第四十夜:修学旅行
勢いよく目覚まし時計が鳴りだした──かと思えば、ネギがそれを鳴った瞬間に止め、跳び起きてリュックとその他の荷物を準備し始めた。
ニコニコした笑顔で準備を素早く終えたネギは、修学旅行のしおりを見直して時刻を確認する。
そして、隣で未だ寝ているベルを起こしにかかった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん! そろそろ起きないと駄目だよ。教員は生徒よりも集合時間が早いんだから」
「…………Zzzz」
「……凄い眠りっぷりですね。ベルの姐さんって朝に弱いんでしたっけ」
「うん。カモ君は知らないだろうけど、ウェールズの魔法学校にいた頃はよく遅刻してたんだよ」
普段は出来るだけ早く寝て早く起きる事を心がけているのだが、修学旅行の日とあっては輪をかけて起床時刻が早い為、起きられないらしい。
それでも寝せておく訳にいかないので、必死に揺すってようやく起きた。
半眼でボーッとしており、未だに目が覚めきって無い事が分かる。
顔を水で洗ってようやく調子が出始めたらしく、簡単に朝食を用意して食べ、準備を整えた。
そのまま駅まで向かい、ベルは未だ眠そうに目を擦りながら電車に乗り込む。電車の中は時間帯から考えてもガラガラで空いており、座れる席など其処彼処にある。
手近にある空いている席に座り、腕時計で時間を確認してからネギが呟いた。
「修学旅行かぁ……楽しみだね、お姉ちゃん」
「そうね。学校に行ってる間は勉強ばっかりだったし、父さんは居ない時が多かったからどこかに出かける暇も無かったし」
ナギが伯爵関連でそれだけ多忙でもあったと言う事なのだが、この二人に知る由は無い。
その和気藹々とした様子の二人を見て、カモが口をはさんで来た。どうにも口調からするに心配している様だ。
「でも、親書を届ける仕事もありますぜ? 油断してたら駄目っすよ、兄貴、姐さん」
「うん」
「言われなくても分かってるわよ」
素直に頷くネギとぶっきらぼうに返すベル。カモに対しての扱いが如実に表れている。
他愛も無い話をしている間に電車は集合場所の駅へと到着し、荷物を持って電車から降りた。時刻は八時。集合時刻は九時となっているのだが、教員は話し合いも含めて一時間程度前には到着しておかなければならない。
其処には教員は当然として生徒も既に何人か来ている様で、修学旅行をどれだけ楽しみにしているかが窺える。
「楽しみだねー、ネギ君!」
「はい! 京都に行くのは初めてなので、いろんな所を見て回りたいですね」
「何言ってんのよネギ。アンタ一回京都に行った事あるでしょうが」
「え? そうなの?」
まき絵とネギの会話を聞き、気になった言葉を聞いたので口をはさむベル。
「京都には父さんの別荘があって、詠春さんとも会ったでしょ……と言っても、ネギはまだ小さかったから覚えて無いでしょうけどね」
「そうなんだ。ネギ君とベルちゃんのお父さんってお金持ちなんだね」
感心した様な声を出すまき絵。驚きと尊敬した様な感情が半々、と言ったところだろうか。
元気よくネギ達に挨拶してくる生徒と話しつつ、先生たちとも挨拶を交わす。瀬流彦はネギ達に魔法先生だと伝えられていないものの、陰でサポートする様に言付けられている。
時間がたつごとに徐々に集まって行き、出発三十分前には既に判別の点呼を終え、全員が揃っていた。
「それじゃ、3-Aの皆さん! 班ごとに新幹線に乗ってください!」
小さな旗の様なモノを持ったままネギが言い、ベルが班員を再度確認しながら座席を指定していく。
「一班良し。二班良し。三班良し。四班良し。五班良し。六班良し、と……人数は確認したし、記入漏れも無し。大丈夫ね」
「六班だけ四人なんだっけ」
ネギがベルの手元にある紙を見ながら呟き、ベルはそれに答える。
確認している紙にはそれぞれ班員の名前が書かれており、関係者と非関係者で大体が分けられている。一般人や一般生徒が襲われると言う可能性は危惧していないらしい。
「ザジさん、神谷さん、結城さん、長瀬さんの四人ね。まぁ、仲の良い人達で固まる事も多いし、中には珍しい組み合わせもあるでしょ」
「ふぅん……」
「近衛さんの班には桜咲さんもいるし、アスナさんもいる。何か有った際には連絡が来るでしょうし」
アスナとは麻帆良で会ったのが初めてだが、ナギからも話は聞いているし、アスナもネギ達の事は知っていた。
木乃香の周りの事も知っている為、有事の際には連絡を取る事が出来るだろうと判断し。
そして、新幹線はゆっくりと動き出した。
●
修学旅行と言う事で、既にテンションがゲージを振り切りつつある3-Aのメンバー。
その中で、刹那たちの班が居る場所は異様なまでに静かだった。まるでそこだけ切り取られた別空間の様に静寂が漂っており、かと言って険悪な雰囲気が流れている訳ではない。
ザジは元々自分から話しだす様なタイプではなく、刹那も話題を振られない限りは黙っているタイプだ。しかし、割とお祭り好きの楓は別の班の所に移動して雑談している。
香奈は各班を歩き回っており、薄く広く辺りを警戒していた。何があっても対応できるように。
刹那はおもむろに立ち上がり、車両間の自販機ブースへと足を運ぶ。
その後ろにはベルがおり、何かを気にした様な口調で話しだした。
「神谷さん。あなた、近衛さんの護衛でしょう? 一緒の班じゃ無くて良いの?」
幾ら雪音が一緒とはいえ、護衛の任を受けている以上は同じ班で護衛をするのが当然ではないか、と暗に告げている。
それに対し、刹那は興味も無さそうに答えた。
「私も護衛を受けていますが、あくまで桜咲の補佐程度。彼女がいるなら問題無いでしょう。私にしても、やる事がありますから」
その声色は変わる事無く冷たい。実の姉妹で此処まで他人行儀なのも珍しい。だが、どちらかと言えば刹那が一方的に雪音を嫌っているようにさえ思える。
その理由がなんなのか。聞きだしたい所ではあるが、流石に其処まで踏み込むのは無遠慮過ぎる。常識を持っていれば誰でもそう考えるだろう。
加えて、刹那にそんな事を聞いても話しそうにはない。という印象がついている事もあるのだろう。
ベルは何かを告げようとしたが、それを遮るように刹那が声を発した。
「それに、心配せずとも既にこの車両からお嬢様の為の護衛も付いていますよ。関西とて無能ではありませんから、多少の対策は打っています」
「……そう。なら大丈夫でしょうね」
これ以上何かを問い詰めても無駄だろう。刹那は雪音と和解しようとはしないし、木乃香の護衛としての仕事はするだろうが、それだけだ。
それ以上でも、それ以下でも無い。傭兵の様に淡々と仕事をこなし、護衛する対象など考えずに護衛をするのだろう。
「先生こそ、親書を届ける仕事があるのでしょう? 護衛は彼女に任せ、自身の仕事に集中した方がいいですよ」
近右衛門がベルとネギに木乃香の事を伝えたのも、認識の齟齬から敵対する様な事を無くすためだ。隠していたとしても、木乃香の事がバレて護衛をしたがために親書を届けられなかった、等と言う事態を防ぐ意味合いもある。
ネギ達には親書を届ける仕事に集中させ、護衛は刹那と雪音達に任せろと言う事を暗に含んだ意味合いを持つ、と言う事だ。
「分かってるわ。出来るだけ早く届けるつもりだけど、動ける日を考えれば三日目頃になるわね」
「そうですか。恐らく親書も狙われるでしょうから、出来るだけ気を付ける様にしておいた方が得策ですよ。……それだけであれば、失礼します」
刹那はベルの横を通って自分の座席へと戻って行き、それを見届けたベルは小さく溜息を吐く。
護衛云々はともかく、刹那の性格が問題だ。
まるで何かに取りつかれたかのように動き、頼まれた仕事を放棄してまでやるべき事とは一体何なのか。
一抹の不安を抱えつつ、新幹線は何事も無く京都へと到着した。
●
京都、清水寺。
そこではクラス別に集合写真を撮り、その後自由に見学をしていい事になっている。
晴天の空が広がり、清水寺の舞台から見る景色は正に絶景。四月の生温い風が頬を撫で、余りの絶景に感嘆の声を漏らす。
一部清水の舞台と言う事で飛び降りをさせようとしている者もいるようだが、既に周りの者の手によって止められていた。
3-Aのテンションは京都に着いた時点で既にゲージを振り切り、周りの客に迷惑をかけないようにと言う注意さえ碌に聞こえていなかった。
綾瀬はペラペラと清水寺の説明をし、ネギは熱心にその説明を聞いている。
個人的な写真を撮ったり、用意されている仏閣の説明文を読んだりと各々好きなように過ごしている様だ。
「そう言えば、この先の地主神社では恋占いが大人気です。後は、あの音羽の滝で流れている三筋の水を飲むと健康・学業・縁結びが成就すると言われてるですね」
綾瀬の指差した先は石段の下。三筋の滝が流れる音羽の滝があった。
"縁結び"と言う事で興味を持ったのか、ネギを連れて半数以上の生徒がそちらへと歩いて行く。
それを傍目に見ながら、ベルはキョロキョロと周りを見渡す。
「どうしたの、ベル先生? さっきからキョロキョロ周りを見て」
「ううん……神谷さんが居ないみたいなんだけど、何処行ったか知らない?」
先程の生徒の流れを見ていても、今残った生徒達を見渡しても、何処にも刹那が見当たらない。其の事を香奈に話すが、香奈はベルの耳元へと小さく呟いた。
「刹那なら、関西の長に仕事を頼まれてる。今はそっちを優先してるから上手く誤魔化しといて、ってさ」
内容が内容であるだけに、出来るだけ人に聞かせないようにするのは分かる。
だが、それ以上に驚いたのは香奈が魔法関係者だと言う事をあっさりばらしたと言う事だ。今まで話さなかったのは、何か理由があったのか、それとも単に話す気も機会も無かっただけなのか。
どちらにせよ、関係者だと判明した以上は敵味方を判別しておく必要がある。
「……あなたは、どちら側?」
「ん? 私は刹那と同じだよ。護衛でも無いし、関西の長とつながりがある訳でもないけどね」
笑みを浮かべながら告げる香奈。元の容姿も含め、その光景は一つの絵にさえなりそうなほど端麗な姿を見せる。
「今日の夜には戻ってくると思うし、刹那の事なら心配はいらないよ。雪音ちゃんよりも強いらしいしね」
香奈も刹那と雪音が実際に戦っている所を見た事がある訳ではないのだ。唯、太刀筋や戦い方等を考慮すれば、刹那に軍配が上がる事は間違いないだろう。
「それよりも、あっちを心配した方がいいと思うな」
香奈が指差した先には、音羽の滝に仕掛けられた酒を間違って飲み、寝てしまった3-Aの面々がいた。
飲酒をした事がバレれば修学旅行中止ともなりかねないが、そもそも故意に飲んだ訳でも無いのでそれは無いだろう。
酒樽が仕掛けられている事も発覚し、新田先生は酷い悪戯として扱う事にしたらしく、酒を飲んで寝ている者達をバスへと運んでいた。
担任教諭として、ベルもあそこへ行く必要があるだろう。
「……そうね。詳しい事は宿へ行ってからでいいかしら」
「別に良いよ。聞きたい事があるならその時にでも」
短い会話を最後に交わし、音羽の滝にいる皆の所へと歩き始めた。
その背後には香奈やベルたちを監視する者の姿があり、香奈はそれらに気付いていながら対処をしなかった。今は何も出来ないだろう、と判断して。
●
血溜まりに肉塊が浮かぶ。
返り血で緋色に染まった髪や服を気にせず、刹那は歩み続ける。
来ている服は後で処分する為の安物だ。制服を着てこういった事をする気は毛頭ない。それは、証拠を残す事と同義でもあるし、何より制服の替えは用意するのが難しい。
高いのも理由の一つであり、麻帆良女子中の制服は発注してから数日後に寮に届けられる事になっている為だ。わざわざ其処までして用意する意味は無い。
「ひぃ、はぁ……はぁ……」
刹那の前には一人の男。陰陽師らしく、手には幾枚もの符が握られている。だが、その表情に戦意は無く、恐怖の色が映っているだけだ。
「な、何故我々の事を……忌々しい烏族の忌子め……!」
話し合いによる和平が成らなかった場合、選択権は二つに絞られる。
戦うか、降伏するか。
話し合いで解決できないのならば、暴力によって解決するしか無い。過激派とはそういう集団であり、人を殺す事を良しとしない詠春でさえ、武力には武力をもって対立しなければならない。
それが組織であり、長足るものの役割だ。例えそれがAKUMAを生みだす結果に繋がろうとも、組織を安定させて力を蓄える事が伯爵へと一矢報いる為の布石だと信じて。
だが、刹那はそんな事になど興味は無かった。
「私の知った事では無いな。私の仕事はお前等の始末。それだけだ」
敵はどんな理由があろうと敵。目の前に立ち塞がるならば、どんな手を持ってしても叩き潰さなければならない。それが刹那のやり方だ。
素早く投擲されたナイフは男の腕に刺さり、投げようとしていた男の手にある符は血の海に沈む。
痛みに呻いている間に顔面をひざ蹴りで攻撃され、鼻がつぶれて鼻血が流れ出る。更には骨も折れているのだろう、青い痣が頬に出来ていた。
血で真っ赤に染まり、未だ切り裂いた血が滴るナイフを手に、男を睨みつける。
「が、ぁ……あ、う……あがぁ……」
男は惨めにも倒れ込み、刹那は容赦なく足と腕の腱を切った。そのまま髪を掴み、顔を上げて質問した。
「答えろ。お前等のほか、過激派の中で誰が動いている」
「あ、が……あ、天ヶ崎──」
瞬間、爆音とともに巨大な弾丸が男の胸を打ち貫く。
僅かコンマ数秒の間に逃げ出した刹那は、男の体に五角形の痣が浮かび上がり、死ぬ所を見届けた。そして、それによって撃ち貫いた正体にも見当がついた。
「AKUMA……やはり、今回の件には伯爵が関わっていたか」
ここは人里離れた屋敷だ。周りに民家は無いし、多少派手に暴れても秘匿を考える必要は無い為、都合が良い。
そう考えた時、ポケットに入れてある携帯が鳴った。相手は詠春だ。
一瞬出るか迷い、相手を見て大丈夫だと判断して携帯に出る。
『仕事は終わりましたか? あなたの腕なら壊滅させる事も難しく無いでしょうから、そろそろだと思って連絡を入れたのですが』
「大体終わりました。ですが、やはりこの件は伯爵が関わっている様です」
『……やはり、ですか。では、直ぐに木乃香の護衛へと戻って貰えますか? AKUMAが出た時の為に私も見回りをします』
「了解しました。今目の前にいるAKUMAを片付けてから、護衛の仕事に戻ります」
それ以上詠春が何か言う前に携帯を切り、ポケットの中へと仕舞う。そのまま暗器術で隠している『六幻』を取り出し、鞘から薄く煌めく刃を抜き放った。
油断はしない。慢心はしない。だが、必要以上に緊張もしない。
いるのはレベル1のみ。ならば、何の問題も無いだろう。
刃に気を纏わせ、踏み込んで神鳴流奥義を使い、AKUMAを切り裂いた。
──六幻を振るう度に、父親である蓮の事を思い出しながら。