第七夜:大分裂戦争
ピアノの音が部屋中に響く。それに合わせ、ヴァイオリンの音が耳を撫でる。
二つの音が、時に激しく、時に穏やかに絡み合い、美しい音色を奏でていく。
「〜〜♪」
その音楽を、間近で聞いているのは一人の少女。
赤い髪とオッドアイが特徴的な、腰まである長い髪を降ろしている少女、アスナ。
そして──演奏が終わる。
パチパチと拍手を送り、演奏していた二人は息を吐いた。
「あー疲れた。慣れない事はやらない方が良いな」
「久しぶりなのに結構うまかったじゃないか。僕も久しぶりにピアノを弾いたよ」
「いつも方舟の"心臓"で弾いてるじゃないか」
「アレは"奏者の資格"があれば、歌を知ってるだけで誰でも弾けるんだよ」
金髪の女性──エヴァンジェリンは、疲れた様子で手のヴァイオリンを机にそっと置く。
ピアノを弾いていた青年、千年伯爵は守化縷 に珈琲を淹れさせ、椅子に座る。
「千年公って楽器弾くの上手いよね。ボクもやってみたいな」
アスナが伯爵の膝の上に座りながらそんな事を言う。
「やりたいならやってみると良い。私もヴァイオリンは千年公から教わったからな……というか、ストラディバリウスなんてどこで手に入れたんだ?」
「かなり昔に友人から貰ったものだよ。死ぬ間際に貰ったんだ」
守化縷の入れた珈琲に角砂糖を入れながら返答する。
ふぅん、とそっけなく返事し、エヴァもまた珈琲を口にした。口いっぱいに広がる苦みと風味、香りが、珈琲豆が上等なモノだと感じさせる。
「しかし、こんな事やってる暇はあるのか? 戦争は始まった。AKUMAを増やすには好都合だろう?」
「今はまだいいんだよ。それに今回はアスナの為の家族サービスさ」
いつもつまらない城の中にいるアスナの為の、特別コンサート。全く持って家族 思いだ。
「ボクも楽しかったよ。また聞かせて欲しいな」
「いつでもいいよ。何せ、家族だからね」
「ケケケ、家族ッテ言葉ヲ良ク使ウヨナ、千年公」
今までおとなしくしていたチャチャゼロが話し始める。手には刃物と砥石。ナイフを丁寧に研いでいる。
「マ、今更ダカラ特ニ何カアル訳デモ無インダケドナ」
ケケケ、と笑いながらチャチャゼロはそう言う。
「家族思いなのはいい事だろう? アスナは百年近く幽閉されてる身だしね。偶にはこういうのも悪くない」
投薬で体の状態を最善に保たせ、特殊な儀式で大量の生命エネルギーをアスナに移動させて寿命を延ばす。それがウェスペルタティア王国の影の部分だ。
アスナが"夢 "のノアで無ければ、今頃は何も無い場所に幽閉されて兵器として利用されていただろう。
当時のオスティア王がそれをさせまいとノアにするよう頼んだ訳だが、その力を使って大人の姿を見せようとは思わないらしい。
エヴァと違い、能力は変身する事では無い。だが、アスナの本体が住んでいる"夢"の世界からこちらの世界に現れるとき、姿は任意で変えられる。
例えば、人形の様な容姿になることだって可能なのだ。
自身の気に入った姿でこの世界に現れる事が出来る。イノセンスの攻撃を受けても、まともな攻撃では死ぬ事も無い。
「そろそろ戻らないと駄目かな。戦争が始まって、ボクの力を使うかもしれないって、よく様子見に来るし」
「というか、アスナ。ボクっていうの止めたらどうなんだ? 女の子だろう」
「千年公の真似だよ。良いじゃないか。ボクの自由意思だ」
エヴァは千年公の方を見た。その眼は何やらいろんな感情が混じっている様にも思える。
「……僕が教えました。ハイ」
両手を上げて降参のポーズ。自由意思などの言葉は千年公が教えたらしい。
「好きにしていいよって言ったら本当にこういう話し方になってたんだ。まぁ良いじゃないか。可愛いんだから」
頭を撫でながら、千年公はそう言う。
「可愛いんだから、ね。甘やかし過ぎるのもどうかと私は思うが」
どちらにせよ、子育てなどした事の無い二人だ。その辺の事はさっぱり知識が無いのだろう。
「じゃ、ありがとう千年公。またコンサート開いてよ」
「ああ、いつでもとはいかないが、言ってくれれば予定は開けておくよ」
その言葉にニッコリ笑ってから、アスナは膝の上から降りた。
数歩歩き、アスナの目の前に奇妙な形をした扉が現れる。扉はひとりでに開かれ、アスナは手を振りながらその中へと入る。
扉が勝手に閉まり、空気に溶ける様にして消えた。
「さて、僕も仕事と行こうか」
「ソラリス元老院の始末はどうするんだ?」
「ああ、そっちはケルベラスで始末させた事になってる。立会人もいたし、問題は無いよ」
AKUMAの擬態で潜り込んだ元老院。人数が多い分入り込みやすく、情報も得やすい。
その気になればエヴァも侵入する事は可能だが、数の多さと伯爵への情報供給のし易さという点からこの方式を取った。
始末された事になっているソラリス元老院議員はケルベラス峡谷に落とされ、死亡した事になっている。だが、AKUMAがたかが魔法や気を使えない場所で、強力な生物相手に戦って程度で死ぬはずもない。
今頃何処かで誰かを血祭りに上げている事だろう。
シルクハットをかぶり、方舟を通って、伯爵もまた部屋から出た。
●
コンコン、とドアがノックされる。
「いいぞ」
短く返し、手元の書類を閉じて、入って来た人物を見る。
腰まである長い金髪。白い肌にオッドアイというアスナに似た容姿を持つ女性、アリカ。
アリカは机に座ったままの男──アベルの場所へと近づき、一つの資料を出した。
「父上、これはどういう事ですか?」
「どういう事か、だと?」
その書類に記されているのは、『ウェスペルタティア王国の軍備増強について』という文面。
内容を見れば、ウェスペルタティアの軍事力を上げ、独立国として立ち上がる。というモノだ。
「これのどこが問題なのだ? 民の事を思えば当然だろう。この国は連合と帝国に挟まれた中立国なのだからな」
「中立国? これに書かれている事は、それとは違う事のように思えますが」
資料をめくれば、軍事力として連合から部隊が派遣されている事になっている。
これでは、帝国が『ウェスペルタティアは連合を受け入れたとして敵とみなす』事になる。帝国と連合に挟まれている以上、必ず何処かに戦火が降り注ぐだろう。
「仕方あるまい。私とてそれは本意では無いのだ。外にも内にも連合の兵が居る場所で、帝国の側にもつかず連合にもつかないと言ってしまえば、敵対行為は免れない」
アベルは溜息をつきつつ、アリカに説明する。
武力を行使しない脅し。中立国であったとしても、連合からすれば帝国と手を結ぶ可能性は捨てきれない。
場所が悪すぎる。連合と帝国に挟まれているこの場所では、どちらについても戦死者が出る可能性が非常に高いのだ。
だからこそ、自国の軍事力を上げるしか方法が無い。
「ですが、帝国がいずれ攻め入ってくるでしょう。それまでに軍事力を上げるのが間に合うのですか?」
「分からない。正直なところ、戦争に至るまでもう少し時間があるものだと思っていた」
軍事力の向上という案自体は前々からあった。帝国と連合の仲が悪くなり始めた頃、その間にいるウェスペルタティアは亜人も人間も住む国だからなのか、いさかいが起こる事も多かった。
戦争の前兆だと言い張り、軍事力を上げようとする者もいた。今となっては、その言葉が当たっていた事を証明させる。
「暫くは連合の駐屯地になるだろうな。食料事情や場所の問題もなんとかせねばならん。連合から多少資金は来ているが、あまり当てに出来るものではない」
「……父上。父上は、この戦争をどうお考えですか?」
「どう、とは?」
アリカの質問に、オウム返しに聞き返す。
「この戦争、始まり方が不自然な気がしてならないのです」
「……二週間前のソラリス元老院議員の事か」
あの事件が発生し、まず最初に帝国が求めたのはソラリスの身柄だった。亜人の子供を殺したとして、自分達の手で処刑させようとしたのだ。
だが、身内の事だと元老院が内々で決めてしまった為、帝国は連合に抗議した。
連合はそれを聞き入れず、謝罪こそしたものの、帝国の怒りは収まらなかった。いや、ハッキリ言ってしまえば、ソラリスを帝国の手で処刑したとしても無駄だっただろう。
連合の人間が亜人を認めない様に、帝国の亜人が人間を認めなくなった。
元々火種は燻っていたのだ。あっという間に戦火は広がり、小さなイザコザから大規模な戦闘にまで発展している。
「はい。戦火の広がり方があまりにも早過ぎます 」
本来、戦争をしようとしてもそう直ぐ始められるものでは無い。
兵、兵器、軍備や資金。戦争を始めるにはそれらが多く必要となり、多少なりとも準備期間がいる。
しかし、だ。
連合と帝国は、戦争を予期していた かのように、次々に兵を放っていろんな場所で戦っている。両軍には常に少なくない兵がいるだろうが、それにしたってあり得ない早さで始まっている。
あまりにも動きが速すぎる。戦争する事が分かっていたかのようだ。
実際に帝国と連合の仲を考えれば、冷戦状態で留まっていたとはいえ、いつ戦争が始まってもおかしく無かった。
それが、元老院の一人の仕業であっという間に戦火が広がっていく。これでは、まるでこうなる様仕組んでいたかのようだ。
「私もそれは違和感を感じている。だが、私達の立場では出来る事は少ない……せめて、外部に協力者でも居ればいいのだがな」
憂鬱だとばかりに溜息をつき、椅子に深く座り直す。
「……この戦争には、何か裏があるのではないのでしょうか?」
「アリカ。戦争に裏が無いわけがないだろう。……旧世界の事は知っているな?」
「はい。話には聞きました」
「旧世界ではな、新世界と違って何度も大規模な──それこそ、世界規模の戦争が起こっている。それらは全て『誰かの利益』の為に、流さなくてもいい血を流す。それが戦争というモノだ」
過ちを繰り返すだけで学ぶ事が無い。伯爵が手を引いているとも気付かず、何度も争いを繰り返すのみ。
「裏が無い戦争こそ、あり得ない事なのだ。何かしらの大規模な目的の為に誰かが始める争いこそが、戦争だよ」
「では、誰かが何かの狙いがあって始めたのが、この戦争だと?」
「ハッキリとは言えないがな。私はそう思っているよ」
後はお前が考えてみろ。そう言うと、アリカは納得した様子で部屋を出た。
一息つき、立ち上がる。
「立ち聞きとは趣味が悪いな、千年公」
「おや、気付いていましたカ」
部屋の隅、影の部分から出てきたのは千年伯爵。足音さえせず、気配にも気付けなかった為、アリカには分からなかった。
「随分面白い話しをしていたようですネ」
「まぁね。やはり私の娘だよ。こういう事には気付きやすい……ちなみに、あの子にノアの才能は?」
「ありませんヨ」
そう、と素っ気なく返事する。ノアの才能が無いのであれば、アベルにとって用は無い。どの道用が済めば彼にとってウェスペルタティアは不要だ。どうなろうと気にする事では無い。
肉親としての感情なら多少あるが、それと比べるとノアとの方が大きい。
戦争の被害は尋常では無い。まして、二つの巨大な勢力が争うともなれば、尚更。
ウェスペルタティアはその間に位置する。帝国と連合の間で、陸地で繋がる場所はここしかない為に必然的に戦争の被害が増える事になる。
グレート=ブリッジで繋がっているが、連合と手を組むならばここが生命線だろう。
勝とうと思うのならば、の話ではあるが。
「で、実際どの位被害が出ているんだ?」
「連合では既に百五十人以上、帝国はもう少し少ない位ですかネ」
「もうそんなに出ているのか?」
「両軍にAKUMAを忍び込ませて偶に狩らせてますしネ」
後ろから撃たれるのでは防ぎようがない。両軍に忍び込んでいるのなら情報操作も可能の上、Lv1に殺されれば死体が残らないので探しようも無い。
撃たれた方向から敵を探すと言う事も、戦場ではほぼ不可能だ。
「どの道この戦争は数年程度でしょう。吾輩達以外にも、裏で動くものが居ますシ」
「……『完全なる世界 』、だったか。私も一応あいつ等の一派に数えられているようだが?」
「そっちのほうが好都合でしょう。地位から考えて簡単に切り捨ても出来ない上、駒として使うにはある程度の情報が必要。敵の内部に潜ませて情報を奪うのはAKUMAを使った方が速いんですがねェ」
かなり神経質、というか信用していないだけだろうが、情報を幹部以外には殆ど流さない。というより、流れない。
その為、幾ら末端に潜ませようと同じなのだ。
「どちらにせよ、彼等が出るまで吾輩達も潜むだけです。くれぐれも迂闊な行動には出ない様にしてくださいヨ?」
「分かっているよ。この世界を作りだした『造物主 』の使徒と戦うのは御免だ」
戦闘力はある。だが、そもそも戦闘をしようという気が殆ど無い。戦えば十分強いのではあるが。
「暫くは様子見、か」
アベルは、静かにそう呟いた。
●
黒いローブを纏った男。仮面を付け、素顔が見えないその男は唯廊下を歩いていた。
手には資料。それを見ながら、何かを考え込むようにして歩いている。
「デュナミス」
後ろから声がかかった。こちらも黒いローブで覆われている為、素顔は見えない。
「我が主。どういたしましたか?」
振り向き、恭 しくお辞儀しながら問う。
「セクンドゥムの起動状態はどうだ?」
「現在では何ら不調はありません。ですが、まだ起動したばかりですので何とも」
「プリームムは?」
「既にエクソシスト本部に寄せられたいくつかのAKUMA情報を元に、討伐へ行っています。アートゥルとアダドーを連れて、です」
「……そうか」
静かに頷き、これからの事を考える。
予定では2 は起動させるつもりではなかった。だが、AKUMAの数は膨大だ。プリームム及び他の使徒達だけでは対処しきれないと判断した。
既に各国にいる適合者だけでは対処しきれていない状況にある。使徒達も使って破壊をしなければ、AKUMAは増える一方だ。
多少自分にも負担が来て先ほどまで休んでいたが、恐らくもう大丈夫だろうと判断する。
「我が主。やはりイノセンスの回収も急がせた方が良いのでは?」
「だが、アレがあるのは旧世界のみ。全部で五つの組織が探し回っている。今更私達が探し始めた所で、大して変わりはしないだろう」
それに、イノセンスだけを見つけても意味がない。そのイノセンスの適合者が必要だ。
「それに、私達が今対処するべきは戦争だ。これではまたAKUMAの数が増えてしまう」
「ソラリス元老院議員ですが、あの日前後で特に変わった所は無いようです。やはり『奴ら』に操られていたのでしょうか?」
「さぁな。私にもわからない」
戦争の始まり方に不自然さが目立つ。今までにも何度かこういった争いの類はあったが、どれもここまで不自然な事は無かった。
「……もしかしたら、誘っているのかもしれないな」
「と、言いますと?」
「奴等は私達の存在を知っていた。そして近い未来、私達が奴等にとって邪魔になるだろうと判断したのかもしれない」
造物主の使徒、特にアーウェルンクスシリーズの能力は最強クラスでも上位。イノセンス無しでLv3とさえ真正面から戦闘できる。場合によっては、Lv4とさえ真正面から戦闘出来るかもしれない。
だが、流石に何体もいればやられる可能性もある。油断は出来ない相手だ。
「……やはり、計画を成し遂げるしか方法は無い、か?」
小さく呟く。組織の名前でもある『完全なる世界 』。全ての人間を平等に救う夢の楽園。
新世界の魔力が枯渇する恐れが無い今、AKUMAごと世界を封じるために計画を進めていた訳だが、それも早くしなければ旧世界に流れるかもしれない。
造物主の目的はAKUMAの殲滅、そして千年伯爵の打倒。その後の魔法世界の魔力供給元を探す事。
「我々は主に着いて行くだけです」
「……そうか。ならば、世界を救ってやろうではないか。この世界を、千年伯爵などに好きにはさせない」
絶対に、伯爵をこの手で──と、誓った。
ピアノの音が部屋中に響く。それに合わせ、ヴァイオリンの音が耳を撫でる。
二つの音が、時に激しく、時に穏やかに絡み合い、美しい音色を奏でていく。
「〜〜♪」
その音楽を、間近で聞いているのは一人の少女。
赤い髪とオッドアイが特徴的な、腰まである長い髪を降ろしている少女、アスナ。
そして──演奏が終わる。
パチパチと拍手を送り、演奏していた二人は息を吐いた。
「あー疲れた。慣れない事はやらない方が良いな」
「久しぶりなのに結構うまかったじゃないか。僕も久しぶりにピアノを弾いたよ」
「いつも方舟の"心臓"で弾いてるじゃないか」
「アレは"奏者の資格"があれば、歌を知ってるだけで誰でも弾けるんだよ」
金髪の女性──エヴァンジェリンは、疲れた様子で手のヴァイオリンを机にそっと置く。
ピアノを弾いていた青年、千年伯爵は
「千年公って楽器弾くの上手いよね。ボクもやってみたいな」
アスナが伯爵の膝の上に座りながらそんな事を言う。
「やりたいならやってみると良い。私もヴァイオリンは千年公から教わったからな……というか、ストラディバリウスなんてどこで手に入れたんだ?」
「かなり昔に友人から貰ったものだよ。死ぬ間際に貰ったんだ」
守化縷の入れた珈琲に角砂糖を入れながら返答する。
ふぅん、とそっけなく返事し、エヴァもまた珈琲を口にした。口いっぱいに広がる苦みと風味、香りが、珈琲豆が上等なモノだと感じさせる。
「しかし、こんな事やってる暇はあるのか? 戦争は始まった。AKUMAを増やすには好都合だろう?」
「今はまだいいんだよ。それに今回はアスナの為の家族サービスさ」
いつもつまらない城の中にいるアスナの為の、特別コンサート。全く持って
「ボクも楽しかったよ。また聞かせて欲しいな」
「いつでもいいよ。何せ、家族だからね」
「ケケケ、家族ッテ言葉ヲ良ク使ウヨナ、千年公」
今までおとなしくしていたチャチャゼロが話し始める。手には刃物と砥石。ナイフを丁寧に研いでいる。
「マ、今更ダカラ特ニ何カアル訳デモ無インダケドナ」
ケケケ、と笑いながらチャチャゼロはそう言う。
「家族思いなのはいい事だろう? アスナは百年近く幽閉されてる身だしね。偶にはこういうのも悪くない」
投薬で体の状態を最善に保たせ、特殊な儀式で大量の生命エネルギーをアスナに移動させて寿命を延ばす。それがウェスペルタティア王国の影の部分だ。
アスナが"
当時のオスティア王がそれをさせまいとノアにするよう頼んだ訳だが、その力を使って大人の姿を見せようとは思わないらしい。
エヴァと違い、能力は変身する事では無い。だが、アスナの本体が住んでいる"夢"の世界からこちらの世界に現れるとき、姿は任意で変えられる。
例えば、人形の様な容姿になることだって可能なのだ。
自身の気に入った姿でこの世界に現れる事が出来る。イノセンスの攻撃を受けても、まともな攻撃では死ぬ事も無い。
「そろそろ戻らないと駄目かな。戦争が始まって、ボクの力を使うかもしれないって、よく様子見に来るし」
「というか、アスナ。ボクっていうの止めたらどうなんだ? 女の子だろう」
「千年公の真似だよ。良いじゃないか。ボクの自由意思だ」
エヴァは千年公の方を見た。その眼は何やらいろんな感情が混じっている様にも思える。
「……僕が教えました。ハイ」
両手を上げて降参のポーズ。自由意思などの言葉は千年公が教えたらしい。
「好きにしていいよって言ったら本当にこういう話し方になってたんだ。まぁ良いじゃないか。可愛いんだから」
頭を撫でながら、千年公はそう言う。
「可愛いんだから、ね。甘やかし過ぎるのもどうかと私は思うが」
どちらにせよ、子育てなどした事の無い二人だ。その辺の事はさっぱり知識が無いのだろう。
「じゃ、ありがとう千年公。またコンサート開いてよ」
「ああ、いつでもとはいかないが、言ってくれれば予定は開けておくよ」
その言葉にニッコリ笑ってから、アスナは膝の上から降りた。
数歩歩き、アスナの目の前に奇妙な形をした扉が現れる。扉はひとりでに開かれ、アスナは手を振りながらその中へと入る。
扉が勝手に閉まり、空気に溶ける様にして消えた。
「さて、僕も仕事と行こうか」
「ソラリス元老院の始末はどうするんだ?」
「ああ、そっちはケルベラスで始末させた事になってる。立会人もいたし、問題は無いよ」
AKUMAの擬態で潜り込んだ元老院。人数が多い分入り込みやすく、情報も得やすい。
その気になればエヴァも侵入する事は可能だが、数の多さと伯爵への情報供給のし易さという点からこの方式を取った。
始末された事になっているソラリス元老院議員はケルベラス峡谷に落とされ、死亡した事になっている。だが、AKUMAがたかが魔法や気を使えない場所で、強力な生物相手に戦って程度で死ぬはずもない。
今頃何処かで誰かを血祭りに上げている事だろう。
シルクハットをかぶり、方舟を通って、伯爵もまた部屋から出た。
●
コンコン、とドアがノックされる。
「いいぞ」
短く返し、手元の書類を閉じて、入って来た人物を見る。
腰まである長い金髪。白い肌にオッドアイというアスナに似た容姿を持つ女性、アリカ。
アリカは机に座ったままの男──アベルの場所へと近づき、一つの資料を出した。
「父上、これはどういう事ですか?」
「どういう事か、だと?」
その書類に記されているのは、『ウェスペルタティア王国の軍備増強について』という文面。
内容を見れば、ウェスペルタティアの軍事力を上げ、独立国として立ち上がる。というモノだ。
「これのどこが問題なのだ? 民の事を思えば当然だろう。この国は連合と帝国に挟まれた中立国なのだからな」
「中立国? これに書かれている事は、それとは違う事のように思えますが」
資料をめくれば、軍事力として連合から部隊が派遣されている事になっている。
これでは、帝国が『ウェスペルタティアは連合を受け入れたとして敵とみなす』事になる。帝国と連合に挟まれている以上、必ず何処かに戦火が降り注ぐだろう。
「仕方あるまい。私とてそれは本意では無いのだ。外にも内にも連合の兵が居る場所で、帝国の側にもつかず連合にもつかないと言ってしまえば、敵対行為は免れない」
アベルは溜息をつきつつ、アリカに説明する。
武力を行使しない脅し。中立国であったとしても、連合からすれば帝国と手を結ぶ可能性は捨てきれない。
場所が悪すぎる。連合と帝国に挟まれているこの場所では、どちらについても戦死者が出る可能性が非常に高いのだ。
だからこそ、自国の軍事力を上げるしか方法が無い。
「ですが、帝国がいずれ攻め入ってくるでしょう。それまでに軍事力を上げるのが間に合うのですか?」
「分からない。正直なところ、戦争に至るまでもう少し時間があるものだと思っていた」
軍事力の向上という案自体は前々からあった。帝国と連合の仲が悪くなり始めた頃、その間にいるウェスペルタティアは亜人も人間も住む国だからなのか、いさかいが起こる事も多かった。
戦争の前兆だと言い張り、軍事力を上げようとする者もいた。今となっては、その言葉が当たっていた事を証明させる。
「暫くは連合の駐屯地になるだろうな。食料事情や場所の問題もなんとかせねばならん。連合から多少資金は来ているが、あまり当てに出来るものではない」
「……父上。父上は、この戦争をどうお考えですか?」
「どう、とは?」
アリカの質問に、オウム返しに聞き返す。
「この戦争、始まり方が不自然な気がしてならないのです」
「……二週間前のソラリス元老院議員の事か」
あの事件が発生し、まず最初に帝国が求めたのはソラリスの身柄だった。亜人の子供を殺したとして、自分達の手で処刑させようとしたのだ。
だが、身内の事だと元老院が内々で決めてしまった為、帝国は連合に抗議した。
連合はそれを聞き入れず、謝罪こそしたものの、帝国の怒りは収まらなかった。いや、ハッキリ言ってしまえば、ソラリスを帝国の手で処刑したとしても無駄だっただろう。
連合の人間が亜人を認めない様に、帝国の亜人が人間を認めなくなった。
元々火種は燻っていたのだ。あっという間に戦火は広がり、小さなイザコザから大規模な戦闘にまで発展している。
「はい。戦火の広がり方があまりにも
本来、戦争をしようとしてもそう直ぐ始められるものでは無い。
兵、兵器、軍備や資金。戦争を始めるにはそれらが多く必要となり、多少なりとも準備期間がいる。
しかし、だ。
連合と帝国は、戦争を
あまりにも動きが速すぎる。戦争する事が分かっていたかのようだ。
実際に帝国と連合の仲を考えれば、冷戦状態で留まっていたとはいえ、いつ戦争が始まってもおかしく無かった。
それが、元老院の一人の仕業であっという間に戦火が広がっていく。これでは、まるでこうなる様仕組んでいたかのようだ。
「私もそれは違和感を感じている。だが、私達の立場では出来る事は少ない……せめて、外部に協力者でも居ればいいのだがな」
憂鬱だとばかりに溜息をつき、椅子に深く座り直す。
「……この戦争には、何か裏があるのではないのでしょうか?」
「アリカ。戦争に裏が無いわけがないだろう。……旧世界の事は知っているな?」
「はい。話には聞きました」
「旧世界ではな、新世界と違って何度も大規模な──それこそ、世界規模の戦争が起こっている。それらは全て『誰かの利益』の為に、流さなくてもいい血を流す。それが戦争というモノだ」
過ちを繰り返すだけで学ぶ事が無い。伯爵が手を引いているとも気付かず、何度も争いを繰り返すのみ。
「裏が無い戦争こそ、あり得ない事なのだ。何かしらの大規模な目的の為に誰かが始める争いこそが、戦争だよ」
「では、誰かが何かの狙いがあって始めたのが、この戦争だと?」
「ハッキリとは言えないがな。私はそう思っているよ」
後はお前が考えてみろ。そう言うと、アリカは納得した様子で部屋を出た。
一息つき、立ち上がる。
「立ち聞きとは趣味が悪いな、千年公」
「おや、気付いていましたカ」
部屋の隅、影の部分から出てきたのは千年伯爵。足音さえせず、気配にも気付けなかった為、アリカには分からなかった。
「随分面白い話しをしていたようですネ」
「まぁね。やはり私の娘だよ。こういう事には気付きやすい……ちなみに、あの子にノアの才能は?」
「ありませんヨ」
そう、と素っ気なく返事する。ノアの才能が無いのであれば、アベルにとって用は無い。どの道用が済めば彼にとってウェスペルタティアは不要だ。どうなろうと気にする事では無い。
肉親としての感情なら多少あるが、それと比べるとノアとの方が大きい。
戦争の被害は尋常では無い。まして、二つの巨大な勢力が争うともなれば、尚更。
ウェスペルタティアはその間に位置する。帝国と連合の間で、陸地で繋がる場所はここしかない為に必然的に戦争の被害が増える事になる。
グレート=ブリッジで繋がっているが、連合と手を組むならばここが生命線だろう。
勝とうと思うのならば、の話ではあるが。
「で、実際どの位被害が出ているんだ?」
「連合では既に百五十人以上、帝国はもう少し少ない位ですかネ」
「もうそんなに出ているのか?」
「両軍にAKUMAを忍び込ませて偶に狩らせてますしネ」
後ろから撃たれるのでは防ぎようがない。両軍に忍び込んでいるのなら情報操作も可能の上、Lv1に殺されれば死体が残らないので探しようも無い。
撃たれた方向から敵を探すと言う事も、戦場ではほぼ不可能だ。
「どの道この戦争は数年程度でしょう。吾輩達以外にも、裏で動くものが居ますシ」
「……『
「そっちのほうが好都合でしょう。地位から考えて簡単に切り捨ても出来ない上、駒として使うにはある程度の情報が必要。敵の内部に潜ませて情報を奪うのはAKUMAを使った方が速いんですがねェ」
かなり神経質、というか信用していないだけだろうが、情報を幹部以外には殆ど流さない。というより、流れない。
その為、幾ら末端に潜ませようと同じなのだ。
「どちらにせよ、彼等が出るまで吾輩達も潜むだけです。くれぐれも迂闊な行動には出ない様にしてくださいヨ?」
「分かっているよ。この世界を作りだした『
戦闘力はある。だが、そもそも戦闘をしようという気が殆ど無い。戦えば十分強いのではあるが。
「暫くは様子見、か」
アベルは、静かにそう呟いた。
●
黒いローブを纏った男。仮面を付け、素顔が見えないその男は唯廊下を歩いていた。
手には資料。それを見ながら、何かを考え込むようにして歩いている。
「デュナミス」
後ろから声がかかった。こちらも黒いローブで覆われている為、素顔は見えない。
「我が主。どういたしましたか?」
振り向き、
「セクンドゥムの起動状態はどうだ?」
「現在では何ら不調はありません。ですが、まだ起動したばかりですので何とも」
「プリームムは?」
「既にエクソシスト本部に寄せられたいくつかのAKUMA情報を元に、討伐へ行っています。アートゥルとアダドーを連れて、です」
「……そうか」
静かに頷き、これからの事を考える。
予定では
既に各国にいる適合者だけでは対処しきれていない状況にある。使徒達も使って破壊をしなければ、AKUMAは増える一方だ。
多少自分にも負担が来て先ほどまで休んでいたが、恐らくもう大丈夫だろうと判断する。
「我が主。やはりイノセンスの回収も急がせた方が良いのでは?」
「だが、アレがあるのは旧世界のみ。全部で五つの組織が探し回っている。今更私達が探し始めた所で、大して変わりはしないだろう」
それに、イノセンスだけを見つけても意味がない。そのイノセンスの適合者が必要だ。
「それに、私達が今対処するべきは戦争だ。これではまたAKUMAの数が増えてしまう」
「ソラリス元老院議員ですが、あの日前後で特に変わった所は無いようです。やはり『奴ら』に操られていたのでしょうか?」
「さぁな。私にもわからない」
戦争の始まり方に不自然さが目立つ。今までにも何度かこういった争いの類はあったが、どれもここまで不自然な事は無かった。
「……もしかしたら、誘っているのかもしれないな」
「と、言いますと?」
「奴等は私達の存在を知っていた。そして近い未来、私達が奴等にとって邪魔になるだろうと判断したのかもしれない」
造物主の使徒、特にアーウェルンクスシリーズの能力は最強クラスでも上位。イノセンス無しでLv3とさえ真正面から戦闘できる。場合によっては、Lv4とさえ真正面から戦闘出来るかもしれない。
だが、流石に何体もいればやられる可能性もある。油断は出来ない相手だ。
「……やはり、計画を成し遂げるしか方法は無い、か?」
小さく呟く。組織の名前でもある『
新世界の魔力が枯渇する恐れが無い今、AKUMAごと世界を封じるために計画を進めていた訳だが、それも早くしなければ旧世界に流れるかもしれない。
造物主の目的はAKUMAの殲滅、そして千年伯爵の打倒。その後の魔法世界の魔力供給元を探す事。
「我々は主に着いて行くだけです」
「……そうか。ならば、世界を救ってやろうではないか。この世界を、千年伯爵などに好きにはさせない」
絶対に、伯爵をこの手で──と、誓った。