第四十八話:計算外の出来事
──日は落ちて黄昏は過ぎ、暗闇の支配する夜の時間帯。
オーディンが日本の神々と対談する為のホテル、その屋上にて一誠達は待機していた。
周囲のビルにはシトリー眷属が配属されており、遠目に小さな人影が佇んでいるのが確認出来る。
匙は間に合わない。ヴリトラの意識を取り戻すにも時間が足らず、ヴリトラの力が無いのでは足手まといだ。いるだけ無駄と言うものだろう。
アザゼルは会談における仲介役として、オーディンの傍にいる。
代わりにバラキエルとロスヴァイセが屋上で待機しており、ホテルのはるか上空にはタンニーンもいる。流石に巨大な龍の姿では目立ち過ぎるので、特殊な術で普通の人間には視認できない様にしてあるらしい。
ヴァーリ達も既に準備は整い、開戦の合図を今か今かと待ち望んでいた。
「──時間ね」
リアスが時計を見ながらそう呟く。
オーディンと日本の神々との会談が始まったのだ。
ロキが本当に真正面から来るかどうかは分からないし、もしかすると小細工を弄して既に侵入しているかもしれない。悪神であり、狡猾であるとされるロキだ。その手の方法を取ったとしてもなんらおかしくは無い。
だが、
「小細工なしか、恐れ入る」
「余程自信があるらしいな」
苦笑するヴァーリと表情を浮かべずにいる一誠。
その言葉の意味を誰かが問い質す前に、ホテル上空の空間が歪んで巨大な穴が開く。そこから出てきたのは、悪神ロキと魔狼フェンリル。
「目標確認。作業開始」
バラキエルが簡潔に告げる。耳に付けていた小型通信機からシトリー眷属に指示を出したのだろう。
ホテル一帯を包み込むように、巨大な結界魔方陣が展開し始め──
「フェンリル、行け」
「──ッ!?」
──それと同時に駆けたフェンリルが、一誠を吹き飛ばす様に攻撃を加え、同時に魔方陣の外へと押し出される。
フェンリルの攻撃は聖なる右で防いだのでダメージは無いが、ヴァーリ達と離れてしまった。しかも、目の前に居るのはオーディンを殺しかねないフェンリル。
状況は最悪と言っても過言ではない。だが。
「残ったのが俺でよかったと言うべきか、俺が邪魔だからこうなったと言うべきか」
『Welsh Dragon Balance Breaker!!!』
右手に杖を持ち、左腕に赤い鎧を展開させ、フェンリルに対して最大限の警戒を寄せる。
この状況は想定外だ。あり得ない事態では無かったのだろうが、一誠の知っている未来ではこんな事は起こらなかった。
既にロキと他の面々は転移しており、この場に残ったのは一誠とシトリー眷属のみとなっている。状況としては最悪に近い部類だろう。
夜の闇に紛れ、空中に立って灰色の毛並みを持つ狼と相対する。
「手を出すなよ、シトリー。お前らでどうにかなる相手じゃない」
転移するにしても、フェンリルをどうにかしなければ向こうへ行くわけにはいかない。オーディンが殺される可能性があるし、それだとロキの思い通りだ。
舌打ちしつつ、高速で疾走するフェンリルの攻撃を聖なる右で防ぐ。
弾き飛ばすのは簡単だが、余り派手にやると目立ってしまうし、辺りに被害が及ぶ。今更気にしても仕方ないかもしれないが、波風は立てないに越した事は無いのだ。
あくまで、一誠の敵は三大勢力。人間では無い。
「──ふっ!」
息を吐くと同時、魔術を持ってフェンリルを縛りにかかる。
だが、一瞬でそれらをかわされた後に鋭い牙が一誠の喉元へと迫り、牙が届く寸前に聖なる右で上空へと吹き飛ばす事に成功する。
『BoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoost!!』
空を蹴ってフェンリルを追いかけ、魔術による雷撃が上空を埋め尽くした。
『少し派手にやり過ぎじゃないか?』
「手加減が効く相手でも無い。それに、さっき上に吹き飛ばしたあと直ぐに辺り一帯を結界で覆った。ある程度は誤魔化せる筈だ」
急いで張ったものだし、強度と隠密性にはあまり自信がないが、と一誠は言う。
その視線の先には、先程の雷撃で軽く火傷したフェンリルの姿があった。
「……頑丈な奴め。でかいのぶつけるのが一番か」
『ロンギヌス・スマッシャーでも使えばダメージは通ると思うが』
「溜めがいるだろうが。それに、奴の速度じゃ当てるのも難しい」
切り札は聖なる右。これを持ってフェンリルを叩き潰す。ヴァーリには悪いが、瀕死まで追い込んでから引き渡すとしよう、と一誠は思考する。
懸念すべきは余波による周囲への被害だが、これも結界の強度を上げれば少なく出来る筈だ。
ならば次。何処から崩していくべきかを考えた所で、フェンリルがその爪を持って結界を引き裂き、ソーナのいる場所へと向かった。
「──野郎、俺をロキの所へ行かせないつもりか!」
今回用意された大型魔法陣は、大人数を転移させる為にシトリー眷属が使用する事を念頭に置かれている。他の者でも使えない事は無いだろうが、調整に時間を取ってしまうし、大型にした分魔力も多めに必要になっている。
一誠一人を転移させる為に小型化するにしても時間を取られてしまうので、シトリー眷属のうちの誰かがやられると
故に、取る行動は唯一つ。
「──らァッ!!」
水平に直線で動く。それだけでフェンリルの速度を超え、タッチの差でソーナを掴んで距離を取った。
直ぐに動きを阻害する為、「禁書目録」から術式の検索の後に発動。更に用意して置いた霊装を使い、フェンリルの動きを一時的に止める。
「……数秒持たないか。ここじゃ『覇龍』もまともに使えないし、どうしたもんかな」
左腕に抱いたソーナをビルの屋上に降ろし、フェンリルの姿を捉えて呟く。今もなお魔術で幾重にも重ねがけしているが、本気になったフェンリル相手にあれだけで止められるとは思っていない。
まぁ、簡単に破らせる気も無いのだが。
『BoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoost!!』
強度を出来る限り跳ねあげる。少しでも時間を稼ぎ、フェンリルと自分ごとヴァーリ達の下へ転移させる。
「出来るか、ソーナ・シトリー」
「少し、時間がいるわ。フェンリルと貴方が暴れてから、こちらも最初の配置からずれているの。多少は大丈夫だけど、攻撃の余波で一次的にビルの中に隠れてるメンバーもいるから……」
「こっちもそう長く持たない。なるべく早く──チッ!」
一歩踏み出し、動き始めたフェンリルの頭部を蹴り飛ばす。ギョロリと眼球が動き、フェンリルは一誠の姿をその眼に捉えた。
至近距離で右前足が動き、鋭い爪を聖なる右で防御するも、衝撃で弾き飛ばされる。蹴り飛ばした所為で身体が若干浮いていたのだ。体勢を崩した状態では、攻撃を防げても慣性までは消せない。
空中で弾き飛ばされ、近くのオフィスビルへと突っ込む。ガラスを盛大に割って中へと転がりこむが、時間的に誰もいないのは幸運だった。
軽く舌打ちをしながら、ガラスを踏み砕きつつ窓際に歩み寄る。ローブが多少傷ついているが、怪我はほとんど無い。
星空に紛れて灰色の毛並みが確認出来、視線がソーナの方を向いているのも分かる。
窓枠を蹴って空へと飛び出し、空を足場としてフェンリルに近づき、魔術で拳制をする。
さてどうするか、と考え、膠着状態へと持って行ったところで。
「──準備出来ました!」
ソーナから準備完了の声が出る。既にシトリー眷属の面々は配置についており、魔法陣を発動させようとしている最中のようだ。
「このまま俺とフェンリルを送れ!」
叫ぶと同時、魔術によって作られた鎖がフェンリルの動きを縛らんと迫る。
だが、フェンリルとて馬鹿では無い。
一度は見ている術だ。その軌道は既に見切っており、倍加する前の強度はそれほどでもないと分かっている。
故に、この瞬間にとる行動は一つ。
「──チッ!!」
転移させない為にシトリー眷属を狙う。それは先程と同じ手法であり、一誠もそれをさせまいとフェンリルの隣に並んで聖なる右を使う。
聖なる右が動き、フェンリルを捕縛しようとした瞬間。フェンリルはその爪を振るい、聖なる右へとぶつけた。
壊せないと悟っている筈、ならば今の行動に何の意味がある。フェンリルの行動に疑念を抱く一誠が次のアクションを起こす直前──聖なる右を弾いたその瞬間に、一誠の首へと神殺しの牙が迫った──。
●
岩肌ばかりの大きく開けた土地。かつて採石場として使われていたその場所は、ヴァーリ達が本気で暴れるためには丁度良い場所だった。
転移した直後に周りを見渡し、やはり一誠とフェンリルがいない事を悟ると、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……兵藤とフェンリルがいないな。やはり、あの時に転移の範囲から出てしまったらしい」
「想定外だけど、やるしかないわね」
ヴァーリとリアスが顔を見合わせ、ロキの方へと視線を戻した。
ロキはにやにやとした笑みを浮かべており、フェンリルの勝利を疑っていない様子だ。
「あの赤龍帝は我々を愚弄したからな。邪魔が入らない内に退場して貰う──そして、当然オーディンも。会談などしてもしなくても同じだ。退場して貰うことに変わりは無い」
「貴殿は危険な思想に囚われているな」
「それはそちらが先だろう。そも、三大勢力が手を組むということ自体がイレギュラーだ。それに加え、本来は別々に存在する各神話の協力など……世界の歪みは、お前たちから始まったとも言える」
「話し合いは不毛のようだな」
黒い翼を展開し、手に雷光を纏わせたバラキエル。それを合図に、リアス達もそれぞれ戦闘準備を開始する。
『Vanishaing Dragon Balance Breaker!!!!』
真っ白な鎧が展開されると同時、ヴァーリはジグザグに動きつつロキへと迫る。
ロキはそれを予測していたかのように魔法を使い、幾重にも展開された防御式魔方陣が動きを阻み、それらから放たれた光の帯がヴァーリを捕らえんと動く。
ヴァーリとてそれらで捕まる程遅くは無い。全ての攻撃を回避し、魔力以外の術式が展開された。
「まずは初手だ」
巨大な質量を持つそれを、迷うことなくロキへとぶつける。
採石場の三分の一程度を包む程の攻撃だが、幾重にも張られていた魔方陣によって防がれていた。
「ふははは! 北欧の魔法を覚えたか。だが甘いな。そんなものでは、本物の使い手には及ばんぞ!」
放たれた魔法はヴァーリの後方、リアス達を巻き込む形で放たれ、バラキエルが雷光を放って相殺する。余り力を込めなかったために相殺が可能だったらしい。
ヴァーリも一旦距離をとり、動きを見ていた黒歌達も動こうと構える。
その様子を見て、ロキも口元に笑みを浮かべつつ告げた。
「こちらも攻勢に出るとしよう──フェンリルよりはスペックが落ちてしまうが」
ロキの両サイドの空間が歪む。その歪みから顔を見せたのは、フェンリルに似た灰色の狼。感情を見せない双眸はリアス達へと向けられており、ロキが名を呼ぶと同時に雄叫びを上げる。
「スコルッ! ハティッ!」
オオオオオオオオオォォォォォォォン!!!
煌々と輝く月明かりに照らされ、二体の狼は姿を晒す。
そのフェンリルを思わせる姿の二頭を見たリアス達は、その姿に唖然としていた。唯一、ヴァーリのみが楽しそうに笑っている。
「ヤルンヴィドに住む巨人族の女を狼に変え、フェンリルと交わらせて出来た子がこの子たちだ。親よりもスペックは落ちるが、貴殿らを葬るには十分過ぎる」
恐らくはミドガルズオルムさえも知らない情報。知っていたなら、恐らくは隠す事さえせずに話していただろう。ミドガルズオルムにとって、ロキ達はどうでもいい部類の存在に入る以上は。
「さぁ、敵を食い千切るがいいッ!」
ロキの言葉と共に、高速で二頭の狼が牙をむく。
ロキの言葉が本当であれば、スコルとハティの二頭も十分にこの場の全員を殺せるだけの力を持つことになる。であれば、本来フェンリルに使う筈だった『グレイプニル』を、この内の一頭に使うことも視野に入れる必要がある。
だが、それはもしフェンリルが戻ってきた場合、最も厄介な敵を押さえ付けるための枷が無くなるということでもある。
ヴァーリとて最悪の状況を考えないわけではないが、フェンリルを相手取ったのが一誠である以上、使うべきはスコルもしくはハティのどちらかだと判断した。
「黒歌、どちらか片方をグレイプニルで抑えろ! もう一頭はお前たちだけで何とかできる筈だ!」
この二頭さえ抑えてしまえば、後はロキを力押しで倒すだけ。それが可能だとするヴァーリの言葉に、迷いは一切ない。
「わかったにゃん」
黒歌もヴァーリの指示に従い、魔法陣を展開。グレイプニルを持ってスコルを捕える。苦しみを訴えるかのような嘶きが響き、同時にハティへとタンニーンの炎が迫った。
だが、ハティとてあのフェンリルの血を継ぐ魔狼。その程度の火力で退く筈も無く、タンニーンの業火を直線で浴びてなお疾走を止める事は無い。
それを援護するかのように放たれるロキの巨大な魔術はヴァーリによって相殺され、ハティはタンニーンとグレモリー眷属の面々で抑え切れている。
ヴァーリチームはヴァーリの援護が可能であり、ロキを倒す事もそう難しくは無い──そう考えた刹那。
「流石に分が悪いか。では、こちらももう少し数を増やそう」
ロキの足元の影が広がり、そこから細長い竜──ミドガルズオルムの量産体が十体現れる。本来の大きさでは無く、かなり小さくなっているが、竜であることには変わりない。
「ミドガルズオルムの量産体かッ!」
いち早く反応したタンニーンは、迫るミドガルズオルムの量産体へと巨大な炎を吐き、量産体を吹き飛ばしていく。
それを見て援護に回るロスヴァイセ。北欧の魔法を用いて、量産体へと攻撃を加えていき、タンニーンの動きをサポートする。
ハティはグレモリー眷属とバラキエル、イリナで抑え切れている様で、量産体はタンニーンとロスヴァイセ、更には黒歌と美猴で対応していく。
「ふむ……中々やるようだな。やはり、フェンリルがいないのは痛いか」
この場に置いて最も強力なカードが無いのはどちらも同じだ。であれば、どちらが先にこちらへ戻ってくるか。そこが焦点となる。
ヴァーリたちは一誠の勝利を確信しているようで、動揺すら見せない。リアス達も似たようなものだが、完全には信用しきれていないようで、一刻も早くハティを倒そうと奮闘していた。
戦線は膠着状態へと移行し、どちらもどれだけ余力を残したまま敵を倒せるかが要と成り始めた状況で、一つの変化が起こった。
ズズズ──と、空間が裂けるようにして何かが現れる。
「あれ、は──」
灰色の毛並み、感情を見せない双眸、血で紅く染まった神殺しの牙──それらの特徴を持つ、最悪の魔狼。
「フェンリル、だと──ッ!!」
あり得ない。
だが、血に染まった牙──それが、フェンリルの勝利を誰に語るでも無く証明していた。
「ふむ……予定より遅かったが、目的は達せられたようで何より」
一誠と共に転移しなかったという事は、一誠もしくはシトリー眷属をどうにかして行動不能にまで追い込んだのだろう。
フェンリルも大分消耗した様子を見せるが、これだけではフェンリルの戦闘能力を削るための要因とはなりえない。
「イッセー君が、負けた……?」
ぽつりと呟くイリナは、知らぬ間に手に持った光の剣を強く握りしめ──