第六十四話:喜劇は終わり
聖槍と拳がぶつかり合い、衝撃波を当たり構わず撒き散らしていく。
ジグザグに動くエルシャと加速と減速の落差が凄まじいベルザードの動きは、聖書の神を翻弄しつつ互角の戦いに持ちこんでいた。
大地は抉れ、空を裂き、刃を煌めかせて豪腕が唸る。
凄まじい闘いだ。歴代赤龍帝でも一、二を争うとはいえ、相手はあの聖書の神。生半可な実力では対等に戦う事すら難しい筈だというのに。
『これがあの二人の実力だ』
「……ドライグ、か?」
左手に現れた籠手から、ドライグの声がした。一誠はそちらを見て会話を始める。聖書の神と話していた時から声を出さないと思っていたが、どういう事なのか。
それを聞いてみると、隠す事無くはっきり答えた。
『悪いな、相棒。恐らくは聖書の神の所為だと思うが、話しかけられなかった』
「それは構わないが……これは、一体どういうことだ」
『後輩が困ってるから、助けてやってくれ。──と、頼んだだけだ』
声には笑いが混じっている。ドライグ自身、ここまで上手くいくとは思っていなかったのだろう。
それだけに、今の状況に笑みを抑えきれない。
『相棒。お前自身は分かっていないようだから言うが──相棒は希望なんだよ。俺とアルビオンの因縁を断ち切るための、聖書の神が神器に封じた俺達の魂を解き放つ為の、希望なんだ』
「希望、だと……?」
『そうだ。だから相棒、絶対に死のうなんて考えるな。お前は確かに一人だったが、独りでは無かっただろう?』
学生生活において、一誠は余り社交的とは言えず、友人も殆どいなかった。イリナは幼馴染として仲の良い友人に分類されるが、彼女とだって再会したのはほんの数か月前だ。
それまで、オーフィスが偶に来ていたものの、ずっと隣にいたのは──他の誰でも無い、ドライグだ。
神器の中に宿る魂。二天龍の一角。
それが例え聖書の神の思惑通りだったとしても、ドライグは確かに一誠の相棒足りえたし、一誠はドライグの相棒足りえた。
それだけは、例え聖書の神だろうと否定はさせない。
『何の為になんてのは、これから幾らでも探せる。だが相棒、これだけは忘れるな──俺は、俺達は、何時だってお前と共にある』
「ああ──そうだな、ドライグ。そうだった」
生きることに理由は要らない。
やりたいからやる。それだけで良いじゃないか。それ以外に理由なんてものは要らない。
誰の為でも無く、自分の為に。それだけで、強くなることへの理由になる。
男なら、一度は最強にあこがれるものだ。
今の一誠の隣には、ドライグが居る。かつての赤龍帝達が残っている。──一誠は、独りでは無いのだ。
ならば、それをどう利用しようと、他人にどうこう言われる筋合いなど存在しない。
たとえそれが独善的で自己中心的な考えだろうと、天の名を冠する龍ならば、覇道を志した王ならば、力でこそそれを証明するべきだ。
「──行くぜ、ドライグ。聖書の神に一泡吹かせるんだ」
『当然。俺達を利用しようとしていたんだ、一発ぶん殴ってやるぞ、相棒!』
立ち上がった一誠の左手。『赤龍帝の籠手』から──強く、より強く、緋い光が辺りを埋め尽くす。
それを見て、闘っていたエルシャとベルザードは聖書の神から距離を取る。聖書の神も一誠の様子を見て笑みを浮かべた。
『私達の後輩を、舐めちゃ駄目よ、聖書の神』
「そのようだ。やはり、私にはこういったやり方は向いていないな──直に叩き潰す事が最も簡単だ」
聖槍を構え、一誠の方へと視線を向ける。その視線は肉食獣のように凶暴で、闘争に飢えた眼差しだった。
強大な威圧感に晒されようと、一歩も引く事は無い。それでこそ赤龍帝だと、エルシャとベルザードは笑う。
二人は一誠の隣へと戻り、一誠は左手を掲げて叫ぶ。
「──我、目覚めるは、真理の果てへと到りし赤龍帝なり!」
『さぁ、やるわよ』
『天龍の力を、赤龍帝の覇道を、見せつけてやれ』
エルシャとベルザードが、歴代の赤龍帝達が、一誠の覇道を支える様に声を上げる。
「無限の滅びと
「「「「「汝を深紅に染まりし獄道へと導こう────ッ!!」」」」」
『
爆風と共に閃光が視界を埋め尽くす。世界が赤く染まったかのようになり、同時に巨大な力の波動が撒き散らされていく。──それを受けて、聖書の神はただ笑みを深くしていた。
爆発的な力の上昇。倍加こそが赤龍帝の力の本質。今もなお跳ね上がり続ける一誠の──赤龍帝の力は、既に聖書の神を大きく超えている。
精神の世界と侮る事無かれ、これほどまでに強力な力を放てば、受けた者は精神が消し飛んでしまうだろう。
閃光が止み、爆風が凪ぎ、そこにいたのは──巨大な龍、ドライグの姿だった。
『オオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォ!!!』
咆哮を上げるドライグの頭部には、赤いローブを纏ったままの一誠の姿も視認できる。
ドライグの体躯はグレートレッドより一回り小さいほどであり、それでも強大な力を感じられる。流石は天龍──といったところだ。
聖書の神もまた、それを見て称賛の声を上げる。
「なるほど……ここまで至ったか、赤龍帝。否、兵藤一誠」
「ああ、これが俺とドライグの力だ。舐めてると消し潰すぞ、聖書の神」
エルシャ達は既に姿を消し、一誠の──ドライグの中へと戻っている。その中にいても、一誠は彼ら彼女らの存在を感知できた。
共にある。イリナとは別の意味で、繋がっている存在だ。目を瞑れば、それをより強く感じられる。
一誠は聖書の神へと視線を戻し、ドライグへと語りかけた。
「調子はどうだ、ドライグ」
『最高だな。久々の体だ──肉体があると言う事が、ここまで素晴らしいとはな。俺とお前の二人なら、奴に勝てるぞ』
「当然だ。何時までも負けっぱなしは趣味じゃないんだよ」
ドライグと一誠は、その言葉を皮切りに力を高める。
聖書の神もまた、それを受けて最大まで力を高めていく。聖槍は既に禁手状態であり、爆発的な速度で光が集束していく。
互いに最初から最大。ゆえに二度目は無い。
「──行くぞ」
「──来い」
巨大な魔法陣がドライグの前へと浮かび上がり、魔力が爆発的に漏れだす。それはうねりを上げて魔法陣へと集束されていき、巨大な球体と成って留まる。
異常なまでの力の塊。例え強大な力を持つ神格とはいえ、全盛期の二天龍はオーフィスやグレートレッドといった特殊なドラゴンを除けばランキングのトップにいるほどの力を有していた。
故に──その力を解放した今、聖書の神に勝てる要素は無い。
「やれ、ドライグッッ!!!」
『応よ!!』
集束された球体が一際小さくなり、爆発するように光線と化して聖書の神へと襲いかかる。
「舐めるなよ、赤龍帝!!」
聖書の神もまた、力強く輝く聖槍を以て、ドライグの力に対抗する。
赤い力の奔流と、黄金に輝く力の奔流がぶつかり合う。
浸食し、喰らいあう二つの莫大な力。全てを飲み込まんとする程の赤龍帝の力は、徐々に聖書の神の力を押し始めていた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
叫び声を上げ、ぶつかり合う龍と神。
『こんなものか、相棒! まだまだ力出せるだろうが!』
「当然だ! 俺達の力は、まだこんなものじゃねぇぞォォォォォォォォ!!」
『BoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoostBoost!!』
かろうじて保っていた力の均衡が、今、崩れ落ちる。
赤い力は更に勢いを増し、世界を崩壊せしめんとする程の莫大な力をただ一点に集中し、黄金の神格へとその一撃を穿ち貫く。
「──見事だ、赤龍帝──兵藤一誠よ」
笑みを浮かべるとともに、聖書の神は赤い光の奔流にのみ込まれた。
●
蒼い空が見える。雲一つない晴天。創りだされた偽物の空。
仰向けになって倒れたままの聖書の神は、最早指一本動かせないほどのダメージを受けていたが──不思議と、外傷そのものは存在しない。
精神だけの世界であるが故、だろう。そうでなくとも、先の一撃は殺す気だった。死んでいてもおかしくは無いのだ。
だが、未だに生きている。いや、魂の残滓である聖書の神が「生きている」というのは些か語弊があるが、少なくとも消滅していないのは確かだった。
「俺達の勝ちだ、聖書の神」
「……そのようだな。負けはしたが、晴々とした気分だよ」
目を瞑り、呼吸を整える。既に闘えるほどの力も無く、残留思念である以上は失った部分を回復する事も無い。
だが、それで良いと聖書の神は考えていた。
次代の神。既に自分を超えるほどの力を手にしている以上、他の神格も放っては置かないだろう。一誠自身の立場も考えれば、敵を殲滅するしか生き残る道は無い。
そして、それは同時に聖書の神の目的を達成する事と成る。
三大勢力を関わろうとしない存在もいるだろう。しかし、神であればそれは信徒を奪われ衰退し、神でなければ一誠の眼の届かない所でひっそりと衰退していくか、どちらかしかない。
既に計画は成就したも同然の状況にある。
ならば──約束通り、神器システムを渡すのも当然だ。
「手を出せ、兵藤一誠」
聖書の神の言葉通り、右手を差し出す一誠。それが聖書の神の右手に触れた瞬間、神器システムにおける管理権限が入れ替わった。
同時に天界の最奥へ至る為の鍵も渡し、システムの破壊を頼む。
「卿ならば、任せても良かろう。私は──眠ることにする」
「ああ──あばよ、聖書の神。ゆっくり眠れ」
ぶっきら棒な一誠の言葉に笑みを浮かべながら、聖書の神はゆっくりと瞼を落とす。
視認こそしていないが、今聖書の神の体は足元からゆっくりと消え始めているだろう。
それでいい。死んだ者が何時までも留まっていることがおかしかったのだ。自然の摂理に従うならば、死者は還らねばならない。
心配などしていない。する必要が無い。
何故なら──彼は、史上最強の赤龍帝なのだから。
「──
そうして、聖書の神は無へと消えて行った──
●
目を覚ました場所はアジトの一室だった。
服装も何も変わっていない。時間の経過だけは精神世界では分からなかったが、そこまで時間は経っていない筈だと思い、時計を確認しようとする。
「……?」
体が微妙に重い。デジタル時計で日付と時刻を確認すると、驚いたように目を見開く。
数日の時が経っている。前回訪れた際には、そこまで時間が経っていない筈だったが……やはり、集合無意識となると時間を加速させる事は出来なかったのだろうか。
体の調子は上々。システムへのアクセス権を手に入れたおかげで、籠手以外の神器も使える状態にある。とはいえ、好き勝手に使えると言う訳ではないのだが。
それよりも、問題は別にある。
「……結界、か。これだけのものとなると、ゲオルクだな」
『さっきから相棒を止めようとしているのか、外部から神器の力を感じる。時を止めるタイプの奴だな』
対象を一誠のみに絞っている所為か、一誠以外のものはちゃんと時が進んでいる。それに、一誠自身も全く止め切れていない。
これだけでも、神器を使用しているものの実力が知れる。
そんな事よりも、一誠としてはオーフィスの状態が気にかかった。神器の最奥へ潜る前にヴァーリに頼んでおいたが、それだけで曹操が諦める筈もない。
戻る必要がある。オーフィスの元へ。
「さて──行くか」
友人の所へ遊びに行くような気軽さで、部屋の壁へと右手を着ける。そこから横に動かし、指先で壁面をなぞって行く。
次の瞬間には、既に結界が破壊されていた。
なんてことはない、単純に結界に指定されている境界を切り裂いただけの話。だが、それを何の準備も無しに行ったという事実こそが『異常』。
神器の力では無い、純粋な魔術の力。使われたのは魔導書にある些か特殊な部類の魔術だが、お構いなしに。
「イリナが力を使っているな。状況によっては、既に曹操が襲撃していると考えるのが順当だが──数日あった。別件の厄介事って可能性も捨てきれない」
『だが、いかない訳にはいかないだろう。お前にとっても、オーフィスは必要な筈だ』
「そうだな。約束をした本人が生きていないんじゃ、俺が約束を守っても仕方が無い」
結界を斬り裂き、部屋から出た一誠へ英雄派の構成員が襲いかかる。恐らくは禁手まで至っているのだろう、それなりの力を感じる。
しかし、それだけだ。突出した何かもなければ、異形な力を持つ訳でも無い。
一誠は振り返りもせずに吹き飛ばし、爆炎をまき散らして殺害していく。
どうせこのアジトも既に用済みだ。オーフィスを連れ帰った後、最終局面に入る。神上へと至る方法は、聖書の神が教えてくれた。
いや、教えてくれたというと語弊がある。学んだ、と言うべきだろうか。
ともあれ、まずはオーフィスの身柄を確保する所から始めければならない。場所は恐らくグレモリー眷属と同じ場所だ。ヴァーリが予想通りに動いてくれているならば、の話ではあるが。
これより引き起こすは大災害。英雄、悪魔、神、天使、その他諸々の超常存在全てを巻き込んだ未曾有の大災害と成る。
「皆さんとくとごろうじろ、ってか」
赤いローブを翻し、一誠は空間を引き裂いてイリナの元へと移動を始めた。