第四十九話:敗北は死
先に動いたのはどちらだったか。
フェンリルはこの場の誰よりも速く、そして強力な力と知性を合わせ持つ。ならば、状況を動かす為にまず狙うのは、フェンリルに次いで力を持つスコル。
闇夜に紛れて疾走し、グレイプニルを噛み千切る為に動いた。
「行かせないッ!」
量産型ミドガルズオルムは他の面々へ時間稼ぎのための駒として、途中で立ち塞がった木場とゼノヴィアを己が爪牙を持って引き裂き、スコルを縛るグレイプニルを噛み千切った。
自由になったスコルは、まずハティと共にグレモリー眷属を狙う。戦場に置いて弱者から潰していくのはやはり鉄則なのだろう。
「やらせんぞッ!」
量産型ミドガルズオルムを炎で弾き飛ばし、リアス達の援護に向かおうとするタンニーン──だが、フェンリルが一歩先んじて動き、タンニーンをその爪で引き裂いた。
次の瞬間にはタンニーンの悲鳴が聞こえ、引き裂かれた身体から鮮血が舞い散る。
圧倒的実力者の到来により、状況はいとも簡単に変化する。
『フェニックスの涙』を用いて回復した木場たちはリアスの近くへと護るように動き、ヴァーリチームの面々はフェンリルがタンニーンの方へと向かっているのをいいことに、スコルを狙った。
聖王剣を持ってスコルの左眼を潰したアーサーは、スコルを助けるかのように動くハティの牙を受け止める。
「余所見は駄目にゃん」
「雷光よ!」
黒歌がハティの腹へと魔力弾を飛ばして吹き飛ばし、朱乃とバラキエルの二人はスコルへと雷光を放つ。ハティは黒歌の魔力弾で一瞬動きを止め、眼が眩むような稲光がスコルへと直撃するが、それでも倒すまでには至らない。
一瞬のひるみの間に木場とゼノヴィアが打って出る。聖魔剣を幾つも作り出し、行動範囲を制限させた上でゼノヴィアがデュランダルの斬撃を飛ばす。
「ギャスパー、奴の視界を奪って! 小猫はその隙に何処でも良いから仙術を!」
リアスから指示が飛び、ギャスパーは直ぐ様身体をコウモリへと変化させて視界を遮る。ギャスパーの神器は通用しないのだ。
動きが止まった瞬間に小猫が仙術を使って打撃を加え、直後に下がる。実質的なダメージを与えられなくても、仙術ならば身体の内側──生命の根源へと直にダメージを与えられる。こう言った手合いには有効な手段だ。
たたみかけるように連続して攻撃するリアス達に業を煮やしたのか、スコルは咆哮してゼノヴィアを前脚で吹き飛ばす。
攻撃をデュランダルで何とか受け止めたが、そのまま大きく飛ばされる。再度スコルを見た時、スコルはとある方向を見ていた。
その視線の先に在るのは、ハティと戦う黒歌とアーサーでも、量産型ミドガルズオルムと戦うタンニーンとロスヴァイセでも、ロキとフェンリルと戦うヴァーリと美猴でも無い──光の剣を携えたまま微動だにしない、イリナの姿だった。
「イリナッ!」
スコルがそちらへ動こうとする刹那、ゼノヴィアが声を上げてイリナへと警告を促す。しかし、イリナはフェンリルをジッと見つめたまま動かない。ゼノヴィアの声も聞こえていない様に思える。
ほんの数秒とかからずに間合いを詰めたスコルが口を開け、その凶悪な牙でイリナを貫こうとした瞬間──イリナの持つ剣が一際大きく輝いた。
イリナはスコルの牙を紙一重の間合いでかわし、普段と打って変わって表情が無い顔を見せる。
「イッセー君が、負けるもんか……」
ぽつりと呟いた声は誰にも聞こえず、かと言ってイリナ自身が意識して出したものでもない為、本人でさえ認識していない。
ただ、感情が溢れ出るように言葉が出て、それに呼応するかのように右手の剣も強く輝く。それはまるで、神話に出てくる英雄や天使の使う伝説の武器のように──。
「なんだ、あれは……フェンリルッ!」
イリナの持つ剣を警戒したのか、真っ先に潰そうとフェンリルをけしかけるロキ。
同時にスコルもまた攻撃を仕掛けるも、イリナの剣によって防がれる。その止まった一瞬にバラキエルの雷光が迸り、木場とゼノヴィアによる斬撃の乱舞が放たれた。
フェンリルへと魔法で牽制を放つヴァーリだが、それを気にも留めずにイリナへと接近し、その爪を振るう。
木場が大量の聖魔剣を作り出し、視界を覆って盾とすることで何とか防ぐも、続く二撃目を防ぐ事は出来なかった。
「ぐあああああぁぁぁぁぁッ!」
剣山の如く作り出した聖魔剣をものともせず、フェンリルは木場の右腕を噛みつく。千切れていないのが不思議なほどに穴が空き、血がどんどん流れ出ている。
「木場ッ!」
デュランダルの一刀を持ってフェンリルに斬りかかるも、爪で弾かれた上で噛みつかれ、腹部を牙が貫通する。直後に木場の胸元を爪で引き裂き、未だ動く左腕で攻撃を仕掛けようとしていた木場へ致命傷を与えた。
悲鳴を上げる間もなく血を吐きだし、力なく落ちていく二人。ヴァーリは陽動に動き、それを見たリアスは直ぐにギャスパーへと指示を出し、空中で停止させてフェニックスの涙を使わせようとフェンリルの動きを見る。
その視界に映ったのは。
光り輝く剣を振りかぶっていたイリナが──フェンリルの足を切り裂いた瞬間だった。
「な──ッ!?」
フェンリルに一撃を入れるというのは並大抵のことではない。二天龍クラスの実力を持つというロキの言葉に恥じない、肉体的強度と反応速度を持っていることも要因の一つである。
だがこの瞬間、フェンリルは木場とゼノヴィアの二人を切り裂き、そして動き出したヴァーリの姿を捉えている。
陽動だと看破する事は出来ただろう。敵を倒したという気の緩みも殆ど無い。しかし、ほぼ同時に死角から襲いかかるイリナの刃には反応出来なかった。否、しなかったという方が正しいだろうか。
タンニーンの炎でさえほぼ無傷で潜り抜けるだけの肉体的強度を持っている為に起こった油断か。少なくとも、一撃を与えるだけの時間が出来、それをイリナは見逃さなかった。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
フェンリルの胴体を切り裂く一閃。それほど深い傷では無いとはいえ、少しずつダメージを蓄積させれば倒す事が出来る。とはいえ、それはダメージが
まともな攻撃が通用しないのなら、ダメージなど気にする必要は無いのだから。
だが、実際にイリナは右手に持つ剣によってフェンリルにダメージを与えている。剣の変質も、恐らくは一誠の仕業だろうとヴァーリは踏んでいた。
用心深い一誠が、イリナになんの保険も残さない訳が無い。何かしらの保険が存在すると思っていたが、まさかこんなものだとは思っていなかった。
「以前見た、あの巨大な剣に似ているな……」
『分かっているとは思うが、悪魔であるお前はあの剣に触れない方がいい。天使──それも、かなり強力な力が宿っているぞ』
ヴァーリの呟きにアルビオンが返す。
以前、シャルバ戦において使用した超巨大な剣を見ているヴァーリには、イリナの持つそれが一誠の使用した剣と酷似していることに気付いた。同様に、リアス達も見ている為に似た感想を抱く事となる。
「だが、あれは神器の力じゃない。兵藤自身、あの剣は『自分の持つ力』によるものだとも言っていた。それを彼女が使うという事は、なんらかの魔術でも使っているのか……?」
もしくは、赤龍帝の籠手の固有能力で力を『譲渡』したのか。それらを思考して纏める前に、ロキが魔法を放ちながら言葉を投げかける。
「余所見は感心しないな、白龍皇。心配せずとも、赤龍帝はここに来る事は無いだろう」
「随分な自信だな、ロキ。息子が其処まで自慢か」
「当然だ。あの子の力は私を超え、天龍の域にまで至っている。並大抵のものでは止める事さえ出来んよ」
ロキの自信ももっともだ。実際、フェンリルは木場とゼノヴィアを戦闘不能にまで追い込んだ。このままヴァーリがロキによって足止めされているのなら、確実にイリナの喉首は噛み切られるだろう。
「俺っちのことを忘れて貰っちゃあ困るねぃ!」
美猴が如意棒を振り回しながら戦闘へと介入する。フェンリルとの戦闘で服は既にボロボロ、切り傷だらけで血に染まっているが、それでも戦闘の意志は揺らいでいない。
「ふははッ! その程度の実力で、このロキを倒せると思うな!」
更に数体の量産型ミドガルズオルムを影から呼び出し、美猴ごとタンニーンの方へと向かわせる。幾らタンニーンが強くとも、ミドガルズオルムが量産型であろうとも、数に任せて攻撃すれば勝てない訳ではないのだから。
「く──ッ!」
「いやあああああああ!!」
ヴァーリが舌打ちをするのと、アーシアが悲痛の叫び声を上げるのはほぼ同時だった。
一瞬そちらに視線を向けてみれば、アーシアを庇ったのであろうフェンリルの牙に貫かれたバラキエルの姿があった。
至近距離からの雷光をものともせず、傷口を抉るように牙を動かす。
「ぐ、あ……ッ!」
強烈な痛みに目眩を覚えるバラキエルだが、やられてばかりでは無い。体外からの雷光に意味が無いのであれば、僅かに開いている口内から体内へ直接雷光を叩きこむ。
それを察知したのか、雷光を叩きこむ直前にフェンリルが牙を抜き、バラキエルを弾き飛ばす。
「バラキエルさん!」
直ぐ様追撃をかけようとするフェンリルへと黒歌が魔力弾を飛ばし、反対側からイリナが剣を振るう。その間にアーシアがバラキエルの傷口へとフェニックスの涙を使い、同時に神器を使う事で傷を癒していた。
「ハァッ!」
一瞬にしてその命を屠りかねない一撃を、イリナは右手に持つ剣を持って紙一重でかわし続ける。
「小猫、何とかイリナの手助けが出来ないかタイミングを探っていてちょうだい。朱乃は隙を見て雷光を」
「分かりました」
「分かったわ、リアス」
リアスの指示に頷く二人。実際、フェンリルとイリナの戦闘は紙一重の状況だ。いつ崩れてもおかしくは無い。
そして、同時に違和感が拭えない状況でもある。
イリナの実力は、確かにそれなりに在るとはいえ、フェンリルと一対一で戦っても無事でいられるようなものではない。むしろ、本来の実力から考えれば既にやられていてもおかしくないのだ。
最も彼女の力を知っているであろうゼノヴィアが戦線離脱している為に確証は無いが、天使化しただけであそこまで実力が跳ね上がるとも思えない。
元の実力が高いというのなら、コカビエルに負けることも無かった筈なのだ。
(……やっぱり、あの剣が原因かしら)
一誠が敗北したと認識し、激情に応えるように輝く刃。エクスカリバーにも使用者の身体能力を上げる副次効果があったが、あの剣にも似たようなものがあると考えて良いだろう。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
フェンリルの爪とイリナの刃が交差し、弾かれた瞬間に雷光が飛ぶ。朱乃が放ったものだ。
だが、その雷光はフェンリルの動きを止める事は出来ず、加速したフェンリルの速度についていけなくなったイリナが弾き飛ばされる。
「イリナさん!」
淡い緑色の光がイリナを包む。アーシアが弾かれて近くに来たイリナへと神器を使用したのだ。
(不味い、フェンリルに対する戦力が足りない……!)
イリナは戦えるが、小猫とギャスパーがサポートに回っては逆に足を引っ張りかねない。朱乃とバラキエルの雷光も効かない事はほぼ分かっているし、木場とゼノヴィアは未だ戦線復帰ならず。
ヴァーリチームとタンニーン、ロスヴァイセはロキとスコル、ハティ、量産型ミドガルズオルムの相手で手一杯だ。増援は望めない。
「フェンリルは、私が殺す──ッ!」
「まだ動いちゃ駄目ですよ! 傷が開いちゃいます!」
怪我をおしてでも前に立とうとするイリナと、それを抑えようとするアーシアの声が聞こえる。
イリナは、
確かに仲間がやられて怒る性格はしていた。だが、一誠がやられたというだけで此処まで激情に駆られるというのは、些か以上に困惑の方が大きい。
まるで、イリナでは無い、
瞬間、ゴッ!!! という凄まじい音と共に、空が割れた。
「なるほど、『
割れた空間の中から、冷静な声が聞こえる。無機質の様で、感情が無いかのように抑揚が少ない。
「まぁ、その辺は後で良い……ドライグ」
『分かっているさ』
空間の先は暗く、何者も姿を映す事は無い。だが、それでもその声だけはハッキリと聞こえる。
──ゆっくりと、無機質のメッキがはがれ、激情が溢れ出るように。洪水となって──
『我、目覚めるは──』
<吹き飛ばせッ!><吹き飛ばすよッ!>
一人の声に混じり、別の誰かの声が聞こえる。楽しんでいる様な、悲しんでいる様な、どれにしても酷く怨念のこもった、聞く者によって変わる声が。
『覇の理を神より奪いし二天龍なり──』
<全てを終わらせろッ!><全てを始めろッ!>
足音は聞こえない。なのに、その存在感は強く感じることが出来る。直ぐそこにまで迫る脅威に身を竦ませるように、呆然とした様子でリアス達は割れた空間を見る。
『無限を嗤い、夢幻を憂う──』
<破壊しろッ!><全てを壊し尽くせッ!>
その姿は、フェンリルなどと比べれば酷く小さい人間そのもの。であるのに、何故かこの瞬間に至ってはフェンリルを超すような圧力を感じる。
神々しく、紅く輝くその光の先に居るのは──傷一つ無く佇む、一誠だ。
『我、赤き龍の覇王と成りて──』
「「「「「「「汝を紅蓮の煉獄へと沈めよう──ッ!」」」」」」」
『
次回、『覇龍<ジャガーノート・ドライブ>』