第十話:道を誤った者の末路
二〇〇一年 九月十一日。
この日、とある町が地図上から切り抜かれた。
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ロシア、某町。
其処にはいくつもの研究機関が実験をしている、日本で言う麻帆良学園都市のような町だ。もっとも、この街に学校など存在しないが。
円形で直径四十キロ程度、ロシアの中でも田舎の方にある町。場所が田舎ではあるものの、建物は首都を思わせる高層ビルが何棟も建っている。
そして、その大量にある施設の中、いくつものモニターが並んでいる部屋。その中心に、男は佇んでいた。
コーヒーを飲みながら、ゆっくりと画面に映る報告書を読む。
(……ふむ、これならうまくいきそうだ)
机の上にコーヒーの入ったコップを置き、PCの画面を見ながらキーボードを弄り始める。
モニターに映る画面は変わり、何かのリストの様なものが浮かび上がった。
その横には○や×と言った記号が記され、○の書かれている人物の横には何処かの研究所の様な名前が書かれている。
『原石』
普通に生活しているうえで何かしらの条件を満たし、自然発生した『超能力者』。
この男達が使っている研究機関自体は元々存在していて、名目や設備を改良、変更して使いまわしているモノだ。
前回の『SMG』関連であろうリゾートホテルへの襲撃は失敗したが、それはもうどうでもいい。
うまくいけばデータが得られるかもしれなかったが、もはや『原石』を手に入れた今となっては関係ない。
研究が進めば、この男達も超能力が使えるかも知れないからだ。
魔力を必要とする『魔法』、気を必要とする攻撃、例えば日本の『神鳴流』等。様々な物があるが、超能力はそれらを必要としない。
(超能力を手に入れれば……無限に、それこそ絶対的に力を振るい続けられる)
感じた限り、見た限りでは、能力の発動に何か必要と言う訳でも無さそうだった。それが原因。
そしてこの男は、本物の『超能力者』の逆鱗に触れた事にさえ気付かなかった。
男が笑みを浮かべている所へと、突如として
其れは目の前のPCから発せられる音だった。
ザザザ──、とノイズが入る度に、画面に映っていたデータは次々と消えて行く。
そして、最後のデータが消えた時、真っ黒になった全てのモニターに『SMG』と書かれた文字が現れる。
『……やぁ、元気にしてるかな? アルトゥール』
機械的な声、人工的にジャミングの掛けられている、人を不快にさせる声がした。流暢にロシア語を話し、使いこなすその男を、アルトゥールと呼ばれた男は知っている。
普段とは違う雰囲気だ。口調は友人に話す様なフランクなもので、交渉の場以外ではこう言った口調を使っていると思わせる様な、妙にしっくりくる口調。
「……垣根……帝督……!?」
男は驚く。
恐らく、今現在魔法使いにとって最重要人物とも呼べる男だった。
識別できたのは他でも無い。『SMG』という社名をこんな事に使う男。そしてその高圧的な喋り方には覚えがあった。
「何の、用だ」
『ほう? 俺がこうしている事を見ても、何の用か分からないと?』
「何の用だと聞いている」
男はイライラしながら返す。
悪戯にも程が過ぎる。そう考えてもいたし、悪戯じゃないならこれはロシアへの敵対行為だとみなし、戦力を使う権利が男には──アルトゥールにはある。
流石に国を敵に回すような事はしない筈だ。頭の回る人間なら尚更。と、そう考えた。
だが、次の言葉で、その
『簡潔に言おうか。お前、ロシア政府から見限られたよ』
一瞬、その言葉の意味が分からなかった。硬直し、その言葉の意味をゆっくりと考える。
「そんな、バカなことが……」
『さぁてね、お前も大分バカだとは思うがな』
そして、アラートに続いて何かが締まる音がする。敵が侵入してきたときの為の防壁が下りたのだ。
出入り口は完全に封鎖され、この部屋から移動する事が出来なくなる。
「ッ!? どういう事だ? 何故防壁が……」
『逃がさない為だよ。それ以外に理由は無い』
そして、画面に一つの紙をデータ化した物が映された。
「『アルトゥール・バラノフの行った事とロシア政府は無関係である』だと……? 貴様、何をした!!」
ロシア大統領の名前、ご丁寧にサインまで書かれていた。
その効力がどれだけ有効か、目の前の男は十全に承知している。
『「何をした」、か。お前が暴走したから始末してくれって事だよ。まさか交渉をしに言ったらあっちが既にこれを用意してるなんて思いもしなかったぜ。この証書を用意すればロシアとは敵対行為をしないとしたからな』
「そんな筈は無い! 大統領が私を切ってもロシアが不利益を被るだけだぞ!?」
『ふん、頭が回って無いのか。「SMG」と敵対するぐらいならお前を切ると判断したんだよ、ロシア政府は』
理由としてはいくつかある。
第一に、『SMG』の技術力が異常な事があげられる。
ロシアと友好的な関係で技術を売ってくれれば、大国としての権威は落ちる事は無い。
だが、アメリカや日本、イギリスやドイツなど、『SMG』と取引をしている国はいくつもある。
つまり、『SMG』との交渉が出来なくなれば、大国としての権威はおろか、先進国としての力も無くす事を意味するのだ。
『SMG』との取引は、金こそかかるものの、既に出来上がっている技術。膨大な金と手間をかけて自国で開発するよりも、楽で速い。
発展途上国でさえ、この会社の協力を得ればあっという間に先進国の仲間入りが出来るだろう。
そうなれば、ロシアは衰退の一途をたどり、アメリカと対抗できうる国は無くなる。
尤も、バランスが崩れる上に無駄に技術を流出させる事を嫌った潤也はそんな事はしないのだが、其処は交渉術の見せどころだ。
第二に、アルトゥールがロシアにとっていつでも切り捨てられる駒だと言う事。
元KGBとしてカリスマもあり、現場での指揮などは群を抜いて高い。
だが、逆に言えばそれだけだったのだ。
政治的な思惑など気にしない上に、軍部に対する思い入れが強過ぎる。そして、その影響力が高い。これでは、政治に悪影響を与えるだけだ。
今回の『原石』強奪、実験もかなり無理やり通しただけに過ぎない。
それで通ってしまうのがヤツのカリスマの面倒な所だ、とロシア大統領は言っていた。
詰まる所、無駄が多過ぎる。
無理な事でも、この男ならやってくれると勘違いした連中が政府内に居るせいもある。そちらは大統領が始末すると言っていた為、潤也の関知する所では無い。
『端的に言えば、お前はもう用済みだ』
「ふざけた事を言うな!! 研究だって、直ぐに成果が出る! そうなれば、貴様を殺してやる!」
『……ク、ククク、アハハハハハハハ!!』
最初こそ堪えていたが、直ぐに耐えきれなくなり、笑う。
笑って、嗤って、哂う。嘲笑の的となったアルトゥールは、激憤で顔を赤くしながら言い返そうとした所で、垣根の声が続いた。
『お前、本気で研究すれば直ぐに超能力が使えるとでも思ってたのか。おめでたい頭をしてやがる』
笑いを抑えながらそう言う。そして、一つの疑問を投げかけた。
『第一にお前、どうやって俺を殺すつもりだ?』
「そんなこと、お前の居場所を突き止めれば……」
そう言いかけて、止まる。そして、ゆっくりと思い出す。
かつて一度、垣根帝督と名乗る潤也の居場所を突き止めようとした。
垣根帝督と言う名の日本人は存在した。だが、容姿が全く違う。取引、交渉に現れる垣根帝督は茶髪、ホスト風の顔立ちと言った男。
だが、その容姿でその名前の人間など、存在しなかった。
居る筈なのに、居ない人間。戸籍を弄ったのかとも考えたが、其処までやる理由が思い浮かばない。
『第二に、お前じゃ俺は殺せない』
「そんな事、やってみなければわからないだろう!」
『いいや、やらなくても分かるさ』
そして、モニターに映し出されるのはいくつかの映像。ノイズ混じりの映像は、直ぐに処理されて普通に見れるようになる。
『……ザ、ザザァ……こちら『猟犬部隊』
『こちら『猟犬部隊』
『こちら『猟犬部隊』
そして、他の『猟犬部隊』からの報告の音声と映像が断続的に続く。
煙を上げている施設、破壊された施設。恐らくは防衛の為の魔法使いや傭兵であろう死体が転がっていた。
「……こ、こんな、事が……」
『一時間前から既にこの施設への報告なんかは遮断させて貰っていた。気付かなかったか?』
元々現場で動く為、ある程度の知識こそあるが、専門では無い。
だからこそ、分からなかった。
『木原の作り出した機械……脊髄に埋め込まれたチップによる、人体や動物の操作の実験データも取れた。動物の方はDNAを弄って作り出した怪物だが、こちらも既に処分済みだ。お前等にとって、今回の事で得る利益は無い』
「そんな……そんな馬鹿なことがあるか!」
『ついでに言うと、先程の映像の通り、「原石」は既に保護させて貰った。これ以上お前とおしゃべりをしている暇も無いだろう』
「……何?」
その疑問に答える前に。ゴッ!! という莫大な轟音がした。
同時に、大きく揺れる施設。地震でも起きたかのような衝撃が町を襲い、アルトゥールはバランスを崩しかける。
『ふん、予定通りか』
「貴様、一体何を……」
『簡単だ、この町を
その言葉に、呆然とするアルトゥール。
「
『……そうか、お前は知らないんだな』
「……何?」
それは一つの疑問、情報が完全に遮断されていた状態で起こっていた事。
『現在、アメリカで同時多発テロが発生している。メディアはそれに釘付けだ。こっちの作戦は大かた終わってからさっきのが使われた。メディアが気付いた時、もうこの件は終わっているし、この件はテロとして処理される。ロシア政府ともそう示し合わせているのでな』
超音速ステルス爆撃機に搭載された大型ブレードが引き裂いた大気の刃に砂鉄を混ぜ、時速一万キロオーバーの速度を乗せることで摂氏8000度を超える気体状のブレードを生み、目標点を爆撃する。
三キロの砂鉄があれば一時間でユーラシア大陸を切れる程の威力を持つ強攻高速爆撃戦術。
極めて大雑把な攻撃に思えるが、ブレード表面の『模様』を電気的に操ることで、直線のみならず、曲線・点攻撃も可能で、その気になれば一機で複数のラインを描くことすら出来る。
この円形の町の円周を、そのまま切り取る事が出来るほどに。
「貴様、アメリカでテロが起こる事を知っていたのか!?」
『いやいや、流石にそんな事は知らなかったよ。唯、今回はテロに便乗させて貰うだけさ』
軽い調子でそう言う。
本来なら夏休みの段階で潰しにかかりたかったが、ロシアとの交渉、そして予想以上に早くアルトゥールが準備を整えた事で、準備が遅れ、この日になった。
『さて、そろそろ楽しいおしゃべりの時間は終わりだ』
瞬間、轟音と共に厚さ二十センチの防壁がブチ破られた。そして、その破られた方向から鳴り響く、規則正しい足音。
煙が晴れて、その姿は見えるようになった。
整った顔立ち、黒髪にウェーブがかかった髪、スレンダーな体つき。一見すれば美人と言えるその女を見て、アルトゥールは恐怖した。
「え、『
「それは初耳なのだけど?」
『俺も知らん。大方、映像で
大方能力を見てカマイタチだとでも思ったんだろ。と続ける。
下らないですね、と吐き捨て、柊はいつもの調子で垣根へと告げた。
「てゆーか社長、私そろそろ大学の単位ヤバいんですが」
『お前大学行く意味あるのかよ。大学行こうと「SMG」で働くなら一緒だろ?』
そうは言ってもちゃんと行きたいんですー。と言った後、一瞬で機械を解体した。流れるように素早い動作は、その仕草に慣れている様な雰囲気を醸し出している。
柊の眼は獲物を求める野生動物の様に見え、口元はつり上がって微笑んでいる様だ。
「もう殺っていいんですよね?」
『ああ、オメガシークレットの暗号は掛け終わってる。仮に壊し損ねてもデータを解読する事は出来ない』
オメガシークレットとは、簡単に言えば実用性のない高難易度最優先のゲテモノ。
一度この方式で暗号化してしまうと、どんなに小さなファイルも大きなファイルも等しく解読に200年かかる。
しかもファイル一つ一つに異なる乱数処理が施されるため、一つのファイルを解読したら次のファイルのためにまた200年かけなければならない。
学園都市製のスーパーコンピューターでも、だ。ゲテモノ以外の何物でもないだろう。
ソレを、万が一の可能性を考えて全ての研究施設のデータにかけた。解読される可能性は無くなったと言ってもいいだろう。
その言葉を聞き、ゆっくりと、つり上がった口元を更につり上げて笑っている。
柊が来た道を逆にたどれば、その道にはおびただしい程の数の死体が放置されているだろう。
それでも、返り血一つついていない事を考えれば、異常としか思えない。
「さぁ、殺して解して並べて揃えて晒してあげる!」
『何処の人間失格だお前は』
腕を振る。それだけで壁に引っかき傷のような物が出来、次々と部屋の機械を壊していく。
「クッ!」
身を翻して机や機材の影に隠れるが、次々と破壊され、隠れる場所が無い。念の為、といつも持ち歩いている銃をホルスターから抜く。
物陰から様子をうかがい、こちらへの意識が薄れる瞬間を待つ。
攻撃の隙間を縫い、一瞬だけ意識がアルトゥールから外れた。その瞬間を狙い、物陰から飛び出して銃を放つ。
出てきたところをとっさに反応して腕を切り落とすが、放たれた弾丸は柊の眉間へと吸い込まれるように動いていた。
衝撃で後ろへ飛ばされたまま、その体は動かなくなる。
「ハァ、ハァ……」
右腕を抑え、息を整える。
腕を切られた断面辺りを見ると、何かを血が伝っていた。
「これは……糸?」
空気で編み込まれた、と言うより、空気を直に圧縮して作られた空気の糸。
半径五百メートルは余裕で伸ばせる程の長さを保てる、『グループ』内で二人いる
「だが、もう死んだのなら関係な……」
そして、感じる違和感。
(あの女は死んだ筈だ。頭を打ち抜かれれば超能力者だって死ぬはずだ)
そう、自分に言い聞かせる。
ならば、死んだ筈の柊の能力は、何故まだ発動している?
「フ、フフフフフ」
柊は笑いながらゆらりと立ち上がり、アルトゥールを見据える。
「ビックリした? 弾丸程度で死ぬなんて思っちゃ駄目よ」
手で服に着いた埃を払いながら、傷一つない体を見せつけるように凛と立つ。弾丸は弾かれ、柊の後ろの壁へと当たっている。
先程倒れたのは唯の演技。柊の遊び心であり、それ以外には何の意味を持たない。
「私の周りにはね、常に糸が纏わりついてるのよ。まるで毛玉みたいにね」
柊の周りには全方位に、死角無く、空気を圧縮して作られた糸を編んだ壁が存在している。
ソレを抜けるには強力な砲撃か、空気を一時的にでも無くすしか方法が無い。防御にも、攻撃にも使える万能な能力。
『御託はいい。さっさと終わらせろ。時間はあまり無いんだ』
「りょーかいです」
人を殺してテンションがハイに成っているのだろう。普段とは口調も性格も全く違う。
柊が腕を上げる所を確認しながら、垣根は静かに告げた。
『まぁ、なんだ。これで
そして、残ったのは噴水のように血を噴き出すアルトゥールの姿だけだった。
●
帰りの飛行機、超音速旅客機に乗っている柊は、潤也と通信していた。
「それにしても社長、今回のアメリカでの同時多発テロって本当に知らなかったんですか?」
『そんな筈が無いだろう。事前に知って情報を流したというのに、碌な準備さえせずにテロを引き起こされているんだよ、アメリカは』
「ふーん、間抜けですね」
『まぁ匿名で証拠も大したものじゃ無かったからだろうな。それでも、しっかり調べればテロに繋がるようにしたってのに』
「やっぱりアメリカは大雑把ですね」
『……お前な、そういう偏見はいらないんだよ。あっちだって大変なんだ。俺がテロの詳細な情報出したら疑われかねないからな』
普段の行い的に、と続ける。
どの道、そんな事をやっても大した利益が無いのでやる筈も無いのだが。
「そんな事を連続殺人犯の私に言いますか。こんな見た目なのに、危ない女だっていうのも偏見ですよ」
ハァ、と通信機の向こうで溜息をつく声が聞こえる。
『お前のそれは唯の趣味みたいなもんだろう、趣味で人を殺すってどうかと思うがな。いっその事本当に零崎を名乗ったらどうだ?』
「嫌ですよ。現実と創作の見境がついて無いとか言われそうじゃないですか」
『今更過ぎるだろう……』
ついさっき『人間失格』の決め台詞をパクってた奴が言うか、と笑う。
「全く持って、傑作ですね」
柊もつられて笑う。
●
事後報告。
破壊されたのは何もロシアの研究機関だけでは無い。
イギリス、フランス、ドイツなどの各国も、超能力研究に協力していた機関は存在した。
それらは『猟犬部隊』『スクール』等の暗部組織によって壊滅させられる事となる。
本当に運よく残っているHDもあったそうだが、オメガシークレットで暗号化された為、解読は不可能。
そしてこの事件は、九月十一日、アメリカ、ロシアのみならず、世界各国で起こったテロ事件として、表の歴史に記された。
だが、アメリカとそれ以外では手口が全く違う為に、別事件としてとらえる者達は多々いた。
別事件と捉え、尚且つ潤也が情報を流したままにしておいた為、「『SMG』に敵対すればこうなる」という見せしめの意味を持っていた事を、裏に通じるほとんどの者が理解した。