第五十六話:レスト・イン・ピース
一方、外側の連合軍対英雄派の戦闘。
レオナルドの『魔獣創造』によって創られた各勢力のアンチモンスターは、それぞれ弱点としない勢力が受け持つことによって戦っていた。だが、英雄派はそれだけでは無い。
禁手使いの構成員たち。神器を持つことによって人外の存在とも戦える者たちが、禁手を使えるようになって更に厄介になっているのだ。
「チッ、面倒だな。禁手化のバーゲンセールかよ!」
「魔獣も力はそれほどではないとはいえ、数が多い。面倒だぞ」
光の槍を放ちながら戦うアザゼルと、クレイモアを片手で扱うイヴァン。彼らの実力からすれば雑魚とはいえ、禁手は単純に能力が強いモノから多様な現象を起こすモノまである。魔獣も数が多い為、手を焼かせる原因となっていた。
イヴァンが魔術でまた一体の魔獣を焼き払い、生み出し続けているレオナルドを見る。
「──アレを潰せば、少なくともこれ以上魔獣が増える事はないのだな?」
「ああ。だが、あそこまで行くのは骨が折れる。攻めれば攻めるほど、相手の密度が高くなるからな」
今もなお生み出し続けている為、進めば進む程魔獣の数が増える。それら全部を相手にしていては、こちらのスタミナが切れてしまうだろう。
だからこそ、その前にレオナルドを倒す必要があった。
「無茶な事はするなよ、イヴァン。戦線は今のままでも保ててる。セラフォルーがいるんだ、無茶をする必要は無い」
「……だが、奴らの目的は恐らく時間稼ぎだぞ? そんなにのんきでいいのか?」
「出来れば助けに行きたい所だが、方法がねぇ。神滅具によって創られた異界のフィールドじゃ、俺も手の出しようが無いからな」
それだけ『絶霧』という神器が規格外という事実。技術そのものは悪魔側にも存在するが、創り手と創る為の道具次第では何物をも逃がさない檻と化す。
「どの道、グレモリー眷属に任せるしかねぇのさ」
「そうだな……それに、私にも敵が来たようだ」
イヴァンの視線の先にいるのは、一人の女性。
蒼髪は月明かりによって淡く照らされ、蒼い瞳はイヴァンの姿を捉えている。髪はアップに纏められており、両手には黒い手袋をしている。
ただ存在するだけで身がすくむ威圧感。三大勢力に加担していると言うだけで敵意の対象と呼ぶ聖人。
「貴様がプリシラ・ミューアヘッドか」
「あなたがイヴァン・アントノヴィッチですね。……ヨハネに由来する名を持ちながら、堕天使の側につくなど」
忌々しいとばかりに眉に皺を寄せるプリシラ。悪魔という存在が嫌いな彼女にとって、天を裏切った堕天使は悪魔と同様の存在であり、天使もまた二つの勢力と同盟を結んだことで敵意の対象となり得る。
例え三大勢力がテロリストと呼ぶ『禍の団』に属していても、一誠以外には決して隙を見せようとはしなかった。信用などもってのほか。
愚直なまでに力を欲し、悪魔を殲滅せんとする彼女は、殺意を持って姿を現した。
「下がっていなさい、レオナルド」
一歩踏み出し、イヴァンへと歩み始めたプリシラは、レオナルドへそれだけ告げて視線を切る。巻き込まれても責任は取らないと、暗に告げていた。
それを理解したレオナルドは、魔獣を創造しつつも後方へと下がる。
「なるほど、私の相手は貴様がするという事か?」
「ええ、貴方の存在は邪魔だと判断された様ですから」
誰から、とは聞かずとも予想がつく。魔術派の一員であるなら、上司はフィアンマ──兵藤一誠しかあり得ない。
「信心深いと聞いていたが、簡単に寝返る程度の信仰心だったのか」
「悪魔や堕天使と手を組んだんですから、ある程度の離反は覚悟の上でしょう。まぁ、だからと言って同情をする訳でもありませんが」
二人の間に濃密な敵意が渦巻く。
金で雇われた聖人と、己の願いに全てをかける聖人。
どちらが正しいのかなど関係無く、二つの道は元から違っている。故に、交差すれば戦闘は必至。
互いに己の目的をかけ、世界でも人類最高峰の実力を持つ二人が、ぶつかる。
●
「『水よ』」
「『火よ』」
初手として放つのはごく基本的なルーン魔術。
しかし、二人は聖人である。彼らの使う力はその他大勢の放つ魔術とは比肩しえない威力を誇る。
故にまた、この結果も必定。
水の槍と炎の鎚はぶつかり合って水蒸気爆発を起こし、イヴァンとプリシラは魔術がぶつかり合った瞬間から動いていた。
プリシラは辺り一帯の水を掌握し、イヴァンはルーン文字を刻んだカードをばらまいて炎を掌握する。それぞれ得意とする属性を使用し、相手を追い詰める為の一手を生みだす。
「ハァァァァッ!!」
頭上に浮かぶのは辺り一帯の水。その総量は数千トンにも及び、夜空に絵を描くように陣を敷いていく。
イヴァンの手によって生み出される灼熱の熱風が迸るも、プリシラはそれを氷の盾で防ぎ、あまつさえ反撃に転じさせる。解けた氷が液体となり、それを槍へと変形して再度凍らせる。
雨のように空に浮かぶ槍は、弾丸をも凌ぐ勢いで射出された。
「舐められたものだな、この程度で倒せるなどと思われるとは」
しかし、イヴァンもまた傭兵として戦場を渡って来た戦闘のエキスパート。この程度ならば隙を見せる事は無い。
クレイモアを敢えて横に向け、剣の腹を使用して思い切り振るう。最早『巨大な扇』とさえ形容出来るクレイモアを、だ。それだけで引き裂かれた空気は衝撃波と化し、同時に使用される爆炎によって氷の槍は粉々に砕かれる。
無論、そんなモノを至近距離で食らえば、どうなるかなど想像に難くない。
クレイモアを振るった直後のイヴァンに肉薄するプリシラが、それを警戒していない筈が無い。
なのに、無防備とさえ思えるほどに遅い。速度は音速一歩手前。この程度の速度ならば、クレイモアを振るうだけの技後硬直からは抜けてなお有り余るだけの時間がある。
警戒しつつも、迎撃に動く。
容赦なく刃を向けて振るうイヴァンだが──振るう寸前に、身体に僅かな引っ掛かりを覚えた。
「──ぬ?」
妙に身体が重い。まるで、空気の抵抗が増したような──。
その僅かな意識の逸れ。僅か一秒程度の動きの遅れであっても、音を超える聖人同士の戦闘においては致命的な遅れと化す。
ドゴンッ!! と、半ば鋼を殴ったような音と共に、イヴァンの身体が吹き飛ばされる。それと同時に、容赦なく巨大な水の鎚で追撃をかけるプリシラ。
今の一撃で沈めた、とは思っていない。
自分が聖人であるように、相手もまた聖人。肉体強度は通常の人間どころか悪魔や天使と行った超常存在すら凌駕する。
「……なるほど、糸か」
巨大な火球が水の槌とぶつかり、派手に蒸発するさまを眺めながら、イヴァンが呟く。
両手に付けられた手袋。あれは、両手で糸を手繰って使用する為のものだ。
純粋な速度なら対応策は幾らでもある。だが、意識の隙間を意図的に作り出した上での攻撃ならば、対処法は限られてくる。
スポーツにおいても、武術においても、戦闘においても。極論一対一の状況になり得るのであれば、実力が伯仲している場合、勝敗を決めるのは運ではなく駆け引き。
心理戦と頭脳戦。肉体面での戦闘をこなしつつ、魔術を互いに喰らい合う様にぶつけ合い、次に相手がどのように動くか予測する。
ある意味、この二人の戦闘は一つの完成形と言ってもさしつかえない。
「大したものですね。先の一撃を喰らって、まだそれだけの余裕がありますか」
「いや、余裕は無い。正直な話、今のは失態だったと思っている」
肋骨がやられた。内臓にダメージが無いのが幸いか。
相手を舐めていたと言えばそれまでだが、少なくとも魔術派という存在を甘く見積もっていたのは確か。フィアンマ──赤龍帝である一誠とは、まともに相対したのは唯一度きり。しかも、その時一誠は魔術を使っていなかった。
「強力無比な魔術」と「稀有な魔術」とは等号で結べないのだ。話だけを聞いて見積もっていたプリシラと一誠の実力を上方修正するイヴァン。
「故、死ぬ気で歯向かわせて貰おう」
空中に蠢く複雑怪奇な魔法陣。描かれているのが水か火かという違いこそあれど、二人の魔術による戦い方は概ね似通っている。
規模的に言えば「神の右席」としての力を持つプリシラの方が上。不意を打たれて喰らった一撃のおかげで、勝率は元から低かったものが更に低くなった。
だからこそ、イヴァンは死ぬ気で殺しにかかる。
「貴方の事に興味はありません。──邪魔ですから、死んでください」
両手で一斉に|糸《ワイヤー》を手繰り、上空に浮かぶ魔法陣とは別の陣を組む。
上空の魔法陣が攻撃用なら、こちらの糸は妨害用。イヴァンの組む魔法陣へと干渉し、その陣を解析・分解して意味のないものへと書き換えるやり方。
イヴァンもまた、プリシラの操る水を引き裂き失敗させ、乗っ取るやり方を行使している。逆も同様であり、二人の闘いは一つの世界の主導権を握った方が勝つとさえ思える。
世界という、一つの板をどちらがより多く塗り潰せるか。世界の主導権はそのまま魔術の規模へと繋がり、果ては二人の優劣を表す結果となる。
一秒の気の緩みが死を招く。
刹那の瞬間さえ気を緩めない。
故に、より先を読んだ方が勝つ。
「ハァッ!」
「オオォッ!」
クレイモアと強烈な蹴りがぶつかる。純粋な運動エネルギーならばクレイモアが勝ちそうなものだが、当てる角度と威力次第ではそうとは限らない。
炎の鞭が高速で跳ねまわり、氷の槍がその合間を縫うようにイヴァンへ向かう。
爆炎が至る所で起こり、水に衝撃波と爆炎による熱が防がれる──此処までの戦闘において、先読みに関してはプリシラに軍配が上がるだろう。
上空に浮かぶ水が描く陣だけでも相当なのに、それに加えて糸。見える範囲にも限界があり、焼きつくせる範囲にも限界があるのだ。辺り一帯を焼き尽くす事が出来るならまだしも、プリシラが水を使うことによって火の威力自体が抑えられている。威力が十全に出ているとは言い難い。
加えて、イヴァン以上の火の魔術の使い手がプリシラの直ぐ傍にいるのだから、火に対する耐性は並み以上と言っても過言ではない。
互いに己の負荷によって傷ついていく。イヴァンはそれ以上に、最初に喰らったダメージが響いている。
勝てる可能性は、零だ。
「……で、あれば。ここで退くのが傭兵として正しいのかも知れんが」
「逃がす訳が無い、と貴方も分かっているでしょうに」
動きが先読みされている。イヴァン以上に、プリシラは何手も先を読んでいる。
不自然なまでに高い上空に準備された、『|広域殲滅術式《・・・・・・》』が、今まさに牙をむかんとしていた。
「私の使う『神の右席』としての術式は『|神戮《しんりく》』──レオナルド達も既に退避しているようですし、遠慮はいりませんね」
ソドムとゴモラを焼いた神の火。それを再現する為の術式だ。
本来ならば星の動きに連動し、超高高度に展開される術式だが、規模と威力を下げることによって再現した特殊な術式。
まともに食らえば、絶命は免れない。
加えて、今は夜。月の加護を最大限受けている今のプリシラを、まともな方法で止めることが出来る人材など──それこそ、神格レベルでも連れて来なければ話にならない。
神器を持っていない聖人でこの力。
神器を持ってしまった聖人がいるとするのなら、一体どれほどの力を持つのか。
『神の右席』を目指す為の天使化とて、不完全でしか無いと言うのに。
「準備に時間がかかるのが些か何点ですが……まぁ、それだけの価値もありますし、私には必要なものですからね」
プリシラの最終目標は悪魔の殲滅である。三大勢力として歯向かうのであれば、天使も堕天使も同じく殲滅対象となり得る。
一誠はそれを約束しているが、だからと言って彼一人に任せて胡坐をかくような性格はしていない。
故に、選んだのは一対多の広域殲滅術式。
京都は日本の名所だし、これを使えば景色が一変する可能性も秘めているが──プリシラにとってその手のものは価値が無いし、魔術的に必要なものもまた存在しない。
だからこそ、躊躇なく、途惑いなく術を発動できる。
「広域殲滅術式『一掃』、──投下」
瞬間、大地が大きく揺れた。
半径一キロ未満の小規模な攻撃だが、聖人とはいえ人間であるプリシラがこれを用意するのにかかった時間は、およそ三十分。
たったの三十分で用意された術式が、数百万という規模の破壊の礫が余すことなく降り注ぐ。
「ご、ッがああぁぁァァァァッ!!」
隕石でも降り注いだかのようなクレーター。本来一対一で使うような術式では無いにせよ、これだけの広範囲に降り注いでいる以上、効果はあった。
咄嗟に魔術を使ったのか、イヴァンは血塗れになってなお未だ生きている。
クレイモアは半ばからへし折れ、破壊の礫にやられたのか、左足と左手はかろうじて繋がっているような状態だ。
五体満足でいること自体が一つの奇跡。下手をすれば死体すら残らない威力だと言うのに、これだけ粘るのはやはり聖人であるが故か。
●
「ぐ、あぁ……ッ!」
同時に、範囲内に入っていた連合軍も致命的なダメージを受けている。アザゼルやセラフォルーも当然ながらダメージを受けているが、上空に浮かぶ魔術の不味さを肌で実感していたのか、すぐさま範囲内から出ようとしていた分、比較的ダメージは少ない。
しかしそれでも、連合軍は壊滅的被害を受けていた。
広域に甚大な被害をもたらした『神戮』は、未だに上空で陣を描いたまま状態を保っている──これは、第二派があると取るのが賢明だと判断したアザゼルは、セラフォルーと共に一時的な撤退を開始する。
イヴァンを助け出そうにも、当の本人は『神戮』の範囲のほぼ中心にいる。アザゼルはこの魔術にどのくらいのインターバルが存在するのかわからない為、迂闊に近寄る事さえ出来ない。
既に英雄派は範囲外に撤退している事を考えれば、実質プリシラ一人で連合軍を退けたと言っても過言ではない状況である。
「くそったれ……赤龍帝め、えげつねぇな」
聖人の部下を持つということは同じだが、アザゼルと違って一誠は魔術に造詣が深い。研究者としての側面もある以上、同じ聖人の部下を持っていても差が出てくるのは当然だ。
一誠と同じ様に『|天使の力《テレズマ》』を扱う聖人だが、規模自体は一誠に劣る。だが、それでもイヴァンは十分過ぎるほどの力を誇っていた。
なのに、だ。
プリシラはイヴァンよりも『天使の力』の総量が多い。アザゼルが個人的に感じたことを言うのであれば、「天使に近い」存在であるがゆえに。
その方法を確立させている以上、兵藤一誠という存在は今後更に脅威を増す事になる。
方法が確立されている以上、|増やす事が可能だ《・・・・・・・・》と考えるべきなのだから。
それでも、二人しかいないと言う事は何らかの制約があるとも考えるべきだが。
(……なにはともあれ、生きてる事を願うしかねぇか)
神を裏切った堕天使が、天にも祈る気持ちで生存を願う。しかし──それを願うには、余りにも状況が絶望的過ぎた。
●
「ぐ、ごほっ、ごほっ!」
吐血しながらも砕けたクレイモアをみるイヴァン。今まで戦ってきた相棒とも言えるが、このような状況になったのでは壊れても仕方が無い。
少なくとも、今は生きている事を喜ぶべきだ。例え、この先どれほどの試練が待ち受けようとも。
「しぶといですね……やはり、確実にこの手で殺して置くのが一番ですか」
ここまで弱った以上、プリシラにとってイヴァンの殺害は容易な状況に在る。だからと言って油断する気は毛頭ないが、もう一度『神戮』を放てば死亡を確認するのが難しくなる。
先の一撃で死んでいても死体はバラバラになっていただろうから、まぁ今更と言えば今更なのだけれど。
「死ぬわけには、いかんな……ッ!」
今までも意地汚く生きてきた。泥をすすって餓死しかけながら戦ったこともあったし、辺り一帯が爆破されて戦友を失った事は一度や二度じゃきかない。
聖人とだって、今までに数度矛を交えた事もある。結果は勝ったこともあったし、引き分けにも近かったが実質的には負けていたということもある。
だが、生きている。
生きてさえいれば勝ちだ。死ねばそこには何も残らない。聖人である以上、悪魔に転生する事も出来ないだろう。
イヴァンが最も恐れているのは──純粋に、死ぬことだ。
傭兵として金の亡者と罵られたことがある。だが、それでも引き際を誤ったつもりは無い。だからこそこうして生きているし、結果として今死にかけている訳だが。
「貴方は選択を間違えた。金に目がくらんだのか、三大勢力の口車に乗せられたのかは知りませんが……あの人を、敵に回すべきでは無かった」
邪魔だと判断された以上、プリシラにその意見を覆すだけの権力は無いし実力も無い。
何より、一誠がプリシラを戦闘要員としてしか扱っていないことが、その認識に拍車をかけている。
「なるほど……あの少年を敵に回した時点で、私の運命は決まっていた訳か……」
大量の血液を失ったせいか、イヴァンの顔色は悪い。回復魔術で傷をふさいだと言っても、流れ出た血を戻す事は出来ないのだ。
まして、今この場にはイヴァンとプリシラの二人だけ。辺り一面は更地と化し、日本の国土を削り取っている。
プリシラは一歩踏み出し、氷で作り出した槍を構える。
「|安らかに眠ってください《レスト・イン・ピース》──貴方の魂に、安息があらんことを」
碌な抵抗すら出来ず、イヴァンは氷の槍に胸を貫かれ、絶命した。