第四十五話:魔術×神器
昼休み中の駒王学園、その屋上。
一誠はいつも通り屋上の一角に寝そべり、残暑の残る生温い風を浴びていた。
「……平和だなー」
軽く欠伸をし、うつらうつらと心地良い気分に浸る。この男がテロリストなどと、普通は思わないような安穏とした空気が漂っていた。
『随分と暇そうだな、相棒。少し前までは色々と動いていたようだが、もう終わったのか?』
「『覇龍』は調整もあらかた終えたし、後は怨念やら何やらを適当に消すだけなんだよな。説得とか下すとか、そう言う時間のかかる方法は無駄の一言だろ」
唯の怨念が、積もり積もって覇龍が暴走するまでに至っている。それなら、やることは至極単純だ。
精密機器の内部に埃がたまれば掃除する様に、『赤龍帝の籠手』に宿る怨念も掃除してやればいい。
「何人かは話せる位の自我はあるようだが、別に興味も無いしな。調整が終われば次の段階に移行できる」
『……相棒。お前は、一体どこまで見えているんだ?』
ドライグが不思議そうに聞く。
ドライグから見て、一誠の行動には不可解な部分が多い。まるでAと言う行動を起こせばBと言う結果が得られると、
故に、何らかの行動を起こしても、予想通りにいっている事を確認する作業のような感覚が拭えないのだ。
それが最も顕著に表れたのが、『覇龍』の調整。
本来、使用すればほぼ確実に暴走するなどと一誠が知る筈も無いのに、最初から暴走する事が分かっていたかのように行動していた。
対処も万全に整えた為に寿命を減らす様な結果にはならず、覇龍状態を維持するための力の大本へ別個のラインを引いて聖なる右のそれへと変更。
多少肉体が疲弊したものの、コントロールに成功した。
「どこまで、か。そうだな……少なくとも、ここから先は手探りだ」
逆に言えば、それは今までの実験が予想通りに動いていたという事でもある。
本来知り得ない知識・技術によって制御下に置き、あまつさえ昇華させようとしている。
ドライグは一誠の事を「史上最強の赤龍帝」として認識しているし、外部の存在──例えば、アザゼルなども同じだ。
だが、それは実力と言う意味だけでなく、先を見通す眼があってこそとも言える。
「ヴァーリが知れば正規の方法──屈服させる事を選ぶだろうが、そんなのは時間の無駄だ。それに、そもそもまともな方法で昇華させる気も無い」
『……と言うと、魔術を使うのか?』
「当然。魔術師であるなら、魔術を使ってこそだ。神器に関する情報はアザゼルの機密と『禍の団』内部での研究資料で事足りる。後は、どれだけ上手くいくかだが……」
確率は五分、と続けようとした所で、屋上に続く階段の扉が開く。この時間帯なら誰が来てもおかしくは無いが、夏の日差しが強いという事もあって、屋上に来る物好きは一誠くらいだ。
誰が来たのかと思ってみれば、匙。なにやら真剣な面持ちで、一誠の事を睨みつけるように見ている。
そのまま扉を閉めて一誠の近くへと歩み寄る。一誠は寝そべったまま、体勢を変える様子すらない。匙はそれを気にせず、絞り出すように声を発した。
「……兵藤。お前、『禍の団』の魔術派のトップなんだって?」
「そうだが、何か用か? 作戦なんかは教える気は無いぞ。こっちも色々とあるんでな」
匙へ視線を向ける事無く、適当な調子で返答する。
一誠が未だに此処にいても大丈夫なのは、アザゼル達への敵意が感じられないからだ。
それに、学校や街中で戦闘を始めれば被害の大きさは計り知れない。余計な手出しをしなければ一誠から手を出す事も無いと踏んでいるので、現状では監視のみに絞られている。
だが、匙はそれを無視して一誠の元へと来た。
「そんな事が聞きたいんじゃない……兵藤、お前、何で『禍の団』なんてテロリストに手ぇ貸してんだよ」
「……ハァ?」
眉を潜め、想定していなかった言葉に本音が出る。
「奴らはテロリストだぞ? いろんな勢力に敵対して、平和を乱して、でなくてもいい被害を出す連中だ! ……何でお前が、そんな連中と一緒にいるんだよ!」
一誠には力がある。それも、二天龍の力を宿した神器が禁手さえ使える状態で。
対し、匙は禁手にすら至っていない神器を使う悪魔。
自分に無い力を持っている一誠を、人間のままで上級悪魔さえ圧倒する一誠を、匙は認めていたし、少しでも追いつけるようにと血反吐を吐く様な修行だってした。
才能の違いや運の良さと言ってしまえばそれまでだが、匙は諦めが悪い。可能性が一%でもあるのなら諦めない。
会長の──自身の王たるソーナ・シトリーの力になるために、自分自身を鍛え抜いて来た。
だが、しかし。
目標にすらしていた一誠は、敵対する組織の幹部で。
匙にとってそれは、酷く憤りを感じずにはいられない出来事だった。
「お前くらいの力があれば、誰だって救えるだろ! 皆を助けるヒーローにだって成れるだろ! なんでテロリストに何か手を──」
「馬鹿か、お前」
匙が鬱憤を吐き出すように告げる言葉を、一誠は遮る。
「何で俺がヒーローにならなくちゃいけない? 自分が手に入れた力は、自分の使いたいように使うだけだ。望まない使い方なんてするつもりは無い。知った様な口をきくなよ、匙」
確かに、初めはオーフィスの力に屈したと言っても過言ではないかもしれない。
だが、現在は明確な目的がある。オーフィスにも一誠自身にも利のある目的が。だからこそ、今の立場は有用だ。
他人の言葉で一々揺らぐような精神はしていない。
「──ッ! だったら、俺がお前を止めて──!」
「止めとけよ。下級悪魔一人で止められるほど、弱くは無いと自負してるつもりだ」
その気になれば、匙など簡単に捻り殺せる。それをしないのは、単に「匙が強くなろうとどうとでも出来る」と判断している為だ。
人間と悪魔。基礎性能の違いで言えば後者に軍牌が上がるが、そもそも一誠は中途半端とはいえ原罪を薄めることで天使へと肉体が作り変えられている。
話にすらならない。
力の差は歴然過ぎて、格の差は明確過ぎて、同い年で在りながらも、一誠は匙のずっと先を行っている。
「増してや、ヴリトラの力すらまともに使えないお前じゃ無理だ。諦めて帰れ」
「そんなの、やってみなきゃわからねぇだろうが!」
「分かるさ。何を焦ってるんだ、お前。禁手が使えるかどうか、それだけで勝敗が決定してるだろ?」
それに、例え匙が禁手を扱えるようになったとしても、力の差は埋まらない。
匙はそれすら関係無いとばかりに、一誠を強く睨みつけている。
「……まさかとは思うが、会長を殺されないか心配で仕方ないのか。いや、お前の事だし、十分あり得そうだよな。古今東西、惚れた女の為に戦う男ってのは後を絶たないモンだ」
一誠の場合、基本的に仲の良い女性がイリナとプリシラ位しかいないので、そう言った事とは殆ど無縁だ。
まぁ、グレモリー眷属の面々とはある程度面識があるが、恋心など持ちようも無いだろう。
敵対組織の誰かと恋に落ちて云々かんぬん、と言うのもロマンがあって良いとは思うが、現実でやるには少しハードルが高過ぎる。
「……悪いかよ。俺は、あの人のために戦うんだ。だから、お前がテロリストだって言うなら、お前を止める!」
匙が神器を発動させ、自身の胸部へとつなぎ──生命力を魔力へと変換して、一誠へと放つ。
匙の魔力は元々少ない。だが、それをカバーするために有り余るほど存在する膨大な寿命を削り、魔力へと変換して使用している。
比類しない最大の一撃。初撃決殺を念頭に、一誠を殺す気で魔力弾を放った。
だが。
「アホか。今更この程度で倒せる訳ねぇだろうが」
片手を振って相殺され、その余波で後ろへと吹き飛ぶ匙。
油断や慢心は死の元である。ましてやここは敵地。奇襲があったとしても何らおかしくは無いのだ。
それに対して、対策を整えていない方がどうかしている。
「ぐ……それが、お前の使う魔術か……」
「正解。とは言っても、そんな難しいものでも無いけどな。死にたいなら今すぐ殺してやるが……どうやら、今ドンパチやり始めると面倒なことになりそうだ」
一誠は立ち上がって服をはたき、視線を屋上の入口へと向けた。
「何を……」
「サジ、何をやっているのです」
ハッとした様子で振りかえる匙。その視線の先には、冷静な眼差しで匙と一誠を見るソーナ。そして、背後に構える緊張した様子のシトリー眷属たち。
昼間の校内は彼女達の支配下だ。何かが起これば、彼女達の責任にも成る。
それが自分の眷属ともなれば、
故に、事が起こる前に自体の収拾を図る。手際の良さはかなりのものと言って差し支えない。
一誠は手に構えた杖を肩に担ぎ、溜息をついてシトリー眷属の面々を見る。戦闘態勢は万全といった様子で、このままでは戦闘は避けられない様に思えた。
しかし。
「やれやれ、そっちから仕掛けてきたのに休戦か。部下の事はしっかり管理しておけよ、シトリー」
「貴方に言われるまでもありません」
「辛辣な事で。もう少しゆるい性格なら人気も出ただろうにな」
「知った事ではありません。私は私の職務を全うするだけです。貴方がこの場で反乱するというのであれば、鎮圧します」
「やる気は無い。さっきも言ったが、仕掛けてきたのはそっちだ。俺から手を出す気は無い」
少なくとも、今は。
そんな事を胸中で呟きながら、戦闘態勢をとりながらも戦う様子を見せないシトリー眷属を見る。匙は後輩から手当てを受けている様で、その状態でも一誠を睨むのを止めていない。
諦めていない目だ。力の差が歴然でも、頭を使えば勝てる。そう思っているのかもしれない。
匙は一誠の血を神器で吸っていない。その為、ヴリトラの意識が浮上する事は無いだろう。一誠が知っている時期的に、ロキが動き出すのは時間の問題だ。
今やっても間に合わない。それに、間に合わせる意味も無い。
しかし、曹操達にとって想定外の出来事を起こすには、こう言った積み重ねが大事だ。
もしも一誠の知る正史の通りに動くとするのなら、それに対する保険も用意しなければならない。
「いつか俺を倒すまでになるか。それはお前次第だが……切欠くらいは与えてやるよ」
左腕に現出するのは神器──『
『Transfer!!』
瞬間、匙の身体に異変が起こる。
身体の中に何かが侵入する不快な感覚。天使の使う光の毒に蝕まれたような激痛が、匙の全身を駆け巡った。
「があああああぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「匙!?」
「元ちゃん!?」
ソーナを除く全員が匙へと視線を向け、匙の身を案ずる。ソーナも気になっているようだが、それ以上に一誠から視線を切る事を恐れていた。
目を離せば何かやりかねない。現に対処する事すら出来ずに匙が何かされたのだから、これ以上は戦闘になってもおかしくは無い。
「一体、何を……ッ!」
「心配はいらんさ。ちょっと匙の神器に俺の力を分け与えただけだ。仮にも五大竜王の一角に刺激を与える為なんだし、多少の痛みは勘弁してほしいね」
肩をすくめながら、一誠は言う。霊装は既に影の中に収納しており、神器も消えている。戦闘の意志は無いと示しているのだろう。
痛みに呻く匙の声を聞きながら、次の行動を起こそうと思考を巡らせ──唐突に昼休み終了のチャイムが鳴り響く。
「昼休みも終わりだな。次の授業があるから、そこ退いてくれる?」
一誠はあっけらかんとした様子で、屋上から出ていこうとする。
ソーナは行かせまいとするも、匙の安否を確認する必要もあり、眷属たちと共に屋上へと出て、一誠を睨みつけつつ見送る。
屋上から出ていく一誠と、一瞬だけ視線が重なった。
●
「ただいまー」
台所から聞こえる母親の返事を聞き、鞄を持ったまま二階の自室へと歩を進める。
二階にあるもう一つの部屋から何から物音がするが、イリナが帰ってきているのだろう。気にする必要は無い。
鞄を自室の机に置き、制服から私服へと着替える。これから特に出かける用事も無いが、日課であるランニングにでも出かけようと部屋を出た瞬間、イリナに捕まった。
腕を掴まれ、そのままずるずると部屋の中へと引き摺りこまれる。
「……何の用だよ」
「今日、匙君に何したの?」
表情は怒っているという程ではないが、イリナは腕を組んで「怒っています」みたいなポーズを取っている。
昼休みに匙にやった事の報告を受けたのだろう。アザゼルの事だから「余り関わるな」と言われていそうだが、イリナはそんな簡単に止まる女じゃ無い。それは一誠も身を持って知っているし、隠す気も無い。
「神器に刺激を与えたのさ。匙の神器にはヴリトラの魂の一部が封じられてるからな。後は他のヴリトラの魂が封じられてる神器を集めれば、意識を覚醒させることも可能な筈だ」
実際、正史ではそうやってヴリトラを覚醒させていた。扱えているかどうかはともかくとして。
「……それって、上手く行けば私達の戦力強化になるけど……イッセー君が、なんでそんな事をするの?」
一誠は敵対組織のはずだ。何故、三大勢力の強化を図ろうとしているのか。真意が図れない。
「魔術派ってのは特殊な立場でな。人間──英雄派とは繋がりはそれなりにあるが、魔法使い達とは繋がりが無い。そもそも、ここ最近まで知られていなかった技術でもあるしな。規模そのものは『禍の団』の中でも下から数えた方が速い。まぁそれはともかくとして、英雄派の連中も魔術を使うんだよ。
──ヴリトラってのは、五大竜王の中でも特異な炎を使う事で有名だ。魔術が通用するかどうか疑問が浮かんでな、試してみたくなった」
詰まる所、英雄派の魔術師とぶつけ、そのデータを得るための事前準備。
元は神話を「再現」するための技術である為、ヒンドゥー教の逸話に出てくるヴリトラとは差異があるにせよ、再現する事も不可能ではない。
まぁ、それをやろうと言っているのは一誠では無く、魔術派の一人ではあるが。興味もあるので、一誠は協力しているだけに過ぎない。
と、
「……実験しようって言うの?」
「ヴリトラの神器は三大勢力……正確に言うなら、アザゼルが全て集めてるからな。俺たちじゃもう手に入らない。奪ってもいいが、それだと殺す事になるし」
別にその方法を取っても良いのだが、下手に目立つ事は避けたい。
と言うか、ソーナの眷属に下手に手を出すとセラフォルーが襲いかかって来そうなので、あの眷属には余り手を出したく無い。
誰も好き好んで魔王と戦おうなどとは思わないのだから。
「それに、そう悪いことばかりじゃ無い。お前の近辺に実力者を固めておけば、お前に被害が行くことも少なくなるだろ」
「…………」
顔を近づけてくる一誠に、若干顔を赤くしながらイリナが黙る。
今まで恋愛関係の事など無縁であったためか、そう言ったことに対する耐性がまるでない。何を言えば良いのかさっぱり分からないのだろう。
視線は右に左にと泳いでおり、何を言えば良いのかわからずにいる。
「まぁ、
左手に現れるのは神器。そして、いつの間にか右手には霊装が握られていた。
匙の時とは少しばかり使う術式が違う。だが、根本的には似たようなモノ。
『Transfer!!』
一誠から「力」が流れ込む。肉体が人間なら耐えられなかったであろう量の力も、肉体が天使と化している事で何とか耐えられる。
そう言う風に調整しているし、既に何度か実験も終えているのだ。失敗する要素は無い。
一気に流れ込む力に立ち眩みを起こしながらも、イリナは一誠をハッキリと見る。
「一体、何を……?」
「保険だ。
誰とは明言しない。だが、一誠の中では常に警戒すべき一人の人間の顔が浮かんでいた。
隙を見せれば殺される。アレは、恐らく唯一それが出来るであろう存在だ。計画通りに事を運ばせる訳にはいかない。
故に、一誠はこの方法を選んだ。
三大勢力側の微強化。英雄派は当然の様に強化されてます。
詳しい事は本編で書く予定ですが、取りあえず原作よりも戦力差開いてます。