第五十三話:起こり得る事態
「何をしたの?」
結界を解いた一誠の下に現れたイリナが最初に発したのは、現状を問い詰める言葉だった。
それもまた当然。解かれた結界内部には、おびただしい程の血の池が出来ており、鉄臭いにおいがそこらじゅうに蔓延していたのだから。
その中に立つ一誠は、返り血こそ浴びてないものの、強い血の匂いが染みついている。
突如「頂上へ行く」と言いだした一誠を追いかけてきたイリナは、道中道に迷いながらも結界が張られた場所まで辿りつき、どうにかして中に入れないかと思っていた所で結界が解かれ、この状況に至る。
辺りに転がる死体は妖怪のもので、その中央にいる一誠が何をしたかなど、想像に難くない。
「答えて、イッセー君」
イリナの問い詰める言葉に、無表情のまま視線だけ返す一誠。そのままの状況が続き、一分ほど経ってから一誠が一言だけ告げた。
「──
ラテン語を用いたごく短い詠唱。それだけで対象とした辺りの死体は一気に燃え上がり、痕も残さず燃え尽きる。
血液は蒸発するが、大地に染み込んだ血はそのままだ。流石にそれまで燃やす事は出来ない。仮にやってしまえば、この辺り一帯を焼いてしまうかもしれないのだ。余計な事はしないに尽きる。
それらの動作を終えた所で、一誠はイリナの横を素通りしていく。松田たちと合流するつもりなのだ。
「待っ──」
「一つ言っておくぞ、イリナ」
イリナが一誠を止めようと発した言葉は、しかし向けられた当人が遮って言葉を告げる。
「今回だけは、俺達の行動を無理矢理にでも止めようなんて思うな」
視線も向けず、振り返る事すらせずに言葉だけでそれを伝える。
何をしようとイリナ自身の問題だし、それに対して一誠は無理矢理行動を縛ろうとは思っていない。しかし、今回に限って言えばそうしてでも止めておいた方がいいのではないかと思ってしまう。
先の出来事があれば、京都の妖怪たちは一誠を討とうと動くだろう。そうなれば、どの道修学旅行どころではなくなる筈だ。
それだけは残念だな、と誰に言うでも無く呟いた。
●
その夜。夕食を終えた一誠は部屋に戻り、携帯を使って曹操と連絡を取っていた。
ただし、携帯の一部が不自然に光っており、携帯本来の科学的な機能では無く魔術的な技術を使って通信している。
「……お前等のおかげで厄介なことになったぞ」
『殲滅したのは君だろうに。ま、どの道衝突するのは避けられなかったと思うよ、俺は』
どこか楽しそうに曹操は言う。九尾の大将は実験のためにゲオルクの創った結界に捕えられている。一誠が捕えた九重──九尾の大将である八坂の娘──は、捕えられてはいるが今の所大人しくしているらしい。もっとも、監視にプリシラを起用した時点でどう足掻いても逃げられはしないのだが。
「連中は連中で動き出すぞ。京都の妖怪も一大勢力だ。相手をするとなると骨が折れる」
『何を今更。それに、君が言った所で冗談にしか聞こえないな』
「……俺は無差別な破壊は好まない。必要最低限の被害に留める様にしているつもりだ」
『それはこちらも同じだよ。人外の化生ならともかく、同胞を手にかけようなんて事はこれっぽっちも思って無い。だからこそ、ゲオルクの出番だ』
結界に閉じ込め、京都と同じ状態を創りだす事で人にも土地にも影響を与えない。なるほど、人間の事はよく考えられている。
とはいえ、これらの実験の結晶が、人類に牙をむかないとも限らないのだが。
しかし、と一誠は思う。
神滅具の上位に位置する『絶霧』を有する人材で、英雄。状況が余りにも出来過ぎている様に思えるが、神器を意図的に特定の人物へ埋め込む事など不可能なはずだ。
──いや、僅かにでも可能性があるとすれば、それは──
そこまで考えた所で、不意にあの扉の奥にあった存在を思い出す。
圧倒的な威圧感を持つ神格。聖書の神は神器を創ったとされているし、『神器システム』も元は奴が創ったものだ。ある程度の操作は不可能ではないだろう。
『……どうした?』
「いや……なんでもない」
急に押し黙った一誠の様子に疑問を抱いたのか、曹操が間を開けて問う。一誠は思考を一端止め、曹操との会話に集中する。
「ともかく、今回の実験は成功させたい。余計な事はさせないに尽きると俺は思うが」
『駄目だ。今回は実験の意味合いと同時に実力の把握もしておく必要がある。君は何度か戦ったから良いだろうけど、こっちはまだ手合わせすらして無い……それに、魔術を使った初の実戦だ。相手はアレ位が丁度良い』
グレモリー眷属を侮る様な台詞。しかし、現に曹操は彼女の眷属全員を相手にしても勝てるだけの実力がある。
曹操だけではなく、英雄派の幹部全員が、最早アザゼルクラスでなければまともに戦闘すら出来ないほどの実力を備えているのだ。
かく言う一誠も、「聖なる右無し、かつ魔術と禁手のみ」という制約ではあるが、少々きついものがあるのも確か。現状では、味方同士で訓練する以外に力を振るう機会が無いのもあってか、ヘラクレスなどはフラストレーションが溜まっている節もある。一度派手に戦闘させて、力を示すと同時にフラストレーションの解消を目的としているのだろう。
敵の戦力把握と味方の鬱憤晴らし。つくづく人を使うことに慣れている奴だ、と一誠は思う。
曹操自身の目的こそ「人が何処までやれるか試したい」という、力を求める者なら誰しも一度は思う目的だ。
しかし、かつてナチス・ドイツがやった様な「一部の存在を敵視」し、「味方の敵意をそれに集める」と言う行為。相手が人間か人外かと言う違いこそあるが、人を纏めると言う根本的な部分は変わらない。それを嬉々として行い、オーフィスに集う者に自身の力を誇示し、人外への敵意を利用する。
正に、悪を倒さんとする英雄の如く、曹操は『覇道』を行く。
一誠が曹操に対して恐れを抱くのは、曹操の単純な実力では無く、こういった所に在る。
『どの道、避けては通れない道だ。早いか遅いかの違いでしか無い。それなら、こっちも色々と利用させて貰った方が何かと都合が良いからね』
「……仕方ない、か。だが、今回の実験だけは失敗させねぇぞ」
もう少しで、グレートレッドの秘密の一部に触れられる。その為には、根本的に資料も材料も何もかもが足らない。何より、グレートレッド自身の情報が皆無という事が一番の問題だ。これでは、調べ様にも調べられない。
『ふふ、分かっているさ。こっちだってクライアントの要求にはきちんと答えるつもりだ』
笑みを浮かべる様子がありありと想像出来るような笑い方。その答えを最後に、一誠は通話を切った。
●
「自体は最悪の一途を辿りつつある」
アザゼルは集まった者達に対して、開口一番に告げた。
ホテル近辺の料亭『大楽』──そこに今、アザゼルとレヴィアタン、シトリー眷属とグレモリー眷属、イリナが集っていた。
和の雰囲気が漂う料亭内で、ほぼ全員が深刻な顔をしている。
「イリナの報告によれば、今日の昼に『赤龍帝』兵藤一誠が稲荷神社で妖怪の虐殺をやった、って話なんだが……一番の問題は、あちらさんの大将が行方不明になってるらしいって事だが……」
アザゼルも完全には事態を把握していないのか、続きを促す様にレヴィアタンへと視線を向けた。
浴衣姿のレヴィアタンは、料理に手を付けながらも全員へと報告する。
「私は今日、妖怪さん達に協力体制の要請に来てたんだけど……厄介なことに、京都の妖怪を束ねる九尾の御大将が行方不明になってるらしいのよね。それも、今日未明にその娘さんも行方不明になったみたいなの」
何時になく真剣な顔で話を続けるレヴィアタン。その事態の不味さを理解したのか、匙が緊張した様に言う。
「じゃ、じゃあ、もしかして……」
「ええ。この件、もしかしなくても『赤龍帝』──ひいては、『禍の団』が関与してるんでしょうね」
匙の質問に答えるレヴィアタンだが、少し納得していない様な話しぶりだ。
「ただ、九尾の御大将が攫われたのは数日前……その時間帯、『赤龍帝』は私達の監視下にあったわ」
そうよね、と確認の意味合いでイリナへと視線を送る。イリナは「はい」と答えながら頷き、レヴィアタンは話し続ける。
「だとすると、攫ったのは多分、別の存在よ。『魔術派』は基本的に戦闘が出来るのは二人だけって情報が入ってるし、何より九尾の御大将は聖人でもそう簡単に捕える事は出来ないのよ」
実力的には魔王と並ぶレベル。とは言っても、サーゼクスではなくレヴィアタンたちと並ぶレベルだが。
しかし、それでも十分過ぎるほどの力がある。如何に「核兵器レベル」と比喩される聖人でも、たった一人で捕えることが出来るほど甘い存在では無い。
神器を持っていたと言う情報も無い為、『魔術派』は本当に関係が無い、とされている。
まぁ、あくまでも九尾の大将に関しての話ではあるが。
「娘の行方不明は、多分『赤龍帝』の仕業だろうな。紫藤の報告通りなら、兵藤は襲ったか襲われたかは定かじゃねぇが、どちらにしても妖怪と一戦交えた事は確実だ。そこに九尾の娘が関わってる可能性は高い」
京都に入ってきた異質な存在で、尚且つ母親を取り返そうと躍起になっているのなら──子どもと言う事も相まって、実力差が認識できずにやられる可能性は、決して低くは無い。
「厄介なモンだぜ。こちとら修学旅行で学生の面倒見るだけで精一杯だってのによ。やってくれるぜ、テロリストめ」
アザゼルが忌々しげに吐き捨てる。
レヴィアタンがアザゼルの杯に酒を注ぎながら、他の面々へと言う。
「どちらにしても、まだ公には出来ないわね。何とか私達だけで事を収束させる必要があるわ。私はこのまま協力してくださる妖怪の方々と連携して事に当たるつもりなのよ」
「了解。俺も独自に動く……ああ、そういやイヴァンの奴も最近暇そうにしてたな。予備戦力として呼び寄せとくか」
酒を呷りながら、アザゼルは言う。ハッキリ言って、聖人は予備戦力などと呼べるレベルの存在では無いのだが、これでも戦力に不安が残る。
それだけ『禍の団』の実力がつきぬけていると言う事実が、匙達には重くのしかかる。
「お前らは、取りあえず旅行を楽しめ」
だから、アザゼルの告げた一言にキョトンとした表情で居るしか無かった。
「え……でも、僕達も何か手伝った方がいいんじゃ」
「お前等は修学旅行に来てんだろうが。何かあったら俺達を呼べばいい。お前等ガキにとっちゃ貴重な修学旅行だろ? 俺達大人が出来るだけ何とかしてやるから、今は京都を楽しめ」
遠慮がちに告げた木場の言葉を、アザゼルは当然だと言わんばかりに切り捨てる。実際、一般人を巻き込みかねない以上は木場達学生組を下手に動かせない。
そう言った意味でも、今は修学旅行を楽しむべきだとアザゼルは言う。
「そうよ。今は楽しむべき時なんだから、目一杯楽しまなきゃ! 私も京都楽しんじゃう!」
レヴィアタンの言葉を聞き、少しだけ安堵する面々。
だが、その中で一人だけ──イリナだけが、一誠に言われた事を考え、これから起こるであろう事に対して目を向けていた。
キリが良かったんですが、若干短めです。頑張れば今年中に京都編終わるかな……?(え
多分無理だとは思いますが。