第三十八話:悪魔と聖人
「失態だな」
「ええ、これは悪魔側の、かつてない程の失態ですね」
アザゼルの呟きに、側に控えていたシェムハザが答える。
先日──魔王主催のパーティの際、悪魔達は『
冥界で指名手配中のSS級指名手配犯がこんな所に現れるなんて、誰も予想だにしなかった事だろう。
その後、リアス・グレモリーとその眷属及びタンニーンがこれを撃退。タンニーンは手酷いダメージを負ったものの、命に別条はないとの事だ。
事態こそ最小限にとどまったものの、これは悪魔側の警戒心の有無を問うものだった。
シェムハザや天界のセラフ達は、それを受けて悪魔側への抗議を行おうとしていたようだ。アザゼルとミカエルが止めたものの、腹の虫は未だ収まらないらしい。
シェムハザが更に報告する。
「相手は『禍の団』独立特殊部隊『ヴァーリチーム』の
アザゼルはシェムハザの個人的な愚痴を聞きながしつつ、思考に耽る。
数名が黒歌の毒に当てられたが、幸いにも軽症ですぐに解毒は済んだ。大事に至る事もないだろう。
それよりも、考えるべきは『フィアンマ』と名乗る人間についてだ。
かつて朱乃を救い、人間として『禍の団』の魔術派に属する人物。詳細は一切不明で、
昔、バラキエルから報告を聞いて調査をしたが、全く探し当てる事の出来なかった人物が、何故今になって現れたのか。そもそも、何故『禍の団』についているのか。
全てが不明。しかも、タンニーンを雑魚とまで揶揄するほどの実力を持つと来た。これはいよいよ面倒な事になってきた、とアザゼルは朱乃と話す機会を設けたのだ。
もちろん、リアスを含める眷属全員にも。
バラキエルから聞いた話とは少し違い、印象が変わる部分があったのは確かだ。だが、それ以上にあれだけの力を幼少期から使えて、堕天使の情報網に引っ掛からないという事に違和感を覚える。
まるで、誰かが情報を手に入れるのを邪魔したかのようにも感じられる。
その辺りは後々考える事にするとして、アザゼルとしては、何かしらの小さい事でも情報を手に入れたかった。唯でさえタンニーンを簡単に吹き飛ばすだけの力を持つのだから、情報を集めて対策を練りたかった。
それは叶わなかったが、少なくとも──
「……存在が知れただけでも、良しとするべきなのかね」
あそこまで簡単に素性をばらした以上、知られた所で何の問題も無いという事だろうか。調べても無駄だと、嘲笑っているかのような。挑発されている様な気分になる。
しかし、現に対処法が浮かばない。黒歌はともかく、フィアンマという存在に対しては──というよりも、彼の使う魔術について情報が一切存在しないのだ。対処法など、分かる筈もない。
魔術にある程度通じるイヴァンでさえ、そんなものには心当たりは無いという。神話を元として作られる術である以上、何らかのヒントがあってしかるべきだが……。
「……駄目だ、わからねぇ。情報が足りない。もっと情報があれば、まだ何とかなるかも知れねぇんだが……」
頭を掻きながら、溜息をつくアザゼル。シェムハザは、その様子を見て心配そうに声をかけるが、アザゼルは「心配いらん」とそっけなく返す。
(今はとにかく、若手連中の実力を上げさせるべきだな。もちろん、上位に位置する実力者たちも錬磨する必要がある。タンニーンによると、凶悪なまでに強力な聖なる力……天使のそれに近い力らしいからな。悪魔にとっては毒も良いところだ。天使や堕天使で対応したい所だが……最悪、魔王クラスに匹敵する可能性もある、か)
油断はしない。唯でさえ、タンニーンが一撃のもとに倒れているのだ。油断出来る要素が一切存在しない。
厄介な、と呟き、奥歯をかみしめた。
●
冥界のアジトにて、一誠と曹操、ヴァーリはグレモリー眷属とシトリー眷属のレーティングゲームを見ていた。
映像自体は三大勢力内部に入り込んでいる味方から流して貰ったもので、今もなお内部で工作活動を続けている。
「しかし、魔王の身内二人の眷属ね。戦術のシトリー、力のグレモリーって所か?」
一誠は適当な調子で告げ、他の二人の意見を求めた。
「概ね同意だよ。ただ、シトリー眷属の使った
そもそも、あの反転の技術はこちらから流したものでもあった。多少なり危険が伴う技術である為、あえてあちら側に流す事で実験させようとしたのだ。
結果は成功。データも取れたし、こちらとしては万々歳と言える結果だろう。
「……だが、彼らが俺や一誠に敵う様な面子だとは思えないが?」
ヴァーリが訝しげに言い、一誠は軽く笑いながらペットボトルのジュースを飲む。唇を舐めながら映像を見、簡潔に告げた。
「そう言う決め付けってのは、少し早いと思うぜ、ヴァーリ。今回戦って目立ったのは『匙元士朗』と『木場祐斗』あたりか。前者は竜王の一匹であるヴリトラの魂が封印された
とはいえ、木場に関してはアーサーが戦いたいだろうし、ヴリトラ程度じゃ俺やお前の相手にはならないだろう。一誠はそれだけ言い、もう一口ジュースを飲んだ。
実力は戦術でどうにでもなる。必要なのは能力を見極める事であり、此処の能力や体術に対して対応できるか否か。実戦での勝敗の分かれ目は、恐らくその辺りに存在している。
無論、戦術を練った程度ではどうしようもない"個の力"というものも存在する。この場にいる三人がその筆頭だ。
「数が質に劣るとは限らないし、質が数に劣るとは限らない。要は相性と戦い方だ。パワーやテクニック、曹操と俺が闘っても、勝率は曹操の方が高いのと同じだ」
もちろん、それは『魔術を使わない』という条件の元での話だ。
魔術を使っても良いというのなら、曹操だけでは太刀打ちできない。
ある程度の力を持つ者達をかき集めても、一誠の前にはひれ伏すしかないのだろう。
一対一万でもまだ甘い。
一対一など愚の骨頂。
たった一人で大局を変えられるだけの力を持つ者を"英雄"と呼ぶのなら。たった一人で世界を相手に出来る力を持つ者は"怪物"としか言いようが無い。
「まぁ、俺も奥の手は隠してるからね。俺の禁手はまだ見たことが無いだろう?」
「興味無いからな」
曹操が笑う。一誠の返答が余りに予想通りだったからだろう。
興味が無いというだけで、最強の
「少なくとも、現状で厄介だと思える敵──悪魔勢では、レーティングゲームの上位ランカー。若手ではサイラオーグが筆頭だ。……個人的に気になっているだけだけど、彼の
「サイラオーグ、ね。バアル家の落ちこぼれだったか?」
「ああ、滅びの魔力を代々受け継ぐバアル家だが、サイラオーグにはその才能が無かった。バアル家の一人が嫁いだ先──グレモリー家で、その滅びの魔力が受け継がれた様だけどね」
サーゼクスとリアス。魔王ルシファーとその妹。
確かな実力を持つ事は確かだ。幾ら性格があれでも、油断する要因にはなりえない。
「結果、愚直なまでに肉体を鍛え上げたらこうなった、ってことか。今時珍しい位の熱血根性野郎だな」
「ヴァーリが好きそうなタイプだと思うよ。肉弾戦ならタメを張るかもしれない。実際、彼はレーティングゲームでは圧倒的な成績を残しているしね」
「それは楽しみだな。何時か、機会があれば闘ってみたいモノだ」
「やれやれ、こっちも戦闘馬鹿が一人か。やるのは勝手だが、こっちにまで被害を及ぼすなよ」
嘆息しつつ、腰かけているソファに深く座り直す。目の前で対面上に座っている二人は、一誠の様子に苦笑していた。
「まぁ、俺達英雄派が動くのはもっと後だよ。今はまだ、動くべき時じゃ無い。データも足りてないし」
「俺達は……分からないな。取りあえず、一目でいいからグレートレッドを見たい。捜索を続けることにする」
「俺達──もとい、俺は特に用事はないな。学校行きながらテロ活動とか、新し過ぎるぞ。アザゼルの奴には既に怪しまれてるし、これはばれるのは時間の問題かもな」
アザゼルの頭脳を舐めていた。赤龍帝として、出来るだけ目立つ様な動きはしていない筈だ。だが、現にアザゼルは一誠に監視を付けていた。バレかけていると考えた方が自然だろう。
今後の行動予定は無い。だが、必要性があれば動くつもりだ。
「……そういや、旧魔王派の連中が動いてるんだっけ」
「ああ、ディオドラ・アスタロトだな。噂に違わず、変な趣味を持つ奴だと陰口を叩かれている」
聖女と呼ばれる女性を転生悪魔にし、自分の眷属にしている悪魔。現ベルゼブブの弟の筈だが、性格は腐り切った奴だと聞く。
転生悪魔にする方法がまたえげつ無い。一度は裏から手をまわして聖女の信用を失墜させ、傷心のところへ優しい言葉をかけて手篭めにする。性質が悪いのは、悪魔に成った女性たちがそれで『救われた』と勘違いしている所か。
いや、彼女達が今幸せだというのなら、それはそれで良いのだろう。一誠が関与する所では無い。
「……あ」
「……どうした?」
そこまで思い出した所で、一誠がふと、間抜けな声を出す。唐突に、何故思い出さなかったと頭を抱え始める。
訝しげな表情を向ける曹操とヴァーリが一誠を見ていると、溜息をついて話し始めた。
「……ディオドラ、そろそろ死んでるかも知れん」
●
そこは聖堂の様な場所だった。
幾つもの柱が建物の自重を支え、巨大な建造物はその形を保っている。
「それで、話とは一体何かな? プリシラさん」
「いえ。最近、奇妙な噂を聞いたもので」
その場にいるのは、いつも通りの格好をしているプリシラと、ローブを羽織った優男──ディオドラ・アスタロトだ。
にこやかな笑みを浮かべるディオドラと違い、プリシラはあくまで表面上は無表情を取り繕っている。例えその内面がどれほど怒りでたぎっていようと、ディオドラに悟られる様な真似はしない。
「噂? ……身に覚えが無いな。それは、僕にとって不利益になる様な噂かい?」
ディオドラは、出来るだけ紳士然とした態度で接している。
プリシラは、ディオドラが好む様なかつて聖女と呼ばれた女性では無い。だが、それに近い立場で会ったのは確かだ。
聖人として強大な力を持つプリシラは眷属に出来ないと、一時期は諦めていた。しかし、『
彼女は美しい。ディオドラから見ても、世間から見ても、少なくとも美人の部類に入ることは間違いない女性。
それを手篭めにしたいと、何度思った事か。内心ではこれを機会に近づこうと打算をしているが、今は会話に集中すべきだろう。
「ええ、貴方にとっては不利益で、株を落とす原因にも成り得る噂ですよ。貴方の眷属が、必死に否定していましたがね」
愚直なまでに慕い、その傍にいようとするその姿勢は、臣下としては良い人材だろう。個々人の能力に関しては此処では触れないでおく。
プリシラの眼が細まる。それほどまでに慕い、共に在りたいと思う様な悪魔が──あの噂の元凶なのかと。
「出来れば聞かせて欲しいな、プリシラさん」
笑顔で言うディオドラに、プリシラの眉が一瞬動く。髪で隠れている為、ディオドラ側からは見えていない。それが幸運なのか不幸なのかは、分からないが。
「……簡単な事ですよ、ディオドラ・アスタロト」
簡潔に、説明をする。
「あなたの眷属、屋敷に囲っている女性。それら全員が、元教会の関係者で信者であるという事です」
事はそれだけでは無い。とある一つの事が切っ掛けで人生を狂わされ、失意にくれている所に現れた救世主。ディオドラと関係を持つ女性は、皆それを嬉しそうに話した。
──私は、ディオドラ様に救われたのです。
その笑みに、翳りは無かった。皆同じ境遇だった所を救われたとなれば、誰かが奇妙に思いそうなものだが、それも無く。
彼女達の中には、元々教会にいたプリシラも知っている人物もいた。あちら側はプリシラの事を知らなかったようだが、彼女達も異常なまでにディオドラを妄信していた。
「ああ、そう言う事。確かにそうだけど、それは僕が教会の連中から助け出してあげただけ──」
そこから先は、言えなかった。
轟!! と、音速をはるかに超えた速度で、石柱が振るわれたからだ。
「貴方の言葉を信用する気はありません。噂が本当であろうとなかろうと、貴方が悪魔である以上は私の討伐対象だ」
下種を見下すような目で、身体の半分以上を断たれたディオドラを見る。鮮血の水溜りが辺りに広がり、何が起こったのか理解が追いつかないディオドラが痛みに呻き始めた。
「……う、……ぁ……ぐ」
最早声にすらならない。痛みが限界を超えているのだ。
やったことは極めて単純。プリシラの手の届く範囲にある石柱を一本へし折り、それを力任せに振るっただけ。
それだけで、圧倒的な膂力を持って行われたその動作で、ディオドラの体は砕かれた。
オーフィスの『蛇』を貰って力を底上げしたというのに、プリシラの動作を捕えることが出来なかった。それだけプリシラとディオドラの実力の差が開いていたという事だろうし、やった動作の容赦のなさが窺える。
数分と経たずして、ディオドラはただの肉塊となり果てた。
●
「……と、以上が事の顛末です」
一誠が頭を抱え、早速呼び出したプリシラの第一声がそれだった。
遅かったか……と呟く一誠は、これからの行動を考えて溜息をつく。
少なくとも、旧魔王派には言っておかなければならないだろうし、シャルバから小言を貰うのは確実だろう。実力は俺の足元にすら及ばない雑魚のくせして、態度だけは一丁前だ。と侮蔑のこもった言葉を吐き捨てた。
「面倒臭いな。……今度の作戦、確かディオドラがレーティングゲームを始めた瞬間に開始させるんだったか」
「ああ。魔王やセラフ達の眼がレーティングゲームの方を向いている内に奇襲する、という作戦だった筈だ」
「なら、その作戦の開始の合図をやれば文句は無い訳だ。プリシラは悪魔やら堕天使やらが大嫌いだしな。こうなる可能性を考えなかった俺のミスだ」
「すみません。もう少し理性的に動くべきでしたか?」
「かまわねぇよ。どの道、あいつは気に入らなかった。旧魔王派が瓦解すると同時に潰すつもりだったし、大した戦力にも成って無かったから別に良い」
プリシラの謝罪を適当に受け流し、今後の作戦を練る。
正直な話、旧魔王派は余り戦力にならない。上級悪魔程度の力を持っていると言っても、オーフィスの『蛇』を使っての話だ。有象無象を多少レベル上げした所で、対して効果は無い。
あちら側には、こちらよりも多大な戦力があるのだから。闘いと言っても、必ずしも真正面からぶつかる必要は無いのだ。
それが分かっていない旧魔王派は、どの道勝手に潰れてくれる。プリシラは特に悪魔を嫌っているから、三大勢力と相打ちになってくれれば喜ぶだろう。
無論、プリシラにもしっかりと暴れて貰う予定だが。
ディオドラが早速退場した回。出番がこれだけって言うのもアレですが、プリシラの性格上仕方ないですね(おい
テッラみたいな最後に成りました。