第4話 暴投?
「くっ、油断しましたわ」
「お姉さま!」
夜の麻帆良学園郊外にある森の内、2人の女生徒が走っている。
それを追いかける黒い異形の影たち。
のっぺりした姿に眼と口のあたりにポッカリと穴の空いた、表情も何もない人ならざる不気味なモノ。
「お姉さま、怪我は大丈夫ですか?」
「……大丈夫よ、大した怪我じゃないわ」
前を走る女生徒に声をかけたのは麻帆良学園中等部1年生の
2人共、真帆路学園に所属する魔法生徒だ。
今夜は学園警備の任についており、異形の影と対峙していた。
この麻帆良学園は世界樹や図書館島と言う、世界的に見ても貴重な物が多く、それを手に入れようと不届きな者達が侵入してきたりする。
他にも、ここ麻帆良学園は関東魔法協会のテリトリーであり、相対する関西呪術協会が喧嘩を売って来たりもする。
そう言う訳で魔法先生や魔法生徒は毎晩、学園の警備に精を出しているのだ。
「痛ッ!」
「お姉さま!?」
高音は激しい痛みによって走るのを止め、木にもたれ掛かるように立ち止まる。
先ほどは大丈夫と言ったが、実際は動くだけで激痛が走り限界に近い。
愛衣も薄々それに気が付いてはいたが、休むために立ち止まってしまえば、たちまち異形の影に襲われてしまうと言うジレンマがあった。
しかし高音は既に限界である以上、パートナーである自分がどうにしなければならない。
「私がお姉さまを守ります!」
「愛衣!?」
痛みと疲労により戦えない高音を守るように、愛衣は異形の影と対峙する。
(私は今まで敬愛するお姉さまに守られているだけだけだった……。だけど、今度は私がお姉さまを守る番!)
愛衣は今まで危ないからと言われ、高音の後ろから魔法を唱えて居た。
確かに西洋魔術師は接近されると弱いと言うのが大半のイメージであり、操影術を使い前衛を出来る高音との組み合わせでは、愛衣が後衛になるのは当然のことなのだが、言い方次第では守られていると感じるのであろう。
「メイプル・ネイプル・アラモード……」
高音を傷つけた事が許せず、自分達の前に集まってきた複数の異形の影に箒を向け、魔法発動に必要な始動キーを唱えた。
「
自分より強い高音が傷つけられたのだ。
それならば自分の使える最大の魔法、必殺の炎を使うための詠唱を始める。
「
愛衣はアメリカのジョンソン魔法学校に留学中に、魔法演習でオールAを取った秀才だ。
この魔法が全力で発動出来れば、この異形の影も無事では済まないであろう。
しかしこれは学校の演習ではなく実戦、異形の影が黙って詠唱が終わるまで待っているはずもない。
「きゃ!」
「愛衣!」
異形の影は手ともいうべき黒い触手を伸ばし、愛衣に攻撃をしてきた。
詠唱に集中していたため、それを全て避け切れずに弾き飛ばされてしまう。
後ろに飛ばされ地を転がり、高音の元まで詠唱が中断させられてしまった。
「愛衣、怪我は!?」
「だ、大丈夫です。だけど……」
うじゃうじゃと迫り寄る異形の影。
2人は逃げることも叶わず、黒い触手が2人に触れる距離まで近付き、もう駄目だと2人が目を瞑る……。
そんな2人の耳に何かが風を切る音が聞こえた後に、大きな爆発音が鳴り響く。
そして、いつまで経っても何もしてこない触手に不安になり、2人は恐る恐る目を開ける。
「「えっ!?」」
2人の視線に最初に入って来たのは、自分達の前にある巨大なクレーター。
木々は薙ぎ倒され、異形の影が1体も存在しない。
「お、お姉さま……これは一体?」
「わ、分かりませんわ……。何が起きたのかしら?」
2人は呆然としつつ辺りを見渡すが、敵の姿は影も形もない。
ただクレーターの中心に、何か白いものがあることに気が付く。
「アレは何かしら?」
「私、見てきます」
「愛衣!?」
何が起きているか理解できず不安な心を落ち着かせようと、愛衣は自らクレーターの中心部へ走って行く。
状況がつかめていないこの状況で、愛衣のあまりに迂闊な行動に高音は声を上げるが、愛衣は既に中心部へたどり着いてしまう。
そして何かを拾い、高音の元へまた走って戻って来る。
「愛衣、まだ安全が確保されていないのですから、迂闊な行動は控えるように!」
「お姉さま、ゴメンナサイ……。だけど、これ……」
「これは……」
高音に怒られシュンとなる愛衣が、おずおずと拾ってきた物を高音に見せる。
それは握りこぶし大の白くて丸い物……そう、誰もが知っている野球のボールだ。
「野球のボールですね……」
「お姉さまもそう見えますよね……」
この場にあまりにも相応しくない物の存在に、2人は揃って首を傾げた。
だが、これがクレーターの中心部にあるということは、この白球がクレーターを作り出したのではないかと想像できる。
そんな想像してしまえば、この白球が普通の野球のボールに見えなくなるから不思議だ。
「すいませーん」
愛衣が手に持っている野球のボールを不安げに見つめる高音と、それを投げ出したくなっている愛衣に何だか呑気な男の声が届く。
あまりに自然に耳に入って来た声の方を2人が向くと、人が走って向かって来ている。
「すいませーん、ボール取って貰っても良いですかー?」
ボールという言葉に、高音と愛衣は手元のボールに視線を送る。
そして先ほど人が走って向かって来ていた方を見ると、先ほどの人がだいぶ近づいて来ていた。
その人は野球のユニフォームを着た少年であり、年齢は愛衣と同じぐらいに感じられる。
「あっ、そのボールです」
「えっ、あ、はい」
愛衣は自分の置かれている状況が整理できておらず、頭の中がパニックになったまま、少年に言われるがままに手に持ったボールを投げ渡す。
そのボールを少年はグローブでキャッチすると、かぶっていた野球帽を脱ぎ頭を下げる。
「ありがとうございます」
「い、いえ……」
「それじゃ、失礼します」
野球帽をかぶり直すと、少年は来た道を走って戻って行く。
そんなあまりにも日常的なシーンに、高音と愛衣は呆然とその後姿を見送ってしまった。
「愛衣……ここって人払いの結界、張ってありましたわよね」
「え、えぇっと……私、ちゃんと張ったんですけど……張れてなかったんでしょうか?」
「い、いえ、私が確認した今もちゃんと結界は作動してるわ……」
数分後、ふと高音の漏らした言葉に、愛衣が動揺しながら答えることによって、止まっていた2人の時が動き出した。
それによって余計に頭の中が大混乱するハメになるのだが……。
※
いつも茶々丸が野良猫に餌を上げている場所。
そこには茶々丸だけでなく、猫に体のあちこちがしがみつかれて遊ばれているタローの姿もあった。
「ってわけで、夜のトレーニングでうっかり暴投しちゃって、ボールを拾いに森の中に行く羽目になったんだ」
「それは大変でしたね」
「にゃー」
タローは昨日の夜に行ったトレーニングで失敗したことを、地面に座り込んで茶々丸達に聞かせていた。
「ありがとう茶々。ブチはそんなこと言うなよ」
「にゃー」
「まぁ、それでボールを拾いに行ったら、丁度女の子が2人いてボールを拾っていてくれたんだ」
「それは良かったですね」
「にゃー」
「うん、探す手間が省けたから助かったよ。それとミケ、誰にも当たってなかったんだから、結果良しで許してよ」
「にゃー」
あまりに自然な会話に、茶々丸は首を傾げる。
先程からタローが返事をしているブチやミケと言うのは、ここにいる野良猫に茶々丸が付けた名前だ。
「あの、タローさん?」
「ん、どうしたの茶々?」
「先ほどからブチさんやミケさんに返事をしていますが、何を言っているのか分かるのですか?」
猫に普通に話をしているタローに対し、茶々丸が疑問を覚えてしまうのは仕方が無いことであろう。
しかし、タローのリアクションは、いつもと変わらずマイペースなものだった。
「うん、猫語が理解できるわけじゃないけど、何を言ってるかは分かるよ。なー」
「にゃー」
タローの言葉に周囲に居る猫が一斉に鳴く。
まるでタローの呼び掛けに答えているようだ。
「猫語が理解できないのに、何を言っているのか分かるものなのですか?」
「うん、そうだよ。ほら、何て言うか……一緒にその場にいれば雰囲気で感じ取れるというか、なんというか……。ちなみに僕は日本語以外の言語は、赤点に限りなく近いよ」
「は、はぁ……」
茶々丸はタローの言葉に理解が追いつかない。
リスニングは出来る……いや、それにしては理解できないのはおかしい等と、茶々丸のCPUは回答を出そうと一生懸命に働いている。
しかし、そんなことでタローの事が理解出来るのであれば、海鳴市の住人や学園都市の住人は困らなかったであろう。
「……それで茶々、どこかいい運動できる場所はないかな?」
思考の海に潜っていた茶々丸にタローの声が届く。
前置きに何を話していたか良く分からないが、聞こえた質問から前後の文脈を
「それは野球が出来るという場所でしょうか? それともトレーニングを主とした場所でしょうか?」
「うーん……僕がボールとか投げると危険がいっぱいだと、今タマに怒られたばっかりだからなー。とりあえずトレーニングでお願い」
「はい、それでしたら図書館島の中が良いかと思われます」
「図書館島?」
茶々丸の言葉にタローは首を傾げる。
この学園に在籍して随分と経つが、施設を殆ど使用していないタローにとって、図書館島とは良く分からない存在だ。
とりあえず図書館なのにトレーニングが出来るの? と言った疑問なんであろう。
「はい。図書館島とは麻帆良湖に浮かぶ、世界最大規模の巨大図書館です。蔵書の増加に伴い、地下に向かって増改築が繰り返されたため、ダンジョンのような迷宮が地下には広がっています」
「ホント?」
「本当です。しかも地下の部分は貴重書狙いの盗掘者を避けるために、罠がたくさん仕掛けられています。また、最深部には生きて帰った者はいないと言われる地底図書室や、凶暴なドラゴンも居たりするそうです」
茶々丸の説明にタローの目が輝き出す。
最近の子供は作らないであろう秘密基地や探検ごっこなどのローテクな遊びを、前世で随分とやっていたため、何となくそう言う面白いものには意外と興味津々なのだ。
殆どの人には唯の異常な野球バカと思われているタローだが、グー○ーズやイン○ィージョー○ズの様な冒険探検物の趣味も存在するのだ。
「茶々!」
「は、はい!?」
タローは目を輝かせたまま、茶々丸の両手をいきなりギュッと握る。
それに伴い、茶々丸は謎のエラーが発生したが、そんな事はタローが気が付くはずもない。
「その、図書館島ってどこにあるのか連れてって!」
「は、はい。……ですが本日はこの後、超包子でのバイトがあります。勿論タローさんもですが……」
「あー、そうだったね。それじゃ、それが終わった後に教えて貰えるかな?」
「りょ、了解しました」
「ありがとー」
タローは嬉しそうな満面の笑みを浮かべ、しっかりと握った茶々丸の手をブンブンと上下に振る。
そんなタローの笑顔をエラーが発生しながらも、茶々丸はメモリに保存するのであった。