第十九夜:クーデター
クーデターと言うモノは、暴力的な手段の行使によって引き起こされる非合法な政変と呼ばれる事だ。単純に言えば現政権を力で奪い取る事とも言える。
社会制度と支配的なイデオロギーの政治的な転換については『革命』と呼ばれ、
統治機構に対する政治的な対抗については『反乱』と呼ばれ、
政治的な目的を達成するための計画的な暴力の行使については『テロリズム』と呼ばれ、
単一国家の国民が階級や民族・宗派などに分かれて戦う武力紛争については『内戦』と呼ばれる。
旧世界の歴史上のクーデターは、政権内の有力者、有力者を担いだ者または有力者を担ぐことを標榜 する者が、自分より上位の有力者を一斉に無力化することにより、自分がトップに躍り出るというものの事だ。
中央集権(いわゆる王権など。権力がどこかに集中している状態)の場合は、中央政権のトップが入れ替わると地方勢力もそれに従う傾向が強いが、必ずしもそうとは限らない。
封建制度(いわゆる地方分権など。権力が地方等に分散している状態)の場合は、権力が一か所に集中してる訳では無い、と言う事があるので、クーデターをしても限定的なものであったり、地方勢力の反撃でクーデターそのものが失敗する事もある。
しかし、今回のそれは前者だ。王権である以上、王であるアベルに権力は集中しており、それをどうにか出来ればクーデターは成功する。
可能性としてカウンタークーデター(反クーデターとも呼ばれる。あるクーデターが起きてまもなく、それによって成立した政権に対し起こすクーデターの事)を警戒する必要もあるが、アリカにもアベルにも兄弟姉妹はいない為、同時に王位を狙う者はいない。その為、恐らく警戒は要らない。
●
クーデターを行い成功させるには、軍部の協力を取り付け、尚且つ電撃戦として首都及び王宮を制圧。その後、自身の正当性を取りつけると言う方法を取る必要がある。
軍部の協力を取り付ける、というのは、アリカにとってさして問題では無かった。現王であるアベルは、王として政治家として三流だと思われているためだ。
やる事なす事全てが裏目に出て、被害は軍部に所属する者達へ行く。これで不満が無い訳がない。
その為、アリカに期待してクーデターに協力すると言う者は多かった。兵力は心配いらないだろう。……あくまでも、敵が一般兵であれば、の話だが。
戦術・戦力に置いては、クーデターでは奇襲の成功と資源の確保が重要となる。
ただし、既存の統治機構から権力を奪取して臨時政府を樹立することが目標となるために、通常の軍事作戦とは異なる側面も指摘されるだろう。
戦略的な局面において、クーデターの達成を確実なものにするためには、反撃を阻止して第三勢力による対抗クーデターや政治的介入を防ぐために活動の基盤となる物資や人員の喪失を回避しなければならない。
また、速やかに大衆の支持を獲得して既存の政府に対する支持を無力化する必要がある。軍事組織それ自体は政治的な正当性を備えた組織ではないために、迅速に国家の首都に部隊で占拠して権力の中枢に関与している指導的な政治勢力を排除するか、もしくは従属させることを計画しなければならない。
今回は軍部の殆どが味方の為反撃は恐れる必要は無く、第三勢力のクーデターは無い。オスティアは独立国であるものの、現状では連合の傘下に入る必要があるが、現時点での政治的介入は無いだろう。
大衆の支持を得る事に関しても、軍部と同じでアベルに不信感を持つ者は多い。その為、迅速にアベルの勢力を抑える事が出来れば、それでクーデターは成功する筈だ。
無論、従属させる事を念頭に置いているし、部下も共に突入するが、最悪の場合は自身の手でアベルを手にかける事も考えなくてはならない。
アリカにとって、覚悟を決めておく必要のある事だ。
戦術的な局面においては、クーデターは基本的には戦闘部隊が相手となるわけではないために、少数の部隊で実施することが可能である。しかし、防諜 の観点から、実行部隊の人員は技能だけでなく信頼可能かどうかを判断して秘密裏に選抜しなければならない。
一般に、有効な攻撃目標としては通信施設、交通施設、首相官邸(この場合は王宮)等を上げる事になり、反撃を準備する猶予を与えないように短時間のうちに目標を完遂することが不可欠となる。
とはいえ、一度も戦闘せずに済ませられるかと言えばそうでは無い。警備は王宮内を絶えず巡回しているし、アベル派の軍部も未だ存在する。奇襲が成功したとしても、伯爵側の人間であればAKUMAを従えている可能性もあるのだ。
油断は出来ないし、するつもりも無い。
アリカにとって、これは一つの英断なのだ。ここから先の道は、踏み出せば後戻りはできない。いうなれば、後戻り不可能地点 とも呼べる。
このクーデターが成功するかどうかは、正に『神のみぞ知る事』なのだろう。
●
あの場所でナギと騎士の誓いをしてから、一ヶ月半。
この日の為に入念に準備をし、丹念に用意をし、 綿密に細密に繊密に緻密に詳密に備えた。
エクソシスト四名に協力を要請し、指名手配犯となっている紅き翼の面々は姿を隠して雑兵に紛れこんでいる。
計画開始まで後十数分。夜の闇に紛れて王宮へと奇襲を仕掛ける予定となっている。
その緊張感に包まれた雰囲気の中、アリカはとある部屋のテラスで月を見ていた。
白く淡く輝く月を見ながら、この国、この世界はどうなるのだろうか、と考える。
千年伯爵。この世界を終焉へと導く者。
現時点でも、既に圧倒的な戦力・勢力を誇っているにも関わらず、未だその目的を果たそうとしない。其処には何か理由があるのか、はたまた伯爵の唯の気紛れか。
「……どちらにしても、変わらぬ、か」
「なーにがだよ、姫さん」
現れたのは、ナギ。他の兵と同じ様に軍服を着て甲冑で身を隠している。指名手配犯である以上、これ位の配慮はしておく必要があるだろう。
「ナギか。……何、これもまた、伯爵の掌の上で踊っているに過ぎんのかも知れんと思ってな」
テラスの外、月明かりを背に、アリカはそう言う。
弱気になっているとも取れる発言だが、ナギとて、伯爵が本気で敵対すれば勝つ事は出来ない。イノセンスを持たない以上、それはほぼ絶対だ。
「つってもよ、ここまできたらやるしかないぜ。姫さんの親父さんの事とか、な」
「分かっておる。分かっておるし、納得もしておる──なぁ、ナギよ」
「何だよ」
月の方を見て、ナギに背を向けたアリカ。その状態でも、ナギは律儀に返事をする。
「この作戦は絶対に失敗するわけにはいかぬ。……必ず、成功させるぞ」
「……ハッ、今更だな。当たり前だ。絶対成功させるに決まってんだろ」
笑うナギ。甲冑の状態で笑っている為、ガチャガチャと金属音が鳴るが、それも気にはならない。
アリカは一度目を瞑り、静かに深呼吸を数度する。──そして、決行の時が来た。
予め司令は言い渡してある。時間になれば、その通りに動く事になるだろう。奇襲が成功し、打撃を与える事が出来れば、後は突破する事は難しくない。
「──行くぞ、我が騎士、ナギ」
「──了解したぜ、姫さん」
王たり得るものとして、アリカは威風堂々と歩み始めた。
●
ファニー・ルルーは、とある場所でイノセンスを操作していた。
『蟲籠』と呼ばれる装備型のイノセンスだ。この中には大量の蟲が入っており、その一体一体を個別に操作する事が出来る。
当然ながら、群体として操作することも可能だ。そうでなければ、精神の疲労は半端なものでは無い。
百足や羽虫に蠅や蜘蛛。様々な蟲がオスティアの王宮の各所を這いずり回り、監視や偵察を行っている。
「……よし、奇襲は成功や。作戦は第二段階に移るで」
ファニーが指示を飛ばす。その視線の先には、複数人の甲冑姿の男達と、二人のエクソシスト。
黒いコートに身を包み、その白髪交じりの短い髪を掻きながら座りこむファニーに対し、同じ様に黒いコートに身を包み、武器の手入れをしているアルヴァと水を飲んでいるギュスターブがいた。
「オーケー、まかせろファニー」
「オレはお前等を援護する。ギュスターブ、しっかり『視ろ』よ」
「分かってるさ。殺されるのは俺も御免だしな」
連合所属のエクソシストと、帝国、アリアドネー所属のエクソシスト。
そもそも、一般的にエクソシストと言うのはあまり知られていない。どの組織にせよ、その部署は存在する。しかし、名前は違う。
それらを抜きにしても、AKUMA自体が知られていない以上、必然的にエクソシストが表舞台に出ると言う事は無い。
ゆえに、エクソシストの証であるローズクロスの入ったコートを着ていない今、エクソシストだと特定できる手段はイノセンスのみ。
その存在が知られていない以上、アリカの雇った傭兵として振る舞うことが可能なのだ。
「うむ。──では、これよりオスティア王宮へと乗り込む。出来得る限り敵は殺すな。彼らは父上の元に居て、それに従っているに過ぎない。私が王の座につけば、必ずしや我らが同胞となってくれようぞ!」
アリカは、共に乗り込む兵たちを鼓舞する。殺す訳にはいかない。元より殺すつもりなど無い。
これは『クーデター』であって『戦争』では無い。死者は必要ないのだ。
「──行くぞ!」
進撃は、始まる。
●
やはりと言うべきか、案の定と言うべきか。
オスティアの王宮の中には、AKUMAが蔓延っていた。ただし、その殆どはLv2までであり、共に進むエクソシスト二名の手で次々に葬り去られていく。
ファニーは引き続き監視及び偵察をし、残りの一人は別働隊と共に近くの兵たちを抑えている。その兵たちがAKUMAとは限らない。だからこそ、対抗できる戦力を用意したのだ。
紅き翼の面々も、大分自重しつつも暴れているらしい。四人のエクソシストとは別に、新たにイノセンスを手に入れた詠春もいる。恐らくこのクーデターは成功するだろう。
だが、
(──あまりにも、上手く行き過ぎている)
アリカの違和感は、歩を進める度に強くなっている。仮に奇襲が成功したからと言って、ここまで警備が薄くなるモノなのか? と、戦術的な意味合いから見てもこれは異常だ。
兵の警備が幾らなんでも杜撰 過ぎる。
窓が空いていたり、何か砂の様なものが空中を漂っていたりすることもあるが、それらにも違和感を抱く。本来ならば、閉めて然るべきなのだ。遠距離から何かが侵入する要素となり得る。しかも、この状況で、だ。
こういった王の建物というのは、大抵が強力な魔法防壁が敷いてある。だが、幾ら外側に魔法的な防壁が張ってあると言っても、限界も限度も存在する。
いくつかの可能性を秘めつつ、アリカは歩を進める。
「……姫さん」
「……何だ」
近くを歩くナギが、アリカの傍で声を出す。その声色は真剣そのものであり、いつものお茶らけた雰囲気は無い。
「この辺り、少し臭うぜ」
「臭う? どういう事だ」
「多分、あの二人も気付いてる。こいつはAKUMAが人を殺した時に出る腐臭だ。この中の人間、多分殆どAKUMAに殺されてるぞ」
有毒なガス。主にLv1のAKUMAが人を殺した際、猛毒のウイルスが全身を回って死に至らしめるが、その死んだ死体は灰となって消え、死体からは有毒の腐臭がする。
窓が開けてあったのも、警備が杜撰過ぎるのも、これなら説明がつく。
この王宮の中の人間は、恐らくほぼ全てがAKUMAに殺されているのだ。
「ならば、父上は──?」
伯爵に協力していたが、手を切られたとでもいうのか? アリカはそう考える。
元々尻尾を掴ませるような下手を打つ相手では無い。ならば、証拠隠滅や口を封じるためにAKUMAを送ってきてもおかしくは無いだろう。
「──急ぐぞ」
アリカは急かす様にそう言い、焦る気持ちを抑えながら先に進む。
●
王の間。そう呼ばれる部屋の扉の前まで来た。
ここはアベルが使っている部屋だ。仕事や睡眠も大抵ここでとる。つまり、この扉の先にはアベルが居ると言う事。
兵士達も、にわかに士気が上がっている。アリカが先王を下し、アリカが王になる事を望んでいるのだ。
そして──ゆっくりと、扉を開けた。
「やぁ、意外と遅かったじゃないか、アリカ」
椅子に寛いで座り、いつも通りの笑みを浮かべて、アベルはそこにいた。しかし、その隣にいるのは千年伯爵。
エクソシスト達は戦闘態勢で二人を見て、兵士達も同じ様に敵意を向けつつ警戒をする。
「クーデターか、まぁ予想通りと言えば予想通りだ。私の事に違和感を持たないと言うのも、少しばかりおかしな話だろうし」
紅茶を飲みながら、アベルは悠長に言った。
「もう少し上手くやってくれると助かったんですがねェ」
「そう言わないでくれよ、千年公。私は精一杯やったさ。兵士たちにとって、態々死に易い環境を整えたんだからね」
その言葉に、兵士たちの動きが固まる。本当の事なのか、自分の頭で考えているのだろう。
そして、その結論をいち早く出した一人が、怒りのままに手に持った大剣を振るった。
「やれやれ、この程度の安っぽい挑発に乗る様な人間か。つまらないな」
右手を軽く振る。それだけで、男はアベルの手前で動きを止めた。そして、部屋の奥から出てくる数体のAKUMA。
その内一体の体にある、複数の仮面が動く。体躯は人間ほどだが、体の至る所に仮面があり、その体の関節は野球ボール程度の球体で、どの方向にも曲がる様に出来ている。
仮面を付けられた男は、仮面が元々つけられていたAKUMAと同じ様に体を動かし始めた。
ゆっくりと、回転を始める。
腕は曲がる筈の無い方向へ、脚は曲がってはいけない方向へ、首は曲がらない方向へ。
骨が砕ける様な音と共に、その兵士の首を、脚を、腕をへし折って絶命させる。
「ヒィッ!?」
他の兵士がざわつく。当然だ。AKUMAの存在を知らない一般兵が、目の前で、その奇妙な力で殺されておきながら、正気でいられる筈がない。
「ま〜ず、一匹」
嗤う様に声を出し、恐怖感を煽るAKUMA。イノセンスも持たず、紅き翼ほどの地力は無く、『敵』に対しての知識も無い一般兵では、これだけで意志が揺らぐ。
道中で見たAKUMAは、人間の姿のままだった。次々に弓で貫いて行く傭兵 を疑問に思っていた物の、アリカが何も言わないならとついて来た。
しかし、実際にAKUMAの強大さをその目で見た兵士たちは、異形の姿と力に畏怖し、戦意を喪失させていく。
一歩ずつ、一歩ずつ後ろに下がっていく。
「皆殺シだ」
もう一体のAKUMAが動きだす。敵が更に増え、歪な笑みを浮かべるその姿を見て、兵士たちの心は折れた。
「う、うわぁぁぁぁぁ!!」
武器を投げ出し、後ろの扉から次々に逃げ出していく。しかし、その動きは突如として止まる。
まるで、何かに絡め取られたかのように。
「逃がさない逃がさない。お前等人間は俺らの餌だからなぁ」
蜘蛛の糸の様に張り巡らされた、頑丈で見えにくい糸。それに絡め取られていたのだ。
絶望感が身を包み、死の恐怖が身を蝕む。呼吸は乱れ、錯乱したように蜘蛛の糸から抜け出そうとするが、人間程度の力では断ち切る事など出来ない。
アルヴァは別のAKUMAと戦っている。ナギもギュスターブと同じ様に戦っている。数体のAKUMAの中にはLv3も混じっているのだ。エクソシストと言えど、そう簡単に破壊できる存在では無く。
更に言えば、ナギもここで『千の雷』を放つ訳にもいかないので、手間取っている。
──そして、兵士たちはいともあっさりとAKUMAに殺された。
アリカは、アベルと伯爵を睨む。怒り、憎しみ、そう言った類の負の感情が、今アリカの中で渦巻いている。
「どうした、アリカ? 私と敵対すると言う事は、つまりこういう事だぞ?」
アベルが伯爵と繋がっていると確信していた以上、それはノアやAKUMAが出てくる事を意味する。ただし、これはあくまでも『協力者』では無く、もっと深い関係である必要があるのだ。
政治に関われない王族など、唯のお荷物でしか無い。実際、戦力になるかと言えばそうではないだろう。
ならば、何故伯爵はこれほどの戦力をアベルに渡したのか。──考えてみれば、理由など一つしか浮かばない。
「分かったか、アリカ? 私はノアだ。ノアの一族、第四使徒『欲 』」
表出させた聖痕。そして、浅黒く染まる肌。そのどれもが、ノアの外見と一致する。
信じられなかった。否、信じたく無かった。
世界の平和を望む自身。その父が世界の終焉を望むなど、一体誰が想像しようか。少なくとも、表面上はアリカと同じ願いを抱いている様に思えたのだ。想像できる筈も無い。
「……それは、つまり。私にも、『ノア』の血が流れていると言う事ですか?」
アリカは、アベルに問うた。今一番聞きたいのは、その事だ。
「そうだな。厳密に言えば、全人類がそうだ 。血筋も血縁も血統も何も関係無く、人間であれば誰でもノアになり得るだろう」
ノアは人間の遺伝子には必ず含まれており、人間であれば誰でもノアになり得る。
しかし、亜人は幻想であり、造物主に作られた存在だ。だからこそ、亜人はノアに成れない 。
覚醒させる遺伝子を持たないのなら、ノアになど成れる筈も無いからだ。
「お喋りが過ぎますよ、デザイアス」
「おっと、彼女の癖が移ったかな。余計なことまでペラペラと話すようになってしまった」
「後で知ったら怒るでしょうねェ。ラストルはそう言う事を言われるのを嫌いますシ」
「千年公が黙っていれば問題無いさ。私は自分から話す気も無い」
普段通り過ぎる態度。戦場などとは思っておらず、彼らにとってこれは唯の遊びに過ぎない事だ。
「でもまぁ、君達には消えて貰った方が後々やり易いでしょうネ」
「ふむ。なら、潰しておこうか」
デザイアスは、軽く指を振る。それだけで、部屋の壁を破って大量の武器が姿を現した。
この部屋の近くには武器庫が用意されている。それを、デザイアスは壁を破壊して取り出したのだ。手を触れずに 。
「さて、さようなら、アリカ」
血の繋がった娘であろうと、躊躇無く武器を投擲する。それは高速で、デザイアスは手を触れずに殺そうとする。
──その瞬間、二人の人物が、窓を割ってその部屋へと侵入した。
クーデターと言うモノは、暴力的な手段の行使によって引き起こされる非合法な政変と呼ばれる事だ。単純に言えば現政権を力で奪い取る事とも言える。
社会制度と支配的なイデオロギーの政治的な転換については『革命』と呼ばれ、
統治機構に対する政治的な対抗については『反乱』と呼ばれ、
政治的な目的を達成するための計画的な暴力の行使については『テロリズム』と呼ばれ、
単一国家の国民が階級や民族・宗派などに分かれて戦う武力紛争については『内戦』と呼ばれる。
旧世界の歴史上のクーデターは、政権内の有力者、有力者を担いだ者または有力者を担ぐことを
中央集権(いわゆる王権など。権力がどこかに集中している状態)の場合は、中央政権のトップが入れ替わると地方勢力もそれに従う傾向が強いが、必ずしもそうとは限らない。
封建制度(いわゆる地方分権など。権力が地方等に分散している状態)の場合は、権力が一か所に集中してる訳では無い、と言う事があるので、クーデターをしても限定的なものであったり、地方勢力の反撃でクーデターそのものが失敗する事もある。
しかし、今回のそれは前者だ。王権である以上、王であるアベルに権力は集中しており、それをどうにか出来ればクーデターは成功する。
可能性としてカウンタークーデター(反クーデターとも呼ばれる。あるクーデターが起きてまもなく、それによって成立した政権に対し起こすクーデターの事)を警戒する必要もあるが、アリカにもアベルにも兄弟姉妹はいない為、同時に王位を狙う者はいない。その為、恐らく警戒は要らない。
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クーデターを行い成功させるには、軍部の協力を取り付け、尚且つ電撃戦として首都及び王宮を制圧。その後、自身の正当性を取りつけると言う方法を取る必要がある。
軍部の協力を取り付ける、というのは、アリカにとってさして問題では無かった。現王であるアベルは、王として政治家として三流だと思われているためだ。
やる事なす事全てが裏目に出て、被害は軍部に所属する者達へ行く。これで不満が無い訳がない。
その為、アリカに期待してクーデターに協力すると言う者は多かった。兵力は心配いらないだろう。……あくまでも、敵が一般兵であれば、の話だが。
戦術・戦力に置いては、クーデターでは奇襲の成功と資源の確保が重要となる。
ただし、既存の統治機構から権力を奪取して臨時政府を樹立することが目標となるために、通常の軍事作戦とは異なる側面も指摘されるだろう。
戦略的な局面において、クーデターの達成を確実なものにするためには、反撃を阻止して第三勢力による対抗クーデターや政治的介入を防ぐために活動の基盤となる物資や人員の喪失を回避しなければならない。
また、速やかに大衆の支持を獲得して既存の政府に対する支持を無力化する必要がある。軍事組織それ自体は政治的な正当性を備えた組織ではないために、迅速に国家の首都に部隊で占拠して権力の中枢に関与している指導的な政治勢力を排除するか、もしくは従属させることを計画しなければならない。
今回は軍部の殆どが味方の為反撃は恐れる必要は無く、第三勢力のクーデターは無い。オスティアは独立国であるものの、現状では連合の傘下に入る必要があるが、現時点での政治的介入は無いだろう。
大衆の支持を得る事に関しても、軍部と同じでアベルに不信感を持つ者は多い。その為、迅速にアベルの勢力を抑える事が出来れば、それでクーデターは成功する筈だ。
無論、従属させる事を念頭に置いているし、部下も共に突入するが、最悪の場合は自身の手でアベルを手にかける事も考えなくてはならない。
アリカにとって、覚悟を決めておく必要のある事だ。
戦術的な局面においては、クーデターは基本的には戦闘部隊が相手となるわけではないために、少数の部隊で実施することが可能である。しかし、
一般に、有効な攻撃目標としては通信施設、交通施設、首相官邸(この場合は王宮)等を上げる事になり、反撃を準備する猶予を与えないように短時間のうちに目標を完遂することが不可欠となる。
とはいえ、一度も戦闘せずに済ませられるかと言えばそうでは無い。警備は王宮内を絶えず巡回しているし、アベル派の軍部も未だ存在する。奇襲が成功したとしても、伯爵側の人間であればAKUMAを従えている可能性もあるのだ。
油断は出来ないし、するつもりも無い。
アリカにとって、これは一つの英断なのだ。ここから先の道は、踏み出せば後戻りはできない。いうなれば、
このクーデターが成功するかどうかは、正に『神のみぞ知る事』なのだろう。
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あの場所でナギと騎士の誓いをしてから、一ヶ月半。
この日の為に入念に準備をし、丹念に用意をし、 綿密に細密に繊密に緻密に詳密に備えた。
エクソシスト四名に協力を要請し、指名手配犯となっている紅き翼の面々は姿を隠して雑兵に紛れこんでいる。
計画開始まで後十数分。夜の闇に紛れて王宮へと奇襲を仕掛ける予定となっている。
その緊張感に包まれた雰囲気の中、アリカはとある部屋のテラスで月を見ていた。
白く淡く輝く月を見ながら、この国、この世界はどうなるのだろうか、と考える。
千年伯爵。この世界を終焉へと導く者。
現時点でも、既に圧倒的な戦力・勢力を誇っているにも関わらず、未だその目的を果たそうとしない。其処には何か理由があるのか、はたまた伯爵の唯の気紛れか。
「……どちらにしても、変わらぬ、か」
「なーにがだよ、姫さん」
現れたのは、ナギ。他の兵と同じ様に軍服を着て甲冑で身を隠している。指名手配犯である以上、これ位の配慮はしておく必要があるだろう。
「ナギか。……何、これもまた、伯爵の掌の上で踊っているに過ぎんのかも知れんと思ってな」
テラスの外、月明かりを背に、アリカはそう言う。
弱気になっているとも取れる発言だが、ナギとて、伯爵が本気で敵対すれば勝つ事は出来ない。イノセンスを持たない以上、それはほぼ絶対だ。
「つってもよ、ここまできたらやるしかないぜ。姫さんの親父さんの事とか、な」
「分かっておる。分かっておるし、納得もしておる──なぁ、ナギよ」
「何だよ」
月の方を見て、ナギに背を向けたアリカ。その状態でも、ナギは律儀に返事をする。
「この作戦は絶対に失敗するわけにはいかぬ。……必ず、成功させるぞ」
「……ハッ、今更だな。当たり前だ。絶対成功させるに決まってんだろ」
笑うナギ。甲冑の状態で笑っている為、ガチャガチャと金属音が鳴るが、それも気にはならない。
アリカは一度目を瞑り、静かに深呼吸を数度する。──そして、決行の時が来た。
予め司令は言い渡してある。時間になれば、その通りに動く事になるだろう。奇襲が成功し、打撃を与える事が出来れば、後は突破する事は難しくない。
「──行くぞ、我が騎士、ナギ」
「──了解したぜ、姫さん」
王たり得るものとして、アリカは威風堂々と歩み始めた。
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ファニー・ルルーは、とある場所でイノセンスを操作していた。
『蟲籠』と呼ばれる装備型のイノセンスだ。この中には大量の蟲が入っており、その一体一体を個別に操作する事が出来る。
当然ながら、群体として操作することも可能だ。そうでなければ、精神の疲労は半端なものでは無い。
百足や羽虫に蠅や蜘蛛。様々な蟲がオスティアの王宮の各所を這いずり回り、監視や偵察を行っている。
「……よし、奇襲は成功や。作戦は第二段階に移るで」
ファニーが指示を飛ばす。その視線の先には、複数人の甲冑姿の男達と、二人のエクソシスト。
黒いコートに身を包み、その白髪交じりの短い髪を掻きながら座りこむファニーに対し、同じ様に黒いコートに身を包み、武器の手入れをしているアルヴァと水を飲んでいるギュスターブがいた。
「オーケー、まかせろファニー」
「オレはお前等を援護する。ギュスターブ、しっかり『視ろ』よ」
「分かってるさ。殺されるのは俺も御免だしな」
連合所属のエクソシストと、帝国、アリアドネー所属のエクソシスト。
そもそも、一般的にエクソシストと言うのはあまり知られていない。どの組織にせよ、その部署は存在する。しかし、名前は違う。
それらを抜きにしても、AKUMA自体が知られていない以上、必然的にエクソシストが表舞台に出ると言う事は無い。
ゆえに、エクソシストの証であるローズクロスの入ったコートを着ていない今、エクソシストだと特定できる手段はイノセンスのみ。
その存在が知られていない以上、アリカの雇った傭兵として振る舞うことが可能なのだ。
「うむ。──では、これよりオスティア王宮へと乗り込む。出来得る限り敵は殺すな。彼らは父上の元に居て、それに従っているに過ぎない。私が王の座につけば、必ずしや我らが同胞となってくれようぞ!」
アリカは、共に乗り込む兵たちを鼓舞する。殺す訳にはいかない。元より殺すつもりなど無い。
これは『クーデター』であって『戦争』では無い。死者は必要ないのだ。
「──行くぞ!」
進撃は、始まる。
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やはりと言うべきか、案の定と言うべきか。
オスティアの王宮の中には、AKUMAが蔓延っていた。ただし、その殆どはLv2までであり、共に進むエクソシスト二名の手で次々に葬り去られていく。
ファニーは引き続き監視及び偵察をし、残りの一人は別働隊と共に近くの兵たちを抑えている。その兵たちがAKUMAとは限らない。だからこそ、対抗できる戦力を用意したのだ。
紅き翼の面々も、大分自重しつつも暴れているらしい。四人のエクソシストとは別に、新たにイノセンスを手に入れた詠春もいる。恐らくこのクーデターは成功するだろう。
だが、
(──あまりにも、上手く行き過ぎている)
アリカの違和感は、歩を進める度に強くなっている。仮に奇襲が成功したからと言って、ここまで警備が薄くなるモノなのか? と、戦術的な意味合いから見てもこれは異常だ。
兵の警備が幾らなんでも
窓が空いていたり、何か砂の様なものが空中を漂っていたりすることもあるが、それらにも違和感を抱く。本来ならば、閉めて然るべきなのだ。遠距離から何かが侵入する要素となり得る。しかも、この状況で、だ。
こういった王の建物というのは、大抵が強力な魔法防壁が敷いてある。だが、幾ら外側に魔法的な防壁が張ってあると言っても、限界も限度も存在する。
いくつかの可能性を秘めつつ、アリカは歩を進める。
「……姫さん」
「……何だ」
近くを歩くナギが、アリカの傍で声を出す。その声色は真剣そのものであり、いつものお茶らけた雰囲気は無い。
「この辺り、少し臭うぜ」
「臭う? どういう事だ」
「多分、あの二人も気付いてる。こいつはAKUMAが人を殺した時に出る腐臭だ。この中の人間、多分殆どAKUMAに殺されてるぞ」
有毒なガス。主にLv1のAKUMAが人を殺した際、猛毒のウイルスが全身を回って死に至らしめるが、その死んだ死体は灰となって消え、死体からは有毒の腐臭がする。
窓が開けてあったのも、警備が杜撰過ぎるのも、これなら説明がつく。
この王宮の中の人間は、恐らくほぼ全てがAKUMAに殺されているのだ。
「ならば、父上は──?」
伯爵に協力していたが、手を切られたとでもいうのか? アリカはそう考える。
元々尻尾を掴ませるような下手を打つ相手では無い。ならば、証拠隠滅や口を封じるためにAKUMAを送ってきてもおかしくは無いだろう。
「──急ぐぞ」
アリカは急かす様にそう言い、焦る気持ちを抑えながら先に進む。
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王の間。そう呼ばれる部屋の扉の前まで来た。
ここはアベルが使っている部屋だ。仕事や睡眠も大抵ここでとる。つまり、この扉の先にはアベルが居ると言う事。
兵士達も、にわかに士気が上がっている。アリカが先王を下し、アリカが王になる事を望んでいるのだ。
そして──ゆっくりと、扉を開けた。
「やぁ、意外と遅かったじゃないか、アリカ」
椅子に寛いで座り、いつも通りの笑みを浮かべて、アベルはそこにいた。しかし、その隣にいるのは千年伯爵。
エクソシスト達は戦闘態勢で二人を見て、兵士達も同じ様に敵意を向けつつ警戒をする。
「クーデターか、まぁ予想通りと言えば予想通りだ。私の事に違和感を持たないと言うのも、少しばかりおかしな話だろうし」
紅茶を飲みながら、アベルは悠長に言った。
「もう少し上手くやってくれると助かったんですがねェ」
「そう言わないでくれよ、千年公。私は精一杯やったさ。兵士たちにとって、態々死に易い環境を整えたんだからね」
その言葉に、兵士たちの動きが固まる。本当の事なのか、自分の頭で考えているのだろう。
そして、その結論をいち早く出した一人が、怒りのままに手に持った大剣を振るった。
「やれやれ、この程度の安っぽい挑発に乗る様な人間か。つまらないな」
右手を軽く振る。それだけで、男はアベルの手前で動きを止めた。そして、部屋の奥から出てくる数体のAKUMA。
その内一体の体にある、複数の仮面が動く。体躯は人間ほどだが、体の至る所に仮面があり、その体の関節は野球ボール程度の球体で、どの方向にも曲がる様に出来ている。
仮面を付けられた男は、仮面が元々つけられていたAKUMAと同じ様に体を動かし始めた。
ゆっくりと、回転を始める。
腕は曲がる筈の無い方向へ、脚は曲がってはいけない方向へ、首は曲がらない方向へ。
骨が砕ける様な音と共に、その兵士の首を、脚を、腕をへし折って絶命させる。
「ヒィッ!?」
他の兵士がざわつく。当然だ。AKUMAの存在を知らない一般兵が、目の前で、その奇妙な力で殺されておきながら、正気でいられる筈がない。
「ま〜ず、一匹」
嗤う様に声を出し、恐怖感を煽るAKUMA。イノセンスも持たず、紅き翼ほどの地力は無く、『敵』に対しての知識も無い一般兵では、これだけで意志が揺らぐ。
道中で見たAKUMAは、人間の姿のままだった。次々に弓で貫いて行く
しかし、実際にAKUMAの強大さをその目で見た兵士たちは、異形の姿と力に畏怖し、戦意を喪失させていく。
一歩ずつ、一歩ずつ後ろに下がっていく。
「皆殺シだ」
もう一体のAKUMAが動きだす。敵が更に増え、歪な笑みを浮かべるその姿を見て、兵士たちの心は折れた。
「う、うわぁぁぁぁぁ!!」
武器を投げ出し、後ろの扉から次々に逃げ出していく。しかし、その動きは突如として止まる。
まるで、何かに絡め取られたかのように。
「逃がさない逃がさない。お前等人間は俺らの餌だからなぁ」
蜘蛛の糸の様に張り巡らされた、頑丈で見えにくい糸。それに絡め取られていたのだ。
絶望感が身を包み、死の恐怖が身を蝕む。呼吸は乱れ、錯乱したように蜘蛛の糸から抜け出そうとするが、人間程度の力では断ち切る事など出来ない。
アルヴァは別のAKUMAと戦っている。ナギもギュスターブと同じ様に戦っている。数体のAKUMAの中にはLv3も混じっているのだ。エクソシストと言えど、そう簡単に破壊できる存在では無く。
更に言えば、ナギもここで『千の雷』を放つ訳にもいかないので、手間取っている。
──そして、兵士たちはいともあっさりとAKUMAに殺された。
アリカは、アベルと伯爵を睨む。怒り、憎しみ、そう言った類の負の感情が、今アリカの中で渦巻いている。
「どうした、アリカ? 私と敵対すると言う事は、つまりこういう事だぞ?」
アベルが伯爵と繋がっていると確信していた以上、それはノアやAKUMAが出てくる事を意味する。ただし、これはあくまでも『協力者』では無く、もっと深い関係である必要があるのだ。
政治に関われない王族など、唯のお荷物でしか無い。実際、戦力になるかと言えばそうではないだろう。
ならば、何故伯爵はこれほどの戦力をアベルに渡したのか。──考えてみれば、理由など一つしか浮かばない。
「分かったか、アリカ? 私はノアだ。ノアの一族、第四使徒『
表出させた聖痕。そして、浅黒く染まる肌。そのどれもが、ノアの外見と一致する。
信じられなかった。否、信じたく無かった。
世界の平和を望む自身。その父が世界の終焉を望むなど、一体誰が想像しようか。少なくとも、表面上はアリカと同じ願いを抱いている様に思えたのだ。想像できる筈も無い。
「……それは、つまり。私にも、『ノア』の血が流れていると言う事ですか?」
アリカは、アベルに問うた。今一番聞きたいのは、その事だ。
「そうだな。厳密に言えば、
ノアは人間の遺伝子には必ず含まれており、人間であれば誰でもノアになり得る。
しかし、亜人は幻想であり、造物主に作られた存在だ。だからこそ、
覚醒させる遺伝子を持たないのなら、ノアになど成れる筈も無いからだ。
「お喋りが過ぎますよ、デザイアス」
「おっと、彼女の癖が移ったかな。余計なことまでペラペラと話すようになってしまった」
「後で知ったら怒るでしょうねェ。ラストルはそう言う事を言われるのを嫌いますシ」
「千年公が黙っていれば問題無いさ。私は自分から話す気も無い」
普段通り過ぎる態度。戦場などとは思っておらず、彼らにとってこれは唯の遊びに過ぎない事だ。
「でもまぁ、君達には消えて貰った方が後々やり易いでしょうネ」
「ふむ。なら、潰しておこうか」
デザイアスは、軽く指を振る。それだけで、部屋の壁を破って大量の武器が姿を現した。
この部屋の近くには武器庫が用意されている。それを、デザイアスは壁を破壊して取り出したのだ。
「さて、さようなら、アリカ」
血の繋がった娘であろうと、躊躇無く武器を投擲する。それは高速で、デザイアスは手を触れずに殺そうとする。
──その瞬間、二人の人物が、窓を割ってその部屋へと侵入した。