第四夜:ノアズメモリー
ヨーロッパ、某所。
少女は町を歩いていた。普通ならば、親と共に買い物にでもしに来たと思うだろう。だが、服装からしてそれは無いと周りの者は思う。
あまりにもボロボロの服。綺麗な金髪は余程長い時間洗っていないのか、触ればべたつく程油が付いている。
額には、何かを隠す様にして包帯が巻かれており、その合間からは血が滲んでいるのが分かる。
肌も元は綺麗なのだろうが、疲労か心労か、荒れ切った肌を見るとお世辞にも綺麗とは呼べない。
その背中にはいくつかのバックと一体の人形。女の子が持っていても不思議では無い、どこにでもある様な人形だ。
少女はぼろい宿屋にお金を払い、二階に上がって部屋に入り、バックと人形をベッドの上に放り投げる。
「オイオイ、モウ少シ丁寧ニ扱ッテクレヨ、ゴ主人」
「疲れてるんだ。多少は大目に見ろ」
酷く疲れた様子でベッドの上に寝転び、軽く背伸びをして天井を見つめる。
「……魔法、か」
手に付けた指輪を見つつ、そう呟く。
少女の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。『闇の福音(ダークエヴァンジェル)』等の異名を持つ真祖の吸血鬼だ。
ここ数日。連続して賞金稼ぎの連中から襲われている。居場所がどこかから漏れている可能性もあるが、連れは従者である人形のチャチャゼロのみ。何処から漏れているのか分からない。
会う度に戦闘し、殺して来た。ほんの二百年位前までは領主の娘として何不自由なく過ごせていたと言うのに、今の環境を思って笑ってしまう。
最初は吸血鬼の膂力で殺して来た。だが、膂力では敵わないと悟った人間達は、魔法という武器を持ち出して来た。
それらを撃退しつつ、奪った本や道具で魔法の事を学び、数十年を過ごして来た。
アリアドネーなどに行って学んだおかげで魔法もかなり扱えるようになり、今までよりマシな生活になったが、逃亡生活である事に変わりは無い。
しかも、最近では別の問題が現れつつある。
「痛 っ……」
包帯を巻いた頭を押さえる。痛みに耐えながら壺に用意していた水を使って、水面に映る顔を見る。
聖痕。スティグマとも呼ばれるこれは、十字架の形をした傷が七つある。神の子の証である聖痕が、魔女だ何だと言われる憎むべき吸血鬼に現れるとは皮肉なものだと、エヴァンジェリンは笑う。
ここ最近。二週間程度だが、ずっとこの調子が続いているのだ。原因は分からない。
二週間前の事を思い出しても、敵と戦闘した事や、珍しい黒髪の少年と少し話した位だろうか。少年の事は、理由は分からないが何故か頭に残っている。
戦闘中に痛みが来る事もあり、やられそうになった事も一度や二度では無い。
全身を襲う痛みで頭がくらくらする。まるで、体の内部が造りかえられているかのような気分になってくる。
常に、体の中に誰かがいる(・・・・・・・・・)様な気分になる。
「大丈夫カ? ゴ主人」
「……大、丈夫だ。問題は、無い」
痛みはゆっくり引いて行く。水に映った額を見れば、先ほどよりもハッキリとした形で表れている十字架の聖痕。
吸血鬼は圧倒的とも言える回復力を持っている。だが、この聖痕に関しては傷が回復しない。
「……一体、何故こんなものが現れたんだろうな」
疑問が頭の中を渦巻く。聖痕とは神の子の証。なら、文字通り神の気紛れか、等と考えてみる。無駄だと分かりつつも、考えずにはいられない。
これがあれば、聖職者たちは聖女だと囃し立てるかもしれない。もしそうであったとしても、エヴァンジェリン自身にそんな事をやる気は毛頭ない。
当然だ。今まで吸血鬼だと言うだけで殺されかけてきた。聖痕があるだけで聖女と言われ、敵だった者から崇められるのは気持ち悪くて仕方がない。
夜中に痛み、寝れない事もある。この聖痕、完全に発現したらどうなるんだろうな。と、好奇心がくすぐられるのが分かる。
痛みを与えるだけ与えて、何も無いのだったら興醒めもいい所だ。
取りあえずはゆっくり休もうと思い、ベッドに横になったまま目を瞑った。またも来るであろう悪夢を思い、憂鬱になりながら。
●
唐突に目が覚める。理由は分かり切っている。今までずっと受け続けた負の感情、敵意や悪意を感じ取った。
「チャチャゼロ!」
「分カッテルゼ、ゴ主人!」
必要最低限の物を入れているバックを手に取り、部屋から転がり出る。
瞬間、先ほどまでいた場所が攻撃された。
派手な音を立てて壁をぶち抜き、木で出来た家具などを破壊しながらも、攻撃は止まない。
エヴァンジェリンはその間に一階に降りて、外の様子をうかがう。
敵の数は暗い事と建物の影になっている事があり、完全に把握は出来ない。だが、そのような状態でも今まで何度かやってきている。
「砲撃が止んだ。恐らくは乗り込んでくるだろうな。チャチャゼロ」
「一気ニ全部殺シチマエバイインダロ?」
「そうだな。女子供は出来るだけ殺したくないが、場合によっては殺せ。私も命は惜しい」
体の調子を考えつつ、外の連中から目を離さない様にして会話を続ける。
死にたくは無い。幾ら吸血鬼になったからと言って、死にたい訳でも無い。生き物として当然の様に生への欲求は存在するのだ。
容赦はしない。敵が自分を殺しに来ているなら、自分が敵を殺しても何もおかしくは無いと、そう思っている。
「……よし、来る──」
瞬間、響き渡る銃声(ダダダダダダダ!!)。
「──何?」
驚きで動きが止まる。
数秒と経たないうちに、体を打ち抜かれた魔法使い達は次々に砕けていく。これは、みた事がある。この現象を起こせるのは──
「AKUMA、か。面倒なのがいるな」
AKUMA自体は世界にほとんど知られていない。理由は単純、今現在世界には通信機器も無ければ迷信が当然の様に信じられている時代だ。
病気を悪魔の仕業だと言ったり、信仰心が無ければ悪魔にとりつかれるなどとも言われていた時代。そもそもAKUMAの存在自体、知られる事の方が少ない。
何故なら、見た者はほぼ例外なく死んでいる。これでは知り様がない。
イノセンス保持者ならばあるいは生き残り、AKUMAの存在を知らせる事が可能かもしれないが、それをしようとはしていない。無用な混乱を避けるために。
故に、知られない。
「少々面倒だが、破壊するか──」
ドクン、と。体の異変を感じ取る。
「く、そ。こんなときに……」
額を抑える。全身に痛みが走っていて、くらくらして立ち上がれない。魔力もうまく練れず、思考する事さえままならない。
今までとは感覚が違う。今まではこんなことにはならなかった。ここまで酷くは無かった。
どうにかして立ち上がろうとするが、体の感覚が無い。立っているのか、倒れているのか、それさえ判断できない。
「オイ、ゴ主人!?」
チャチャゼロの声が聞こえる。だが、理解出来ない。何を言っているのか分からない。
あまりの痛みに、意識を手放しそうになる。だが、AKUMAが近くにいる状態でそれは自殺行為に近い。気付かれていないとはいえ、このままいなくなってくれるとも限らないのだ。
そう、無理矢理頭を働かせて思考し、壁に手をついて何とか立ち上がる。足は震えているが、それでもAKUMAを見て何とかしようと思った時。
「大丈夫ですヨ」
誰かの声が聞こえた。
目の前にいたのは、肥満体形の男。シルクハットと大きく開かれた口が特徴的な奇妙な人物。
「メモリーが完全に覚醒するまでもう少しですカ。まぁ、もう大丈夫でしょウ」
「この子が新しいノア様レロか? 伯爵タマ」
「そうですヨ。レロはちょっとこの人形を抑えてなさイ。刃物を向けられていて危ないですからねェ」
チャチャゼロと睨み合っているかぼちゃの様な頭がある傘。
そこまで分かった所で、エヴァンジェリンの意識は闇に落ちた。
●
ゆっくりと、目が覚めた。
ベッドの上に寝かされているが、自分でここまで来た記憶が無い。起き上がって周りを見れば、チャチャゼロが傍にいた。
椅子に座っているのは、奇妙な姿の男。そして、男を指差そうとして自分の腕を見て、驚く。
昨日までは白く陶器の様だった肌が、灰色に変わっている。これで驚くなという方が無理だろう。
「おや、目覚めましたカ?」
「……お前は、誰だ?」
エヴァンジェリンは質問しながらも、|答えは既に分かっていた(・・・・・・・・)。
「千年伯爵ですヨ。久しぶり、|兄弟(・・)」
「千年、伯爵……」
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。貴女は神が生み出した十三の子の一人。ノアの遺伝子を持った使徒なのですヨ」
正確に言えば、全人類はノアのメモリーを持っている。人類は全てノアの子供。その遺伝子を受け継いでいる為、誰でもノアと成り得る。
ノアの大洪水によって一度滅んだ人類。そして、十二人のノア達は第二のアダムとなった。故に、人類は皆ノアの遺伝子を受け継いでいる。
伯爵は任意の人物の遺伝子に存在するメモリーを、強制的に目覚めさせることが出来るのだ。
一つの時代に覚醒出来るのは各々のメモリーで一人のみだが、彼らはずっとイノセンスと戦い続けてきた。
ノアが転生しようとする理由は一つ。『千年伯爵を守るため』。
死んだノアは灰となり、消える。メモリーそのものは誰でも持っている為、いなくなってもまた覚醒させれば良いだけの話だ。無論、多少なり資質の問題が出てくるが、そこら辺は無視しても問題無い。
現にエヴァンジェリンは"色"のメモリーと相性はいいが、ノアとしての資質は無い。強制的に目覚めさせても、能力に大した違いは無いのだ。
「ノア、か。なるほどな。この聖痕はその証という訳か」
「そうでス。ノアの一族である証。君の保有するメモリーの名は『色 』でス」
「『色 』……初めて耳にする響きなのに、なんとも懐かしいな」
体を動かし、問題が無い事を確認する。そのまま立ち上がり、窓を開けて朝日を浴びつつ千年伯爵の方を向く。
「それはあなたが保有するメモリーの本当の名だからですヨ。能力は分かっているでしょウ?」
「ああ、頭の中でやり方が分かる」
そう言い、能力を発動させる。
体の表面が液体の様に変化し、そのまま形を変えて、固形化する。
「『万物への変身』。ありとあらゆるものに変身する事が出来る。これが私の能力か」
八頭身のグラマラスな体。元の体をそのまま大人にしたかのような容姿で、朝日を受けて輝く金髪はとても美しい。
金髪と相反する様だった灰色の肌は白く染まり、額の聖痕は消える。
「ふむ。聖痕を消しても姿は戻らないのか」
手の感触や胸のソレを確かめつつ、そんなつぶやきを漏らす。
「まぁ、これからよろしく。兄弟」
そう、笑いながら伯爵に手を差し伸べた。
●
方舟の中。
「ほぉ、これが方舟 か」
「欲しいなら部屋も用意するけど。どうする?」
伯爵は何処かの貴族の様な服を着て、元の姿で方舟の中を歩いていた。
エヴァは風呂に入って髪などを洗い、高級そうなドレスを着ている。チャチャゼロはレロと共に別室にいる。
「というか、性格変わり過ぎだろう、千年公」
「あっちの方が何かと便利なんだよ。この姿になればあっちとは共通点が少ない。だからバレにくい。姿を曝すのは得策とは言えないからね」
いろいろな面で。と続け、部屋の一つに入る。
そこには三人のノア。暇そうにトランプで遊んでいる。
「あ、千年公。そっちのは誰?」
「新しいノアだよ。吸血鬼でノアだ」
「吸血鬼? ってアレか、血を吸うって奴?」
「まぁ、私は真祖だから血を吸う必要はあまりないがな。これからよろしく、兄弟」
「もっちろんだぜ。よろしくな、兄弟!」
出しっぱなしにしてるトランプを片付けながら立ち上がり、全員方舟を出る。
場所は魔法世界。ウェスペルタティア王国、オスティア。正確にはその近くで、全員正装している。
伯爵は目的地を確かめて歩き始め、ノア達はそれに続く。
「どこに行くんだ? 千年公」
「オスティア王家の城さ。パーティの招待状があるし、一応貴族としての顔も効かせておかないといけないからね」
資金的な意味合いや、それ以外の意味もある。貴族に顔を効かせておくと意外な所で役に立つものだ。
魔法世界でも、旧世界でも、権力のある者と顔見知りというのは中々プラスに働く。
「オスティア王家。そんなところにも繋がりがあるのか?」
「まぁね。いろいろと根回しをするのが疲れたけど、一度繋がりを持ってしまえば後は簡単だ」
ウェスペルタティアは長い歴史と伝統を持つ王国だ。後の事も考えると、繋がりを持って置いて損は無い。
帝国と元老院はフィードラの能力で監視しているから、特につながりが必要とは思えない。今最も必要としているのはアリアドネーとの繋がりだ。
「アリアドネー総長。後はアリアドネーの名門と呼ばれるセブンシープ家の当主も来ている。旨く行けば幾らか繋がりが持てるだろうね」
「でもよー。何でそんなのが必要なんだ?」
「後々必要になるだろうからね。魔法世界の今後の事も考えると、アリアドネー程の魔法含むいろいろな情報が得られる場所はそう無い」
魔法世界の崩壊。現在の時間から考えれば大凡四百年後だが、それまでに何とかしなくてはならない。
AKUMAを作るのにここまで戦争をコントロールしやすい場所も無いし、何よりも伯爵自身の手で終わらせなくてはならない。
それは願望であり、渇望。
放っておいても勝手に消滅するのは、旧世界の人間とて同じだろう。いつかは滅ぶ。だが、自身の手で終わらせる事に意味がある。
「ふーん。そんなもんか」
「というか、それ私が行っても良かったのか? 多少キッチリとした動作は出来るが、自信は無いぞ」
「ああ、問題無いよ。殆ど一人に任せるつもりだし」
「じゃあ何で俺ら連れてきたんだよ、千年公」
「多少慣れさせておかないと、君等ももしかすると社交界デビューとかするかもしれないしね」
他のノアはともかく、エヴァは吸血鬼だ。今後こういう機会があれば出て貰う可能性は大いにある。
長命な種族という者が存在する上に、姿を変えればバレ無いのだから。これほど都合がいい者も無い。
「社交界とか、俺らには合わないと思うけどな」
「顔を効かせておくだけでいいんだよ。後々使えるからね」
ノアとして活動するときは額に聖痕が浮かび上がる。多少似ていても、別人だと思われるだろう。
「しばらくはAKUMAを増やしつつ、魔法の勉強だ。エヴァにも手伝って貰うよ」
「構わないさ。それが必要な事ならな」
もうしばらくは魔法を学んでノア達の戦力の底上げ。後は魔法世界の魔力をどうするかが問題だ。
四百年ある。少しずつ考えていくしかない。イノセンスの事も忘れるわけにはいかないが、現状では問題は無いだろう。
ゆっくりと、進めていけばいい。
ヨーロッパ、某所。
少女は町を歩いていた。普通ならば、親と共に買い物にでもしに来たと思うだろう。だが、服装からしてそれは無いと周りの者は思う。
あまりにもボロボロの服。綺麗な金髪は余程長い時間洗っていないのか、触ればべたつく程油が付いている。
額には、何かを隠す様にして包帯が巻かれており、その合間からは血が滲んでいるのが分かる。
肌も元は綺麗なのだろうが、疲労か心労か、荒れ切った肌を見るとお世辞にも綺麗とは呼べない。
その背中にはいくつかのバックと一体の人形。女の子が持っていても不思議では無い、どこにでもある様な人形だ。
少女はぼろい宿屋にお金を払い、二階に上がって部屋に入り、バックと人形をベッドの上に放り投げる。
「オイオイ、モウ少シ丁寧ニ扱ッテクレヨ、ゴ主人」
「疲れてるんだ。多少は大目に見ろ」
酷く疲れた様子でベッドの上に寝転び、軽く背伸びをして天井を見つめる。
「……魔法、か」
手に付けた指輪を見つつ、そう呟く。
少女の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。『闇の福音(ダークエヴァンジェル)』等の異名を持つ真祖の吸血鬼だ。
ここ数日。連続して賞金稼ぎの連中から襲われている。居場所がどこかから漏れている可能性もあるが、連れは従者である人形のチャチャゼロのみ。何処から漏れているのか分からない。
会う度に戦闘し、殺して来た。ほんの二百年位前までは領主の娘として何不自由なく過ごせていたと言うのに、今の環境を思って笑ってしまう。
最初は吸血鬼の膂力で殺して来た。だが、膂力では敵わないと悟った人間達は、魔法という武器を持ち出して来た。
それらを撃退しつつ、奪った本や道具で魔法の事を学び、数十年を過ごして来た。
アリアドネーなどに行って学んだおかげで魔法もかなり扱えるようになり、今までよりマシな生活になったが、逃亡生活である事に変わりは無い。
しかも、最近では別の問題が現れつつある。
「
包帯を巻いた頭を押さえる。痛みに耐えながら壺に用意していた水を使って、水面に映る顔を見る。
聖痕。スティグマとも呼ばれるこれは、十字架の形をした傷が七つある。神の子の証である聖痕が、魔女だ何だと言われる憎むべき吸血鬼に現れるとは皮肉なものだと、エヴァンジェリンは笑う。
ここ最近。二週間程度だが、ずっとこの調子が続いているのだ。原因は分からない。
二週間前の事を思い出しても、敵と戦闘した事や、珍しい黒髪の少年と少し話した位だろうか。少年の事は、理由は分からないが何故か頭に残っている。
戦闘中に痛みが来る事もあり、やられそうになった事も一度や二度では無い。
全身を襲う痛みで頭がくらくらする。まるで、体の内部が造りかえられているかのような気分になってくる。
常に、体の中に誰かがいる(・・・・・・・・・)様な気分になる。
「大丈夫カ? ゴ主人」
「……大、丈夫だ。問題は、無い」
痛みはゆっくり引いて行く。水に映った額を見れば、先ほどよりもハッキリとした形で表れている十字架の聖痕。
吸血鬼は圧倒的とも言える回復力を持っている。だが、この聖痕に関しては傷が回復しない。
「……一体、何故こんなものが現れたんだろうな」
疑問が頭の中を渦巻く。聖痕とは神の子の証。なら、文字通り神の気紛れか、等と考えてみる。無駄だと分かりつつも、考えずにはいられない。
これがあれば、聖職者たちは聖女だと囃し立てるかもしれない。もしそうであったとしても、エヴァンジェリン自身にそんな事をやる気は毛頭ない。
当然だ。今まで吸血鬼だと言うだけで殺されかけてきた。聖痕があるだけで聖女と言われ、敵だった者から崇められるのは気持ち悪くて仕方がない。
夜中に痛み、寝れない事もある。この聖痕、完全に発現したらどうなるんだろうな。と、好奇心がくすぐられるのが分かる。
痛みを与えるだけ与えて、何も無いのだったら興醒めもいい所だ。
取りあえずはゆっくり休もうと思い、ベッドに横になったまま目を瞑った。またも来るであろう悪夢を思い、憂鬱になりながら。
●
唐突に目が覚める。理由は分かり切っている。今までずっと受け続けた負の感情、敵意や悪意を感じ取った。
「チャチャゼロ!」
「分カッテルゼ、ゴ主人!」
必要最低限の物を入れているバックを手に取り、部屋から転がり出る。
瞬間、先ほどまでいた場所が攻撃された。
派手な音を立てて壁をぶち抜き、木で出来た家具などを破壊しながらも、攻撃は止まない。
エヴァンジェリンはその間に一階に降りて、外の様子をうかがう。
敵の数は暗い事と建物の影になっている事があり、完全に把握は出来ない。だが、そのような状態でも今まで何度かやってきている。
「砲撃が止んだ。恐らくは乗り込んでくるだろうな。チャチャゼロ」
「一気ニ全部殺シチマエバイインダロ?」
「そうだな。女子供は出来るだけ殺したくないが、場合によっては殺せ。私も命は惜しい」
体の調子を考えつつ、外の連中から目を離さない様にして会話を続ける。
死にたくは無い。幾ら吸血鬼になったからと言って、死にたい訳でも無い。生き物として当然の様に生への欲求は存在するのだ。
容赦はしない。敵が自分を殺しに来ているなら、自分が敵を殺しても何もおかしくは無いと、そう思っている。
「……よし、来る──」
瞬間、響き渡る銃声(ダダダダダダダ!!)。
「──何?」
驚きで動きが止まる。
数秒と経たないうちに、体を打ち抜かれた魔法使い達は次々に砕けていく。これは、みた事がある。この現象を起こせるのは──
「AKUMA、か。面倒なのがいるな」
AKUMA自体は世界にほとんど知られていない。理由は単純、今現在世界には通信機器も無ければ迷信が当然の様に信じられている時代だ。
病気を悪魔の仕業だと言ったり、信仰心が無ければ悪魔にとりつかれるなどとも言われていた時代。そもそもAKUMAの存在自体、知られる事の方が少ない。
何故なら、見た者はほぼ例外なく死んでいる。これでは知り様がない。
イノセンス保持者ならばあるいは生き残り、AKUMAの存在を知らせる事が可能かもしれないが、それをしようとはしていない。無用な混乱を避けるために。
故に、知られない。
「少々面倒だが、破壊するか──」
ドクン、と。体の異変を感じ取る。
「く、そ。こんなときに……」
額を抑える。全身に痛みが走っていて、くらくらして立ち上がれない。魔力もうまく練れず、思考する事さえままならない。
今までとは感覚が違う。今まではこんなことにはならなかった。ここまで酷くは無かった。
どうにかして立ち上がろうとするが、体の感覚が無い。立っているのか、倒れているのか、それさえ判断できない。
「オイ、ゴ主人!?」
チャチャゼロの声が聞こえる。だが、理解出来ない。何を言っているのか分からない。
あまりの痛みに、意識を手放しそうになる。だが、AKUMAが近くにいる状態でそれは自殺行為に近い。気付かれていないとはいえ、このままいなくなってくれるとも限らないのだ。
そう、無理矢理頭を働かせて思考し、壁に手をついて何とか立ち上がる。足は震えているが、それでもAKUMAを見て何とかしようと思った時。
「大丈夫ですヨ」
誰かの声が聞こえた。
目の前にいたのは、肥満体形の男。シルクハットと大きく開かれた口が特徴的な奇妙な人物。
「メモリーが完全に覚醒するまでもう少しですカ。まぁ、もう大丈夫でしょウ」
「この子が新しいノア様レロか? 伯爵タマ」
「そうですヨ。レロはちょっとこの人形を抑えてなさイ。刃物を向けられていて危ないですからねェ」
チャチャゼロと睨み合っているかぼちゃの様な頭がある傘。
そこまで分かった所で、エヴァンジェリンの意識は闇に落ちた。
●
ゆっくりと、目が覚めた。
ベッドの上に寝かされているが、自分でここまで来た記憶が無い。起き上がって周りを見れば、チャチャゼロが傍にいた。
椅子に座っているのは、奇妙な姿の男。そして、男を指差そうとして自分の腕を見て、驚く。
昨日までは白く陶器の様だった肌が、灰色に変わっている。これで驚くなという方が無理だろう。
「おや、目覚めましたカ?」
「……お前は、誰だ?」
エヴァンジェリンは質問しながらも、|答えは既に分かっていた(・・・・・・・・)。
「千年伯爵ですヨ。久しぶり、|兄弟(・・)」
「千年、伯爵……」
「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。貴女は神が生み出した十三の子の一人。ノアの遺伝子を持った使徒なのですヨ」
正確に言えば、全人類はノアのメモリーを持っている。人類は全てノアの子供。その遺伝子を受け継いでいる為、誰でもノアと成り得る。
ノアの大洪水によって一度滅んだ人類。そして、十二人のノア達は第二のアダムとなった。故に、人類は皆ノアの遺伝子を受け継いでいる。
伯爵は任意の人物の遺伝子に存在するメモリーを、強制的に目覚めさせることが出来るのだ。
一つの時代に覚醒出来るのは各々のメモリーで一人のみだが、彼らはずっとイノセンスと戦い続けてきた。
ノアが転生しようとする理由は一つ。『千年伯爵を守るため』。
死んだノアは灰となり、消える。メモリーそのものは誰でも持っている為、いなくなってもまた覚醒させれば良いだけの話だ。無論、多少なり資質の問題が出てくるが、そこら辺は無視しても問題無い。
現にエヴァンジェリンは"色"のメモリーと相性はいいが、ノアとしての資質は無い。強制的に目覚めさせても、能力に大した違いは無いのだ。
「ノア、か。なるほどな。この聖痕はその証という訳か」
「そうでス。ノアの一族である証。君の保有するメモリーの名は『
「『
体を動かし、問題が無い事を確認する。そのまま立ち上がり、窓を開けて朝日を浴びつつ千年伯爵の方を向く。
「それはあなたが保有するメモリーの本当の名だからですヨ。能力は分かっているでしょウ?」
「ああ、頭の中でやり方が分かる」
そう言い、能力を発動させる。
体の表面が液体の様に変化し、そのまま形を変えて、固形化する。
「『万物への変身』。ありとあらゆるものに変身する事が出来る。これが私の能力か」
八頭身のグラマラスな体。元の体をそのまま大人にしたかのような容姿で、朝日を受けて輝く金髪はとても美しい。
金髪と相反する様だった灰色の肌は白く染まり、額の聖痕は消える。
「ふむ。聖痕を消しても姿は戻らないのか」
手の感触や胸のソレを確かめつつ、そんなつぶやきを漏らす。
「まぁ、これからよろしく。兄弟」
そう、笑いながら伯爵に手を差し伸べた。
●
方舟の中。
「ほぉ、これが
「欲しいなら部屋も用意するけど。どうする?」
伯爵は何処かの貴族の様な服を着て、元の姿で方舟の中を歩いていた。
エヴァは風呂に入って髪などを洗い、高級そうなドレスを着ている。チャチャゼロはレロと共に別室にいる。
「というか、性格変わり過ぎだろう、千年公」
「あっちの方が何かと便利なんだよ。この姿になればあっちとは共通点が少ない。だからバレにくい。姿を曝すのは得策とは言えないからね」
いろいろな面で。と続け、部屋の一つに入る。
そこには三人のノア。暇そうにトランプで遊んでいる。
「あ、千年公。そっちのは誰?」
「新しいノアだよ。吸血鬼でノアだ」
「吸血鬼? ってアレか、血を吸うって奴?」
「まぁ、私は真祖だから血を吸う必要はあまりないがな。これからよろしく、兄弟」
「もっちろんだぜ。よろしくな、兄弟!」
出しっぱなしにしてるトランプを片付けながら立ち上がり、全員方舟を出る。
場所は魔法世界。ウェスペルタティア王国、オスティア。正確にはその近くで、全員正装している。
伯爵は目的地を確かめて歩き始め、ノア達はそれに続く。
「どこに行くんだ? 千年公」
「オスティア王家の城さ。パーティの招待状があるし、一応貴族としての顔も効かせておかないといけないからね」
資金的な意味合いや、それ以外の意味もある。貴族に顔を効かせておくと意外な所で役に立つものだ。
魔法世界でも、旧世界でも、権力のある者と顔見知りというのは中々プラスに働く。
「オスティア王家。そんなところにも繋がりがあるのか?」
「まぁね。いろいろと根回しをするのが疲れたけど、一度繋がりを持ってしまえば後は簡単だ」
ウェスペルタティアは長い歴史と伝統を持つ王国だ。後の事も考えると、繋がりを持って置いて損は無い。
帝国と元老院はフィードラの能力で監視しているから、特につながりが必要とは思えない。今最も必要としているのはアリアドネーとの繋がりだ。
「アリアドネー総長。後はアリアドネーの名門と呼ばれるセブンシープ家の当主も来ている。旨く行けば幾らか繋がりが持てるだろうね」
「でもよー。何でそんなのが必要なんだ?」
「後々必要になるだろうからね。魔法世界の今後の事も考えると、アリアドネー程の魔法含むいろいろな情報が得られる場所はそう無い」
魔法世界の崩壊。現在の時間から考えれば大凡四百年後だが、それまでに何とかしなくてはならない。
AKUMAを作るのにここまで戦争をコントロールしやすい場所も無いし、何よりも伯爵自身の手で終わらせなくてはならない。
それは願望であり、渇望。
放っておいても勝手に消滅するのは、旧世界の人間とて同じだろう。いつかは滅ぶ。だが、自身の手で終わらせる事に意味がある。
「ふーん。そんなもんか」
「というか、それ私が行っても良かったのか? 多少キッチリとした動作は出来るが、自信は無いぞ」
「ああ、問題無いよ。殆ど一人に任せるつもりだし」
「じゃあ何で俺ら連れてきたんだよ、千年公」
「多少慣れさせておかないと、君等ももしかすると社交界デビューとかするかもしれないしね」
他のノアはともかく、エヴァは吸血鬼だ。今後こういう機会があれば出て貰う可能性は大いにある。
長命な種族という者が存在する上に、姿を変えればバレ無いのだから。これほど都合がいい者も無い。
「社交界とか、俺らには合わないと思うけどな」
「顔を効かせておくだけでいいんだよ。後々使えるからね」
ノアとして活動するときは額に聖痕が浮かび上がる。多少似ていても、別人だと思われるだろう。
「しばらくはAKUMAを増やしつつ、魔法の勉強だ。エヴァにも手伝って貰うよ」
「構わないさ。それが必要な事ならな」
もうしばらくは魔法を学んでノア達の戦力の底上げ。後は魔法世界の魔力をどうするかが問題だ。
四百年ある。少しずつ考えていくしかない。イノセンスの事も忘れるわけにはいかないが、現状では問題は無いだろう。
ゆっくりと、進めていけばいい。