第十七夜:第一歩
タルシス大陸極西部、オリンポス山。
ここに『紅き翼』の隠れ家が用意してあり、アリカ達はプリームムの転移魔法によって紅き翼全員と合流する手筈になっている。
「……来たようですね」
アルが静かにそう言う。
水を使った"扉 "の魔法。プリームムの背中の傷は既に完治しており、エクソシスト二人と王女二人をここへ転移させた。
テオドラは途中で疲れて眠っており、エクソシスト二人も結構疲労があるようで、座りこんで休んでいる。
「悪いね、遅くなってしまった。追われない様にいくつかの場所を通って遠回りしたから、追われてはいないと思うよ」
いくつかの町を経由し、魔力を使わずに徒歩で移動した所もある。追いつかれる事は無いだろう。
「何だ、これが噂の『紅き翼』の秘密基地か。どんな所かと思えば……掘建小屋ではないか」
「俺ら逃亡者に、何期待してんだこのジャリはよ」
先ほど目を覚まし、説明を受けて紅き翼の秘密基地だと知って発言するテオドラと、それに反応するラカン。
「何だ貴様! 無礼であろう!?」
「へっへ〜ん! 生憎、ヘラスの皇族にゃ貸しはあっても借りはないんでね」
「何ぃ!? 貴様何者じゃ!?」
まるで子供の様なやり取りをする二人を、周りの連中はほほえましい目で見続ける。
その中で、ナギはアリカへと近づいていく。腹部の傷は殆ど癒えていて、後遺症なども無い様だ。
「姫さん、無事だったんだな」
「ああ、だが……」
ナギが明るく話しかけていくのに対し、アリカは若干話辛そうに、プリームムの方へと顔を向ける。
「……セクンドゥムは、大丈夫なのか?」
「実力で考えれば、やられていてもおかしく無いよ。貴女方を逃がす為に囮になったのだしね」
結構な時間が立つが、セクンドゥムは合流できていない。
実力等を加味し、順当に考えれば殺されたと考えるべきだろう。奴等にとって、セクンドゥムは生かして置く理由が無い。
「セクンドゥムがどうかしたのか?」
ナギがアリカに問う。アリカは答え辛そうに顔をしかめる。
「……私達を逃がす為に、敵の囮になった」
実際に戦闘を見て、実力差を分かっているからこそ、生存は絶望的だと理解できる。だが、犠牲を少なくしたうえで戦争を終わらせようとした矢先に味方を失ったため、若干ながら動揺している。
そのアリカへと、プリームムは声をかけた。
「とはいえ、僕等は人形だ。必要であれば新しく作り直せばいい」
やられても次がある。記憶を引き継げばほぼ同一個体として稼働するだろうから、プリームムとしてはあそこでのセクンドゥムの判断は当然のモノだと思っている。
調整などをする必要はあるが、それも瑣末な問題でしか無い。
量産出来ないのは難点だが、一体一体がある程度の実力を持つ。本来はそう簡単にやられる様な者ではないのだ。
「仮に生きているとしても、無事では済まないだろうしね。合流は遅れる事になるだろう」
生きていれば、の話であり、最悪の場合の事を考えておく必要がある。最悪と言っても、戦力が減っただけだ。
幸いにもイノセンスを持っていなかったため、イノセンスを減らす事は無い。
現状では、それよりも優先すべき事がある。それは、この場の全員が分かっている事だ。
生きているか死んでいるか分からない者の心配では無く、これから先の事に目を向け、対策を練らなくてはならない。
「あの浅黒い肌に、額の聖痕が特徴的な敵。伯爵側の人間なのだろうけど、詳細が分からないね」
「やっぱりお前等の方にも行ってたのか?」
「やっぱり、っていう辺り、そっちにも来ていたみたいだね」
ワイズリーの言っていた言葉を信じれば、ナギ達と接触している事はわかってはいたのだが、敵の言う事を一々真に受ける筈も無い。
プリームムの言葉に頷くナギは、自分の記憶をたどる様に言葉を紡ぐ。
「奴ら、自分達の事を"ノア"って言ってたぜ」
「"ノア"? 旧約聖書に出てくる、あの"ノアの大洪水"に関連する"ノア"かい?」
「さぁな。詳しい事はよく分からねぇよ」
ナギは肩をすくめながら、負けた事を思い出してイライラが募る。
石箱 の情報により、イノセンスはノアの大洪水によって世界各地に散らばったと言う。
敵が"ノア"を名乗るならば、それに関連した存在であると考えるのは当然の事でもあり。
「"ノアの一族"──奴等は、自分達の事をそう言っていたな。千年伯爵の兄弟で、自分達こそが神に選ばれた本当の使徒、とも言っていた」
ガトウがナギの言葉に補足するように話す。
傷こそないが、ナギはやられてもおかしくなかった、と。
「実力は少なくとも俺たち以上。奴ら、一人ひとりが厄介な能力を持ってる可能性がある。ジャックの剣をすり抜けたり、マクギル議員に化けてたりとな」
「化けること自体は、魔法で出来ない事は無いだろう? 幻術の類でも使えば不可能では無いのだろうし、僕等でも出来ると思うよ」
見た目を変える事や、声を変える事は、魔法を使えば簡単にできる。
本来の史実であれば、プリームムはその方法を使ってナギ達を陥れた。高位の術者は他人をだます事など造作も無いのだ。
だが、問題はそれ以外にもある。
「一人ひとりが少なく見積もっても僕ら以上の実力者。AKUMAが相手ならイノセンスを使えば良いが、ノアが相手なら単純な実力だろう。何とかできるのかい?」
「んなこと知るかよ。だが、誰かがやらなきゃならねぇんだ。卑怯かもしれねぇが、多対一で戦うとか、そう言う事するしかねぇだろ」
ノアとイノセンスの関係を知らない以上、プリームムがそういう結論に至ったのも不思議では無い。
とはいえ、ノアに対してイノセンスは効果がある可能性は存在する。会談の際の事で、プリームムはその事を留意している。
負ければ人類が滅びる。卑怯だなんだと言っている場合では無いのだ。
ナギはアリカの方へ向き直し、言葉を告げる。
「姫さん、こっからは大変だぜ。帝国にも連合にも……あんたの国にも、味方はいねぇ」
「恐れながら事実です、王女殿下。伯爵の魔の手は、殿下のオスティアへも伸びていると取って間違いないでしょう……更に言えば、オスティアの上部が最も『黒い』という可能性も……」
「……そうか。いや、薄々感づいてはいた。父上は昔からそうだったらしいからな」
どこか昔を懐かしむ様な口調で、アリカは話す。
「やる事なす事が全て裏目に出る。被害を出さぬように動いた筈が、余計に被害を増やしていた事もザラだったらしい……これらが全て故意だったのなら、あの政策にも納得がいく」
軍事の拡張。自分の国は自分で守ると言いながらも、大国二つの戦力に太刀打ち出来る筈が無く、兵は次々に死んでいった。
これらがわざと死なせ、悲哀を生んでAKUMAを作り出す為だったと言うのならば。なるほど、アベルの行動・政策にも納得がいく。
とはいえ、流石に実の父が伯爵と繋がっているのなら、先のセクンドゥムの事もあわせ、動揺は隠しきれない程に大きい。
「……我が騎士よ」
「だから何だよその『我が騎士』って。俺はクラスで言ったら魔法使いだぜ?」
「主はもう連合の兵では無いのじゃろう。ならば、主はもう私のものじゃ」
涼しい顔で最後まで言ってのける。ナギは少しばかり恥ずかしいのか、顔を赤く染めているが。
「連合に帝国。そして我がオスティア。これらの中枢にまで入り込んでいる伯爵が敵だと言うのなら、世界の全てが敵と言ってもよい」
どこか遠くを見ながら、アリカはそう言う。
そして、ナギの方へと向き直る。
「じゃが、主達は最強なのじゃろう? 今はそうでなくても、いずれ千年伯爵を打倒し得るだけの力を手に入れ、世界を救う。世界全てが敵。──良いでは無いか。敵が居れば味方もいる。我々は一人では無い」
アリカの味方はナギだけでは無い。『紅き翼 』、『完全なる世界 』──そして、各国のエクソシスト。
これらすべての戦力を持って、千年伯爵を倒す。
「ならば我らが世界を救おう。我が騎士ナギよ、我が盾となり──剣となれ」
「へ……相変わらずおっかねぇ姫さんだぜ。──いいぜ、俺の杖と翼。アンタに預けよう」
アリカ姫を前に、まるで騎士の様に跪いたナギ。
その肩に、アリカ姫の剣が添えられる。ソレは、丁度山を越えてきた日の光を浴び、まるで一枚の絵の様に、ひどく美しく見えた。
●
「本気で伯爵達と一線やらかす心算 なら、まずは君達に適合権 があるかどうかを調べるべきだろうね」
「適合権 ?」
ナギがハテナマークを浮かべながらプリームムに聞き返す。
「うん。適合権 というのは、彼らエクソシストがイノセンスとの間にある繋がり、いわゆる契約に近いものだ」
どこぞのマンガなどでも言われている様な、武器が使い手を選ぶと言う事が実際にある。
イノセンスは神の物質であり、それを扱うべき人間は神が決めるものだからだ。決定権は人間に存在しない。
イノセンスは一人につき一つであり、例外は無い。
契約といっても、世界のどこかにいるその人物に対して勝手に『使い手』だと決めつけ、世界を守るための使徒として伯爵と戦う事を義務付ける。
伯爵からすれば『性質の悪い悪魔』だ。
「アルヴァ、長門。ちょっとこっちに来てくれ」
プリームムが声を掛け、休んでいた二人のエクソシストがナギ達の近くへ来る。
「契約といっても、適合者とイノセンスの間に明確なつながりがある訳じゃない。適合者なら、こういった武器の重さを感じなくなると言う利点もある」
プリームムは長門の銀の杭打ち機を持ち、重さを確かめる。同じ様にナギが持ち、振りまわして、意外と重いという事を確認する。
長門が持つと、魔力強化をしていないにもかかわらず、重さを感じさせない動きで武器を振りまわす。
「だが、これだけなら別に適合者じゃ無くても良いんじゃねーの?」
ラカンが顎に手をやりながらそんな事を言う。
「利点が重さだけならね。実際に発動できるのは適合者だけ。発動すれば武器としての力が大幅に上がるし、同調 率が上がれば第二解放と呼ばれる二段階目の発動もできる」
シンクロ率はどれだけイノセンスの力を引き出せるかの重要な鍵となる。シンクロ率が低ければ発動した際に適合者に危険が及ぶし、逆に百%を超えて『臨界者』と呼ばれる存在になれば、大抵のAKUMAを圧倒できるだけの力が手に入る。
「君達が会ったクレア元帥は臨界者だ。というより、臨界点(シンクロ率百%)を超えたエクソシストが元帥と呼ばれる」
「なるほど、道理で強い訳だよ」
呆れたようにナギが言い、同調するように詠春とアルが頷く。
大量の悪魔をあっと言う間に沈めた元帥の実力。イノセンスの力を引き出せば、あれだけの事が出来るようになるということだ。
「更に言えば、イノセンス保持者は亜人でも旧世界に移動できるぞ」
アルヴァが補足するように告げる。
本来ならば、亜人は旧世界に出る事が出来ない。魔法世界人は幻想 であり、現実世界に出る事は不可能とされている。
一応出る手立てが無い訳では無いのだが、如何せん、未だ実用段階に至っていない上に試作品でさえ膨大な費用がかかる。その為、極一部 以外の亜人は旧世界に出る事は不可能だとされていた。
だが、イノセンスの適合者は旧世界に出る事が可能となる。
AKUMAとなった亜人が旧世界に出れる様に、エクソシストとなった亜人が旧世界に出れるのもまた道理だろう。
とはいえ、見た目は考慮しなければならないが。
「……って事は、俺が適合者ならこのまま旧世界に出れるって事か?」
「そうなるね」
ラカンの素朴な疑問に、プリームムは頷いて答える。
旧世界か……出てみてぇな、と呟くが、適合者で無ければ叶わない夢だ。
その上イノセンスの総数は百九個。元帥含むエクソシストは連合に十二人、帝国に六人、アリアドネーに三人、旧世界に五人の二十六人だ。
既に伯爵達に破壊されているイノセンスもある。だが、全ての組織の保有するイノセンスの総数は半分を超えている。
イノセンスに選ばれるのは、何十億分の一の確率だ。選ばれる可能性は限り無く低く、選ばれない可能性も限り無く高い。
「……まぁ、イノセンスに関する基本的な情報はこれ位かな」
後は連合や帝国などの対AKUMA機関を回り、イノセンスに適合できるか調べる必要がある。
「イノセンスを手に入れる事が出来れば、次は僕等の反撃の時間だ。例の事も我が主と話が進んでいる。出来れば後一カ月は欲しいね」
プリームムは、薄く笑う。
「ああ、分かった。出来るだけ早い方が良いが、急かすつもりはねぇ。キッチリやってくれ──その後で、奴らに一泡吹かせてやるよ!」
ナギは、拳を握りながらそう宣言した。
●
と、意気込んだは良いものの、連合、帝国の対AKUMA機関では紅き翼の面々がイノセンスに適合する事は無かった。
「そう落ち込まんといてや。ワイにしてもあんさん方には期待しとるけど、そう簡単にはいかへんもんやしな」
隣を歩くのは、アリアドネーに所属する、ファニー・ルルーと言う名のエクソシストだ。
そもそも新旧両世界の組織全部合わせても五十個強しか手に入っていないイノセンスに対し、七人全員が適合出来る等都合が良過ぎると言うモノだ。適合できなくても何ら不思議ではない。
がっくりと肩を落としているナギの後ろでは、タカミチが必死に励ましている。
「だ、大丈夫ですよナギさん! きっとナギさんが使えるイノセンスがありますって!」
「つってもよー……後はアリアドネーと旧世界に有る分だけなんだろ? 可能性すくねーだろ……」
「イノセンスがどうやって適合者を選ぶんかは知らへんけど、エクソシストってほぼ全員どっか歪んどるからなぁ」
イノセンスはその力を最大限発動できるであろう人物を適合者にする。だが、傾向としては何かしら歪んでいる事が多い。
性格や志。候補は幾つかあるが、大抵はこんな物だろう。
AKUMAの殺戮趣味、伯爵への復讐、伯爵の被害にあった者への救い、大抵のエクソシストはそんな物だ。
そんな事を話している間に、とある建物の前まで来た。
「さ、着いたで。ここが学術都市アリアドネーの対AKUMA機関や」
外装としては何処かのビルの様なもので、傾向として低く広い。それでも十階分位はあるだろう高さを誇る。
内部に入り、アリアドネー総長と対AKUMA機関の長を兼任しているセラスに会う。
途中でサインをねだられたりもしたが、取りあえずイノセンスの保管場所へ向かう事になった。
「……ここです」
大きめの頑丈そうな扉。中に入る際には幾重ものセキュリティを解く必要があり、厳重さは並ではない。
セラスがそれらを解除し、扉を開く。
中には、台の上に魔法的な防御を幾重にも施されているイノセンス。伯爵に壊されない様保管するためには、アリアドネーにはこれしか方法が無かったのだ。
これとて、万が一の策に過ぎない。本気で壊す気で来れば、伯爵は簡単に破ってイノセンスを破壊するだろう。
「これが、アリアドネーに保管されている全てのイノセンスなのか?」
「はい。アリアドネーの最高技術を使って保管されています。イノセンスの力そのものを抑えていますから、この状態では適合者かどうかも分かりません」
へー、と分かっているのか分かっていないのか良く分からない返事をするナギとラカン。
セラスは扉を閉め、外側の結界を張った状態で、イノセンスの封を解く。
すると、複数のイノセンスの内一つが強く輝きだし、動いた 。
一端空中に浮遊し、イノセンス自身が適合者の元へと移動した。
そう──青山詠春の元へと。
「こ、これが……私のイノセンス、なのか?」
「そ、そうなりますね。……AKUMAと戦うには、武器にする必要があります。アリアドネーで作る間、しばし待って頂けますか?」
「あ、ああ、構わない」
詠春とセラスの二人が、若干テンパリながら会話する。
「……マジか。詠春が適合したのかよ」
「あいつ、どこか歪んでるのか?」
「その点で言ったらアルが最有力だと思うんじゃがのう」
ナギ、ラカン、ゼクトがコソコソと話し合う。アルは詠春の方へ意識を向けていて、話に気付いていない。
吹かしていた煙草を禁煙だと取られたガトウが、顎に手をやりながら言う。
「だが、一人でも紅き翼の中に適合者が居た事は分かった。ならば、他の者にも可能性があるかも知れんぞ?」
「そうだな。まだ旧世界にもあるんだ、そっちも回らねぇと……」
「しかし、どうやって旧世界へ? 私達は指名手配犯ですから、見つかると不味いですよ?」
ナギが小さく呟くが、隣からアルが返答した。先程の会話は聞こえていないらしく、口調も表情も静かだ。
「……それに、俺は旧世界へは行けねぇしな」
未だ前途多難な紅き翼。
だが、小さくとも一歩前進した。詠春がイノセンスを手に入れた以上は、これまでよりもAKUMAと戦うのが楽になる筈だ。
そして、狙われる可能性も増す。──これから、紅き翼と伯爵との戦いは熾烈で苛烈なものになるだろう。
タルシス大陸極西部、オリンポス山。
ここに『紅き翼』の隠れ家が用意してあり、アリカ達はプリームムの転移魔法によって紅き翼全員と合流する手筈になっている。
「……来たようですね」
アルが静かにそう言う。
水を使った"
テオドラは途中で疲れて眠っており、エクソシスト二人も結構疲労があるようで、座りこんで休んでいる。
「悪いね、遅くなってしまった。追われない様にいくつかの場所を通って遠回りしたから、追われてはいないと思うよ」
いくつかの町を経由し、魔力を使わずに徒歩で移動した所もある。追いつかれる事は無いだろう。
「何だ、これが噂の『紅き翼』の秘密基地か。どんな所かと思えば……掘建小屋ではないか」
「俺ら逃亡者に、何期待してんだこのジャリはよ」
先ほど目を覚まし、説明を受けて紅き翼の秘密基地だと知って発言するテオドラと、それに反応するラカン。
「何だ貴様! 無礼であろう!?」
「へっへ〜ん! 生憎、ヘラスの皇族にゃ貸しはあっても借りはないんでね」
「何ぃ!? 貴様何者じゃ!?」
まるで子供の様なやり取りをする二人を、周りの連中はほほえましい目で見続ける。
その中で、ナギはアリカへと近づいていく。腹部の傷は殆ど癒えていて、後遺症なども無い様だ。
「姫さん、無事だったんだな」
「ああ、だが……」
ナギが明るく話しかけていくのに対し、アリカは若干話辛そうに、プリームムの方へと顔を向ける。
「……セクンドゥムは、大丈夫なのか?」
「実力で考えれば、やられていてもおかしく無いよ。貴女方を逃がす為に囮になったのだしね」
結構な時間が立つが、セクンドゥムは合流できていない。
実力等を加味し、順当に考えれば殺されたと考えるべきだろう。奴等にとって、セクンドゥムは生かして置く理由が無い。
「セクンドゥムがどうかしたのか?」
ナギがアリカに問う。アリカは答え辛そうに顔をしかめる。
「……私達を逃がす為に、敵の囮になった」
実際に戦闘を見て、実力差を分かっているからこそ、生存は絶望的だと理解できる。だが、犠牲を少なくしたうえで戦争を終わらせようとした矢先に味方を失ったため、若干ながら動揺している。
そのアリカへと、プリームムは声をかけた。
「とはいえ、僕等は人形だ。必要であれば新しく作り直せばいい」
やられても次がある。記憶を引き継げばほぼ同一個体として稼働するだろうから、プリームムとしてはあそこでのセクンドゥムの判断は当然のモノだと思っている。
調整などをする必要はあるが、それも瑣末な問題でしか無い。
量産出来ないのは難点だが、一体一体がある程度の実力を持つ。本来はそう簡単にやられる様な者ではないのだ。
「仮に生きているとしても、無事では済まないだろうしね。合流は遅れる事になるだろう」
生きていれば、の話であり、最悪の場合の事を考えておく必要がある。最悪と言っても、戦力が減っただけだ。
幸いにもイノセンスを持っていなかったため、イノセンスを減らす事は無い。
現状では、それよりも優先すべき事がある。それは、この場の全員が分かっている事だ。
生きているか死んでいるか分からない者の心配では無く、これから先の事に目を向け、対策を練らなくてはならない。
「あの浅黒い肌に、額の聖痕が特徴的な敵。伯爵側の人間なのだろうけど、詳細が分からないね」
「やっぱりお前等の方にも行ってたのか?」
「やっぱり、っていう辺り、そっちにも来ていたみたいだね」
ワイズリーの言っていた言葉を信じれば、ナギ達と接触している事はわかってはいたのだが、敵の言う事を一々真に受ける筈も無い。
プリームムの言葉に頷くナギは、自分の記憶をたどる様に言葉を紡ぐ。
「奴ら、自分達の事を"ノア"って言ってたぜ」
「"ノア"? 旧約聖書に出てくる、あの"ノアの大洪水"に関連する"ノア"かい?」
「さぁな。詳しい事はよく分からねぇよ」
ナギは肩をすくめながら、負けた事を思い出してイライラが募る。
敵が"ノア"を名乗るならば、それに関連した存在であると考えるのは当然の事でもあり。
「"ノアの一族"──奴等は、自分達の事をそう言っていたな。千年伯爵の兄弟で、自分達こそが神に選ばれた本当の使徒、とも言っていた」
ガトウがナギの言葉に補足するように話す。
傷こそないが、ナギはやられてもおかしくなかった、と。
「実力は少なくとも俺たち以上。奴ら、一人ひとりが厄介な能力を持ってる可能性がある。ジャックの剣をすり抜けたり、マクギル議員に化けてたりとな」
「化けること自体は、魔法で出来ない事は無いだろう? 幻術の類でも使えば不可能では無いのだろうし、僕等でも出来ると思うよ」
見た目を変える事や、声を変える事は、魔法を使えば簡単にできる。
本来の史実であれば、プリームムはその方法を使ってナギ達を陥れた。高位の術者は他人をだます事など造作も無いのだ。
だが、問題はそれ以外にもある。
「一人ひとりが少なく見積もっても僕ら以上の実力者。AKUMAが相手ならイノセンスを使えば良いが、ノアが相手なら単純な実力だろう。何とかできるのかい?」
「んなこと知るかよ。だが、誰かがやらなきゃならねぇんだ。卑怯かもしれねぇが、多対一で戦うとか、そう言う事するしかねぇだろ」
ノアとイノセンスの関係を知らない以上、プリームムがそういう結論に至ったのも不思議では無い。
とはいえ、ノアに対してイノセンスは効果がある可能性は存在する。会談の際の事で、プリームムはその事を留意している。
負ければ人類が滅びる。卑怯だなんだと言っている場合では無いのだ。
ナギはアリカの方へ向き直し、言葉を告げる。
「姫さん、こっからは大変だぜ。帝国にも連合にも……あんたの国にも、味方はいねぇ」
「恐れながら事実です、王女殿下。伯爵の魔の手は、殿下のオスティアへも伸びていると取って間違いないでしょう……更に言えば、オスティアの上部が最も『黒い』という可能性も……」
「……そうか。いや、薄々感づいてはいた。父上は昔からそうだったらしいからな」
どこか昔を懐かしむ様な口調で、アリカは話す。
「やる事なす事が全て裏目に出る。被害を出さぬように動いた筈が、余計に被害を増やしていた事もザラだったらしい……これらが全て故意だったのなら、あの政策にも納得がいく」
軍事の拡張。自分の国は自分で守ると言いながらも、大国二つの戦力に太刀打ち出来る筈が無く、兵は次々に死んでいった。
これらがわざと死なせ、悲哀を生んでAKUMAを作り出す為だったと言うのならば。なるほど、アベルの行動・政策にも納得がいく。
とはいえ、流石に実の父が伯爵と繋がっているのなら、先のセクンドゥムの事もあわせ、動揺は隠しきれない程に大きい。
「……我が騎士よ」
「だから何だよその『我が騎士』って。俺はクラスで言ったら魔法使いだぜ?」
「主はもう連合の兵では無いのじゃろう。ならば、主はもう私のものじゃ」
涼しい顔で最後まで言ってのける。ナギは少しばかり恥ずかしいのか、顔を赤く染めているが。
「連合に帝国。そして我がオスティア。これらの中枢にまで入り込んでいる伯爵が敵だと言うのなら、世界の全てが敵と言ってもよい」
どこか遠くを見ながら、アリカはそう言う。
そして、ナギの方へと向き直る。
「じゃが、主達は最強なのじゃろう? 今はそうでなくても、いずれ千年伯爵を打倒し得るだけの力を手に入れ、世界を救う。世界全てが敵。──良いでは無いか。敵が居れば味方もいる。我々は一人では無い」
アリカの味方はナギだけでは無い。『
これらすべての戦力を持って、千年伯爵を倒す。
「ならば我らが世界を救おう。我が騎士ナギよ、我が盾となり──剣となれ」
「へ……相変わらずおっかねぇ姫さんだぜ。──いいぜ、俺の杖と翼。アンタに預けよう」
アリカ姫を前に、まるで騎士の様に跪いたナギ。
その肩に、アリカ姫の剣が添えられる。ソレは、丁度山を越えてきた日の光を浴び、まるで一枚の絵の様に、ひどく美しく見えた。
●
「本気で伯爵達と一線やらかす
「
ナギがハテナマークを浮かべながらプリームムに聞き返す。
「うん。
どこぞのマンガなどでも言われている様な、武器が使い手を選ぶと言う事が実際にある。
イノセンスは神の物質であり、それを扱うべき人間は神が決めるものだからだ。決定権は人間に存在しない。
イノセンスは一人につき一つであり、例外は無い。
契約といっても、世界のどこかにいるその人物に対して勝手に『使い手』だと決めつけ、世界を守るための使徒として伯爵と戦う事を義務付ける。
伯爵からすれば『性質の悪い悪魔』だ。
「アルヴァ、長門。ちょっとこっちに来てくれ」
プリームムが声を掛け、休んでいた二人のエクソシストがナギ達の近くへ来る。
「契約といっても、適合者とイノセンスの間に明確なつながりがある訳じゃない。適合者なら、こういった武器の重さを感じなくなると言う利点もある」
プリームムは長門の銀の杭打ち機を持ち、重さを確かめる。同じ様にナギが持ち、振りまわして、意外と重いという事を確認する。
長門が持つと、魔力強化をしていないにもかかわらず、重さを感じさせない動きで武器を振りまわす。
「だが、これだけなら別に適合者じゃ無くても良いんじゃねーの?」
ラカンが顎に手をやりながらそんな事を言う。
「利点が重さだけならね。実際に発動できるのは適合者だけ。発動すれば武器としての力が大幅に上がるし、
シンクロ率はどれだけイノセンスの力を引き出せるかの重要な鍵となる。シンクロ率が低ければ発動した際に適合者に危険が及ぶし、逆に百%を超えて『臨界者』と呼ばれる存在になれば、大抵のAKUMAを圧倒できるだけの力が手に入る。
「君達が会ったクレア元帥は臨界者だ。というより、臨界点(シンクロ率百%)を超えたエクソシストが元帥と呼ばれる」
「なるほど、道理で強い訳だよ」
呆れたようにナギが言い、同調するように詠春とアルが頷く。
大量の悪魔をあっと言う間に沈めた元帥の実力。イノセンスの力を引き出せば、あれだけの事が出来るようになるということだ。
「更に言えば、イノセンス保持者は亜人でも旧世界に移動できるぞ」
アルヴァが補足するように告げる。
本来ならば、亜人は旧世界に出る事が出来ない。魔法世界人は
一応出る手立てが無い訳では無いのだが、如何せん、未だ実用段階に至っていない上に試作品でさえ膨大な費用がかかる。その為、
だが、イノセンスの適合者は旧世界に出る事が可能となる。
AKUMAとなった亜人が旧世界に出れる様に、エクソシストとなった亜人が旧世界に出れるのもまた道理だろう。
とはいえ、見た目は考慮しなければならないが。
「……って事は、俺が適合者ならこのまま旧世界に出れるって事か?」
「そうなるね」
ラカンの素朴な疑問に、プリームムは頷いて答える。
旧世界か……出てみてぇな、と呟くが、適合者で無ければ叶わない夢だ。
その上イノセンスの総数は百九個。元帥含むエクソシストは連合に十二人、帝国に六人、アリアドネーに三人、旧世界に五人の二十六人だ。
既に伯爵達に破壊されているイノセンスもある。だが、全ての組織の保有するイノセンスの総数は半分を超えている。
イノセンスに選ばれるのは、何十億分の一の確率だ。選ばれる可能性は限り無く低く、選ばれない可能性も限り無く高い。
「……まぁ、イノセンスに関する基本的な情報はこれ位かな」
後は連合や帝国などの対AKUMA機関を回り、イノセンスに適合できるか調べる必要がある。
「イノセンスを手に入れる事が出来れば、次は僕等の反撃の時間だ。例の事も我が主と話が進んでいる。出来れば後一カ月は欲しいね」
プリームムは、薄く笑う。
「ああ、分かった。出来るだけ早い方が良いが、急かすつもりはねぇ。キッチリやってくれ──その後で、奴らに一泡吹かせてやるよ!」
ナギは、拳を握りながらそう宣言した。
●
と、意気込んだは良いものの、連合、帝国の対AKUMA機関では紅き翼の面々がイノセンスに適合する事は無かった。
「そう落ち込まんといてや。ワイにしてもあんさん方には期待しとるけど、そう簡単にはいかへんもんやしな」
隣を歩くのは、アリアドネーに所属する、ファニー・ルルーと言う名のエクソシストだ。
そもそも新旧両世界の組織全部合わせても五十個強しか手に入っていないイノセンスに対し、七人全員が適合出来る等都合が良過ぎると言うモノだ。適合できなくても何ら不思議ではない。
がっくりと肩を落としているナギの後ろでは、タカミチが必死に励ましている。
「だ、大丈夫ですよナギさん! きっとナギさんが使えるイノセンスがありますって!」
「つってもよー……後はアリアドネーと旧世界に有る分だけなんだろ? 可能性すくねーだろ……」
「イノセンスがどうやって適合者を選ぶんかは知らへんけど、エクソシストってほぼ全員どっか歪んどるからなぁ」
イノセンスはその力を最大限発動できるであろう人物を適合者にする。だが、傾向としては何かしら歪んでいる事が多い。
性格や志。候補は幾つかあるが、大抵はこんな物だろう。
AKUMAの殺戮趣味、伯爵への復讐、伯爵の被害にあった者への救い、大抵のエクソシストはそんな物だ。
そんな事を話している間に、とある建物の前まで来た。
「さ、着いたで。ここが学術都市アリアドネーの対AKUMA機関や」
外装としては何処かのビルの様なもので、傾向として低く広い。それでも十階分位はあるだろう高さを誇る。
内部に入り、アリアドネー総長と対AKUMA機関の長を兼任しているセラスに会う。
途中でサインをねだられたりもしたが、取りあえずイノセンスの保管場所へ向かう事になった。
「……ここです」
大きめの頑丈そうな扉。中に入る際には幾重ものセキュリティを解く必要があり、厳重さは並ではない。
セラスがそれらを解除し、扉を開く。
中には、台の上に魔法的な防御を幾重にも施されているイノセンス。伯爵に壊されない様保管するためには、アリアドネーにはこれしか方法が無かったのだ。
これとて、万が一の策に過ぎない。本気で壊す気で来れば、伯爵は簡単に破ってイノセンスを破壊するだろう。
「これが、アリアドネーに保管されている全てのイノセンスなのか?」
「はい。アリアドネーの最高技術を使って保管されています。イノセンスの力そのものを抑えていますから、この状態では適合者かどうかも分かりません」
へー、と分かっているのか分かっていないのか良く分からない返事をするナギとラカン。
セラスは扉を閉め、外側の結界を張った状態で、イノセンスの封を解く。
すると、複数のイノセンスの内一つが強く輝きだし、
一端空中に浮遊し、イノセンス自身が適合者の元へと移動した。
そう──青山詠春の元へと。
「こ、これが……私のイノセンス、なのか?」
「そ、そうなりますね。……AKUMAと戦うには、武器にする必要があります。アリアドネーで作る間、しばし待って頂けますか?」
「あ、ああ、構わない」
詠春とセラスの二人が、若干テンパリながら会話する。
「……マジか。詠春が適合したのかよ」
「あいつ、どこか歪んでるのか?」
「その点で言ったらアルが最有力だと思うんじゃがのう」
ナギ、ラカン、ゼクトがコソコソと話し合う。アルは詠春の方へ意識を向けていて、話に気付いていない。
吹かしていた煙草を禁煙だと取られたガトウが、顎に手をやりながら言う。
「だが、一人でも紅き翼の中に適合者が居た事は分かった。ならば、他の者にも可能性があるかも知れんぞ?」
「そうだな。まだ旧世界にもあるんだ、そっちも回らねぇと……」
「しかし、どうやって旧世界へ? 私達は指名手配犯ですから、見つかると不味いですよ?」
ナギが小さく呟くが、隣からアルが返答した。先程の会話は聞こえていないらしく、口調も表情も静かだ。
「……それに、俺は旧世界へは行けねぇしな」
未だ前途多難な紅き翼。
だが、小さくとも一歩前進した。詠春がイノセンスを手に入れた以上は、これまでよりもAKUMAと戦うのが楽になる筈だ。
そして、狙われる可能性も増す。──これから、紅き翼と伯爵との戦いは熾烈で苛烈なものになるだろう。