたそこに戻ってくるの繰り返しだ。
「この壁壊したら怒られるよね……」
「然り。なぜ一般人の少年がそれに気が付いたか不明だが、説明してもらえるかな」
コインの表から裏に移動しさせられたことを、瞬間的にタローは理解する。
そして声の主へ振り向くと、2m近い細身の男性が立っていた。
服装は高級そうな白のスーツで、髪は緑色でオールバック。
「説明は僕の担当じゃないから無理だよ」
頭をかきながらタローはそう言うが、男性の視線は強いままだ。
「それよりもこの壁の中の物で何かしてるのかい?」
「唖然。何一つ理解しないままここへたどり着いたと言うのか」
「うん。だけどこっち側に来て分かったよ。ここの壁の中にあるものが核になって、この塾の生徒全てと繋がってるってね」
そう言ってタローは自分の体の前で紐を切る仕草をする。
タローは理解してはいないが、それだけで核とのパスが途切れた。
あまりの出来事に男性は唖然とした表情になる。
「うん、何だか開放された感じがあるね。ってことはアリサにも影響してそうだ」
「……悄然。なんだそれは?」
「それはともかく、核を壊させてもらうね」
タローがそう言って壁を掌で叩くと、壁の中に埋め込まれている核が破壊された。
それによって術式が解除されたことを感覚で理解するタロー。
「
男から強い言葉が発せられるが、タローは普通に頭を傾ける仕草を取る。
「悄然。なぜ効果が現れない」
男が黄金の針を持ち、ゆったりとした動きで、自分の首筋に向かい針を突き刺した。
「全てを忘れ、ここから立ち去れ」
その男の言葉は全て現実と……。
「そう言えば姫神を捕らえている錬金術師って……強いのか?」
三沢塾へ向かう道なりで上条はふと呟く。
その言葉にインデックスとステイルは共に深く溜息をついた。
「能力者……君は錬金術師について何を知っている?」
「えっと……鉛を金に変えるとか、不老不死の薬を作るとか?」
「君の頭じゃそれが限界か……」
上条の言葉にステイルは頭をかく。
「まぁ、良い。錬金術師には本来、究極的な目的が存在するんだ」
「それは世界の全てをシミュレートすることなんだよ」
説明は自分の出番だとウズウズしていたインデックスが、耐えられずに口を開く。
そんな姿を見てステイルは口を閉じ、インデックスの説明を待つ。
「もしもだよ。頭の中の想像を現実に持ってこれるとしたら、とうまはどうなると思う?」
「……え゛」
「とうまに難しい説明しても時間の無駄だから省くけど、それは難し手法じゃないんだよ。問題は頭の中で正確に世界を思い浮かべられるかと言うことなんだよ」
インデックスの言葉に上条は首を傾げている。
それを視界に入れず、インデックスは自慢気に続きを説明する。
「でも、それは凄い難しいこと。世界には色々な法則があるし、1つでも間違えれば意味はなくなるんだよ」
「じゃ、じゃあ、それは完成してなのか?」
「ううん。呪文自体は完成しているんだよ。ただ、それを語り尽くすには人間の寿命は短すぎるから……。不老不死にでもならなければそんな呪文は唱えられないんだよ」
不老不死……そこで上条の頭はやっと想像できた。
姫神の能力は
「姫神は吸血鬼を呼び出すための……?」
「さあね。僕は理由なんぞ関係ないからわからないけど、あの生物は魔術師にとって立派な脅威なのさ」
そう言ってステイルは立ち止まり、前方を直視する。
そこには不規則な形をしたビル……三沢塾があった。
しかしそのビルを囲むように甲冑を纏った騎士が立っている。
「なんだあれ?」
「ローマ正教十三騎士団……」
「はぁ? なんだってローマ正教がこんなところに!?」
上条はステイルの言葉に驚き、大声で返す。
それに対して冷静に答えるのはインデックスだ。
「アウレオルス・イザードはローマ正教なんだよ。それが3年前に出奔し、やっと居場所が分かったとなれば粛清が入るのは当然かも」
「粛清!? じゃ、じゃあ、あいつらは……」
「攻撃を開始する!」
上条の言葉の途中、騎士の1人が高らかに叫び、右手の剣を掲げた。
続いて同様に右手の剣を掲げる騎士達。
「グレゴリオの聖歌隊……奴ら聖呪爆撃を行うつもりだ!」
ステイルがその行動に驚き、インデックスを守るように前に出る。
訳の分かっていない上条は身を隠すことも出来ない。
「待てよ! あの中には姫神が……他にも無関係な生徒達がたくさんいるんだぞ!」
「下がれ能力者。バチカン大聖堂で3333人の信徒が
ステイルが上条を自分の後ろに引っ張ったと同時に、最初に剣を掲げた男が高らかに叫ぶ。
「ヨハネ黙示録第八章!第七節より抜粋! 第一の御遣い、その手に持つ滅びの管楽器の音をここに再現せよ!」
瞬間、あらゆる音が消えた。
天上から下界に向けて放たれた太く巨大な光の柱……それによってビルが半分の高さまで押し潰された。
しかし、それだけでは爆発が収まらない。
巨大な三沢塾の表面に配されたガラスというガラスが音を立て砕け散り、中心よりビルが倒壊を始めた。
「崩れるぞ!」
そう言ったのは誰だったのか。
その言葉通りに更なる爆発が大気を揺るがして、ビルが崩れ落ちていく。
しかしその途中、倒壊がピタリと停止し、巻き戻しを見ているかのように復元されて始める。
「
「そう、あれが今回の僕らの敵。アウレオルスの本当の実力……」
ステイルの言葉に上条は何も言えない。
ただ、姫神達が無事だと言う事実を確認するため、ビルに向かって走りだす。
慌ててインデックスがそれを追いかけ、ステイルも後追う。
「悄然。なぜ効果が現れない。我が
タローは聞き覚えのない言葉に首を傾げるが、一瞬このビル自体が破壊され、再生したような感覚はある。
しかしそれはタローにとって些細な問題だ。
ただ、アリサが何かに巻き込まれたと言う1点だけで動いているのだから。
「間然。彼の者に常闇を」
アウレオルスは黄金の針を自分の首筋に突き刺し言葉を紡ぐ。
タローではなくその周囲の空間へ効果は及び、現実が書き換えられる。
それによって完全な暗闇にタローは包まれた。
「当然。結果は仔細無い」
自分の魔術に満足し、アウレオルスは1人歩いて行く。
常闇に囚われたタローを残し……。
「うん、真っ暗だ」
どっちが上でどっちが下だかも把握できない闇。
自分が声を出したのかすらも本来は理解できない。
完全な暗闇に囚われた時、人は精神に変調を起こし発狂すると言う。
「とりあえず闇を払おうか」
タローは相変わらずマイペースに、デバイスから一本のバットを取り出して構える。
上下左右が分からないはずだが、そこにあると思えばしっかりと2本の足で立つ。
そしていつもの構えから、一気にバットを振り抜くと、一筋の光が現れる。
「うん、こっちか」
闇を文字通り切り裂いて、タローはそこを歩いて行く。
自分の行動に何の不安も疑問も持たずに……。
上条達は最上階で停止したエレベータから降り、そこにある校長室に向かう。
扉を開けると空虚な部屋が広がっており、そこにはアウレオルスと姫神が居た。
「ふむ、久しいな、と言ったところで君は覚えておらんか。それこそ私としては僥倖と呼ばねばならんが」
世間話でもするように呟いたアウレオルスの首の横には、虫に刺されたような後がいくつも浮かんでいた。
「アウレオルス・イザード……」
「我が名を知っているとは行幸。無粋な部外者も居るようだが、関係はあるまい」
そう言ってインデックスに対して一礼する。
「覚えておらん所で言わん訳にもいくまい。久しいな、
その言葉の意味するところに気が付いたのは、ステイルだけだった。
アウレオルスはそんなステイルを見る。
「ふむ。その表情を見る限り、私の目的には気づいたようだな。ならば貴様は私を止めようとする理由はなくなっただろうに」
つまらなそうにそんな言葉を投げかける。
「貴様がルーンを刻む目的、それこそがインデックスを守り助け救うためだろう」
インデックスは1年おきに全ての記憶を失っていた。
インデックスは1年おきに新しいパートナーを見つけていた。
インデックスは1年おきにその事さえ忘れてしまった。
「能力者……君の今立っている場所には幾人もの人物がいたんだよ」
ステイルはつまらなそうに上条に呟く。
その間にもアウレオルスは話し続ける。
「吸血鬼とは無限の命を持つもの。無限の記憶を人と同じ脳に蓄え続けるもの。あるのだよ吸血鬼には……どれだけ多くの記憶を取り入れても、決して自我を見失わぬ術が!」
「成る程、吸血鬼からその方法を教えてもらおうってわけか。念のために聞くけど、その方法が人の身に不可能だとしたら?」
「当然。インデックスを人の身から外すまで」
さも当然と言った風に、1秒の間もなくステイルの問いに答える。
ステイルはタバコに火をつけ、一服して紫煙を吐き出す。
「この子を吸血鬼にするのか」
「必然。それでもインデックスが救われる事に変わりは無い!」
この時になってやっと上条は理解する。
この
しかし、ステイルは開放した時に同席したが、アウレオルスは3年間潜伏していたため、インデックスの首輪が破壊されたことを知らない。
「この子は最後に告げた、決して忘れたくないと。教えを破り死のうとも、胸に抱えた思い出を消したくは無いと……指一本動かせぬ体で!」
アウレオルスはわずかに歯ぎしりして、泣いているようにも見える。
何を思い出し、何を振り返ったのか上条には分からない。
インデックスはギュッと上条の服の裾を掴んだまま、真剣な瞳でしっかりと見届ける。
覚えてはいないものの、自分のために身を削ってくれた人達だから……。
「……どうやっても自分の考えは曲げないか。それなら残酷な切り札を切らせてもらうよ。ほら、言ってやれよ今代のパートナー。目の前の残骸が抱えている、致命的な欠陥ってやつを!」
ステイルが不意に上条に視線を送る。
それによって初めてアウレオルスは上条を見た。
「お前……一体いつの話をしてんだよ?」
「……なんだと?」
「そういう事さ。インデックスはとっくに救われているんだ。君ではなく今代のパートナーによってね」
「バカな……」
取り乱したアウレオルスの声が部屋に響く。
そして上条から視線をインデックスに向けると、信頼しきって上条に寄り添う姿……。
「ああ、信じられない気持ちは分かるよ。ただ、そこの能力者だけでなく、もっと大きなイレギュラーがいたからなんだが……って、もう聞こえてないかな?」
ステイルの言葉も耳に入らず、アウレオルスは今まで冷静だった姿が嘘のように取り乱している。
アウレオルスにとって、この事実は余程衝撃的だったのだろう。
3年間もの間、たった1人のために全てを投げ捨て努力と工夫を凝らして来たのに、それが全て無駄だっと……しかもその相手が目の前にいる。
「ははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
アウレオルスは自分を支える全てを破壊されたように狂ったように笑い続ける。
インデックスは
たったそれだけの、しかしどこまでも冷徹な純性がここに牙を剥く。