第六十話:かの者の征く道の先には
一誠は酷く疲れた様子で、ソファへと寝転がる。
疲れと言っても肉体的なものでは無く、精神的なものだ。とはいえ、身動ぎするのも面倒だと言わんばかりの様子を見ると、かなり疲弊していると言えるが。
傍に控えていたプリシラは、一誠の様子を見て飲み物を運んできた。
「ああ、ありがとな、プリシラ」
上半身を起こして冷えたお茶を飲み、一息ついて深く座り直す。
此処は人間界における『禍の団』のアジトの一つだ。テロリストであることを重々理解しているが、それは人外の存在に対してのことであって、人間に対してではない。表の世界で指名手配になっている訳でもない以上、人間界にアジトを置くのは当然と言える。
とはいえ、足がつかないように定期的にアジトを変えてはいるのだが。あくまでも最低限の予防だし、そう簡単に場所が割れるとも思っていない。
そこで何をしているのかと言えば、神器の内部に潜っているのだ。
──未知の先に潜む力を得るために。
●
一誠が姿をくらましておよそ二週間。駒王学園では学園祭の準備に取り掛かっている時期である。
まぁ、一誠自身が協調性皆無ということもあり、別段興味があった訳でも無いので、この時期に姿をくらましたのはある意味都合が良かったとも言える。
何せ、学園祭の準備などにかかずらう暇があれば、他にやる事は幾らでもあるのだ。時間は有効に使わなくてはならない。
とはいえ、心残りが無いわけではない。
一誠自身、自分の事を親不孝者だと思っているが、それも仕方ないと言える。如何に一誠が強いとしても、京都であれだけの事をしでかした以上、今まで通りの生活を続けることは難しいだろう。
強硬策に出る者がいないとは限らない。イリナがいるとはいえ、やる奴はやるのだ。あのまま残っていれば、いつ襲撃されてもおかしくは無かった。
だからこそ、今は家にいない事の方が得策だと、そう判断したのだ。
「……しかし、面倒なモンだ。ここまで厄介だとは思っていなかった」
『今までこんな事をしようとしたのは、お前が初めてだろうからな』
一誠がやろうとしているのは、神器の覚醒とも呼べる。禁手とは違う、『覇龍』から危険度を取り除くやり方でもある。
方法としてはヴァーリ同様、神器内部の残留思念を下すと言うやり方。しかし、このやり方だとヴァーリでさえ疲弊が大きい。ただの人間──とは言えない一誠だが、肉体強度は旧魔王の血筋であるヴァーリに劣る。
安全策を取るならば、他の道を模索するのが常道と言えるだろう。
そして、その一歩目としてやりだしたのは、残留思念との対話だった。
「覇龍や禁手はそれだけで十分強大な力になる。神滅具ってのは伊達じゃないからな」
『だが、それだけに制御も難しい。京都での聖書の神ほどではないが、相棒も十分使いこなせていると思うが』
「いや、駄目だな。今のままじゃ、駄目だ」
神器の秘奥に潜む聖書の神。神器システムの中枢と繋がっている以上、全ての神器を使えると仮定するのが当然だ。
聖なる右を超える出力を叩きだす聖槍。グレートレッドの攻撃を防ぎきる霧。上位四つの神滅具を併用されただけでも脅威だと言うのに、『赤龍帝の籠手』もまたシステムと繋がっていると言う事は、一誠よりも上位の権限を持つと言う事に他ならない。
つまり──神器の使用不可に陥る可能性が存在する。
『だからこそ、システムと切り離しての神器の使用、か』
「だが、完全にシステムと切り離してしまえば、神器に潜って聖書の神の居る場所へ辿りつけなくなる。ままならないものだな」
手段は既に確立してある。
魔術と神器。神器は魔術に影響を与え、魔術は神器に影響を与える。
神器が魔術の霊装として使用可能であることも然り、魔術が神器の力をより強く引き出す事もまた然り。
曹操は魔術を使う際に聖槍を霊装として扱うし、一誠だって籠手の倍加を魔術に付与して闘う。これらは神器が魔術に影響を与えると言う事を表す。
逆に、魔術が神器に影響を及ぼす事で現れる現象──例えば、一誠の使う禁手Ver2などが代表的だろう。
禁手とは即ち回路である。
元々存在するものに新しい道を創りだす事で発生するのが通常の禁手ならば、本来の道筋とは違う道を創りだすのが亜種と呼ばれる禁手だ。
木場の聖魔剣もそうだし、ジークフリートの『阿修羅と魔龍の宴』もそうだ。
神器には樹形図が存在し、幹となる通常の神器の力に『所有者の意志』という栄養を与えることで『禁手へ至る』枝を伸ばす。所有者によって禁手が違う事があるのは、まさにこれが影響しているのだろう。
一誠がやっているのは、既存の枝とは違う枝を創ることだ。
元来、禁手とは一つしか使う事が出来ない。何故なら、一度作り上げられた回路は所有者が死んでリセットされるまで残り続け、作り直す事が出来ないからだ。
方法が確立されているとはいえ、誰でも成功する訳ではない。曹操やゲオルクも試しているようだが、成功していないのもまたあり得る話である。
「どのみち、奴の力に近づくには神器の力を使う方が手っ取り早い。魔術を駆使しても良いが、正攻法で攻めた方が早そうだしな」
聖書の神の力──京都で見せたあれが、一誠の目に焼き付いて離れない。
聖なる右で超えられなかったグレートレッドの攻撃を、聖書の神は神滅具とはいえ神器で超えて見せた。ならば、『赤龍帝の籠手』を持つ一誠が同様の事が出来たとしてもおかしくは無い。
「システムから切り離された神器がどうなるか。その辺りのことも考えておく必要があるが……さて、どうしたものかな」
『どういうことだ?』
「簡単に言えば、神器の大本──
その場合、神器をシステムと切り離した時点で一誠はドライグの力を扱えなくなる。これが最悪のパターン。
同時に、これが最も可能性が高い推測であることも、一誠は分かっている。
「全く同じ神器が複数現れるってことは、人間が顕現させた神器は力を発揮する為だけの器って可能性があるんだよ。神滅具なんかは論外としても、普通の神器なら媒体を用意して原典から力を流した方が管理し易いだろうからな」
原典からそれぞれの器へと力が流れると仮定した場合、器の数が増えるに従って一つ一つの力が落ちるという結果を招きそうだが、実際は数が決まっているし、神器の種類こそ多様だが同じ神器というのは案外少ない。
少なくとも、同一世代においては、の話ではあるが。
これを加味すれば、本来ならリミッターを掛ける所を力を分けることでそうさせずに済む、ということになる。
神滅具はまさにリミッターがかかったような状態なのだろう。あれだけの莫大な力が、唯の人間に扱い切れるとも思えない。安全策として用意していると見て間違いない。
魂が封じられた物はともかく、それ以外は複数の神器が存在すると思って良さそうだ。
リミッターが掛けられていると言うのも仮説にすぎないが、京都であれだけの力を聖槍から引き出していた事を考えると、あながち間違いでもなさそうだと一誠は考えていた。
なにせ、聖書の神だけが使える──などと零していたのだから。
「どのみち、戦闘しないに越した事は無い訳だが……それでも、やることには意味がある」
『あれだけの力を発揮できるなら、グレートレッド打倒も夢では無いかも知れんからな。俺も全盛期の力を振るえれば、相棒の役に立てるんだが……』
「その為に頑張ってんだろうが。心配しなくても、あてはある」
聖書の神の全盛期の力がどれほどかは分からないが、二天龍の全盛期の力を発揮できれば勝つ可能性は低くない。
そして、それだけのスペックを発揮出来るのであれば──グレートレッドを斃す為の力を手に入れるのも、難しくは無いだろう。
壁は決して低くは無いが、今のドライグにはかつてなかった聖なる力がある。それを加味すれば、グレートレッドを上回る力を持つ事が出来る。
そう──全てを破壊する為の、力を。
「……もし、俺が道を違えていれば……壊す側から、守る側になっていたかもしれないな」
『……相棒?』
小さく呟く一誠に、ドライグは困惑した様子で返答を返すだけだった。
●
神器内部の世界。
白で埋め尽くされた奇妙な部屋の中心。そこには円卓がおかれ、一誠の対面には一人の女性が座っていた。
ウェーブのかかった金髪の女性。スリットの入ったドレスを着た、スレンダーな体型の美女だ。
『ふぅん……なるほどねぇ』
一誠の話を聞いて、彼女──歴代赤龍帝の一人、エルシャは笑みを浮かべながら一誠を見る。
既に事情を話し、自発的に下るか強制的に下されるかの選択をさせている。強引だと思うかもしれないが、かつての赤龍帝で一、二を争う実力者だ。舐めてかかれば痛い目を見るだろう。
『話は分かったわ。理解も納得も出来る理由だし、前赤龍帝としては手伝わない訳にはいかないわね』
「俺も余計な闘いをせずに済んで良かったと思うよ、先輩」
『またまた。力技で私達の意志を封じ込めてた貴方を、今更相対した程度でどうにか出来る訳ないでしょ』
「あれは蓋をしただけだからな。真正面から相対するなら、あれは使えない」
そもそも、聖なる右の力で抑えていたのは怨念などの負の感情だ。意志まで完全に抑え込めていた訳ではない。
まぁ、ほとんど意志を無くして怨念だけが残っている歴代赤龍帝が多いため、必然的に意志まで抑え込めている事と同義になっているのだが。
『そういうものなんだ。私は魔術? だっけ、そう言うのには詳しくないのよね。オカルトと言えば魔法なんだけど、私もベルザードも純粋に自分の力だけで闘っていたから』
ベルザードというのは男の赤龍帝だ。歴代の中で最強とも言える赤龍帝で、かつて単独で二度も白龍皇を下した男。
普段は寡黙なのだが、エルシャとは良く話すらしい。
それはともかくとして。
別に魔術を使える一誠が特別な訳ではない──事実、歴代の赤龍帝の中には魔法を使える者もいた──のだが、ここまで強力な力を持った上で、更に神器の力を引き出そうとするのは一誠が初めてだ。
この世代の赤龍帝と白龍皇は、目指すモノが同じで、切磋琢磨しあい、最終的にぶつかる事を互いに望んでいる。
ある意味では健全とも言える関係性だが、当の二人が歴代の中でも最強なのだから手に負えない。
エルシャの考えでは、恐らく──今代の白龍皇であるヴァーリ次第だが、負ける事は無いと考えていた。
今までの闘いを見ても。これからの展望を考えても。
『ベルザードには私が話を通しておいてあげるわ。直ぐ戻ってくるつもりだけど、時間がかかるかもしれないから、他の先輩達を説得でもしてて。他の先輩たちは意識が虚ろで話が通じないかもしれないけど、頑張ってね』
「それこそ力技でなんとかするさ。話が通じないなら下してでも認めさせる」
『ふふ、それでこそ赤龍帝ね。まぁ、私やベルザードみたいに悲惨な最期にならない事を祈るわ』
最後に少しだけ寂しそうに笑うエルシャを見送り、一誠は一息つく。
神器の奥の方に潜むエルシャとベルザードの二人は、この神器内部について詳しい。故に、協力を仰げば何とかなるかもしれないと思っていた。
他人に対して、協力はしても頼る事は基本的にしない一誠だが、こればかりは自分一人ではどうにもならない。ドライグの深奥──デリケートな部分を見つけ出すのにどれだけ時間がかかるか分からない以上、出来るだけショートカットしておくのは悪い手では無いだろう。
それに、歴代赤龍帝の中でも一、二を争う実力者の協力が得られたのは諸手を上げて喜ぶべきだ。二人の記録を辿れば、どこかしらに禁手の情報が残っている可能性が高い。意識を保っているのだから、尚更。
「……意識を保ったまま、この怨念の中にいたのか」
耳を澄ますように目を瞑れば──怨嗟の声が、呪詛の声が、至る所から聞こえる。恨み辛みが積もりに積もってこれだけの力を成していると言うのだから、つくづく人間の意識とは恐ろしいと思う。
覇龍を発動させた時はこの比では無いのだろう。誰も彼もが激昂したような状態で、誰彼構わず何かを見るたびに殺そうとする獣。
そんな中で自我を、勝機を保っていられるというのがどれほどのことなのか──一誠には想像もつかない。
こんな中に囚われているのだ。自我が崩壊するのもうなづけると言うもの。
『しかし、相棒。神器について探るのはいいが、それを見つけてどうにか出来るあてがあるのか?』
「無い。が、まぁやれない事は無いだろう。実際、デリケートな部分といっても精々がリミッターを段階的に外すようなものだ。お前の全盛期に近づけてるだけで、それ以外に何か起こる訳でも無い」
いざとなれば力技で壊しても良いし、どうにもならないなら出来る事をやった後で聖書の神の元へ向かうだけだ。
これはあくまでも保険であると言う事を忘れてはならない。
聖書の神へ事の真相を問い質し、一誠が神上へと至る道を見つけたのならば、神器の力を引き出す事など恐らく不要になる筈なのだから。
無論、やっておいて損は無いからこそ、こうしている訳なのだから。
と、そんな事を考えている内にエルシャが戻ってきた。
『お待たせ』
「早かったな」
『ベルザードも理解ある人だしね。それに、長年相棒だったドライグの悲願を達成できるかもしれないもの』
「悲願、か……だが、神器に封印されている以上、ドライグもアルビオンもまた別の誰かへ移動するだけだろ?」
『そういうのも全部ひっくるめて、よ。もしかしたら、貴方はドライグを聖書の神の呪縛から解き放ってくれるんじゃないかなって、そう思うの』
根拠の無い言葉だから、聞き流してくれても構わない。エルシャはそう言うが、一誠は聞き流す事が出来なかった。
かつてドライグとアルビオンは聖書の神の手によって神器に封印された。互いに殺し合いながらも、三大勢力を相手取って闘っていたからだ。
ならば、此処で疑問が一つ生じる。
何故、聖書の神はドライグとアルビオンを
三大勢力が協力して当たらなければならないほどの脅威──災厄とさえ呼べる二体の龍の殺し合い。それを見てもなお、封印で済ませると言うのは、一体どういう事なのか。
無論、封印しか出来なかった──というのならば、何の問題も無いのだが。
あれだけの力を誇る聖書の神だ。何か目的があって封印したと考えてもおかしくは無いだろう。
「……奴に聞く事がまた増えたな。まぁそれはいい。礼を言うよ、エルシャ」
『どういたしまして。私達に出来る事があるなら、出来る限り手伝うわ。可愛い後輩の為だもの』
「俺は出来れば頼りたく無いんだがな」
死人に鞭を打つような真似は好きじゃないと、一誠はいう。
エルシャはそれを笑いながら聞き、手に持っていた箱を見せる。立方体の、掌に収まる程度の大きさの箱だ。
ドライグの深奥。デリケートな部分が詰まったブラックボックス。本来開ける事の出来ないそれを開けようと、一誠は手を伸ばし──指先が触れた瞬間、箱が霧散する。
『あら……? これは、一体……』
「……聖書の神か」
内側から神器に干渉できる存在がいるとすれば、それは聖書の神以外の何者でも無い。敵に塩を送るような真似をするというのはどうなのか。一誠は疑問に思うものの、考えているだけでは事は進まない。
エルシャの掌の上に転がる紅い球体を手にとり、自分の掌の上で感触を確かめ──握りつぶす。
砕け散った球体の内部から、この真っ白な世界を満たす紅い光が漏れだす。
強大な力の波動。二天龍が持つ本来の力の一部が、ここに解放された。
『……懐かしい力だ。呪いでも負の感情でも無い。昔の、アルビオンに勝ちたかっただけの頃の、純粋な力。なにものにも染まっていない、未だ無地の力の奔流だ』
「なるほどな。そこからどう染まるかは所有者次第という訳か……聖書の神め。これが目的か」
道は選べる。覇道、求道、王道、正道、外道、邪道。選ぶのがどんな道でもドライグの力は所有者の意志に染まるだろうし、所有者が変わればこの力はまた封じられる。
今の一誠は、敢えて言うならば求道だろうか。目的を果たす為、己の内にのみ力を求める果て無き探求者。
そして、ヴァーリは覇道だ。己を形作るものは戦いのみと割り切り、常に力を求める修羅の覇者。
恐らくはヴァーリも同じ力を手に入れる事だろう。この時点で二人は互角。ならば、どちらがより扱えるかどうかで序列が決まる。
この力を使いこなすには、最低限の鍛錬が必要だが──一誠はそれを不要と切り捨てる。
肉体強度は既に人間の限界。天使化したとはいえ、それでも限界は存在する。出来るとすれば、体力消費の軽減だろうが……しかし、それもまた長い時間が必要となる。
故に、一誠はここで決断を下す。
「──一週間後。最低限の力の確認を行った後、聖書の神のところへ行く」
ちなみに描写されてないだけでグレモリー眷属はバアル眷属と絶賛レーティングゲーム中だったり。