第二十七話:接触
爆炎が辺りを包む。
辺りを包む火の中を悠々と歩いているのは、黒いローブを纏った赤い髪の少年。魔術で染色してある為、今この場で色を変える事は容易だ。
フードがついている為、顔は見えない。
「……予定通り、この組織は潰して置いた。後は何処だ?」
『お疲れ。ロシアの組織はそこで最後だ。必要な情報は手に入ったかい?』
携帯を使って連絡をしている様に思えるが、実は違う。携帯にとりつけられたストラップが光っており、魔術的な連絡を取っていることが分かる。
「ある程度はな。ロシアのとある魔術結社で纏められた天使の情報。これは『右腕』の完成にも役立つだろうさ」
『それは良かった。なら、次の目的地はどうする?』
向こう側で話す人物は、少年の起こす次の行動を楽しみにしている様に思える。
それを感じ取りながらも、少年は考える様に腕を組みながら話し出した。
「そうだな……イギリスか、ヴァチカンか。狙うとすればその辺りだろう。魔導書も幾つかは手に入ったが、これだけでは足りない。もっと集める必要がある」
少年が読めるのは日本語と英語が精々だ。
魔導書の性質上、少年以外の人間が読めば最悪廃人になってしまう可能性も持つ。宗教防壁を持たない、魔術師では無い存在には読ませられない本。例え宗教防壁持っていたとしても廃人になりかねない──『毒』とも呼べるものを持っている。
少年が狙っているのは、正にそれだ。
読むための手段は幾つか用意しているし、特に問題は無いと判断している。
『ヴァチカンの本部には強力な上級天使がいる。幾ら君でも、流石にきついんじゃないかな?』
「必要なら叩き潰す──と、言いたい所だが、流石にヴァチカンまで攻めると
倒す事が出来ない訳ではなく、目立ち過ぎる。右腕の力も未だ其処まで強力では無く、魔術の腕も其処まででは無いと来れば、時間をかけなければならない。
天界の
『必要ならゲオルクが遮断できると思うけど?』
「一度やれば警戒される。やるなら一度で決める必要があるな。計画は念入りに練っておかなきゃならん」
少々面倒だが、と呟きを零す。
「それに、イギリスには聖人がいるんだろ?」
『ああ。プリシラ=ミューアヘッド──天使側に属する聖人だ。少し前まではヴァチカンにいたようだが、現在はイギリスにて活動しているようだよ』
「それだけ分かれば十分だ」
連絡を終え、携帯をポケットにしまう。
少年──一誠の現在の目的は『右腕を完成させる事』にある。
その為に襲ったこの魔術結社は、天使の術式を独自に調査したりしていたようだが、それ以外にも人身売買をする組織とも繋がっていた。
人身売買する組織から買った人間を使い、多様な術式の研究をしていたようだが──一誠からすれば、殺されて当然の連中ばかりだ。
魔術師とは、やはりこう言った連中ばかりなのだろう。
目的のためには被害を度外視する──命を賭しても叶えたい願いがあるからこそ、魔術に手を染める。
だから、被害など気にしない。気にする必要が無い。
「……何とも、面倒な連中だ」
『約束を守るためには、人の命を奪ってでも成し遂げる……そんなお前が言える事でも無いと思うがな』
声がするのは一誠の左手にある籠手から。ドライグは、笑みを堪えている様にも思えた。
視界の中で人の死体が焼けている。火を放ったのは一誠だが、燃える死体を見ている顔は隠れていて表情は読み取れない。
「そうでもないさ。俺はちゃんと敵の取捨選択はしている。……今回の組織に捕まっていた人達は、既に手遅れだったからな」
一誠が到着した時、彼ら彼女らは既に精神が崩壊していた。
瞳には生気が宿らず、意識はあっても心が無い。魔術師の被害に遭った人達は、既に人として死んでいた。
「──本当に、クソッタレな連中だよ。同じ人間として吐き気がする」
●
酷く憂鬱だ。
一誠は適当に街を練り歩きながらそう思う。
魔術師の被害を受けた人達の、その死体の処理。人の悪意が作り出した死体の様な生体。それを直に見て、始末して、何も思う所が無い筈が無い。
肉体的な損傷なら、まだ何とかなるだろう。だが、精神的な事となるとそうもいかない。
魔術とは万能ではない。出来ない事も当然あるし、不可能を絶対に可能に変えられる訳でも無いのだ。
人の手で神の奇跡を再現する技術。
それを扱うなら、当然悪用する者だっているだろう。今回はその悪意の一端に触れただけだ。
そう考えながら、散歩のコースとして歩きなれた道を行き、公園へと辿りつく。
一休みする為に自販機でジュースを買い、近くのベンチに座ってジュースを飲む。
段々と暑くなり始めた気温の中で、ひんやりと冷たいジュースが喉を通る。その冷たさが心地よく、ついもう一つ買いたくなってしまう程だ。
ジュースを飲み終え、ゴミ箱に捨てようとベンチから立った時、見慣れぬ男性が視界に入った。
自販機の前で悩むように腕を組み、並べられた飲み物をじっと観察している。
黒髪のワルな風貌の男性。見た目から二十代程だと推測できるが、本当かどうかは分からない。外人で浴衣を着ている所為か、酷く浮いている。
それを気にせずに自販機の前に立っているが、唐突にその男性が一誠の方を向いた。
「なぁ、どれが美味い? お前のお勧めを教えてくれねぇか?」
馴れ馴れしく話しかけてくる男性に不信感を抱きつつ、ゴミ箱に空き缶を捨てる。
「そうですね……ジュースで良ければ、炭酸飲料などが美味しいですよ」
自販機に当たり外れなど到底ないのだろうが、適当な調子で告げる。不味かったら会社の方に文句を言って欲しいものだ、と考える一誠。
そのまま公園から出ようとするが、後ろから声がかかった。
「そうか。ありがとよ、
ピタリ、と公園から出ようとした足を止める。
辺りに人の気配は無く、先程話しかけていた浴衣の男性の背中には漆黒の翼が十二枚生えていた。
そう言えばこの公園、レイナーレと最初に接触した場所だよなぁ、と適当に考える。この公園には堕天使を引きつける何かがあるのだろうか。
むしろ、一誠の方が引きつけていると言っても良いのかもしれないが。
「──誰だ?」
「──堕天使の頭をやってる、アザゼルってんだ。よろしくな、赤龍帝の兵藤一誠」
男は不敵な笑みを浮かべ、ただ一誠の事を観察している様だった。
●
「──粗茶ですが」
アザゼルの部下であろう堕天使の女性がテーブルにお茶を置き、アザゼルはそれを一口飲む。
この場にいるのはアザゼル、一誠、ヴァーリの三人だ。
「……それで、わざわざ堕天使の総督どのが接触した理由は?」
敬語は使わない。一誠個人としては堕天使にはあまり良い思い出が無いので、敬語を使わなくちゃいけなくても使う気は無い。
「ヴァーリが会いたがってたからな。今代の赤龍帝、ってよ」
砕けた口調なのを全く気にせず、小さく笑みを浮かべながら、ヴァーリの方をちらりと見るアザゼル。
「で、どうだよ。実際に会ってみた感想は」
「どうもこうも無い。ただの人間じゃ、俺の相手にならないよ。──そうだな。例えば、ここで君に魔法的なモノをかけたりしても──」
一誠の方へ伸ばすヴァーリの手を、アザゼルが掴んだ。
「止めろ。もう直ぐ三大勢力で会談だってのに、余計な騒ぎの種を作るなっての」
あきれ顔で告げるアザゼルに、笑みを含んだ声で了承の意を告げるヴァーリ。
次は一誠の方へと視線を向け、アザゼルが問う。
「それで、お前の方はどうだ? 赤龍帝」
「別に。誰が白龍皇になっていようと関係無い。向かってくるなら叩き潰すし、逃げるなら追わない」
一誠の返答に対して、アザゼルが目を丸くした後、笑いだした。
「ハハハハハ!! ……ヴァーリが相手でも、勝てる自信があるってことかよ?」
「そうだな。まぁ、コカビエルの雇っていた傭兵と同レベルなら、今のままでも十分倒す事は出来るだろうと思ってるよ」
先日のイヴァンとの戦闘を思い返しながら、一誠はそう思う。
イヴァンとの激戦を繰り広げてはいたものの、結局鎧に煤が付いただけでダメージ自体は余り無かったらしい。とはいえ、イヴァンの方も魔術で傷を治したとはいえ、万全とは言い難い状態だった。
全力でぶつかれば、恐らくは引き分けに持ち込む事位は可能だろう。
そして、その程度なら一誠の勝利は揺るがない。
「まぁ、条件が整えばって言うのが前提になるけど」
「条件? 何か特殊な力でも持ってるのか?」
「事前に準備が出来れば、って話だ」
アザゼルの問いには答えず、お茶を一口飲んで誤魔化した。
先日手に入れた魔導書を使えば、恐らくは右腕無しにヴァーリとまともに戦う事は可能だろう。だが、それをやると一誠も『
それは一誠の望む所では無い。故に、魔術も使わない。
「ほぉ、言うじゃねぇか。今代の赤白対決は面白くなりそうだな」
ケタケタと笑いながら言うアザゼルを見て、小さく溜息をつく一誠。
「特に用が無いなら、俺はこれで失礼する。これでも色々と用事があるんでね」
主に魔導書の解読が。部屋に鍵をかけておかないと、万が一誰かが読んだら廃人になってしまう。
まぁ、基本的に魔導書は一誠の"影"の中にある特殊な空間に収納してあるので、誰かが勝手に読む事も無いし、誰かに盗られる恐れも無い。追記するとこれも魔術の一種である。
「そうか。話が出来ただけで良しとしとこうかね。……今度の三大勢力の会談、お前も出席するんだろ?」
「そうだが……何か問題でも?」
「いや、それならいいんだ。コカビエルの馬鹿が迷惑をかけたらしいからな。その時に謝っておこうと思ってよ」
ああ、そう。と素っ気無い返事を返して、一誠はアザゼル達の部屋を出た。
●
家に帰る途中、一誠はふとした拍子に話しかけられた。
「……あ、兵藤一誠」
「あ? ……ゼノヴィアか。その荷物はなんだ?」
これか? とゼノヴィアは片手に持ったスーパーの袋を見せる。もう片方の手には別の店の袋。どちらも中身は結構入っているようだが、重そうなそぶりさえしない。
やはり、聖剣を扱う為に鍛えているのだろう。この程度なら平気らしい。
「近くのマンションに越したのでな。必要最低限の生活用品やら食材何かを買っていたんだ」
「なるほど」
悪魔の息のかかったマンションで、駒王学園に通える距離にある物件。その中でゼノヴィアが選んだのが、一誠の家の近くにあるマンションらしい。
リアスとアーシアが住んでいる所からは少しばかり離れているらしいが、何とかやっているようだ。
「そうだ、兵藤一誠。次会ったら話そうと思っていたことがあるんだが」
「一誠でいい。面倒だろ、毎回フルネームで呼ぶの──で、何だよ」
うん。と一度頷き、簡潔に告げた。
「私と子作りをしないか?」
周りに人がいなくて良かったとこれほど切実に思った日は初めてだった。
発言者のゼノヴィアは至って真面目な表情で、一誠の方を見ている。一誠はそのゼノヴィアを面倒臭そうに見ている。
取りあえず、折角近くまで来ているからという理由で、ゼノヴィアのマンションまで連れてこられた。これは既に負けじゃなかろうか、と思う一誠だが、何時でも逃げられる様に出入り口を背にする。
「そりゃまた……何で?」
「うん。順を追って話そう」
ゼノヴィアはキリスト教会の本部であるローマで生まれ、聖剣が使える因子を持っていた為、幼少のころから神の為に、宗教の為に修行と勉学に励んでいた。
それが原因か、ゼノヴィアの願いは基本的に神や信仰に絡んだものとなっている。悪魔を殺す事然り、宗教の布教然り。
悪魔になってそれらから解き放たれた今、目標や夢といった類のものが無くなったとゼノヴィアは言う。
「なるほどね……で、何処をどうつなげたら子供になるんだよ」
幾ら原作を知っていても、十数年前の記憶だ。細かい所までは覚えていない。
その為、興味本位で適当に聞く。
「今までは女の喜びを捨て、純潔を守りとおして来た。これでも敬虔なクリスチャンだったからね。我が身、心は信仰の為に封印していた。でも、知っての通り悪魔になっただろう? 何をしていいか全く分からないから、
──悪魔は欲を持ち、欲を叶え、欲を与え、欲を望む者。好きに生きてみなさい。
要はやりたい事をやれとそう言ってるだけな気がするのだが、ゼノヴィアにとっては目から鱗な言葉だったようだ。
「だから、私は今まで封印していたものを解き放ち、それを堪能しようと思う」
「ああ、それが──」
「──うん。子供を産む事なんだ」
話が見えた。今までは宗教上の理由などで貞操意識が強かったが、悪魔となった今では関係無い。
だからこそ、子供を生むと言う事を体験してみたいようだ。
「その為には男を知る必要があるんだけど、丁度良いだろう? 子作りと同時に知れるし」
「なるほど……白羽の矢が立ったのが俺という訳か」
「白羽の矢?」
「ああ、いや。何でも無い」
日本の言葉は理解できても意味は分からないらしい。その辺は一誠としてはどうでもいいので放っておくとして、ゼノヴィアの方を見る。
「しかし、何故俺なんだ? 仲の良い男というなら木場がいるだろうし、俺は人間だぞ?」
「君自身は気付いていないかもしれないけど、ドラゴンのオーラを宿しているんだよ。赤龍帝を宿しているからだろうね」
「……で?」
一旦話を切ったゼノヴィアに先を促す。
「私は子供を作る以上、強い子になって欲しいと思っている。父親の遺伝子に特殊な力、もしくは強さを望む。そこで、一誠が一番の適任だと思ったんだよ。伝説の赤龍帝の力。
「……ああ、そう」
何と言うか、力が抜けた。
結局、ゼノヴィアの目的は赤龍帝であって一誠では無い。その辺りを理解してしまえば、若干戸惑っていた思考もスッキリする。
普段の冷静な思考に戻った。ここには居るだけ時間の無駄だ。
そう思っていても、ゼノヴィアは勝手に話を進めている。
「悪魔の出生率はそう高くない。だが、君は人間だし、私も転生悪魔だ。純血悪魔よりは子供が出来やすいだろう。運が良ければ五年から十年位の間で出来るのではないかな? ああ、子供の方も問題無い。基本的には私が育てるから──」
「そうだな。うん。──そう言うのは白いのとやれ。俺は知らん」
熱く語るゼノヴィアを無視し、取りあえず玄関から出ようとする一誠。だが、部屋を出る前にゼノヴィアに足を掴まれる。
「何故だ? 君も思春期の男だろう? この時期の男は誘われると簡単に食いつくと聞いたんだが」
誰にだ、と思いつつゼノヴィアの手をほどこうとするが、相当な握力で掴んでいる為か離れない。
「俺は悪魔には興味無いの。ヤる相手は人間でいい」
幾ら肉体的に人間と遜色ないとはいえ、悪魔と一線を超える気は毛頭ない。貞操観念というよりも、単純に相手が人外なのが嫌なだけだ。悪魔に限った話でも無い。
元は人間ではあるが、そんな事は関係無い。過去ではなく今を見る男なのだ、俺は。
と、まぁそんな事を脳内で思いつつ、部屋を出ようともがく。このままだと強制的に食べられてしまいそうだ。
「そんな事を言わずに、子作りをして欲しいんだよ。別に君にとって悪い話では無いと思うんだが……」
悪いと言えば悪い。そもそも、『
天使と悪魔の間に生まれる子供というのも記憶にない。というか、天使がヤってしまえば堕ちるのだろうか?
その辺の基準はよく分からないが、何とも嫌な予感がするので出来れば遠慮したい所である。
「やかましい。取りあえず、俺は帰る。そう言うのは木場に頼むんだな。アイツだって聖魔剣使いで特殊な力を持っているだろうが」
「それはそうだが、木場はどうにも堅物でな……無理だった」
「いや、言ったのかよ!」
驚く一誠。流石に、既に頼んでいたとは思わなかったらしい。
少しずつすり寄ってくるゼノヴィアを何とか引き剥がし、玄関に辿りつく。
「……疲れる一日だな、今日。ゼノヴィア、そう言うのは好きな男が出来てからそいつに頼め」
「木場もそう言っていた。恋という奴か? 私はそう言うのが分からないから頼んでいたのだが……」
うむむ、と悩むゼノヴィアを放って、一誠は帰路に着いた。
本当に、酷く疲れる一日だった、と帰りながら愚痴を零す一誠だった。
禍の団としての活動を開始した一誠。但し目的は魔導書。
聖人はまだ後で出る予定です。予定では五巻半ば。
……そもそも、一誠が冥界に行く理由が見当たらないんですけどね。