第六十二話:未来とは
グラシャボラス領内にある中級悪魔昇格センター。
ファルビウム・アスモデウスの出身であるグラシャボラスの領内では、本日中級悪魔への昇進試験が行われていた。
本来、アスタロト領内にも昇格センターは存在するのだが、ディオドラが『禍の団』に関与していると判明してからは、魔王の輩出権も失い、衰退の一途をたどっている。
故に、今はグラシャボラス領内の昇格センターで試験を受けていたのだ。
特に有名な受験者は二人。『雷光』の姫島朱乃と『聖魔剣』の木場祐斗である。
二人はグレモリー対バアルの一戦が終わった後、サーゼクスから昇進の話を持ちかけられた。これまでの経歴を考えればある意味当然とも言える結果だ。
そして、文武両道を地で行く二人は当然試験を難なくクリア。昇進は間違いないだろうとされる。
場所は移り、木場達の泊まるホテル。
貸し切り状態のレストランでは、アザゼルが一足先に酒を飲んでいた。
「ま、試験お疲れさん。乾杯」
レストランにはロスヴァイセとギャスパーを除く全員が集まっていた。ロスヴァイセは『戦車』としての特性を生かす為、新たなる魔法を学びに北欧へ。ギャスパーは不甲斐無い自分を変えるためにと、グリゴリで神器の研究をしている。
レストランの料理に舌鼓を打ちつつ、会話を始めるリアス。
「どうだった?」
「はい。大丈夫だと思います」
「まぁ、お前らなら余程の事が無い限り、落ちる事は無いだろ。実力も頭脳も備えてる訳だしな」
アザゼルは酒を飲みつつ、そう言う。
実際、グレモリー眷属の中でもこの二人の実力は飛びぬけている。上級悪魔としても、上の方に位置するほどの実力だろう。
それを証明できるだけの力が、この二人にはある。
「それよりも……問題と言えば、あっちの方だしな」
「我、アザゼルをじーっと見る」
レストランの別のテーブルでは、オーフィスに加えてヴァーリチームの黒歌とルフェイ、フェンリルが来ていた。
アザゼルへと連絡があった数日後、グレモリー眷属の面々と対面し、一時的にかくまう事となった。三大勢力の中でも最初に「和議」「和平」を謳うアザゼルがやったことだからこそ、リアスは信用したと言って良い。
この後、リアスと共にサーゼクスの元まで連れて行くことも予定している。
これは大きなチャンスだ。上手く行けば、『禍の団』を内側から崩壊させることが可能になる。
ちなみに、黒歌やルフェイは独自の方法で他者の感知網をすり抜けているため、発見されること自体が稀だ。神出鬼没なのもこれが理由となる。
「そういや、結局聞けなかったんだが……オーフィス、お前、なんで兵藤一誠を『禍の団』に引き摺りこんだ? 最初に会ったのは十年くらい前なんだろ?」
「イッセー?」
唐突に、今思いだしたと言わんばかりの様子で酒を口から離して、オーフィスに問いかける。
オーフィスが首を傾げながら、思いだすように口を開いた。
「イッセー、最初は妙な力を発してた。ドラゴンとは違う力。ドラゴンはドライグだったけど、もう一つは分からなかった。イッセーも、その時は分からなかった。でも、我の蛇を内側に入れた時、我の蛇を焼いた。我の腕も」
「……最初からあの妙な腕を使いこなせてた訳じゃないってのは、朱乃の一件で分かってたが……オーフィスの蛇を体の内側に入れたのに、それを焼いた……? しかも、オーフィスの腕ごとだと?」
「我、興味を持った。妙な力、ドラゴンに効く。グレートレッドを倒すのに役立つと思った」
「なるほど、それでか……どんな力かもわからないのに、約束しちまったわけだ。馬鹿な奴だな、あいつも」
最初は斃せるとは思ってもいなかったんだろう、と零すアザゼル。
実際、当時の一誠も全く同じ事を思っていた。どんな力が眠っているとしても、グレートレッドは自分が斃せるような存在ではないと。
アザゼルは幼児期の一誠がそんな知識を有している筈も無く、ただ単純に約束してしまっただけなのだろうと思っている。それを今もなお律儀に守ろうとしている辺り、一誠の性格が表れていると言えるが。
それに──本当に斃せてしまうのではないかと思ってしまう程、今の一誠は凄まじい執念を見せている。
「ドライグの力にも、当時の兵藤一誠は気付いてたのか?」
「ドライグ、目覚めてた。我、ドライグと話した」
「そんなに早くから、か。案外、人間にしては逸材だったのかもな。で、お前はそんな兵藤一誠を味方に引き入れたと」
「でも、イッセー、最初に会った時は怯えてた」
──怯えていた?
アザゼルはおろか、グレモリー眷属の面々までも動きを止める。それだけ衝撃的だったのだろう。料理を口に運ぶ途中で止めている者もいる。
一番驚いているのは、やはりと言うべきか、イリナだった。
「イッセー君が怯えてた、ってどういう事?」
「イッセー、我のこと知ってた。我を見た時、僅かに引いて距離を取ってた」
「……ドライグが教えたんなら、確かに知っててもおかしくは無いが……オーフィスの強さを、幼児ならではの感性が感じったとでも言うのか?」
いや、それとも、一誠の中にあると言う聖なる力が反応したのか。どちらにせよ、その時点で一誠はオーフィスに対して恐怖を抱いたことは間違いない。
幼子なら、恐怖の対象に対して取る行動は服従か逃走しかない。下手に反発しては駄目だと、本能的に分かっているからだ。
逃走など出来はしないと、初めから諦めていた可能性も十分にある。何せ、相手は『龍神』なのだから。
力を肌で感じていたのなら、ドライグが既に目覚めてアドバイスしていたのなら、その時取る行動はかなり限られてくることになる。
「そう考えると……兵藤一誠が頑なにグレートレッドを斃そうとしているのは、オーフィスの呪縛から逃れようとしているのかも知れんな」
「呪縛、ですか?」
「『約束を守る』ってのは、確かに人としてはある意味当然の言葉だ。対人関係においてもそれ以外においても、約束を守ることは大事だからな。だが、そこにオーフィスって劇薬の異物が介入したらどうなる。ましてや十年前と言えば、お前等はまだ小さくて、自我の形成の途中だろう。外部に在る脅威から身を守るために、自己の意志をねじ曲げることになりかねない」
だから、『約束を守る』ことを信条とする一誠は、グレートレッドを斃すことでオーフィスから離れようとしているのではないか。
否、オーフィスが接触したから『約束を守る』ことを信条とする事で身を守ろうとしたのではないか──と。
自分で決めた自分への枷──『約束を守る』という事柄は、一誠自身の意志も行動も奪っている。
意志を貫き通すには力が必要だ。力無き意志に意味など無い。
だから、一誠は力を求めている。世界の頂点に立とうとしているのではないかと、アザゼルはいう。
──まぁ、約束を守ると言う事が一誠の行動を縛っていると言う事はほぼ間違いないが、それ以外は憶測でしか無い上に無意識の領域のはずで、どれだけ語っても憶測の域を出ない。
もしかしたら、本当に好意だけでオーフィスの願いを叶えようとしているのかもしれない。
もしかしたら、オーフィスと出会って自分の力を知り、それを強くする為だけにオーフィスを利用しているのかもしれない。
かつて、三大勢力の会談の場において、一誠は『何も望まない』と言った。それが『禍の団』に所属する事を隠す為の嘘だったと今では分かるが、それは本当に嘘だったのだろうか。
こうなってくると、あの場において発言した一誠の言葉こそが本当なのではないかと疑ってしまう。
「……チッ、考えても埒があかねぇな。本人に聞くのが一番だ。大体、『神に会いに行く』ってどの神だよ。まさか死んだ聖書の神にでも会いに行くつもりじゃねぇだろうな」
「イッセー、聖書の神と知り合い。京都で本人に会った」
「何!? 聖書の神本人と会っただと!? 何故死んだはずの奴と会えるんだ!?」
「曹操の聖槍。神器の中の遺志。グレートレッドと闘った後、何か話してた」
「……確かに、聖槍には聖書の神の遺志が封印されている。表出した聖書の神の意識が曹操の意識を一時的に乗っ取ったのか……? まぁ、あれだけ化け物みたいな力を誇った聖書の神だ。不可能じゃねぇかもな」
だが、それと会いに行く事は別の筈だ。大体、聖槍に封じられている遺志と話すなら『会う』とは言わない。
その辺りを問い詰めてみると、オーフィスは簡単に答えた。
「イッセー、神器の奥に潜ってる。そこに、聖書の神が居たって言ってた」
「神器システムの中枢部か。だが、あそこに辿りつくこと何ざ事実上不可能だった筈だが……どうにも、あいつは人間の規格から外れてるな。クソッ、調べてぇな!」
妙な所でテンションが上がるアザゼル。やはりと言うべきか、研究者のアザゼル気質らしいと言える。
それに、聖槍を使う訳ではないのなら、曹操が自由に動けているのも納得出来る。聖槍が必要だと言うのなら、曹操はオーフィスを捕える為に動く事など出来る筈が無いのだから。
「しかし、オーフィスが現赤龍帝の事を一番知ってるってのは、色々とどうなんだろうな。その辺をもっと詳しく──」
言いかけたその刹那。
僅かな間を置いて、世界が霧に包まれていく──
●
「が、ごほっ!」
地にひれ伏し、血反吐を吐きながら一誠は聖書の神を見る。
傷一つない。徒手空拳のままで闘ったとはいえ、一誠の主体が魔術による遠距離攻撃とはいえ、こうも一方的にやられると言うのは驚愕の一言に尽きる。
腐っても神。聖槍を使わずとも、相当の力を有して当然と言う事か。
「どうした、終わりか? 卿の力がその程度だと言うのならば、システムを渡す事は出来んな」
「くそったれが……」
聖書の神の言葉に悪態をつく一誠。実際、そうでもなければやっていられない。
話が終わり、殴り始めて一体どれだけの時間が流れたのかもわからない。一分か、一時間か、一日か。何にせよ、かなりの時間を闘い続けている事は間違いないだろう。
そんな状況だと言うのに、聖書の神は息一つ乱さない。疲弊した様子が無い。
「ここは精神の世界だ。体の傷は分かりやすくしているとはいえ、現実の体にフィードバックする訳ではない。ゆえ、どれだけ傷を負ったとしても心配はいらん。卿の実力はその程度ではあるまい。好きなようにかかってくるが良い」
「……精神の強さが、そのままこの場での強さに繋がるとでも言いたいのか。余裕を見せやがって」
「そうとも。この場においては、強い信念を持つ者ほど、折れない心を持つ者ほど強くなる。精神の強さが如実に表れている世界だ」
だから、こんな無様な結果を晒している。
もちろん、元の体の強さだってある程度は反映されている。それが心の強さに反映される場合もある以上は当然の措置と言える。
だが、異界の法則を適用させる魔術はこの場においては使用不可能。実質、一誠の手札の大半が使えなくなっているのだ。
「卿には信念が無いのだ。確かに卿の持つ力は素晴らしいほどに強い。そこは私も予想以上だったと言って良い。だが、──精神だ。卿に問題があるとすれば正にそこ」
卿は、一体何の為に戦う?
聖書の神の問いかけに対し、一誠は端的に答える。
「グレートレッドを斃すためだ」
「それも良かろう。だが、それはオーフィスの願いであって卿の願いではあるまい。それに加え──それを成した後、卿はどうするつもりだ?」
グレートレッドを斃し、オーフィスを眠りにつかせ、聖書の神の約束通り「システム」を破壊する。
ならば、その先はどうする?
グレートレッドを下すだけの莫大な力の塊。一誠は言うなれば方向性の無い、使用用途の無い爆弾だ。今更三大勢力側に寝返った所で、殺されるのが落ちだろう。
どんな神話の神でも持て余す最悪の神格。ましてや、聖書の神の目的通りに行くとすれば、一誠は神殺しの為の神。帝釈天あたりが排除に動くのは道理と言えよう。
その行き着く先は──孤独だ。
プリシラの願いを叶えるのならば、悪魔と堕天使は一体残さず殲滅する必要がある。聖書の神の願いを叶えるのなら、天界に住む天使全員を敵に回す。
神を殺す為に動けば全ての神が敵に回る。オーフィスが眠りにつけば、いよいよ一誠に味方をする者はいなくなる。なにせ、ランキング上位の存在に対しては聖人のプリシラと言えど無力に等しい。常に一緒にいると言う訳にもいかない以上、殺されるのも時間の問題だろう。
唯一の味方はドライグのみ。
行き着く先は──破滅しか無い。
「卿の人生をねじ曲げた私が言えることではないのだがな。とはいえ、神器を扱うにあたって、信念や執念は必要だろう」
神器とは所有者の感情によって力が上下する。感情が高ぶればその分力が増すし、意気消沈すれば力は減じる。
神格を殺す事は一誠が承諾したわけではないものの、グレートレッドを斃すだけの力を手に入れれば、自然と狙われるようになる筈だ。
安穏としている時は無い。
戦いの日々は精神を少しずつ摩耗し、恐らくは全てを諦め──そして、最後には全てを滅ぼす。
「──俺、は……」
「考えたことが無いわけではあるまい。力も神器も無く、日常をただ謳歌する事が出来れば、と──人生におけるターニングポイントはとうの昔に過ぎている。今の卿に、選択肢は酷く少ない」
「だったら、どうしろってんだよ……!」
ギリッ! と歯を食いしばり、聖書の神を力の限り睨みつける。口内で鉄臭い味がするが、そんなモノ気にする事さえ無い。
選ぶ道は無い。だが、選んだ道の先には破滅しか無い。
やはり、「覇」を求めた先には滅びしかないのだ。これが分かっていたのに、一誠は力を求めた。
──最初から、出来もしないことを約束などしなければよかったのだ。
別に世界平和を謳う訳じゃない。戦いだけを求める修羅になるつもりもない。それでも、世界は強大な力を持つ者を、龍を放っておく事などしない。そう言う風に出来ている。
「生きたいように生きれば良い。自殺したければ好きにするがいい。卿の代わりは居る。私は、全ての神を殺すまで消える事は無い」
怨念にも似た執念。絶対の信念を以て事に当たるその姿勢は、ある種の狂気さえ感じさせる。
だが、その中で一誠に「逃げ道」を与えると言うのはどういう事なのか。死なれても代わりは居る。確かにそうだろうが、それでも聖書の神にとって短く無い時間が必要になる筈だ。
それでも、その「逃げ道」は一誠にとって天啓にも近く。
力だけで解決できる事など限られている。力だけでは滅びしか生まない。なら──と考えた刹那。
『駄目よ、逃げちゃ』
背後から、声が聞こえた。
一人では無い、複数人の足音と共に。
『歴代の赤龍帝の中でも一番の強さを持ってるくせに、精神だけは弱いのね。……まぁ、まだ学生だって言うし、こういう状況なら仕方ないとも言えるけれど』
一誠が振り返った先に居たのは──長い金髪の美女と、短い黒髪のダンディな男。
歴代赤龍帝でも一、二を争う実力者──エルシャとベルザードである。
『私もベルザードも悲惨な最期だった。だから、せめて貴方はそんな最期にならないようにして欲しい──そう言ったのにね。こうなった以上は仕方ないわ』
一誠の横を通り過ぎ、二人は聖書の神から一誠を庇う位置へと立つ。しかし、一誠の後ろにはまだ幾人もの歴代赤龍帝が立っていた。
虚ろな瞳では無く、生気を持った表情で、聖書の神を睨んで。
聖書の神も、それを笑いながら見てるだけだ。
『貴方はさっき、この先の未来がどうしようもないって思ったでしょ? それは間違いよ。だって──人間なら、未来は自分の手で切り開くものじゃない』
『……あぁ、人間なら、どんな逆境からでも諦めずに立ち上がるものだ。赤龍帝なら、尚更な』
『今回は特別に助けてあげるわ。何せ、私達は先輩だしね』
『お前は後輩だからな』
そう言って笑いあった後、二人は聖書の神へと向き直る。
一誠を守るような立ち位置で、魂の残滓に過ぎないにもかかわらず、凄まじい殺気を放ちながら──神へと雄々しく立ち向かうその姿は、まさしく英雄と呼ぶにふさわしい。
「神々の黄昏は、怒りの日は、終末の時は──否応なく、卿が起こすべき災厄だ。それだけは頭に入れておけ、兵藤一誠」
聖書の神はそれだけ告げ、空間を引き裂くようにして現れた聖槍を右手に持つ。最早、語る言葉は要らぬとばかりに。
まるで警戒するように。
否、歴代赤龍帝としてのエルシャとベルザードを認めたが故に。
『さぁ、行くわよ』
『分かっている』
『Welsh Dragon Balance Breaker!!!』
赤い龍の鎧。ドライグの倍加の力を最大まで引き出す鎧を纏った二人は、高速で聖書の神へと接近する。
聖書の神は慌てるでもなく、ただ自然体のままで槍を振るう。
「では、第二ラウンド開始と行こうか」
聖槍とベルザードの拳がぶつかり、爆発したかのような衝撃波が巻き起こった──。
エルシャさんマジ主人公。
ちなみにこんな状態なのに話しかけてこないドライグは次話にて解説。