第三十三夜:吟味するべき日常
二月は中旬になっても寒い。そんな中、無風かつ日の光であったまり、ほっこりとしつつ大量の食糧を食べ漁っている少女が一人。
見た感じ痩せていて、絶対に許容量を超えているとしか思えない量の食べ物を、余裕綽々とばかりに喰い散らかしている。
屋上で壁を背にしつつ、刹那はそのいつも通りの光景をみて欠伸をした。
入学当初からこんなもので、彼女の食事量の多さは今に始まった事では無い。
そんな光景を見ている時、刹那の耳に喧嘩の様な声が聞こえた。
運動場の方で何やら騒がしくなっている様で、目を向けてみれば、ウルスラ──麻帆良の高校の一つ──の生徒と2-Aの誰かが言い争いになっている様だ。
「ふーん。なんか面白そうだね」
大方食べ終わったのか、香奈が唇を舐め回しながら呟く。
「下らないな。ガキの喧嘩だろう、あれは」
興味も無さそうに刹那が言い、香奈はフェンスに掴まってジッと見つめている。数秒してから、よし、と一言つぶやき、腕に力を込めた。
「なんか面白い事があってる気がするから、ちょっと行ってくる」
「待て。お前、此処がどこか分かっているのか? フェンスを乗り越えて飛び降りれば、自殺かなんかだと思われるぞ」
フェンスを乗り越えようとした香奈の首根っこを掴み、刹那が無理矢理動きを止めた。
妙な体制のまま、香奈は刹那に文句を言う。
「私なら大丈夫だってわかってるじゃない。いいでしょ、別に」
「良くないな。どれだけ目立つと思っているんだ。それに、ああいう事は教師に任せるべきだろう」
当然の様に当たり前の事を語られ、「むー」と黙る香奈。そうこうしている間に高畑が出て来て、あっと言う間に場を静めてしまったようだ。
「つまんないなぁ。ああいう乱痴気騒ぎなら大歓迎なんだけど。この学校って、こういう事があるから飽きないんだよね」
「首を突っ込むのは勝手だが、出来るだけ目立たない範囲でやれ。いろいろと面倒な事になるだろうが」
「容姿が一番目立ってる刹那に言われたくないなぁ」
笑いながら言う香奈に対し、溜息を零す刹那。昼休み終了のチャイムが鳴り、二人は次の授業の為に教室へと足を運ぶ事にした。
●
体育と言う事で着替えを済ませ、屋上へやって来た3-Aの面々。そこには、何故か高等部の生徒たちがいた。
制服のままバレーをしていたのか、軽く服装が乱れている。
「あら、また会ったわね、アンタ達」
「偶然ね」
驚いたような顔をしつつ、ウルスラの学生達が思った事を口に出した。
話を聞けば、彼女達は自習の為、レクレーションでバレーをやるとの事。今回は私達が速かったから帰れと言う為、一触即発の空気が広がって行く。
「……で、何でネギ先生が此処にいるの?」
「えっと……体育の先生が急用で来れなくなったので、代わりにと頼まれたんですが……」
ウルスラの生徒たちに抱きしめられ、上手く動く事が出来ていないネギ。何とか引き剥がそうとしている様だが、魔力強化もしていない十才児の腕力では、女とはいえ高校生の腕力には敵わない。
「おば様たちの校舎はあちらでしょう? わざわざこちらの校舎に来てまでやる事は無いのではありませんの?」
雪広が喧嘩腰でウルスラの生徒たちに告げる。それを受けても余裕を崩さないウルスラの生徒達。
「へー、今度は言いがかり? 流石おこちゃまねー」
逆に笑いながら挑発してくるウルスラの生徒。それに対し、沸点を超えかけている2-Aの数名。
どうにかしたいネギだが、ウルスラの生徒の一人が抱きしめて動く事が出来ないので、どうしようもない。
(というか、言い掛かりも何も無いでしょ。そもそも授業と自習じゃ優先度の違いってモンがあると思うんだけどね)
香奈は呆れつつも、今にも取っ組み合いに発展しそうなメンバーを抑えている。
自力でウルスラの生徒の捕縛から脱出したネギは、連絡用にと渡された携帯を操作し始める。それを疑問に思いながら見ていた面々だが、次の言葉で度肝を抜かれた。
「……あ、馬場先生ですか? 高等部の二年生学年主任の」
ゲッ! と一歩後ずさるウルスラの生徒達。それを気にせず、ネギは現状を淡々と告げていく。
「……ええ、そうです。どうにも僕が相手じゃ話を聞いてくれないようでして……あ、直ぐに来て貰えるんですか。ありがとうございます」
そう言ったのを皮切りに、ウルスラの生徒たちは不味いと思ったのか、直ぐ様屋上から出て校舎へと戻って行った。
張り詰めていた空気は弛緩し、2-Aのほとんどのメンバーがネギの傍へと寄って行く。
「凄いね、ネギ君。馬場先生に連絡するなんて、あの人達も懲りるんじゃない?」
馬場先生と言うのは、中等部で言う新田先生の様な存在であり、高等部の生徒を受け持っている先生の事だ。
「あ、いえ。連絡はしてないんですよ」
「? どういう事?」
ネギは、耳にあてたままの携帯をそのまま全員に見せる。携帯の画面には、待ち受け画面が表示されていた。
その意味が分かった数名は、感心した様子でネギの顔を見ている。
「え? 何? どういう事?」
わかっていない数名は、超や葉加瀬等の顔を見て疑問を漏らす。
「つまり、ネギ坊主は馬場先生に連絡した『振り』をした訳カ」
「ええ、まぁ、そうですね。あちらも今は授業中ですし、改めて報告はするつもりですが」
授業中に電話で連絡をするなど、授業の邪魔でしか無い。というか、そもそもあちら側が授業があっているなら携帯に出る筈がないのだ。
そうで無くても、マナーモードにしている可能性は高いし、出る可能性はそんなに高くない。
詰まる所、ネギがやったのは唯のハッタリだ。
「それじゃ、体育の授業を始めましょうか」
ネギの浮かべた笑みが、とても黒く見えた一同であった。
●
三月に入り、大分温かくなって来た今日この頃。もう直ぐ期末テストがある為、各クラスはピリピリとした雰囲気を放っている。
そんな中、ベルとネギは学園長室へと呼びだされていた。
「それで、何の用ですか?」
「うむ。もう直ぐ期末テストじゃ。そこで、教育実習生から正式な教員になる為の最終試験を受けて貰う」
教師として必要最低限の知識などは事前に研修で受けているが、最終的な決定権は学園長である近右衛門にある。
つまり、学園長が認めなければ、ネギとベルは正式な教員としては認められず、修行は失敗となってしまう。
「なるほど……一体どんな試験なんだろうね、お姉ちゃん」
「このタイミングで言って来たんだし、期末テストでいい点数を取らせるとか、そう言うのじゃないの?」
「竜種の討伐とかだったら嫌だなぁ」
「聞きなさいよ愚弟。というか、日本の学校の敷地内に竜種なんて居る訳ないでしょうが」
(……居るんじゃけどな)
学園長が思っている事など露知らず、ネギとベルは学園長の方を向いて続きを促す。
「……まぁ、ベルちゃんの言う通り、期末テストの事じゃな。2-Aの学年最下位脱出。それが合格ラインじゃ」
「……最下位脱出って、総合点数?」
「そうじゃな」
「何で?」
敬語を使う事などどこ吹く風。ベルは疑問をそのまま学園長にぶつけた。
「私達の担当が英語だから、英語の点数を上げるのは分かるわ。でも、総合点数って英語だけじゃ無いじゃない。数学に国語に理科社会。期末である以上は副教科も入るから、単純に最下位脱出って言っても難易度が跳ね上がるわよね」
「大丈夫じゃよ。最下位脱出と言っても、2-Aは他のクラスと最下位争いをしてるくらいじゃ。成績が低い者が各教科十点ずつでも上げれば、それだけでも十分最下位脱出は出来るじゃろうて」
それでも割と頑張る必要があるのだが、低い者はやる気がないだけで、頑張れば点数を上げる事はそれほど難しくない、と学園長は考えている。
古菲などは英語の他に日本語もまだ完全ではない為、そもそもテストの問題が読めないといった問題も存在したりする。
「……というか、もうテスト一週間前よ? 言うのがちょっと遅いんじゃない?」
「……まぁ、何とかなるじゃろうて。皆頭のいい子じゃからの」
頭が良いなら学年最下位になんてならないでしょうが、とは思っても口に出さない。
少なくとも、学園長はこの時期から始めても大丈夫だと言っているのだ。やるしかないだろう。
●
教室へと入り、教壇に立つネギ。ベルは教室の後ろにいて、ネギの様子を見ている。
「えー、皆さんの今までの成績を見ました。このままでは不味いと思ったので、今日のHRは勉強会をしたいと思います」
真剣な雰囲気のまま、ネギがそう言う。それを見ながら、雪広はネギの意見に全面的に肯定した。
「素晴らしいご提案ですわ、ネギ先生。僭越ながら、私も先生のお手伝いを……」
「はいはーい! 提案提案!」
雪広が話している所で、椎名が口をはさんで来た。
「はい、椎名さん。なんですか?」
「では! お題は『英単語野球拳』が良いと思いまーす!」
周りの全員はそれに便乗する様に囃したて、雪広が抑えようとするも時既に遅し。何故か既に準備完了な全員は、やる気満々の目でネギを見ている。
ちなみに、ベルは後ろの壁に頭をぶつけていた。椎名の意見に驚いたのか、呆れたのかは分からない。
ネギはそもそも英単語野球拳を知らない為、首を傾げている。
「……ネギ先生。英単語野球拳って言うのは、詰まる所『英単語の問題を出して、間違えたら一枚ずつ衣服を脱いでいく』ゲームの事だよ」
香奈がフォローする様に告げると、やはりと言うべきか、ネギも驚きか呆れで教壇に頭をぶつけていた。
「何ですかソレーッ! って言うか、椎名さんはそんなのやろうとしてたんですか!?」
「えー? だって、こういうのをやった方が必死になって覚えようとしない?」
「確かに必死にはなりますけど! やったら僕の首が飛びますよ!」
まぁ、普通に考えりゃそうだよね。と、割と速く熱から冷めた朝倉が呟く。その様子を見た雪広は、安心したように一息つく。
ちょっと疲れた様子で、ネギは手元のプリントを配り始めた。
「……取りあえず、英語に関してはテスト課題用のプリントをコピーして来たので、今日はこれをやってください」
そう言うのがあるなら最初からそれをやろうよ。と誰かが呟いたが、返す者は居ない。
他の教材に関しては管轄外なので、それぞれ担当の先生に頼んでテスト範囲の要点をまとめたプリントでも用意して貰うしかないだろう。
というか、それしか方法が無い。範囲位は聞けばわかるのだろうが、流石に二人で全教科分を用意した上で、答え合わせと模範解答までやっていては時間が足りなさ過ぎる。
学力としては点数が特に悪い者は四名。其の四名は個別に間違えた所を指導し、宿題としてまたプリントを用意したりと、忙しく働いていた。
●
夜。風呂場にて『魔法の本』の噂を聞き、楽をしたいと言う綾瀬の言葉と、誰かが意図的に流したであろう『最下位のクラスは小学校からやり直し』という噂を信じた為、綾瀬達図書館島探検部が抜擢したメンバーが、図書館島前に集まっていた。
ネギやベルを連れてくることも提案したが、子供を連れてくるのは流石にアレだから、と言う事でボツ案となっている。
メンバーは図書館探検部から早乙女と宮崎が通信でフォロー。実動部隊として木乃香、まき絵、長瀬、古菲、アスナ、刹那、雪音、香奈と、大人数が集まっていた。
「……流石に、ちょっと人数が多過ぎると言う気はしますね」
「ええんちゃう? 少なくて困る分はあっても、多くて困る分はないやろ」
木乃香はそう言うが、刹那としては甚だ行く事に反対なのだ。
一応護衛として麻帆良に来ている身だが、そもそも護衛よりも自分の都合を優先させているし、護衛は雪音に完全に任せている。
信頼している訳ではなく、興味がない。ここに来たのも、香奈が無理矢理連れてきたからに過ぎない。
雪音は木乃香が行くなら文句は無いだろうし、香奈としては確かめたい事もある為、無理矢理刹那を引っ張って来たのだ。
恐らくは、刹那にとっても無益なことではないだろう、と判断して。
「さて。それでは、出発しましょうか」
先陣を切ったのは綾瀬。手慣れた様子で地下への扉を開け、その奥へと足を踏み入れた。