第三十三話:選択
イギリス、
そこは、天使側の教会としてバチカンにも劣らない規模と防御魔術の仕掛けられた場所だ。
術式自体は天使側に属する魔術師が魔法と称して使っているものであり、龍脈の力も作用してか、これまで強固な防壁を誇っていた。
そう、
「なんだ、こんなものか。存外、簡単に壊れたな」
崩壊する聖ジョージ大聖堂の一角で、赤いローブを着た少年と、長く蒼い髪をアップに纏めた女性が戦っている。
戦況は見るからに少年が負けている様な状況だが、そんな状況でもなお、口調は現れた時と寸分違わずに平坦だった。
(……一体、何の余裕があって……)
女性──プリシラ=ミューアヘッドは、徒手空拳で構えながら少年の様子を見る。
少年──フィアンマと名乗る彼が、初撃で聖ジョージ大聖堂の一角を吹き飛ばすと同時に、フィアンマの足元に展開された魔術が彼を捕縛した。
幾重にも縛られたそれは、例え上級天使などでも破る事は難しい。
少なくとも、数分は縛っていられる。そう考えていた。
「
何気なく言葉を発し、まるでそれが当然だと言わんばかりに拘束術式を引き千切る。それも、明らかに素手で。
プリシラは驚愕の表情を浮かべ、フィアンマはその表情を見て笑っていた。
「まさか、こういうことを想定せずにここに来たと思ってたのか? 俺も魔術師だからな。こういう術式に対抗する為の術は用意してあるさ」
口で言うのは簡単だが、聖ジョージ大聖堂に仕掛けられているものを壊すとなるとレベルが違う。
本来、そんな簡単に破れる術式では無い筈なのだ。しかし、現に目の前でいとも容易く破られている。
「……目的はなんですか?」
「お前だよ、プリシラ=ミューアヘッド」
プリシラの問いに、間を開ける事無くフィアンマが答えた。
「聖人って言うのがどれだけ貴重な存在か、その当人はハッキリ認識してるんだろ? 俺はその貴重な存在を仲間に入れたいだけさ」
「……『
「ああ。危うく殺される所だった、って言ってたな」
無論冗談なのだろうが、それなりに実力はあると判断は出来た。
「そもそも、仲間に引き入れるなら私でなくても良いのではないですか? 貴方が求めているのは"聖人"であって、"プリシラ=ミューアヘッド"という一個人では無い筈です」
吊目気味の眼が、フィアンマへと焦点をハッキリ合わせる。
油断は出来ない。仮にもこの聖ジョージ大聖堂の一角を吹き飛ばしたのだから、それだけの攻撃手段があるという事を示す。
それこそ、場合によっては聖人である自分を超える様な攻撃が。
フィアンマは嘆息し、一歩だけ踏み出した。
「なんだ、コンプレックスの様なものか? 前に同じ様な事を言われた事があるのか」
たった一歩。
たった一歩踏み込んだだけの筈なのに、フィアンマはプリシラの目の前にいる。何らかの術式を使ったにしても、速すぎる移動だ。移動した瞬間が認識できなかった。
理解が出来ない。思考が追い付かない。
プリシラの目の前に、赤いローブの下にある赤い髪が見える。そして、その顔も。
「代わりが効く様な存在じゃない筈だがな。聖人であるだけで、否応無しに幸運を呼び寄せたりすることもある筈だ」
神に愛された子。それが聖人だ。だからこそ、聖人は幸運だと言われている。
フィアンマが左手でその顔に触れると同時に、プリシラはフィアンマの腕を弾いて距離をとる。弾かれた腕には強烈な衝撃が走ったが、ローブに仕込んだ防御術式が功を奏した。痺れて動かないが、折れてはいないだろう。
元々黒色だったローブが、フィアンマの司る『右方』の術式を多量に組み込んだせいで変色した赤いローブ。
おかげで防御力はそれなりのものになったから、気にする程でもないのだが。
「ッ! ……あなた、一体どこまで知って……」
「まぁ、お前の事は大体調べさせて貰ったからな。それに、
身体強化の術式を使い、数発入れた筈の腕は何の支障も無く動いている。そして、聖ジョージ大聖堂の一角を吹き飛ばせるだけの術式も有している。
迂闊に近づけば、やられる可能性が高い。いや、勧誘に来ているのであれば、殺す事はしないだろう。
時間稼ぎをして、援軍が来るのを待つという手もある。
「止めて置いた方が良い。援軍なんて、余計な被害を増やすだけだぞ?」
表情に出さない様にするも、フィアンマはそれを見破った様に小さく笑った。
「この状況で考える事は大体予測できる。相手の使う攻撃術式は不明、防御力も異常と来れば、数に任せて押すしかないからな」
とはいえ、フィアンマもそれは困る。
先程のプリシラの攻撃で、ローブに仕込んだ術式が幾つか突破されているのだ。あれを何度も受け止める気は無いし、二度目は防御術式が減った分、威力が上がってフィアンマの肉体にダメージを与える。
だが、それを悟らせない。相手の行動を先読みする為に思考パターンを幾つか用意し、それに沿った形で話しているだけでも、効果は十分ある筈だ。
予定通りにいかない可能性の方が高かったが、現状は予定通りに動いている。
「それに、俺はお前にとって不利益では無い取引をしに来たんだ。初撃は牽制、それ以降は攻撃をしていないだろう? 話だけでも聞いて貰えると嬉しいが」
「聞く耳持ちません。私は、教会に恩がある。ミカエル様方を裏切る様な真似は──」
「お前の復讐を手伝うと言ってもか?」
明らかに、動揺した。
瞳が揺れて隙が出来た。だが、それもほんの一瞬で消す辺り、戦闘慣れしていると言えるだろう。
「両親は堕天使に殺され、唯一の肉親となった姉も悪魔に殺されている。教会で育てて貰い、聖人だと分かった時──お前が考えた事位、想像はつくさ」
これだけの事をされて、恨まない筈が無い。憎まない筈が無い。
だからこそ、彼女は教会で
『怒り』は大罪の一つと知っていながら、それでも教会の為と言う名目を掲げて、悪魔や堕天使を殺していた。
「先日結ばれた『駒王協定』──お前、これに納得していないのだろう?」
「…………」
「無言は肯定と受け取る。まぁ、納得は出来ないよな。恨んでる相手と手を取り合って仲良くしましょう、なんて」
プリシラを味方に引き入れようとしているのは、これが原因でもある。
経歴も情報も分かり、尚且つ居場所や思想も分かる──簡単に言えば、説得し易い聖人として挙げられたのが彼女だ。
「三大勢力でも、協定に納得できない連中は『
同じ組織に属する者であっても、基本的には不干渉。それぞれがオーフィスと言う巨大な龍の元に群がった小さな存在に過ぎない。
利用し利用される関係ではあれど、基本的に協力し合うなんてことは無いのだ。
「俺がいるのは『魔術派』と呼ばれてる派閥でな。目的は『神に至る事』だ」
「……神に、至る?」
「そうだ。俺達は神に至り、苦しんでいる人達を助け、世界を救う」
『全ての人々を平等に救う』という十字教共通の指針を元に、そう言う目的が掲げられている。それの所為か、魔術派に属する者は人間以外の存在に対しての容赦が一切存在しない。
そして、その人間以外の存在と組んでいる人間さえも、『誑かされた悪』として切り捨てる。
『聖書の神』の死こそ知らないものの、駒王協定を結んだと聞いてミカエル達を『本物の天使では無い』と呼ぶほどの者たちだ。
多少過激ではあるものの、知識もあって魔術もそれなりに使える。フィアンマがトップにいる状態なら他の派閥も下手に手出しできない為、研究に打ち込む事が出来ている。
「その為に、お前の力を貸してほしいんだよ」
神に至るとはいっても、正確には『天使』へと至り、其処から更に『神上』へと段階的に至る必要性がある。
それには、恐らくフィアンマ一人では成し得ない。知識も技術も、何も足らない。
だからこそ、フィアンマはプリシラへと助けを請う。力を貸してほしいと。知識を集める為に、力を集める為に。
「──ッ! だが、私は救ってくれたミカエル様を裏切る訳にはいかない!」
空気中の水分を操作して術式を描き、幾つもの氷の槍が、フィアンマへと殺到する。その肢体を貫き、死に至らしめようとした。
「そうか……だが──現状に満足してはいないんだろう?」
ゆっくりと、右腕を振るう。
眩いばかりの閃光が視界を埋め尽くし、一瞬でプリシラの放った氷の槍が砕け散った。だが、プリシラには傷が無い。
聖ジョージ大聖堂は先の一撃で崩落寸前の状態だというのにも関わらず、だ。
フィアンマの右肩には奇妙な、それでいて神々しい光を纏う第三の腕が現出していた。
「ならば──君のその復讐に、手を貸そう」
奇跡の象徴たる力を垣間見て、プリシラは本能的に思っていた。
「──そして、俺が神へと至り、世界を救う為に力を貸してくれ」
──ああ、これが
ゆっくりと歩くその姿は、プリシラとは違う、本当の意味での"聖人"の様に見えて。
手を差し伸べるその姿は、かつて自身を救ってくれたミカエルと同じ様な物を感じた。
そして、プリシラは無意識のうちに、ゆっくりとフィアンマの手を取っていた。
●
『とんだ茶番劇だったな』
(煩い。言いくるめるにはこれが一番だと判断したんだよ)
魔術師とは多かれ少なかれ自分勝手な生き物だ。欲望の為に、本来起こり得ない神の奇跡を人の手で再現しようとしているのだから。
傲慢とさえ言える、人間の
そして、プリシラも魔術師である以上、何らかの目的があったのだ。それを見抜いて、ゆさぶり、味方に引き入れる。
もっとも、これが可能だったのは、駒王協定が結ばれたからという原因の一端があったからだろう。あの協定が無ければ、プリシラの説得は不可能に近かった。
「貴方は神に成ると言っていましたが……方法はあるのですか?」
プリシラが背後からそう声をかける。一誠は聖ジョージ大聖堂の奥、魔導書の保管庫を壊して内部の魔導書を盗んでいた。
「ある。とは言っても、段階を踏む必要があるがな」
天使に至り、其処から何らかの方法を持って"神上"へと至る。
一誠の場合、『右腕の完成』が『神上』に繋がるのではないかと考えているのだが、プリシラに語ったのは半分本当で半分嘘と言う事に成る。
一誠に世界を救う気など存在しない。
都合が良いからその目的を掲げ、組織を安定させているだけに過ぎない。かの世界で天使となり、神上を目指した『神の右席』と呼ばれる者達の目的はそれだったのだ。別に一誠が語ったところで特に問題はあるまい。
魔導書を盗み終えた所で部屋を出て、携帯を取り出す。ゲオルクに頼んで転移させて貰うつもりなのだ。
「ああ、そうだ。一つ、言って置くことがある」
「……なんですか?」
連絡を終えた直後、一誠はプリシラへと言う。
「俺以外の人間は、絶対に信用するな。俺はお前を切る理由が無いし、少なくともしばらくは味方だ──だが、それ以外にも人間はいる。連中は同じ組織に属しているだけの人間だ。だからこそ、信用するな」
特に、曹操はな。
一誠はプリシラへとそう告げる。理由としては至極単純なもので、曹操は知略に長けている。一誠が後手に回る可能性も否定できないし、一誠の二手三手先に言っている可能性だってあるのだ。
そして、プリシラは"聖人"である。戦闘になった場合、『ロンギヌス』を持つ曹操とは、圧倒的に"相性"が悪い。
聖人とは神の子の身体的特徴を宿した者の事を指す。そして、ロンギヌスはその神の子たるイエス・キリストを刺殺したとされる槍だ。
「専用の霊装も用意する必要がある。徒手空拳でも構わないが、無いよりはマシだろ。俺も一つ霊装を用意する必要があるし」
盗んだ魔導書の一冊に目を通しながら、一誠は軽く言う。
「……貴方は魔導書を読んでも平気なのですか? 過去に読んだ人間がいたそうですが、全員発狂死したと記録に残っていた筈……」
「俺の右腕は特別なんだ。そして、その力の恩恵は魔導書の毒による魂の汚染さえも遮断する」
故に、
もっとも、別に読む方法が無いわけではないし、少ないながらも写本が幾らか存在している辺り、読み解く事が出来た人間がいたのは間違いない。
「一旦帰る。戦力と準備を整え次第、バチカンに攻め込むぞ」
「バチカンに……ですが、今バチカンに攻め込むのは容易ではない筈です」
「問題無い。攻め込むと言っても、攻め落とす訳じゃないからな」
無論、全ての作業が済んだ後なら攻め落とす事も可能だろう。だが、オーフィスが手伝うからと言って余り派手に動くのは得策ではない。
三大勢力から目を付けられる程度なら問題無いが、帝釈天辺りは少々厄介だし、ヴァルハラの神々やオリンポスの神々まで相手にしなくてはならない可能性まで出てくる。
ふと、オーディンの事を思い出し、思案する。
「……北欧神話系統の術式か。グングニルを霊装として作るのもありだが、あれは手順が面倒だしな」
具体的には、炉の用意や『最後のルーン』の情報など、足りないことが多過ぎる。今からやっていては時間がかかり過ぎてしまう。
そもそも、一誠にはそれらの霊装を用意する気は無い。必要なものは既に作り始めている。それが出来上がれば、何の問題も無くなるのだ。
「今はまだ、雌伏の時って奴だな」
まぁ、ここまで派手に動いておいて言う事でも無いが。と笑い、ゲオルクによる転移でその場から二人が消えた。
説得に時間かけてもしゃー無いという結論に達したので簡潔にまとめました。
後、正直そんなに時間かけるだけの要素も無かったです。
次回はさっさとバチカンに攻略戦でもいいんですが、五巻に入ってからでもいいかなぁと思った次第。夏休みの冥界行き直前位で良いのかなぁと迷ってたりします。
まぁ、原罪を薄めるだけなので、そんな変わる訳でも無いんですけどね。