第五十九話:先を見据える
仁王立ちしたまま、グレートレッドを見るオーフィス。
先の一撃によって巻き起こった風で髪をなびかせながら、オーフィスはグレートレッドへと歩みだす。
普段から何を考えているか分からないが、今のオーフィスは群を抜いて分かり辛い。
グレートレッドを動とするならオーフィスは静。
敵意をむき出しにしているのに対して、敵意どころか感情を表に出さない。否、純粋であるが故に、最強であるが故に敵意を持つ必要が今までなかったと言うだけのこと。
だからこそ──後方にいる一誠は今、初めてオーフィスが敵意を持つのを認識した。
「──グレートレッド、退け」
「──何故、
ひどく重々しい声。それは、一誠が初めて聞くグレートレッドの理性的な声だった。
一誠と聖書の神相手に話しかけなかったのは、単純に見下していたからか、そうする価値すらないと断じていたからか──どちらにせよ、オーフィスは認めているとみて間違いない。
「イッセー、我の協力者。退かないなら、闘う」
「誘い出したのはそやつだろう。なれば、吾はそやつを殺す──そも、何故貴様にはそやつが必要なのだ」
「お前を、殺す為」
「ほう──協力者を得た程度で、吾を殺せると? 舐められたものだな、オーフィス。単体で存在するだけの特異点であるお前では、吾には勝てぬ──
「だから、協力者を手に入れた。次はお前、殺す」
「なれば──良かろう。今回の事は水に流す。次は無いと思え、人間ども」
中空に佇み、オーフィスと話していたグレートレッドは、そのまま方向転換して空間に穴をあけ、何処かへと飛び去って行く。
ただ見ているしか出来なかった一誠と聖書の神は、満身創痍のまま胸をなでおろす。
あのまま戦っていれば、確実に死んでいた。手心を加えられていたと言う事もあるだろうが、よく生き残れたものだと思う。
オーフィスは一誠の方を向き、ぼろぼろの身体を見て一言。
「大丈夫、イッセー?」
「……まぁ、大丈夫と言えば大丈夫か、死にはしない」
右腕が若干焼けているが、この程度なら問題はあるまい。すぐに治るだろうし、今後の行動にも支障は出ないはずだ。
そう、と頷くオーフィス。それを見ながら、とある事を思い出す。
「ゲオルクめ──『龍喰者』を結局使う事は無かったか」
呼び出すほどの暇が無かったとはいえ、グレートレッドに対する唯一の切り札の様なものだった。
使えば勝てていたかもしれない。いまさら「もしも」の話をした所で仕方が無いが、それだけは悔やまれてならない。
「今言っても栓無き事であろう。繰り返すようで悪いが、卿に死なれては私が困る。生き残った事を喜ぶべきだと思うがね」
「……そんな事言っていたな。それは一体──」
「今、ここで話すべき事では無い。時間も無ければ、聞かれていい類の話でも無いのでな──詳しいことが聞きたければ、私の元へ来ることだ」
それは、つまり。
神器の最奥。人類の無意識集合体。神器システムが鎮座するその場所へと赴けと──そういうことだ。
此処には一誠と聖書の神とオーフィスがいる。例えオーフィスが誰かに話さないと確約したとしても、聞かれること自体が問題なのだと、聖書の神はいう。
どのみち、『覇輝』の時間も残り少ない。曹操の肉体もかなり損傷してしまっているが、それくらいは許容範囲だろう。
「今代の聖槍の持ち主は中々面白い。卿に当てるには中々──と言ったところだな」
此処からどうなるかはわからんが、と聖書の神は言い、そのまま目を閉じた。
曹操の肉体から感じていた強大な威圧感が消え、数歩ふらつく。曹操の意識が戻ってきたのだろう。
「……っと。フィアンマに、オーフィスか。俺の身体も相当酷使されたらしい……グレートレッドは?」
「撃退した。まぁ、やったのは殆どオーフィスだがな」
俺達は時間稼ぎで精一杯だったと、一誠は自嘲気味に笑う。
実際の所、格の違いを思い知らされた。
未だ秘められた神器の力もそうだが──なにより、聖なる右の出力不足。
相対的にしか力を振るえないとか、霊装が無ければ時間制限すらあるとか、そう言うレベルでは無く。純粋に、力負けしたのは初めての経験だ。
「……潜ってみるか」
「……どうした?」
「神器の可能性が見えてきた。新しい可能性が、な」
聖書の神が使っていた禁手。あれは隠し玉だと言っていたが、そうでなくとも十分強力ものになるだろう。
自身の力の一部を削って作った存在──聖書の神はそう言っていた。
それがどういう意味なのか。何故そのような事をする必要があったのか──謎は深まるばかりだが、目先の目標が出来た事は良しとしておくべきだろう。
目先の目標。
取りあえずは、神器の力を最大限引き出す事である。
それが出来なければ、どのみち話にならない。
場合によっては実力行使。そうなった場合、精神世界とはいえグレートレッドに使われた力を振るわれては精神が消し飛んでしまうだろう。
そうならない為にも、ある程度の力を付けておく必要がある。
「そうか。取りあえず、早めに撤退するとしよう。こっちも身体がガタガタなんでね」
「俺だって似たようなモンだ。死ななかっただけマシだろうが」
「それもそうだ」
疲労で座りこんだ二人は、笑いながら軽く拳をぶつけ合う。体の疲労は相当溜まり、今にも倒れそうなほど疲弊している二人だが──まぁ、それくらいをやる余裕はあった。
(明日は死ぬな。今から寝ても絶対疲れは取れない)
ある意味自業自得なのでどうにも言えないが……どちらかと言えば、瀕死まで追い込まれた木場やイリナたちの方が危ないような気もする。
もっとも、曹操が『覇輝』を使った時点で傷は回復していたし、あれが疲労まで取るものだとするなら何も問題はないのだろうが。
「イッセー、お疲れ様」
頭をぽんぽんと叩くオーフィス。曹操は目を丸くして、珍しいものでもみたとばかりに驚いている。
確かに珍しい、と一誠は思う。元々傍若無人なところがあったし、他人を気にかけない所はあったが──これは、良い進歩と言えるのだろうか。
ちなみに曹操にはせず、にやにやとした笑みで見られる事となったのは余談か。
ともかくとして──長い夜は、明けた。
●
翌日。サボる旨をアザゼルに伝え、昼過ぎまで『禍の団』のアジトで爆睡していた一誠は、プリシラから各種報告を受けていた。
イヴァンは殺害。死体まで始末し、今後『御使い』や悪魔となって戻ってくることは無いと言う。
結界空間はあの後直ぐに破壊され、別空間にいた木場達に八坂と九重はプリシラが引き渡しに行ったとの事。この辺りは寝る前に一誠が命じた事であるから、別段問題は無い。
問題があるとすれば。
「……闘戦勝仏か」
闘戦勝仏。またの名を孫悟空。
天帝の使いであり、妖怪たちへの使者として動いていた怪物。どうやら『
しかし、ルフェイが手引きしていた。そこが問題だ。
ヴァーリは結界内での出来事に強く興味を持っているようで、情報を求めているとプリシラは言う。
まぁ、ヴァーリの目的を考えればそれもむべなるかな。グレートレッドは彼の最大の目標なのだ。──世界最強という単純明快な称号を得るための、最強の敵。
目的は違えど、グレートレッドを倒す為に強くなろうとしているのもまた事実であり、一誠としてはヴァーリも利用できると考えていた。
ならば、情報を与えることに否は無い。
神上うんぬんは抜いておくにしても、聖なる右を超える攻撃や、曹操の『覇輝』によって表出した聖書の神の実力──その辺りならば、教えても良いと判断出来る。
なにより、この辺りは英雄派の幹部──と言っても曹操とゲオルクくらいだが──知っているため、別段隠すようなことではない。
神器に潜り、その可能性を広げる。二天龍が封じられている神器ならば、その残留思念も厄介な相手となるだろう。
しかし、一誠が力技でねじ伏せたように、ヴァーリも押さえ付けることが不可能な訳ではない。
ヴァーリならば、この情報を元に強くなり──そしていつか、グレートレッドを打倒し得る域にまで上がってくる。
「その前か後か、俺の前に立ち塞がるならそれでもいい。まぁ──その時は八つ裂きにして殺してやるけどな」
プリシラが出て行き、一人だけとなった部屋の中で、一誠はそうひとりごちた。
●
兵藤一誠が行方不明になった。
とはいえ、事前にアザゼルへ「行方不明になるから適当に情報操作してくれ」と連絡して来た以上、生きているのは間違いない。京都から帰る新幹線に乗っていなかったのも確かだが、独自の移動ルートを通って戻ってきているのもまた確か。荷物は戻ってきているし、両親も一誠の顔を見ている。
「……まさか、マジで行方くらますとは……」
敵に情報操作を頼むのもおかしい話だが──まぁ、理由なら幾つか挙げられる。
アーシアが結界の中で見た存在──グレートレッドである。
初撃で気を失ったアーシアだが、グレートレッドの姿はしっかりと視認している。であれば、その後の状況について予想するのは難しくない。
勝ったか、負けたか。
帰って来ないと言う事は即ち負けを示すが、勝ったところで手酷い怪我を負っていれば帰ってこれない可能性もある。しかし、如何に大怪我をすると言っても、死んでいなければどうにか出来るような男である。意識があってなおかつ情報操作まで頼む程とは、到底思えない。
ならば、ここは負けたと予想するのが正しく、また確実だ。
となれば──次は何を考えるか。
順当に考えるならば、純粋に力を上げるために鍛える事を思い付くが──相手は魔術師である。しかも『赤龍帝の籠手』を持つともなれば、手段は一つとは限らない。
聖なる右──と、一誠がそう呼んでいた魔術がある。
一誠の右肩から生えた、歪な形をした第三の腕。タンニーンを一撃で戦闘不能にまで追い込む辺りを見ても、相当な力を使えることが分かる術式だ。
もしかすると、あれを超える魔術を創りだすために行方をくらましたのかもしれない──と、そう考えても仕方のないことである。
無論、神器を持つ以上はそちらの可能性を考慮する必要があるものの、一誠はどちらかと言えば神器より魔術に重きを置く節がある。ならば、方向性としては間違ってはいまいとアザゼルは予測するが──。
まぁ、この辺りは考えた所で仕方が無い。当人でも無ければ分からないし、予測がついたからとてどうなるものでも無いのだ。
なるようになるしかない。
とはいえ、だ。
テロリスト──である。
他人になにがしかの迷惑をかける可能性は無きにしも非ずだが──それはそれで、相手側の情勢が知れる。グレートレッドに負けて被害を受け、焦って失態すれば──そこからつけいることも可能だろう。
「さて、と……あいつらは大丈夫かね」
京都の結界から
まぁ、気絶しているだけで問題は無く、全員そのまま翌日まで寝かせて置いた。修学旅行もしっかり満喫していたようだが、笑みに陰りがあったことは否めない。
手痛い敗北を喫した戦闘だったらしいとアザゼルは思うが、それで良いとも思っていた。
少なくとも、死んでないなら問題ない。今後接敵する機会は腐るほどあるだろう。今回で駄目なら次で勝つ。見逃された部分が大きいだろうが、それでも生きていれば取り返しがつくのだ。
「アザゼル先生」
「あん?」
呼ばれて振り向いてみれば、木場が何かを決めたような顔つきで立っていた。その後ろにはゼノヴィア、イリナ、匙もいるし、アーシアまでいる。
いきなり現れた面々に対して、アザゼルは驚くでもなく次の言葉を待つ。
「先生、僕達を鍛えてくれませんか?」
「何を今更言ってやがる。今後の事を考えても──サイラオーグとのレーティングゲームの再戦を考えても、お前等はこれから力を付ける必要がある。とはいえ、全員が全員俺が指導出来る訳でも無い──お前等の力を伸ばせるよう、いろんな所に頭下げに行ってきたところだ」
木場の師匠は言わずもがな、剣術や魔力のスペシャリストに加え、アザゼルという神器のスペシャリスト──これらを持って、今後英雄派と矛を交えることになるであろうグレモリー眷属の戦力を底上げする。
匙はタンニーンに一任しているが、龍の力を扱うにはやはり龍が教えるべきだと言う考えが根底にあるらしい。
「上層部が聖槍を恐れて出てこれない以上、若手であるお前等が闘う機会は増えてくる──負けが許されない闘いだってあるぜ。レーティングゲームと違って、本当に死ぬ可能性がある。それだけは、頭の隅にでも置いておけ」
『はい!!』
全員の返事を聞いて、アザゼルはまた何処かへと歩き始めた。
●
時を同じくして、一誠は準備を進めていた。
目的を果たす為には一段階上に──神上になる必要がある。ならば、どうやって神上へと至ろうと言うのか。
奇しくも、かつて聖書の神に追放されたとされる魔術の事について、とうの滅ぼした本人が知っている様子を見せていた。何も知らないと言う事は無い筈だ。
情報を得る必要がある。
魔術についても。神器についても。なによりも──聖書の神自身が言っていた、一誠に死なれては困ると言う事。
それらを探るため、一誠は神器の最奥へと潜る事となる。
──修行して強くなったグレモリー眷属と神器に潜って力を覚醒させた兵藤一誠が相見えるのは、この二カ月後の出来事であった。