第五十一話:休日・前篇
修学旅行が終わった次の日。
私は何をするでもなく、ベッドの上でまどろんでいた。
やる事も無い上に、修学旅行で少し疲れた。休みたいと思うのは間違っていない筈だ。と言う訳で二度寝しよう。
そう思って布団を被り直した時、零が私のベッドの方を覗き込んできた。
「まだ寝てたのか。もう九時だぞ?」
「いいじゃねーか。休みなんだし、寝て過ごす位してもいいだろ」
「平日でも潤也のモーニングコールが来ないと起きない癖に、良く言う」
「それを言うんじゃねぇ!」
ベッドから起き上がって零に突っ込む。いや、確かに私が起きる時に丁度電話がかかってくるんだけどさ。だからって潤也からモーニングコールが来ないと起きないって事は……。
「前に一度、モーニングコールが来て無いから今日は休みだろ、って勘違いしたのはどこの誰だ」
「だぁぁぁ! 言うなっつーの!」
思い出させるな! あれ私の中で結構黒歴史になってんだから!
「ほら、突っこんでたら起きただろう。掃除するから起きて着がえろ」
「突っ込ませたのはどいつだよ……」
家庭的な事しやがって……いや、助かってはいるんだが。
二段ベッドの上から降りて、テーブルの方を見てみる。ちゃんとした朝食が用意されており、手間暇かけて作ったであろう事が分かる。というか、家事スキル高過ぎるだろう、コイツ。
潤也に叩き込まれたらしいが、和洋中全部作れるってどういう事だよ。大抵のものならリクエストしても作ってくれるし。
朝食を食べる。美味いのがまた悔しい。私はこういうの作れないからなぁ。作れた方がいいんだろうけど、やる気が出ない。
十分位で朝食を食べ終わり、水に浸けておく。零を見てみれば、布団を干していた。……本格的に主婦(?)だよな。
私服に着替え、今日はどうしようか考える。特に予定は無いし、ホームページの更新は……後でやるとして。
買い物をしようにも、最近結構買い過ぎてる気がするから自重しよう。後何があるかと言うと……図書館島にでも行くか。
偶に本を借りに行くし、返す予定の本もあった筈だ。
そうと決まれば後は行動あるのみ。借りていた本を探し出し、靴を履いて部屋から出ていく。
「昼飯までには帰ってくるように」
「お前は私の母親か」
行く直前にそんな言葉を掛けられ、反射的にそう返事をした。エプロンと三角巾着せて、手にハタキとか持たせてみたい。
洗い物をし始めたのだろう。水を流す音が、扉を閉める前に聞こえた。
●
図書館島。麻帆良最大の蔵書量を誇るデカイ図書館で、滝があったり地下があったりと、結構トンデモアトラクション揃いの図書館。
私は絶対地下にはいかないけどな。怪我とかしたくないし。
中学に上がる際に『図書館島探検部』に入らないかと木乃香に誘われたものだが、大して運動能力が高くないと自負している私にとって、こういった体を使う部活はしたくない。
とはいえ、宮崎なんかも似たようなモンだとは思うが。やっぱりアトラクションどまりなのか?
いやでも、何度か擦り傷とか切り傷とか作って戻って来た時もあったみたいだしなぁ。綾瀬曰く、慣れればそこまで危険でも無いらしいが、慣れて無いと危険なのかよ。そんなとこ中学生が入れるようにすんなよ学園。
そんな事を思いつつ、カウンターで返却手続きを済ませて新しく読む本を探す。
休日だが午前中と言う事もあり、人は割と少ない。あんまり広過ぎるんで、結構な人数が居ても少ないと感じてしまうだけかもしれないが。
それでも、いつもの休日と比べると少ない気がする。
まぁ別に問題がある訳でも無いので、適当に本を探しつつ歩き回る。
今日は図書館島探検部の連中は別の場所で活動してるらしく、ここにはいないらしい。修学旅行の次の日まで部活って……部活熱心だよな。
今度借りる本は少し趣向を変えてみようと思い、少し奥の方へ足を運ぶ。
奥へ行くほどに人はまばらになり、殆ど見かけなくなる。……なんかあんのか? ここまで人が少ないのは始めてなんだが。
キョロキョロと周りを見渡しつつ、本を探す。
だが、視界に入ったのは本では無く、ベンチで寝ている一人の人物。
赤い髪が特徴的なそいつは、本を顔に被せて寝ており、鼻から上が見えない。が、私にとっては其処まで見えていれば誰か特定するのは容易い。
近づいてみてみると、右腕は腹の上に置かれ、左腕はだらりと垂れていて、足は交差させて膝から下を曲げている。
寝息を立てて胸を上下させている辺り、随分とぐっすり寝ている様だ。
「潤也」
本を取って小さく呼びかけて見ても、寝息を立てるだけで返事は返って来ない。本当に寝てるみたいだ。
大抵私が呼びかけるとすぐ起きるし。
しゃがんで頬を突いてみても、起きる気配は無い。つねっても起きない。意外と頬は柔らかかった。
しばらくジッと見ていも、起きる気配は無い。ちなみに寝たふりをしていると唾液を飲み込む動作で分かるらしい。寝てると唾液がでないから、唾液を呑み込んだらそいつは寝たふりしてると言う訳。
っていうのを前に潤也自身から聞いた。雑学好きなんだよな、潤也。
しかし、何でここで寝てんのかね。部屋で寝てたけど五月蠅かったからここに来たとか、そう言うオチか?
しばらく起きる気配は無く、周りに人は全く見当たらない。
……慰労の意を込めて、何かしてやろうか。修学旅行ではなんかいろいろ大変だったみたいだし。
とはいえ、寝てるこの状況で何が慰労に繋がるのか、って話になる訳で。このまま寝かせてたらそれが慰労じゃね? って気はしないでも無い。寝たいから寝てる訳だろうし、やりたい事はやらせてやるのが良いとは思う。
私は何もして無い事になるけどな。
……やっぱ、あれか。膝枕とか、やるべきか?
いやでも……うん、相手は潤也だしな。別に妹が兄に膝枕しててもおかしくは……いや、おかしいか。膝枕の時点でアレだもんな。
これが神楽坂辺りなら迷わず膝枕しそうなものだが……。
…………。
周りを見渡し、誰もいない事を改めて確認する。……本当に誰もいないよな? 居たら赤面じゃすまないぞこれ。
若干頬が赤くなってると言う事は自分でも予想がつく。というか触ると少し熱い。
立ち上がってベンチの端の方へ行き、もう一度回りを確認してから、潤也の頭を上げてベンチと頭の間に太腿を挟み込む。
脚に髪がかかってくすぐったいが、特に気になる訳でも無い。
乗せたは良いが、ここからどうしよう。何も考えて無かったが、このままじゃ私動けないんだよな。本を探してからすれば良かった。
髪を梳いたり、私より白い肌をぷにぷにとつついたり。何でこんなに肌白いんだよコイツ。羨ましい。
微妙に頬が緩むのが分かる。何かに勝ったような気分だ。
潤也の寝顔なんてほとんど見た事無いし、なんか新鮮だ。小さい頃から二人一緒に寝る事なんて殆ど無かったし。
髪をオールバックにしてみたりと弄って遊んだり。特にやる事も無いからやってみたが、意外と似合ってた。
次はどうしてやろうかと思い始めた時、潤也の顔を良く見てみると笑っている様だった。
そこまでなら「何か楽しい夢でも見てんのかな」で済むんだが、喉が何かを飲み込んだ時の様にゆっくり動いた。……こいつ、起きてやがる。
寝たふりをしていると言う事が分かったので、思いっきり頬をつねってやった。
「痛い痛い。何すんだよ、千雨」
「お前、いつから起きてた?」
潤也の言葉を無視し、質問する。顔を両手で固定し、目を見るが、潤也は思いっきり目を逸らして、
「……今さっき?」
「アウト」
両側の頬を同時に引っ張り、伸ばす。潤也の頬は柔らかいから意外と伸びる。
というか何で疑問形なんだよ。クエスチョンマークがある時点でアウトに決まってるだろ。
「本当はいつからだ?」
「…………千雨が俺の名前を呼んだ辺りから」
ほぼ最初からじゃねーか! って事はアレか、膝枕し始めた時もコイツ起きてて分かってたのか。
それが分かると、一気に顔が赤くなる。恥ずかしいじゃすまねーぞ、これ。
「どうした? そんなに顔を赤くして」
理由が分かっているであろう潤也は、私の顔をニコニコしながら見てくる。分かってるなら聞かないで欲しいんだが。本当に。切実に。
取りあえず潤也の頭の下から脚を引き抜く。頭を軽く上げて、脚を横に動かして抜けた。そしてそのまま手を離す。
「いだっ」
ゴン、と鈍い音を立てつつベンチに頭をぶつける潤也。そっと置いて貰えるとでも思ったか。
「もちっと丁寧に扱ってくれよ。後パンツ見えてるぞ」
ベンチに寝た状態のまま、顔をこちらに向けている潤也の鼻っ柱に一発拳を叩きこみ、数歩離れる。
潤也はそのまま鼻を押さえて身悶えており、痛みを我慢してるらしい。下着が見えるからってストレートに言う辺り、我ながらどうにかならないのかと思う。
痛みから復帰した潤也は身を起してベンチに座り直し、首を鳴らす。そりゃこんな堅い木の上で寝てたら首も痛くなるし、肩も凝るだろうさ。
「あー、痛かった。しかし、千雨が膝枕した時は驚いたよ。どうしたんだ?」
「……いや、なんていうかさ。こう、慰労的な意味を込めてだな……修学旅行でなんかいろいろ頑張ってたみたいだし」
顔が赤くなるのが分かるので、そっぽを向きつつ話した訳だが……何でそんなニコニコしてるんだろうか。潤也の奴。
「……なんだよ」
「ん? いやいや、ウチの妹は可愛いなぁ、と思って」
ちょっと睨んでみたら笑顔で返された。後、自分の行動と潤也の言動で頭がパンクしそう。
主に私がやった膝枕とか、さっきの潤也の言葉とか。
「俺の事を労ってくれる数少ない一人だからな。俺の同室のバカどもは知らないからというのもあるが、昨日の夜から徹夜で格ゲー大会しだしてるもんで。満足に寝る事さえ出来なかったぜ」
まぁ途中で椙咲の部屋に移って寝たんだけどな、と続ける。
……修学旅行から帰って来たその日の夜に格ゲーの大会かぁ……体力あるなぁ……。ちょっと落ち着いた、今の会話で。
ほれ、千雨も座れ。とベンチの隣を叩かれたので、素直に座る。間は虫一匹通れるならいい方じゃないだろうか、って位。
つまりは、ほぼ密着状態だ。
潤也は隣で本を読み始めた。それを横から覗いてみるが、内容はさっぱり分からない。
というか、言語からして分からない。何語だこれ。潤也にその質問をしてみると、
「ああ、これドイツ語だよ。ヒトゲノム計画っつー大仰な計画が最近終わって、それについての事を書いた本」
面白くねーから途中で寝てたけど。と続ける。
……昔っからだけど、よくそんな難しい本読めるよなぁ、潤也。
「……って、ドイツ語? お前ドイツ語読めんのか?」
「うん? 読めるし書けるし話せるよ」
……マジか。何時の間にそんな勉強したんだよ。というか、どうやって学んだ。ドイツ語なんて中学で習わねーだろ、普通。
「後はロシア語とかイタリア語とか、基本的な奴は大抵かな」
だって話せないと交渉とか出来ないし。と言う潤也。いや、確かにそうなんだろうけどよ。……マジか。
会社作ったのが小学校高学年の時だって言ってたし、つまりその時には既に話せるようになってたって訳で。
「……バグってんな、ホントに」
小学生とかの間は物覚えが良いらしいけど、流石に覚え過ぎだろう。外国語を覚える時、話すのと書くのは全く別らしいし。良くは知らない。だって私話せないし。
「そう言うなよ。生まれた時から知能系ステータス値MAXなだけだから」
「それがバグって言うんだよ。もしくはチート」
でも運動系はMAXじゃないのな。体育祭で椙咲と一位争ってたけど、結局負けてたし。濱面曰く喧嘩は素で強いらしいが。
潤也の素ってどんなもんなんだろうな。鍛えてるからそれなりに筋肉あるみたいだけど、握力とか気になる。
「手厳しいね、ホント」
潤也が笑いながらそう言う。本当に私と血が繋がってるのか疑いたくなる位の優秀さだからな。こいつの成績。
……まぁ、あれだ。血が繋がって無いなら、繋がって無いで別に良いんだけどな。うん。私は一向に構わないって言うか……。
……何考えてんだ、私は。
「んじゃあ、そろそろ行くわ」
潤也はそう言いながら立ち上がり、軽く腰や腕を回す。凄い音が鳴ってるんだが。
「どっか行くのか? 今日は日曜だぞ?」
「まぁね。ゆっくりしたいところだが、関西の後始末の方も報告聞かなきゃならないし」
そう言うのは簡単に言っていいものじゃないだろ。私に話していいのかよ。
「千雨が暇なら、昼過ぎ……そうだな、二時頃なら寮に戻ってるよ。来るなら来ていい」
今は何時だと思って時計を見てみれば、まだ十時過ぎだ。今から仕事かよ、えらく重役出勤だな。
「四時間近く仕事か。大変だな、潤也」
「そうだなぁ……誰かに押しつけるか。俺も仕事の所為で千雨達との時間奪われたくないしなぁ」
そう言いつつ、何か考え込む様な顔をする。自業自得だろ、会社作ったの自分なんだし。
「ま、さっさと終わらせる為に頑張ってくるよ」
それだけ言って、歩いて何処かへ行った。フラフラしてたのは後頭部を打ったからか。若干悪いことしたと思わない事も無いかもしれない。でも潤也だし、大丈夫だろ。
私はベンチからゆっくり立ち上がって、もう一度読む本を探しに図書館島を回り始めた。