第十三話:桜通りの吸血鬼
満月の夜。月明かりが夜道を照らし、足音だけが耳に響き渡る。
潤也は神楽坂を抱えて、女子寮への道を歩いていた。
男子寮の方が近い位置だったが、流石に男子寮に女子を泊まらせる訳にもいかず、朝帰りとかさせたら千雨に殺されそうだな、と思っていた。
神楽坂は泣き疲れて寝てしまったらしい。浴衣で背負うのが難しい為、お姫様だっこをして連れて行っているのだが、潤也の服の裾を掴んですやすやと寝息を立てて眠っている。
日が沈んでいる為に夏でも結構涼しく、時折吹く風は冷気を含んでいて気持ちがいい。
丘から女子寮への道には、桜通りがある。潤也はこちらの道が速い事を知っているので、当然ながらこちらの道を使った。
そして、今現在その現場で二人の女子生徒が抱き合っている。少なくとも、潤也にはそう見える状況だ。
そう言うプレイでもしてんのかな? と思って、隠れつつ覗く。
回り道でもして女子寮に行っても良かったが、この道が一番近い。回り道は面倒臭い。その程度の考えだった。
物陰に隠れて様子を窺っていると、声がかけられた。
「おい、其処に隠れている奴、出て来い」
声の主は少女の様で、潤也がいる方向を正確に見つめている。
バレたか? と思考する。
だが、一般人に悟られるほど潤也もヘボでは無い。この辺りを考えれば、『裏』の関係者だろうと容易に推測できた。ばれてるならいいか、と思い、神楽坂を木に寄りかからせ、一人で出る。
終わった後は出来れば記憶を操作して、関係者だと思わせない様な工夫をしなくてはならない。
もし相手が魔法協会の者なら、学園の『内側』にいる八重は、そんな事をもみ消せる立場では無い為、余り派手にはできないのだ。
「……一人か? もう一人いるだろう」
「寝てるんだ。寝かせてやってくれや」
そう言うと、しょうが無いか、といって諦めた。
いや、諦めたと言うより、始末を後回しにした。というべきだろう。少女の視線は潤也をハッキリと見据え、かなりの警戒心をもっている。
「それで、貴様。何処まで見た?」
「抱き合ってる所まで。大丈夫、俺は君等がそう言う趣味でも引いたりしないから」
少女はぽかんとした表情を浮かべるが、顔を良く見れば血が着いている。そして、寝ている女の子の首筋にも血。そして噛まれた痕。
そういや原作に吸血鬼っていた様な……等と考えていると、少女が怒ったように何やら言ってきた。
「どういう趣味だ! 私にそう言う趣味は無い!」
「いや、だって抱き合ってたじゃねぇか。そう言う趣味じゃないならなんだよ」
「……まぁ、どうでもいい。貴様の記憶は消させて貰う。まさか最初に血を吸ったときに見つかるとは思わなかったが」
──話が噛み合わない。というか会話する気あるのコイツ?
呆れながらもそんな事を思う。そして、一つの疑問。
『血を吸った』と、そう言った。
吸血鬼。それも一般人に手を出す位にプライドの無い奴だと、イラつきを覚える。
「安心しろ、殺したりはせん。『誇りある悪』として、女子供は殺さん」
その言葉に、またもイラつきを覚えた。
不思議な気分だ。今まで大して気にした事も無かった"プライド"や"誇り"という言葉に、酷く反応してしまう自分がいる。
それは、『ベクトル変換』──より正確に言うのなら、『
演算や能力とは、個々人によってある程度異なる部分が存在する。一方通行の演算パターンを無理矢理組み込んで性格が変わった者も、存在するのだ。
元々、潤也には超能力を
何故なら、演算パターンが変わるという事はある種の能力の変質を示すのだから。
故に、これは潤也がこの能力を選んだ時点で付随する『弊害』と呼べる。
「『誇りある悪』、ねェ」
「……何が言いたい?」
ガラリと変わる雰囲気に、少女は少しの動揺を見せる。目元を細めて、潤也の様子を観察する。
だが、ほんの一瞬。六百年の経験は伊達では無い。
「いやァ、べっつにィ? 一般人襲ってる奴が『誇りある悪』とか抜かしてるから面白くってさァ」
笑いを堪えながら少女と向き合う。
その思考パターンは、正に『
「御大層な理由でもあるンだろうが、それがあるからって一般人を襲っていい理由にはならねェ。下らない理由で襲ってンなら余計にな。一般人に被害出してる時点で、テメェの悪はチープ過ぎる。テメェのやってる事は唯のチンピラとかわりゃしねェよ」
その言葉に、少女は静かに怒気をはらませる。
何故なら、自身の誇りが穢された。それだけで、少女の怒りを買うには十分すり具出来事だと言えるだろう。
「ふざけるなよ? 悪の魔法使いである私を馬鹿にするつもりか? ……身の程を教えてやる」
手に持った試験管を放り投げ、武装解除の魔法を放つ。
だが、放たれた『氷結・武装解除』は潤也に当たる前にその向きを変え、地面を凍らせた。
「……何?」
今の現象に目を見開く──その現象が、余りに異常だったせいで。
本来ありえない方向へと、
この時点で、少女──エヴァンジェリンは、最早記憶を消すと言う事ではなく、殺すと言う事に目的が変わっていた。
いや、厳密に言うならば、殺すしか方法が無い様にしか思えない。
何の予備動作も無く、魔力も気も使わず、異常な現象を引き起こす。そんな奴を相手に、この状況で手加減などできる筈も無い。
実力が未知数過ぎる。例えどれほどの実力者であろうと叩き潰して来た彼女だが、今はその力が封印されている。全盛期には程遠い実力なのだ。
そして、ふと気付く。
魔力も気も使わず、異常な現象を起こせる連中。
一年程度前、ロシアの一部を切り取った組織には、そういった連中である──『超能力者』が居ると言う事を。
「……『超能力者』?」
呟くその言葉に、潤也は反応しない。聞こえて入るのだろう。だが、表情からは何も読み取れない。
だが、可能性は消えない。
「……茶々丸!」
故に、油断はできないと悟った。
だからこそ、科学的に記憶を覗かれ、この事件を発覚させる事を恐れたエヴァンジェリンは待機させていたロボットの従者を呼び寄せる。
トンッ、と軽快な音と共に地面に降り立つ。
「油断はするな」
「イエス、マスター」
そして、構える。中国拳法だろうか。半身となって構えるその姿を見て、潤也は嘆息する。武術では意味が無い事を、彼はハッキリと分かっているのだろう。
「今更だな。数増やした所でかわりゃしねェよ」
対する潤也は構えない。構える必要が無い。触れればそれで終わるのだから、構えた所で意味が無い。
殺気を発し、互いに殺し合いを了承する。
しかし、潤也には殺すつもりなどない。本当に殺すつもりなら『
今は唯、イラつきから一発殴ってやろうと思っているだけ。
「茶々丸、情も手加減もいらん。……女子供を殺すのは私の矜持に反するが、お前のソレは子供とも一般人とも言えん。殺しても文句は言うまい?」
「そォだな。別にどォだってイイ事だろ。──どの道、テメェじゃ力不足だ」
「ぬかせ……やれ、茶々丸」
地面をける音と共に、茶々丸が潤也へと近づく。
数メートルと離れていた距離は物の数秒で詰められ、潤也へと拳が迫る。しかし、慌てるそぶりすら見せずに、茶々丸の動きを見据えた。
「言っただろォが。力不足だ」
その拳は届かず、肘から折れる。否、折れるというよりも、砕けたといった方が表現的には正しい。
知覚できない速度で何かをやった……そう考えるが、手はポケットに入ったまま動いてない様に見える。布の擦れたような音も聞こえない。
ならば、と次は残った左腕でひじ打ちを繰り出す。だが、それも無駄。潤也は動く事さえなく、その腕は壊れた。
「無駄だ」
唯一言。そう告げる。
唯一撃。横凪に蹴りを放つ。
それだけで、茶々丸は上半身と下半身の半分に分断された。分断された場所は装甲が砕け散っており、破損具合のひどさを見せつけていた。
「茶々ま……っ!?」
同時に、風速百二十メートルにも達する空気の塊が、砲弾となってエヴァンジェリンを襲う。
咄嗟に放った魔法薬で『氷楯』を使い、一瞬防いだ後、攻撃圏内から脱出する。これで、倒れた女子生徒からは十分な距離を取る事が出来た。
「貴様……」
「何言ってンだよ、オマエ。殺し合いだろ? 躊躇う意味がねェ」
「……チッ、そうだな」
潤也の言葉に舌打ちしつつも同意し、またも複数の魔法薬を取り出して放り投げる。
魔力を練り上げ、魔法を発動させる。
「『魔法の射手 連弾・闇の十七矢』」
そして、潤也に触れてまたも向きが変わり、地面へと叩きつけられ、派手な音と共にコンクリートを破壊する。
「無駄だっつってんだろォがよ」
ダン! と足元を思い切り踏みつけた。
固い地盤が歪み、振動する。潤也を中心にコンクリートへ放射状の亀裂が走りまわる。歪み、破壊されて飛ぶ破片はエヴァンジェリンを正確に狙い撃つ。
ソレを飛んで回避し、次の攻撃へと移る為に魔法薬を取りだした所で、思考が一瞬止まる。
「どォしたよ、手が止まってンぞ!!」
地面を更に踏み抜き、砕けたコンクリートの地面を更に砕く。そのベクトルを操り、潤也はまるでロケットの如く夜空へと飛びあがった。
(な……に……!?)
その背中には強大な暴風の竜巻のようなものが四本着いている。
空中に飛んで散らばっているコンクリートの破片など関係無い。壮絶な音を立てながら破片を吹き飛ばし、エヴァンジェリンへと迫る。
その状況でも必死に思考し、手に持った魔法薬で魔法を発動させる。
魔法薬は割れたが、魔法は異質な形で発動した──咄嗟に放った筈の魔法の矢が、手元で暴発したのだ。
「なっ──!?」
それは驚愕。
六百年もの間生き、常に練磨し続けた魔法の使用に失敗した。
動揺は隠せない。
「──逆算済みだ。異物の混じった空間。ここはもう、テメェの知る場所じゃねェンだよ」
世界は素粒子で構成されている。その種類は多種多様。
そして、魔力とは世界に存在する万物のエネルギー。魔法使いの使う魔力とは、世界から吸収し、それを変換して形作られている。
そして、潤也のやった事は簡単だ。
大気中に存在する魔力に、この世に存在しない物質である『
異物が混じる事によって、通常とは違う法則で動き出したそれらは、魔法を異質なものへと作りかえる。
例えば──魔法の矢をその場で爆発させる。
例えば──氷の楯の厚さが異常に大きくなる。
例えば──魔力の変質により、魔力で保たせている既にかけられた呪いや記憶に関する魔法を変質させる。
ねじ曲げられた法則は潤也本人が多少は融通出来るものの、一定以上は干渉できない。そして、法則がある以上、それを知ってしまえば対処は出来る。
だが、そんな暇は与えない。
「不幸だな、オマエ」
エヴァンジェリンの目前へと迫り、堅く拳を握る。
「オマエ、本当についてねェよ」
ゴガンッ!! とおよそ人間を殴った時に出る様な音では無い音が、辺りに響いた。
潤也の拳は障壁を抜け、エヴァンジェリンの顔面を正確に捉え、殴り飛ばす。やや鋭角に打ち込まれた拳は、エヴァンジェリンの体をいとも簡単に吹き飛ばした。
数百メートルを一瞬で飛んで行き、何処かの建物の壁を壊して内部へと入る。その衝撃で顔面の骨は折れ、鼻血を出して建物の内部でエヴァンジェリンは気絶した。
「ここで会ったのが俺じゃなかったら、まだマシだっただろォな」
風を操作し、地面へと音も無く降り立って辺りの惨状を見渡す。
(……ヤベ、やり過ぎたな)
放射状に走り回っている亀裂。変形した街灯。辺り一帯戦場にでもなったのかと問いたくなる状態だ。
「ま、いいか。後は──」
潤也は全く気にせず歩を進め、二つに断たれた茶々丸を見る。
両腕は使えず、助けも呼べないで其処に倒れたまま。何の役にも立ってはいない、が。
「オマエ、さっきの戦闘映してたろ」
今はまだ、学園に知られてもメリットが無い。
故に、科学の産物である茶々丸はその頭を科学的な方法で『ハッキング』され、そのデータを完全に消した。正直な話、殺せば手っ取り早かった。
だが、流石にイラついたという理由で人を殺すのはなぁ。と思ってもいる。人ではないが。
殺人鬼でも無いし、殺しを楽しんでいる訳でも無い。
必要なら殺す。それ以外ならできうる限り殺さない。基本的にそう言うスタンスだ。
いつもなら後始末までやるんだが、と思って周りを見る。ド派手に戦闘した為、この状態じゃいつ誰が来てもおかしくない程だ。
バレない内にさっさとずらかるか。等と思いながら被害の及ばないよう配慮した木陰へと向かい、神楽坂を探す。
●
潤也の失敗は二つ。
『未元物質』の展開範囲が異常に広かった事。
そして、神楽坂明日菜の記憶が、
木陰で寝ていた筈の神楽坂は、頭を抱えて痛みに耐えていた。