第三話:決意
小学校に入学して三年。俺も三年生と言う中間的な学年となり、そこそこ楽しい毎日を送っている。
相変わらず雪広と神楽坂は喧嘩ばかりしているが、神楽坂は木乃香と仲良くなった様でもあるし、転校当初と比べれば随分と明るくなった。喧嘩が原因てのもちょっとアレだが。
俺はと言えば、生活状況には変化が見当たらない。
授業は寝てるかスマホ。教師にあてられても何とかなるだけの知識と頭を持ち合わせてるだけに、教師陣の中ではちょっとした悩みの種らしい。
凄くどうでもいいんですけどね。
さて、そんな中で俺と千雨は昼食を取っている。仲の良いグループで食事をするのはもはや弁当の醍醐味の一つとも言えるが、俺はそもそも弁当食べてる間はほとんど話さないし、千雨は内気で人見知りだから其処まで深い仲になっている奴はほとんどいない。
木乃香辺りとは割と仲がいいのだが、木乃香は神楽坂達と一緒に食事をしている為、必然的に俺と食べる事になる。あの辺りは毎度騒がしいんだ。
朝昼夜と食べる面子が変わらない訳だが、俺も千雨もその辺は全く持って気にしない。どうでもいい類の話だ。
そんないつも通りの昼食光景の最中、千雨が口を開いた。
「なぁ、潤也……麻帆良って、おかしくないか?」
学年が上がるにつれて恥ずかしくなったらしく、三年になったのを皮切りに「お兄ちゃん」から「潤也」へと呼び名が変わった。ちょっとショック。
それはともかくとして。
「麻帆良がおかしい、ねぇ……」
俺個人のハッキリとした感想としては、「何を今更」である。
明らかに外に比べて高い技術力(それでも俺の技術力には足元にも及ばないが)や、いろいろと噂になってる魔法先生や魔法生徒。人が自動車と並んで走ったり、あり得ない光景を見ることもそう少なくない。
最後のは一回だけしか見た事無いけどな。逆に言えば、一回は見た事があると言う訳だが。
「世界樹とか、余裕でギネス記録を取れるんじゃないのか、あれ」
ギネスブックを知っているのか。そういやこの間パソコンを触ってたな。……まぁ、別に大した問題でも無いが。
ギネスに載せるには「後々破られる可能性がある場合」っていうのが必要なんだが……あれ、破れるほどデカイ木なんて存在するのか? それこそ同じ種の木ならいけそうな気もするが、あれと同じ種類の木が世界にどれだけあるかにもよるよな。
「そうだな……上手く申請できたとしても、誰かが途中で邪魔しなければな」
こういうのは出来るだけ表に出したがらないしな、魔法使いの連中。邪魔する可能性は大いにあり得る。
俺の言葉に疑問を持ったのか、千雨が眉をひそめて聞いて来る。
「……邪魔?」
「千雨と同じ様な感覚を持っている人がいるとして、その人がギネスに申請した可能性もある訳だ。載って無いんだから、申請は受理されて無いんだろうけどな」
グー○ルマップなんかの衛星画像で、麻帆良の外からでも見る事は出来ると思うんだがな。……いや、アレはこの時代にはまだ無いのか。
そんな事を思っていると、千雨が納得したように頷いていた。
「そっか、なるほど……でも、何で受理されないんだろうな」
「さぁな。
「出来ねーよ。唯、ネット何かを見てると、やっぱり麻帆良と麻帆良の外とはズレてる気がするんだよな」
食べ終わった弁当箱を片付けながら、千雨はそんな事を呟く。
ふぅん、と返す俺だが、内心では少しばかり千雨の事を心配している。
周りとの常識の齟齬が起こった場合、高確率で「苛め」が起こる可能性がある。千雨なら何とかやってくれるだろう、とは思うが、それとなく留意しておくことが重要だ。
そんな事を考えつつ図書室に行って時間を潰し、予鈴を聞いて次の授業の準備を始めた。
●
数日後。小学生と言うのはやはり早い時間帯に全授業とHRが終わるので、太陽は意外と高い位置にある。
これからどうするかな、と思いながら千雨のいるであろう教室へと足を運び、教室の前で足を止めた。
そのままドアを開け、千雨がいるかどうかを確認する。
「千雨ー。……あれ、いないのか?」
「長谷川ならもう帰ったぞ」
教室の奥の方にいる男子生徒から、そう教えられる。教室に残っているのは男子が数人だけで、他の奴等はもう帰ったらしい。
俺を置いて帰るとは、酷いな千雨の奴。
若干気落ちしながら、ドアを閉めて帰ろうとすると、教室の中から声がかけられた。
「お前も、麻帆良がおかしいとか世界樹がおかしいとか言いだすのか? 麻帆良なんだから、世界樹みたいなのはあって当たり前なのに。ジョウシキだよ、ジョーシキ」
笑い声と共に、そんな声が聞こえた。
聞けば聞くほど、不快になる様な声だ。しかし、それは純粋に笑っているだけなのだろう。彼らからすれば、それは唯の笑いの種だと。
だが、俺にとってその声は不快でしか無い。
身内を嗤われる事が、此処まで気分が悪いとは思わなかった。沸々と湧きあがる感情を抑えながら、ゆっくり振り返って教室の中にいるメンバーを見る。
「常識の意味も知らない様なガキが、笑ってんじゃねぇよ」
それだけを告げて、俺は教室のドアを閉めた。
●
不愉快だ。
酷く不愉快な気分だ。千雨が此処を異常だと思っているのは、やはり世界樹の存在が大きい。
あんなもの、在るだけ無駄だ。根元から折ってやろうかと何度思ったか数知れない。しかし、今やってしまえば少々厄介な事になる。
手札をそろえ、こちらの正当性を示した上で斬り倒さなければ、連中は俺を狙ってくるだろう。それは、出来れば避けたい事だ。
……ああ、なんだかんだいっても、俺もこの世界に適応してんなぁ。
実際にこの世界で生きて、触れて、感じて。やっぱり、此処がかつて俺が知っていた「紙面上の世界」と同一のものだとは、捉えられない。
何年も一緒に生活していれば家族愛だって生まれるし、身内やそれ以外に対する線引きもできる。その中でも、やはり双子として生まれた所為か、千雨の事は特別に思える。
「……シスコンを自覚する日が来るとは思わなかったな」
思わず、自嘲気味に呟く。
俺にとって、彼女は唯一人の妹だ。──故に、あの時嗤った声が気分を不快にさせる。
そんな事をふと考えた時、後援の方へと目をやれば、千雨が俯いてブランコに座っていた。
赤いランドセルは地面に置かれ、千雨自身は何か悩んでいる様に俯いている。それが印象的で、俺の脚は止まって千雨の姿を見ていた。
「……潤也?」
ふとした拍子に俺の事に気づき、千雨は声をかけてくる。やはりと言うべきか、その声には元気がない。
公園へと足を踏み入れ、ランドセルを千雨のモノと同じ所に置いて、ブランコへと座る。公園の中には他にも遊んでいる子供は居るが、ブランコの場所には俺と千雨以外いなかった。
丁度よかったし、好都合だった。
「……千雨、此処がおかしいって言って、クラスメイトに嗤われただろ?」
そう言うと、ビクッ、と体を震わせて、ゆっくりと俺の方を向いた。
まるで、何で知っているんだと言いたげに目線を向け、疑問の色がありありと浮かんでいた。
「千雨を迎えに行ったら、クラスメイトの奴が嗤ってやがったからな。もしかしたらと思ったんだ」
その言葉を聞き、また千雨は俯いてしまう。しかし、今度はポツポツと言葉を発しながら。
「……やっぱり、此処はおかしい。世界樹みたいな大きな木がある事も、それ以外だってそうだ。図書館島なんて地下に行けばかなり危ないらしいし、そんなのは普通あり得ない」
「……そうだな」
「それを言っただけだ。なのに、なのに……」
声が萎み、小さくなっていく。
俺も聞いた声。「嘘吐き」だの何だのと言う、常識を知らないガキ共の声。不愉快でしか無い声が、脳内で再生される。
「……常識、って言うのはさ。結局は多数決と同じなんだよ」
ブランコから降りて、俺は数歩歩く。ブランコの周りにある花壇の縁に腰掛けながら、話を続けた。
「だから、千雨の言う常識は『麻帆良の外』のモノであっても、『麻帆良』の常識じゃないんだ」
だからこそ、齟齬が生じる。
千雨の感性は極めて普通と言える。しかし、その『普通』が定義する人物によって境目が変わる様に、『常識』と言うものも齟齬が生じてしまう。
それが、千雨が麻帆良に馴染めない理由。
「……潤也も、私を嘘吐きって言うのか?」
「そうじゃないよ。むしろ、俺は千雨と同じだ。だけど、それを周りに言わないだけだよ」
泣きそうになりながら言う千雨に対し、微笑を浮かべながら答える俺。
既に空は日暮れで赤く染まり始めており、周りの子供達も帰る準備をしはじめていた。
「俺はさ、千雨が正しいと思ってる事があるなら、正しくないと思ってる事があるなら、しっかり考えた上で、きっと千雨の味方になる事を選ぶよ」
過程はどうだっていい。結果として、俺は千雨の味方をする筈だ。
もっとも、そんな重大な場面になっているかもしれない場で、俺に千雨の他に大切な人が出来ていなければと言うのが前提だろう。
もし出来ていれば、俺は千雨の味方をしない可能性もある。
とはいえ、しばらくはきっと千雨の味方であり続けるし、傍に居続けるだろう。
「……本当か?」
不安そうに、千雨は言った。
「本当だ。ずっと傍にいるから、……だから、泣くなよ」
千雨の頭を俺の胸に押しつける様にして、抱きしめる。俺の服の裾をギュッと握りしめ、千雨は声を押し殺しながら泣いていた。
何時千雨が「此処がおかしい」と発言したのかは分からない。だが、これほど感情を溜めこんでいたのなら、数日間は耐えていたのだろう。
俺には、千雨を慰める事しか出来ない。例えどんなに強力な能力を持っていても、それが『現代』である以上は本来必要ないモノだ。
根本的な原因──この街を変えない限りは、きっと千雨は苦しみ続けるだろう。
だったら、いっその事この街から出て行っても良い。俺の力があれば、不可能なことではない。
しかし、
もしもそれを本当に行えば、世界の行く末がどうなるのかわからない。俺にとって千雨は大事な妹だが、余り下手に動けば魔法使い達がこの世界で戦争を起こす可能性があるのだ。
此処とは違う、魔法世界の住人たちが。自分たちの保身のために。
この街にしても、魔法使い達が作り上げた町なのだ。強力な後ろ盾を持ち、それを振りかざして好き勝手にやっている連中が。
きっと、奴等は世界樹がある限りは、何度潰そうとも躍起になって取り返しに来るだろう。余り目立つ事はしたくないし、魔法使いなんてファンタジーな連中は、千雨が最も嫌う部類の人間だ。存在すると言う事が露見する事も避けたい。
敵はこの街そのものであり、その後ろ盾。俺の力で潰す事は容易だろうが、それだけでは足りない。
後ろ盾が必要だ。
魔法使い達と敵対しても、立場を覆される事のない後ろ盾。強力な戦力をもち、個人が戦略的価値を持ち得る『
俺には、それがある。
即ち──『科学』が。
『魔法』に頼る事無く、『科学』で対抗する組織。そして、今現在それは存在しない。──ならば、作ってしまえば良い。
俺には、それが出来る。否、それをやる為の『学園都市の科学力』だ。
俺の胸で泣いている少女は、魔法使い達が歪めた『常識』の所為で辛い思いをした。
ならば──魔法使いにも、同じ思いをして貰うのが常道だろう?
敵は巨大だ。少々面倒だが、それだけやりがいがある。
千雨に笑顔でいて貰う為に、恐らくは相当数の人間を叩き潰す事になるだろう。まるで『木原』の様だ。
目的は総じて綺麗なくせに、手段の段階で正当性が破綻する。
だが、俺はそれでも構わない。たった一人、大事な妹に笑顔でいて貰う為なら──俺は、手段を選ばない。
そう。
──手段は、選ばない。