第十四話:明日菜とアスナ
目覚めは必然だった。
当然だ、アレだけの轟音が近くで鳴って、起きない方がおかしい。
私がゆっくりと目を開ければ、目に入ったのは草木。顔を上げ、音が続く方を見る。茂みの向こう側では、地面がひび割れ、街灯がねじ曲がっていた。
……一体、何が起こってるの?
極めつけには、空中へと飛ぶ誰か。遠目だが、赤い髪と後ろ姿で潤也だと分かる。背中には竜巻のようなものが四つ着き、誰かと相対しているように見えた。
相対しているのが誰かは分からない。潤也とかぶって顔も姿も見えないからだ。だが、飛びあがって誰かと相対して、何かが爆発した時、唐突に頭痛が私を襲った。
ズキンズキンと痛む頭を押さえる。
何も考えられなくなる。何も見えない。聞こえない。
痛みに呻いていると、何かが見えた。巨大で人の様な何か。そして、それに立ち向かう赤毛の男、いや、少年とも呼べる人。
『そんなガキまで担ぎ出すこたぁねぇよ。後は俺に任せときな』
(誰──?)
次に移ったのは、死にかけている渋いおじさん。何よりも先に既視感が生まれ、胸の中に言い表せない気持ちが渦巻いて行く。
『幸せになりな嬢ちゃん。あんたにはその権利がある』
(つっ──!)
頭痛が酷くなる。頭が割れそうなほど、ズキズキと痛む。横に倒れ、流れ出る知らない誰かの記憶に混乱した。
自身の知らない記憶。録画されたビデオを早送りで見ている様な感覚。
(何、これ──)
時間が経ち、少しだけ楽になって目を開ける。視界はおぼろげだけど、ゆっくりと、ズレたピントが合う様に視界が良好になっていく。
目の前には心配した顔の潤也が居た。
「どうなってんだ? 身体に異常は見当たらない。なら魔法的な何かか? さっきの『
焦って何かを言っている。でも、何を言っているか、理解できない。理解しようとしても、頭痛が酷くて考えられない。
潤也は何かを考え込むような顔をして、ブツブツ言っている。
「チッ、メンドクセェ事になったな……ここまで複雑な記憶に関する魔法じゃ、無理に破壊すれば記憶破損が起きる可能性がある。なら全部一気に解除するしかねぇか」
そして、右手で私の頭に触れた。額に汗が浮かんでいるのか、潤也の手が一度私の額を拭って、再度触れた。
私が見ている事に気付いたのか、笑う。
「安心しろ、俺が何とかしてやる」
そう言って潤也は目を瞑る。頭の中で何かが動く様な感覚がした。目をつぶれば、見えるのは何かの数式の様な、魔法陣のモノ。
それらはゆっくりと、型にはまるように動いている。カチリと音がする度、頭痛が収まっていく。
全ての魔法陣や数式が消えると同時に、私は意識を失った。
ここは、何処?
真っ暗な部屋。誰もいない、何も無い部屋。
『あなたは、誰?』
後ろから声がした。
振り向けば其処には、私の小さい頃の姿がある。
「私は神楽坂明日菜」
『私はアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア』
ゆっくりと、静かな声でそう答えた。
「ここはどこ?」
『ここはどこでも無い』
世界がぐらりと揺れる。
先ほど見た赤毛の人達の記憶。
風景は何処かの町。手を繋いで楽しそうに笑う私。
『思い出した?』
何を?
これは、私の記憶なの?
『そう、これは私の記憶で、あなたの記憶』
あなたの記憶?
『うん』
世界が揺れて、風景はまたも変わる。
高畑先生、それと、誰か知らない人。
ここで、私は記憶を封印された。
『そして、其処から今のあなたの人生が始まった』
一緒のクラスだった委員長と喧嘩して、小学校で友達になった木乃香と遊んで、小さい頃から一緒にいてくれた高畑先生に恋して。
木乃香と一緒に居た千雨ちゃんと仲良くなって、一緒に遊ぶうちに潤也とも仲良くなって。
『俺でよけりゃいつでも手伝うけどな』
そう言って、高畑先生とのデートの協力もしてくれた。
『悲しいときは、泣けばいいんだよ。無理して笑うこたぁねぇ。俺の胸で良けりゃ貸してやるからさ』
失恋して、頭を潤也の胸に押しつけながら泣いて。
一緒にいると楽しくて、悲しい時も一緒にいてくれた。
木乃香と千雨ちゃんは親友で、よく遊ぶ。
潤也は偶に会うだけ。でも、会う度にいろんな事をやって楽しい。
高畑先生は小さい頃から面倒を見てくれた。親の様な人だったけど、面倒を見てくれて、好きになっていた。
告白したけど、なんとなく胸には靄がかかっていた。
高畑先生の事が好きで、告白した筈なのに、なんとなく変な感じがした。
『私は、タカミチはあまり好きじゃない。嫌いじゃないけど、好きでもない』
どうして?
『私の意志なんて関係なく、記憶を封印すれば幸せになれるなんて思っていたから』
それも、一つの選択肢ではあったんだよ、きっと。
『『紅き翼』の総意で、私の意志なんて無かった。助けてくれたけど、助けてくれなかった』
そんな事は無い。ナギだって、ガトウさんだって、命がけで私を助けてくれた。
『記憶だって、私の一部。それを封印したら、私は私じゃ無いよ』
…………。
『だから、助けてくれたけど、助けて貰って無い。ナギはきっと助けるって言ってくれたけど、出来なかった』
…………。
『潤也はどうなの? ずっと一緒にいられる? 私を助けてくれる? 真実を知っても、一緒にいてくれる?』
分からない。
でも、秘密を抱えていたら、いつかきっとバレる。頭がよくて、勘が良くて、隠し事なんて出来る相手じゃ無いから。
『なら、話すの? どうなっても、私は知らないよ?』
話さなくてもバレるなら、いっそ話した方が楽になれる。それで離れる様なら、それまでの関係性だったんだよ。
隠したままもやもやした感情を残すより、教えて嫌われた方がいい。
……でも、一つ思ったんだ。
『何を思ったの?』
一緒にいて楽しくて、困った時に助けてくれて、泣いたら慰めてくれて。
いつだって頼りになるお兄さんみたいで。
「私はきっと、潤也の事が好きなんだ」
心から、本当にそう思った。
●
ゆっくりと、目が覚める。
いつも見ている天井、私と木乃香の住んでいる寮の部屋。
浴衣を着たまま寝てたかな、と思ったけど、自分の状態を見てみれば下着だけで寝ていた。
汗をかいたからシャワーを浴びようと、いつも通りリフトから飛び降りる。
すると、其処には正座させられている潤也の姿と、般若のお面が後ろに見えて、笑っている千雨ちゃんと木乃香がいた。
「お、起きたか、神楽坂。シャワー浴びるなら行っていいぞ、潤也の眼は塞いでるから」
一転、般若のお面が見えなくなった千雨ちゃんは優しい。
「……えっと、これ、どんな状況?」
「覚えてないのか? 昨日潤也が連れて帰って来たんだがな、何時だったと思う?」
昨日の事は覚えていない。潤也が私の頭を触れてからの記憶が無いから。夢の中での事なら記憶があるけど、それ以外は全く分からない。
「……何時?」
「朝の四時だよ。何かされた覚えは無いか?」
「や、だから俺は何もしてないんだってば」
「黙れ、ちょっと静かにしてろ」
「……ハイ」
潤也はタオルで目を縛られ、正座してる足の上には漬物石の様なものが置かれている。……痛くないのかな。
「唯今絶賛折檻中やえ」
苦笑しながらそんな事を言う木乃香。千雨ちゃんの雰囲気が怖いのもあって、私に何かしたのか気に成る部分もあるから手伝ってるみたい。
「……ちょっとシャワー浴びてくる」
見なかった事にして、シャワールームへと入る。
……本当に、好きなのかな?
●
唯今絶賛折檻中の俺。
酷い……昨日はいろいろ忙しくて俺まともに寝てないというのに。
ぶっ倒れてる神楽坂を見て、『
直ぐに『
そのまま頭の中にある魔法陣を解除して、念の為に『窓のないビル』で精密検査して。三十分位仮眠取って。それから学園の動きをちょろっと見てから連れてきた。
だから四時だった訳だが。
女子生徒は記憶消去の魔法を破壊。簡易的で対して複雑でも無く、簡単に解けそうだったから解いた。そっちはどうなっても知らん。適当に記憶を改ざんして放っておいた。
後は魔法先生方に任せる事にする。これ以上は首を突っ込まない方が良いだろう。
桜通りはほぼ全壊。
コンクリートはそこら一帯にばらまかれて、建物も一部破壊されてる。
流石に内輪だけでどうにかできる問題ではなく、工学部の作業用ロボとかを借りて修復作業をしているらしい。
エヴァンジェリン(昨日、学園長達の会話を盗み聞きして漸く名前を思い出した)は療養中。かなり酷い怪我らしい。大丈夫かねぇ。顔面を思い切り殴った俺の言うセリフでは無いけどな。
麻帆良中、今はこの話題で持ちきりだ。
一晩で破壊された桜通り、宇宙人がどうのこうのとか、超能力者がどうのこうのとか。
正直、吸血鬼の殺気より千雨の表情が怖い。
目が見えなくても気配だけで、というか殺気で分かる位に怒ってる。殺気を当てられるほど悪いことしたか、俺?
ちくせう。これだから朝帰りをさせるのは嫌だったんだ。
後で『
というか神楽坂のアレ何だよ。
面倒くさい魔法使ってやがったし。『
解除に十五分位かかったじゃねーか、魔法先生に見つからないか冷や冷やしたぞ。
記憶封印って事は、多分今はもう戻ってる筈だ。
どうなってるかは見る前に何処かへ行ったから良く分からないが、声を聞く限りじゃ平気そうだ。
それより
「妹様ー、まだ駄目?」
「後一時間ぐらいやってろ」
「流石に死にそうなんだけど」
「軽い方だろ」
確かに軽いんだけどさ、少なくとも漬物石としての標準的な重さはあるわけよ。別に重さも正座の痛みも特にねーけど。ベクトル操作ってホント便利だよね。
「吸血鬼に襲われて神楽坂が倒れたと思えば、治療して連れて帰ってきたら折檻かよ」
俺の一日踏んだり蹴ったりだな。しかも睡眠不足。
「……何言ってんだ?」
「戯言だよ」
事実だといっても誰も信じないだろうしな。それでも、こうでもしなきゃ暇でしょうが無い。
そうこうしている内に、シャワールームから神楽坂が出てくる。
何故分かるかだって? 君、俺は『
「……まだやってたの?」
「どうにかしてくれ」
俺は情けないと思いつつも、この状態の千雨を止められるであろう神楽坂に助けを求める。是が非でも助けて欲しい。本当に。
「……千雨、潤也を解放してあげてよ。私何もされてないからさ」
「……分かった。というか、お前なんか性格変わったか?」
「いや、別に変わって無いけど」
そう言いつつ漬物石を退けてくれる。
寮に入る時も寮監との戦闘があったりするんだがな。
実は、桜咲と龍宮に寮に侵入する為に手伝って貰ったんだが、寮監にバレたんだ。
桜咲と龍宮を同時にノックアウト出来る人間が居るなんて思わなかった。それも唯の一般人なんだぜ? 俺も『反射』が破られる気がしてしょうがない。いや、使う気も無いのだが。
何はともあれ、目も見えるようにして貰った。ちゃんと服は着てるようだな。
「助かったよ、神楽坂。ありがとう」
「……って呼んで」
「うん?」
「アスナって呼んで」
……何故急に?
ソレ聞いて千雨と木乃香が動きを止めたんだが。ピタリ、という擬音語が見えた気がするよ。
「え、何で?」
「何でもいいじゃない。アスナって呼んでよ」
「……いや、別にいいけどさ」
「じゃ、今度からちゃんとアスナって呼ぶようにね」
ニコニコしながらリフトを上がっていく。
本能が、速くこの部屋から脱出しろ! と告げるが、動けない。
そんな事を言うと、千雨が「何を……むしろナニをしたお前?」という雰囲気になるに決まってるだろうが! 木乃香は木乃香で「今日は赤飯かなぁ」などとのんきに言っている。頼むから助けてくれ。
ギギギ、と油の足りない自転車の如くゆっくり首を曲げると、其処には般若のお面が背後に浮かぶ、笑った顔の千雨が……。
……第二ラウンド、突入か……。
●
一方、学園の魔法先生達は上へ下への大騒ぎだった。
当然と言えば当然。
エヴァンジェリンという、十四年間共に学園の警備の仕事をしていた人物が、いきなり吸血なんて事をしだしたかと思えば何者かに顔面の陥没、背骨の骨折という重体を負わせられた。
封印されているとはいえ、六百年の経験は大きい。ソレを駆使しても、勝てなかったという事か。
「それで、エヴァの容体は?」
「現在治療中ですが、どうにもおかしな事があるようです」
「おかしな事、とは?」
「なんでも、呪いが変質しているとかで。見て貰った方が速いかもしれません」
「……それもそうじゃな」
そして、瀬流彦教員に連れられ、治療中の部屋に入る。其処には、顔面の骨の陥没して、端整な顔は崩れ、憎悪に満ちたエヴァンジェリンが居た。
背骨が折れている為満足に動けず、治療を受けている。
「大丈夫かの、エヴァンジェリン?」
「無事とは言えん。見て分かるだろう」
その言葉にも、敵意と憎悪が入り混じっている。下手に怒らせても駄目だろうと思うが、調査をしなければならない。
「呪いの事は分かっとるのか?」
「多少な。アイツ、碌でもない事をしてくれた」
顔こそ分かるが、名前もいる場所も分からない。唯の偶然で出会っただけというのなら尚更探すのは難しいだろう。
「茶々丸は?」
「今修理を受けておる」
二つに断たれた上、両腕を破壊された絡繰茶々丸。
桜通りに放置されており、見つけた時は意識(?)も無かった。
工学部に直ぐ運ばれ、データを確認して貰った所、その日一日のデータが完全消滅してるとの事。
「なるほど、後始末までしっかりしている。ふざけた程にな」
またも顔を歪ませ、歪に笑う。
「──ブチ、殺す。絶対に、私の手でぶち殺してやる」
自身に向けられていないと言うのに、治療していた魔法使いは気絶しそうになった。
それほどまでに強烈な重圧。殺気。憎悪。悪意。
並みの人間では、向けられた瞬間に気絶してもおかしくない程のソレを受けても、近右衛門と、後ろに控える瀬流彦は多少顔色を変えるだけだった。
それが自身に向けられていないと言うのも大きいだろうが。
「……それで、私に何の用だ?」
「うむ、呪いについてじゃ」
「さっきも言ったが、多少しか分かって無い」
「分かっておる。今から調べるから少し待っとくれ」
そう言って何かの呪文を呟く。
「……む? 『登校地獄』にこんな呪いは無い筈じゃが……」
「何? どういう事だ」
一つの違和感。
『
本来『学校に登校させる為の呪い』である『登校地獄』だが、変質した呪いには更に『毎日自宅で三時間の学習』というのが追加されていた。
だが、同時に『学校に登校させる』という呪いが多少弱まっている。
「……ハァ?」
「いや、本当なんじゃって。何故かそうなっておるんじゃ」
減るならまだしも増えるだと? とキレかけているエヴァンジェリンだが、それは一つの可能性も示していた。
(……『変質』させられるなら、『解呪』も出来るかも知れんな)
殺すには惜しい人材か? と考え始めるエヴァンジェリン。
何にせよ、戦った敵を報告する気は無い。
赤い髪と超能力。探すには材料が少なすぎるが、探し出して見せる。と、そう考える。
(……体格から見るなら、中学生から高校生か。いや、見た目は当てにならんか)
クラスメイトの姿を思い出してそう感じる。
冷静に、敵を見極めて探し、殺す。いや、解呪させてから殺す。そう決めた。その為には、魔力を取り戻さなくてはならない。
だが、その為には呪いを解く必要がある。と、そう考える。
(……まずは探してからだな)
倒す云々は探し出してからどうにかすればいい。だが、見つからないのならどうしようもない。
とはいえ、しばらくは治療を受ける羽目になりそうだが。
「それでじゃな、エヴァンジェリン」
「あん?」
「お主を襲った者の容姿等、分かる事を教えてほしいのじゃが……」
「却下だ。アレは私が殺すと言っているだろう」
「……の割には随分と冷静じゃのう」
「血が抜けて冷静になってるだけだ。腸煮え繰り返る思いだよ」
そして、また殺気が漏れだす。
ソレを宥め、次の話題へ。流石に十四年も一緒にいるだけあり、性格は分かっている。
「別の質問じゃ。何故あの時桜通りにおった?」
「侵入者の撃退だ」
「嘘はいらん。倒れている女子生徒の首筋に噛まれた跡があった」
チッ、と舌打ちする。
流石に誤魔化しきれないと悟る。
「血を吸ったよ。偶然通りかかった女子生徒の血をな。侵入者との戦闘で負けそうになったから魔力の補充をする為にな」
真実は語らない。
あの場を見ている者はいなかった。ならば、これでも通用するだろう。
「……ふむ、取りあえず納得しておこうかの」
そう言って、瀬流彦教員を連れて出て行く。
(……いつか、必ず)
殺しつくしてやる。憎悪を抱き、そう誓う。