第四十四話:詰問
『次は二人三脚です。参加する皆さんはスタート位置にお並びください』
体育祭のプログラムを告げる、放送部員の声が響き渡る。校内放送に合わせて参加する二年生が動き始めていた。
『それでは、二年生全クラス対抗の二人三脚、スタートです』
ペアを組んだ男女はそれぞれ足に紐を結んでおり、構えられたピストルが音を発すると同時に走り出す。
息を合わせつつ走る。他人と足の動きや呼吸を合わせ、速さを伴う競技と言うのは総じて難易度が高い。リレーなどと違い、ペアが転べば連帯責任となり、ペアを気にして速度が出せない事もままあるだろう。
そんな中で、イリナはかなり普段の自分に近い走りが出来ていた。
いや、実際には多少他人に合わせるための走り方ではあるのだが、それ以上にペアの一誠がイリナの走りに合わせているのだ。
──走り易い。
他の人たちよりもずっと呼吸が合っている。歩幅も違って、走る時は大抵速度を落とす必要があるのに、それがまるで必要無い。
そのままの快走で、一誠とイリナはゴールテープを切る。同時に空砲が放たれ、係の生徒が一番の旗を持って来た。
「ま、妥当な所か」
一誠が呟く。紐を外している最中である為、イリナには聞こえているが、反応は示さない。
仮にも転生天使のイリナと、原罪を薄めて天使へと身体が変化している一誠が相手では、一般の生徒で太刀打ちする事は無理だろう。
イリナは呼吸を整えつつ──別に息切れをしている訳ではないが、気持ちの問題だ──一誠に聞く。
「本当に、教えてくれるの?」
「ん? ああ、聞きたい事があるんだろ? 大抵の事は答えてやるよ」
笑みを浮かべつつ、一誠は答えた。
少なくとも、その様子は人を騙そうとしている様には思えない。とは言っても、一誠は昔から隠し事が巧かったので、気付けないだけと言う可能性も存在する。フィアンマの姿から一誠を想像したのは、本当に偶然の産物なのだろう。
だから、その際にはイリナだけではなく、アザゼルとリアス、朱乃も同席する事になっている。
一誠がフィアンマかどうか。それはアザゼルとしてはほぼイコールで繋がってい為、学校も家の近辺も厳重な警戒がなされていた。
レーティングゲームの際に感じた彼我の差を知っていようと、動きの監視は出来る。気休めでも、無いよりはずっとマシだ。
そうは言っても、レーティングゲーム以来一誠がどこかに消えることも無くなったのだが。
イリナがそう考えていると、記録し終わった係が一誠の持つ旗を回収しに来て、一誠は旗を渡してから何処かへと歩きだす。
イリナはその後ろ姿を見つめながら、問いただしたい気持ちを必死に抑えていた。あの日からずっと、聞きたくて仕方が無かった事。それが、明日聞く事が出来る。
学園祭は予定通り終了し、イリナは一人帰宅した。
●
旧校舎の一室。強力な結界が幾重にも張られているその場所で、一誠は両手を後ろに縛られて椅子に座っていた。
私服を着て、部屋に入った途端にこの扱い。信用していないのは分かるが、こんなものを使っても意味が無いと分かっている筈でもある。
詰まる所、気休めでしか無い。それでもやるしかない。
アザゼル達にとっては、それだけ『フィアンマ』が脅威であるという事を示す。一種のパラメータの様なものだ。脅威を感じない相手ならここまでする事は無いだろう。
先に口を開いたのは、重苦しい雰囲気の中でも変わる事のない一誠だった。
「……それで、聞きたい事があるんだろ?」
「ああ。──単刀直入に聞くが、お前は『
「そうだ」
間を置く事すらなく、隠す必要などないとばかりに即答する。目の前の四人が表情をこわばらせるが、一誠は特に気にする事も無い。
と言うより、気にする必要が無い。真正面から相対してどうにも出来ないと判断したなら、とうの昔に彼女達の前から消えている。
「……随分あっさり教えてくれるのね。でも、敵対組織の幹部の一人がこの学園にいたなんて……」
「質問されなかったからな。まぁ、まさか『貴方はフィアンマですか』なんて言い出す奴もいないとは思ってたが」
アザゼル辺りなら、確証を得ればそう言う可能性は存在していた。だが、イリナは完全にノーマークだ。彼女にばれるなど想定していなかった。
幼馴染と言っても、彼女には就学直前から十年以上会っていない。再開したのはつい最近だ。これで「雰囲気で分かった」などと言われるなど、想定できる筈も無い。
「……私を助けたのも、貴方と言う事ですわね」
「そうなるな」
朱乃の呟きに、視線をそちらへ移しながら答えた。
「俺としても、あんな危ない事に首を突っ込む気は無かったんだが……最終的に、あれが原因で『聖なる右』が完全に発現したと仮定すれば、別に俺にとってデメリットばかりじゃ無かった」
その一誠の言葉に、アザゼルが眉をひそめた。
「朱乃の事件の際に、お前はあの右腕を発現させたのか?」
「そうだ。使えるなら最初から使っていたし、使えていたなら彼女は此処にはいない可能性が高いな」
聖なる右は万能だ。だからこそ、これ一つで軍隊を壊滅させる事も容易い。使えていれば朱乃の母は救えていたし、救えていたならバラキエルとの不和も起こらず、堕天使側の存在となっていただろう。
そこまで理解して、アザゼルは溜息をつく。
「……まぁ、結果だけを見れば、俺らのせいでお前の右腕を覚醒させちまった、と。オーフィスに誘われた理由がそれなら、俺は首を切りたい位だぜ」
「残念。俺は聖なる右が発現する前からオーフィスと知り合っていたし、その傘下に入る事にも承諾していた」
一誠が笑みを含みつつ、アザゼルの呟きに答える。一誠の答えは、「聖なる右があろうとなかろうと、オーフィスの味方をしていた」と言う事。
それなら、今知っている情報を全て吐いて貰った上で、一誠の神器も能力も全て厳重に封印する必要がある。
無論、それが
「お前等の派閥の数は?」
「前回の襲撃で、不完全とはいえ旧魔王派が潰れたから……大きなものだけを考えると、およそ六って所か」
魔術派、魔法派、ヴァーリチーム、英雄派、天使派、堕天使派。
天使や堕天使は強力な力を持つ者が寝返った訳ではないものの、数は意外といる。派閥として数えるには十分だろう。
特に力を持つのが魔術派、ヴァーリチーム、英雄派。魔術派に限ってはフィアンマとプリシラしか戦闘が出来る者がいないのだが、それだけで『禍の団』内部でも地位を確立させている。
むしろ、フィアンマという一個人で一つの勢力と見なしている者もいる位だ。
ヴァーリ達は地位になど興味は無く、英雄派が実質仕切っている状況となる。
「旧魔王の連中が仕切るより余程マシだろうけどな。あいつら、身の程を知らないにも程があったし」
仮にも同じ組織に属していたというのに、一誠の言い方は酷く適当だ。どうでもいいと取れるし、そもそも味方と見なしていなかったとも取れる。
まぁ、味方と見なしていれば、あの状況でプリシラが不意打ちされる様な事も無かったのだろうが。
「英雄派、ね……伝説の英雄の子孫や『神器持ち』で構成された連中、だったか」
「ああ。お前等も知っているだろうが、『神滅具』を持つ奴も派閥内には存在する」
アーシアを縛る鎖を作り出した『絶霧』の所有者、ゲオルク。曹操や他の神滅具持ちは未だばれてはいないが、本格的に動き出せばばれるのは時間の問題だろう。
「お前にヴァーリ、更には『絶霧』の所有者か……それだけでも厄介だってのに、更にいると来た」
アザゼルが苦い顔をしながら告げた。
本来、神滅具が転生した時点で三大勢力のどこかに保護されるのが通例となっている。だが、今回の所有者たちは一部特殊な部分がある為か、簡単には見つかっていないのだ。
一誠の場合は故意とはいえ、一次的に騙す事もした。
発見が遅れる事は神滅具持ちが暴走する可能性が高まるという事でもあり、正確に能力を把握していない場合は危険極まりない代物でもある。
「俺達ばかりに目を向けるのもいいんだが、気を付けるんだな。別に
口元に笑みを浮かべながら、一誠は言う。
そう、例えば、アザゼルさえ警戒して信用していない冥府の神ハーデス。一誠が神の中で最も警戒している一柱でもあるし、ハーデスが封印している存在も一誠やヴァーリに対して厄介極まりない。
「足元は盤石にしておいた方が良いぜ。いざという時に寝首をかかれないとも限らない」
そして、三大勢力がハーデスを警戒するならハーデス自身も派手に動けなくなる。それは一誠にとっては都合が良い。
唯でさえ思考が読みづらい。
先が読めない。
だからこそ、先に牽制して釘をさし、余計な動きをさせない。それが現状出来る最善の動きだ。
「俺が知っている中では、ハーデスが一番きな臭い。ああ、後は帝釈天やロキにも気を付けると良い。アンタなら思い当たる節があるだろう、アザゼル」
「……ハーデスは元々何を考えてるか分からない様な奴だった。帝釈天も基本は他の神話体系の連中と手を組む様な奴じゃないし、ロキだってオーディンの決定に異を唱えていると聞く。確かに間違ってはいないだろうな」
全員が全員、神として相応しいまでの実力を兼ね備えている。ハーデスに至っては死神を軍として動かすのだ。下手に敵対すると大打撃を受けかねない。
とはいえ、怪しい所がある以上は警戒せざるを得ない。一誠の言葉が信用に足るかどうかはともかく、事実としてハーデスが怪しいことに変わりは無いのだ。
三大勢力の警戒心は分散し、ハーデスは上手く動けなくなる。帝釈天とて同じだろうし、ロキなら気にせずに動く。
「
まぁ、その後フェンリル自身も殺されているのだが、それは今は関係無い。
「随分親切じゃないか。警告までしてくれるとはな。一体どういう風の吹き回しだ?」
「単純な話だ。イリナがそっちにいるからな」
「……何だ。お前、紫藤に惚れてたのか?」
「そう言う訳じゃないが……いや、違わないのか? ……まぁ、どっちでも良いか。取りあえず、死なせたくは無いってだけの理由だよ。他意は無い」
数少ない友人だ。出来れば大切にしたい。例え敵対組織に属していても、それだけでは一誠にとって見捨てる理由になり得ない。
イリナ自身はキョトンとした表情で一誠とアザゼルを見ており、リアスと朱乃もキョトンとしているが、会話の内容が理解できると呆れた表情になる。
たったそれだけ、とは言わないが、そのような理由で味方の情報をリークするなどどうかしている。
だがしかし。
「連中は味方じゃ無い。詳しい事は話せないし話す気も無いが、警戒して置いた方が良いのは事実だ」
この先何が起こるか分かる、などと言える筈も無い。そもそも、現状ではもう頼りにしていいのかわからない情報だ。
状況が余りにも違い過ぎる。何が起こっても不思議ではない。
「なるほど、なるほど……厄介だな。唯でさえお前等の対処でてんてこ舞いだってのに、ハーデスや帝釈天なんかまで目を向けなけりゃならんとは」
実際には一誠に言われずともある程度の警戒はしていた。一つの神話体系が他の神話体系へと戦争を仕掛けることも、可能性として決してゼロでは無い。
まして、三大勢力の中には『聖書の神』が存在しない。抑止力となり得ているのはそれぞれのトップの成果だが、楽観出来る程甘い状況でも無いのだ。
「さて、俺は必要な事を伝えたつもりだ。そろそろ帰らせて貰おう」
後ろ手に縛った縄を焼き切り、立ち上がって歩きだす。
それだけの動作だというのに、アザゼルは槍を構え、イリナは光の剣を構え、朱乃とリアスは魔力を高めている。
結界が張ってあるとはいえ、一誠の前では無駄だろう。こんなモノで防げるのなら、既に一誠は倒されている筈なのだから。
「争う気は無い。ここで争っても、俺には利点が無いからな」
戦意は無い。
その言葉を裏付ける様に、一誠はなんの戦闘準備も整えない。聖なる右を出す事さえせず、無防備に背中を晒しているのだ。
もっとも、元から「そういった動作」が必要無いというのもあるが、それ以上に此処は学校の一角だ。
争えば一般人の眼にとまることは間違いないだろうし、辺りが消し飛べば一誠としても困ることになる。
「俺はまだ学校には通うつもりなんだ。余計な事はさせないでくれ」
笑みを浮かべながら言う一誠に対し、リアス達は呆然とするしか無かった。