第六十五話:龍喰者と右方の火
プリシラが倒れ、血だまりの中にその身を落とす。
曹操は数秒だけ目を瞑って黙祷し、返り血が着いたのも気にせずイリナの方へと向かう。
これで四人。僅かな時間で、既に曹操は敵の力を大きく削いでいた。その技術にはやはり、目を見張るものがある。アザゼルでさえそう感じた。
「派手な攻撃はサマエルの繊細な操作に影響を与えるからな。出来る限り最小限の動きでゲオルクとサマエルを守る。──まぁ、その為にも、彼女には死んでもらうしかない訳だけど──」
言って、頭を伏せる。
その直後に、曹操の頭があった場所でヴァーリの拳が空を切り、聖槍で反撃する曹操。しかし、それを僅かな挙動で避けたヴァーリは至近距離で白兵戦を行おうとする。柄にも無く、時間稼ぎをしようとしているらしい。
それが分かった瞬間、アザゼルもまたファーブニルの力を込めた人工神器を禁手化し、黄金の鎧を纏って攻めに転じた。
アーシアは深手を負ったゼノヴィアを治療しており、朱乃とリアスは未だ力を取り戻せていない。曹操をヴァーリとアザゼルで抑えているのなら、次に動くものは自ずと知れる──黒歌とルフェイだ。
多少距離があるが、この程度ならば問題無い。射程範囲に入っている以上、邪魔されない条件だけが必須だった。
小猫は魔法を得意としていない為、ゲオルクとサマエルを攻撃するのはその二人になるのだが──
「甘いな、俺がそれを見逃すとでも思ったのか?」
球体の一つ──
その手の先にいるのは──ゼノヴィアを回復させているアーシア。
「チィッ!」
いち早く気付いたアザゼルがアーシアの前に立って防ぎに入った瞬間、曹操がヴァーリを弾き飛ばして槍を伸ばす。
その狙いは知れたこと。イリナだ。
「チェック」
「危ない!」
イリナを貫こうとした聖槍は、寸での所でずれる。小猫が高速で伸びる聖槍を横から叩き、軌道をずらしたのだ。
しかし、ずれた聖槍はイリナの手にある光り輝く剣を横から貫く形となり、結果的に曹操の思惑通りとなってしまう。
とはいえ、イリナ自身が殺されてしまえば終わりなのだ。殺されていないだけ、小猫の行動には意味があった。イリナ自身も剣の力を発揮する事に集中していたので、曹操の攻撃に対応できていなかったのだから。
壊れた剣を見て、イリナはもう一度創ろうと意識を集中させる。だが、それを簡単にやらせる曹操では無い。
何度でも創りなおせるその刃を見て、曹操は思わずといった様子で言葉を零す。
「フィアンマ──兵藤一誠め、どこまでも俺達の邪魔を……」
同時に黒歌とルフェイが再度放った魔力弾がゲオルクへと向かうも、その途中で球体の一つが遮るように現れた。
それは黒い渦を発生させ、音を立てて相手の吸い込ませる。黒い渦が消えたかと思えば別の場所に現れ、先程吸い込んだ魔力弾を吐き出して小猫へと向けさせる。
高速で飛来する魔力弾をヴァーリが撃ち落とし、アザゼルが光の槍を持って曹操へと攻撃を仕掛けた。
同時に背後から迫る木場の聖魔剣を
「がはっ……ッ!」
「祐斗!!」
リアスの悲痛な叫びが響き、怒りのボルテージを上げたアザゼルが更にスピードを上げて曹操へと猛攻を開始する。
「教え子がやられたのがそんなに頭に来たのか、アザゼル総督!」
「あったり前だろうが! 教え子殺されかけてニコニコ笑ってられるような性格してねェんだよ、俺は!」
だが、怒ったが故に攻撃は単調になる。両手から出される光の槍を同時にはじいた瞬間、その腹部へと形態変化させた
血を吐きながら倒れるアザゼルを後目に、ヴァーリが放った魔力弾を
「曹操、貴様ァッ!!」
「ヴァーリ、君は少し仲間思い過ぎるな。兵藤一誠はそうでも無かったように思えるが、あれはあれで味方をする者には寛大だった。──二天龍は何時からそんなにやわになった? 幾つか能力を見せた事のある君だからこそ、俺の能力を把握しづらいと言うのは分かるよ。なにせ、君が見た事の無い七宝で攻撃しているからな」
イリナを蹴り飛ばし、サマエルと繋がっている黒い塊から引き離した所で、曹操は一息つく。小休止だ。
実質闘える者がヴァーリ、ルフェイ、小猫、イリナだけとなり、曹操にとっての脅威と言えばヴァーリくらいのものだろう。
詰みに近い。遠距離攻撃では跳ね返され、距離を測ろうにも転移する球体で自由に距離を取ることも詰めることも出来る。とはいえ、至近距離では聖槍の射程範囲。
ヴァーリの攻撃が一度当たればそれで終わりだろうが、曹操は言うなれば至高のテクニックタイプ。木場と同じタイプであり、一誠と同じタイプだ。
つまり、「当たらなければどうという事は無い」という理論の体現者。
ヴァーリとしても、奥の手を出さなければこの状況は打破できない。
「では、こちらも見せようかッ! 我、目覚めるは、覇の理を神に奪われし──」
「ゲオルク! 『覇龍』は不味いぞ、この疑似空間が破壊される!」
「分かっている──サマエルよ!」
ゲオルクが手を突き出し、それと同時に魔法陣を展開させる。魔法陣の効果によるものなのか、サマエルの右腕の拘束が解かれ、それがヴァーリの方へと伸びる。
不気味な声を発しながら、空気を震撼させながら、サマエルの放った黒い塊はヴァーリを飲み込む。
包み込んだ直後に黒い塊が弾けたものの、同時にヴァーリの白い鎧まで弾け飛び、血塗れとなってその場に立ち尽くすヴァーリ。
「……ゴハッ!」
血反吐を出し、床に倒れ込むヴァーリ。
「どうだ、ヴァーリ。神の毒の味は、オーフィスでさえ逃れられないサマエルの毒の味は? 『覇龍』をここで使われるとサマエルの制御に支障をきたすからな。残念だが、俺はよわっちぃ人間だ。弱点を突くしか出来ないんだよ──悪いな、ヴァーリ」
「……曹操……ッ!」
「さて、これで脅威となる面々はあらかた潰したか。兵藤一誠がどのタイミングで目を覚ますかは分からないが、残して来た構成員じゃ足止めにもならないだろう。ゲオルク、どれだけ取れた?」
「……四分の三弱、といったところか。そこのミカエルの天使の所為で、若干力の吸収が遅れている。サマエルを現世に繋ぎ止めるのも楽じゃないが、もう少しは行けそうだ」
「そうか。なら、また邪魔されないように潰して置くかな」
視線をイリナの方へと向ける。
イリナは曹操の隙を窺って、虎視眈眈とサマエルを狙っていた。少しでも敵の目的を邪魔出来れば、と思っていたのだ。
だが、この状況は不味い。イリナよりも強いアザゼルやヴァーリが此処まで追い込まれている時点で、既に勝敗は決している。倒した者を殺さないのが不思議だが、こちらにとってそれは朗報にも近い。
だが、曹操はそれとは関係無く、邪魔をされると困るからと殺そうとしている。
計画の妨げになる存在は赦さない。如何に実力差があると言っても、何かの拍子にサマエル自体がやられないとは限らないのだ。
芽を潰して置くことが最上。
「悪いね。だが、殺すまではしないつもりだ。しばらく寝てて貰うだけさ」
禁手状態のまま、曹操は槍を構えてイリナへと走る。
イリナも光り輝く剣を以て相対するが、元々の技術力が違う。如何にイリナが一誠の力で強化されているとはいえ、それは曹操との間に隔たる壁を僅かに縮めたに過ぎない。
実力差がありすぎる。自分では足元にも及ばない。
そう悟った瞬間、イリナの喉元へと聖槍が迫り──
●
「──これ、は」
「え──?」
「ギリギリセーフ、ってところか。肝を冷やしたぞ、今のは」
イリナの喉元、皮膚に当たるか当たらないかという刹那の瞬間、曹操の槍は止められていた。
空間に亀裂が入り、そこから伸びた手が、曹操の槍を
「お前は──兵藤、一誠……ッ!」
「正解。御褒美だ、ありがたく受け取れクソ野郎」
ドバァッッ!!! と、空気が爆発する音が炸裂し、曹操の体が吹き飛ばされる。
それと同時に空間を引き裂いて一誠の姿が現れ、赤いローブを纏ったまま当たりを一瞥し、サマエルへと視線を固定する。あれがどんなものか、一目で理解できたらしい。
眉を潜め、嫌なものでも見たように苦々しい表情を浮かべる。
「……ふざけたものを出したもんだ。ハーデスの野郎は後でブチ殺してやる」
右手をサマエルの方へ突きだした刹那、突如として出現した第三の腕がその手に持つ超巨大な剣をサマエルへと突き刺す。
イリナの使用した、聖なる右の何百何千分の一の力しか発揮できない「出来そこない」ではなく、本物のミカエルの力を模した剣。それを、一瞬も躊躇せずにサマエルへと叩きこんだ。
剣に貫かれたサマエルは苦悶の声を上げ、煙を発して消滅していく──そう、消滅しているのだ。
「馬鹿な……ッ!? 聖書の神がコキュートスの最奥に封印するしか無かった存在だぞ! 何故そうも簡単に……ッ!」
「馬鹿はお前だよ、ゲオルク。こんなもの、あいつが龍に対する切り札として持っていたに過ぎない。いや、実質的に管理していたのはハーデスだから、聖書の神はこれを生みだしただけ、か。厄介な事をしてくれたもんだぜ」
そのまま横に薙いで引き裂き、聖なる右から発生した光で完全に消滅していくサマエル。どういう目的で創りだされたのかは定かでないものの、こうなってしまえば最早意味は無い。
オーフィスは既に解放されており、目をぱちくりさせながら曹操へと視線を向けた。
「我の力、奪われた。曹操、これが目的?」
「……思った通りか。舐めた真似をしてくれたものだな、曹操」
瓦礫の中から姿を現した曹操に対し、一誠はつまらなそうに告げた。
魔術で身体能力を強化していたのだろう。そもそも大した威力では無かった為、あんなもので死なれても興醒めなだけなのだが。
「……フィアンマ。お前、一体どうやってあの結界空間から……」
「そんな事を聞いてどうする。原理を知らなかった昔ならばいざ知らず、今は魔法のことだってある程度は知ってるんだぜ? ──そもそも、この右腕がある時点で強制的に引き裂くことだって不可能じゃねぇんだよ」
一誠の言葉に、曹操は顔をひきつらせながら言葉を零す。
「……滅茶苦茶な事を……いや、そうだな。お前はそう言う奴だった。──退くぞ、ゲオルク。今は状況が悪い。ジークフリートならともかく、俺じゃ真正面から殺される」
「了解だ」
「一誠、この後ここに死神が来る。搾りかすのオーフィスをお望みだからな、彼は。少しでも君が消耗する事を祈るよ」
聖槍を使って閃光を発生させ、一瞬の目くらましをした直後、曹操とゲオルクの姿が消えていた。
一誠は一息つき、先程見回した時に目に入ったヴァーリの方へと歩いていく。血塗れでぐったりとしており、顔色もひどく悪い。
「無様だな、ヴァーリ。サマエルにやられたか」
「……不甲斐無いな。仲間も守れず、オーフィスも守れず、挙句の果てに赤龍帝に助けてもらうとは」
「それだけ吠えられりゃ十分だ。呪いは解除してやるが、代わりに聖なる力がお前を蝕む。そっちは時間が経過すればどうにかなるから、後は自分でどうにかしろ」
聖なる右の指の一本をヴァーリの左肩へと突き刺し、聖なる力の一部を送りこむ。
ヴァーリ自身が悪魔である為、これも本来なら毒である筈だが──魔術として、サマエルの毒を解呪する為だけに使えば、なんとか耐えられるだろう。
「『覇龍』を超えた力、得たんだろ? そっちの方も期待しておいてやるから、死ぬ気で足掻いて見せろ」
旧魔王の血筋なら耐えろ。そう言わんばかりに背を向け、聖なる右を消して状況を把握する。
殆どの者が曹操にやられており、特に聖槍に貫かれた木場が重傷だ。アーシアが必死に治しているものの、禁手状態だった聖槍の力の所為か、治りが酷く遅い。
それを見て嘆息した一誠は、ローブの中から一本の瓶を取り出し、中身を木場の患部へと降りかける。──途端、木場の傷が目に見える勢いで治って行く。
「これは……」
「『フェニックスの涙』だ。ここに来る前は英雄派のアジトにいたんだが、その時に五、六本ほど奪ってきた」
裏のルートで手に入れたものだろう。かなりの高級品となりつつある『フェニックスの涙』だが、金さえ積めば売ってくれる奴は居る。そう言った連中から買い上げて、英雄派の幹部は時たま使用しているのだ。
まぁ、かく言う一誠はグレートレッド戦以外でまともに怪我などしていないし、怪我をしても基本的に魔術で治療していたので必要無いとも言えたが。
ともあれ、手早く傷を癒す。それから脱出したい所だが、そう簡単に行く事でも無い。
「貴方なら、この結界空間から出られるんじゃないの?」
「普段なら、言い変えると俺一人なら、って条件がつくけどな。オーフィスやヴァーリなら、まぁ大丈夫だろうが……お前等は無理だろう」
「……理由を聞いてもいいかしら」
「方法は二つ。普通に解除するか無理矢理引き裂くか。前者は結界を構築する術式を読み取って解除するまっとうなやり方。ただ、こっちは時間がかかる上に相手が相手だ。俺には無理だろう。後者は聖なる右で結界そのものをぶち壊すだけだ。こっちは位相がずれた状態で破壊する訳だから、次元の狭間に放り出されることになる」
英雄派のアジトに仕掛けられていた結界は少し毛色が違い、部屋の周りに内部の者を出さない為の壁が形作られていた。だから、無理矢理破壊しても次元の狭間に放り出される事は無かったのだ。
今まで何度も次元の狭間で活動していたヴァーリや、元々次元の狭間に住んでいたオーフィスはともかく、アザゼルやグレモリー眷属の面々は下手をすれば次元の狭間で『無』に当てられて消滅してしまう。
その為、選ぶなら前者の方法だろう。
無理矢理通り抜ける方法が無いわけではないが、魔法についてはゲオルクやルフェイほど詳しい訳ではない。恐らくは無理だろうと予測し。
「取りあえず、休憩するか。俺はともかく、お前等は疲弊が酷いからな」
一誠の言葉に、面々は頷く事しか出来なかった。
●
駐車場に死神が現れたのは、それからすぐのことだった。
呼び込んだのはゲオルクだろうな、と呟く一誠は、適当な椅子に座って他の面々の様子を見ていた。
ヴァーリは大体動けるようになり、黒歌も『フェニックスの涙』を使用したことで回復。ルフェイと共にホテルの一つの階層──三十階を丸ごと結界で覆って陣地と化していた。
やろうと思えば辺り一帯も可能らしいが、一定以上の防御力を求めるならこれが限界らしい。
リアスと朱乃は既に力を取り戻し、ゼノヴィアと木場は傷が完治している。アーシアは怪我を治す際の疲労で寝ているらしく、小猫は大事を取って寝ている黒歌の傍についていた。
イリナとアザゼルはと言えば、一誠が肘をついている机の反対側に座っている。聞きたい事があると言っていたので、それを了承した。
椅子に座っている三人以外は、座っている面々の会話を静かに聞いている。少なからず興味があるらしい。
「……あの聖人、どうするんだ?」
「どうもこうも無い。十字教において、死は我らが主の元へといける記念すべき事だ。殺されたと言う一点を除けば、悲しむべき事じゃ無い」
プリシラの亡骸は別室に横たえてある。聖なる右の力で蘇らせることも可能かと思ったが、どうにも曹操が使った『聖人殺し』という魔術の所為で阻害されている。
どのみち、『聖人殺し』を使われたのでは聖人の力も、もしかすれば神の右席としての力も失っている。魔術師としては致命的だ。
そんな状態で蘇らせても、これから先テロリストとして扱われる以上は生きていくことが出来ない。
プリシラ・ミューアヘッドという聖人は、ここで死んだのだ。
「まぁ、だからと言って、曹操を赦す訳でも無いけどな」
部下として、プリシラは非常に有能だった。戦闘員としては八面六臂の活躍をし、暗躍においても一役買っていた。
それを殺した以上、曹操は一誠自身の手で殺さなければならない。そう感じている。
「そうか。……それと、聞きたい事があるんだが」
「答えられる内容ならいいけど」
「聖書の神に会ってきたのか?」
誰からそれを聞いたのか。プリシラがそう簡単に話す訳もないが、ヴァーリには伝えていいと言ったような気もする。
一誠が思案しているのを見破ったのか、アザゼルが溜息をついて教える。
「オーフィスだ。京都で曹操の体に表出した聖書の神の意識と話したんだってな」
「……お喋りな奴だ。もう少し口を固くして欲しいもんだが……聖書の神についてだったか。会って来たよ、直にな」
「何が目的だったんだ?」
「色々と、だ。魔術関連の事は分からないだろう。『神上』って単語が何を差すのかわからないなら、理解は放棄した方が良い」
それ以外にも話したが、アザゼルに対して教える義理など存在しない。次代の神を創りだす思想はともかく、聖書の神の行動はアザゼルも興味を持つだろう。
だが、その結果が一誠だとすれば、どんな行動を取るか分かったものでは無い。
所詮は堕天使。天を裏切った者たちでしか無いのだ。その行動や思想が認められても、根本的な所で信用が出来ない。
魔術師として、少なからず十字教を知っている一誠は、余計にそう思ってしまうのだ。
「『神上』、ね……イヴァンの奴が知ってたら良かったんだがな」
生憎と、既にプリシラに殺されている。死人に口なしとはよく言ったものだと一誠は思う。
話している内にルフェイが近づいてきており、嘆息して話し出した。
「本部から正式に通達がありました。『ヴァーリチームはクーデターを企て、オーフィスを騙して組織を自分のものにしようとした。オーフィスは英雄派が無事救助。協力したと思われる魔術派を含め、ヴァーリチームを見つけ次第始末せよ』──だそうです」
驚くアザゼル達を後目に、一誠は動揺すらしなかった。
こんなものは幾らでも予想出来た。現時点で動けない事を鑑みれば、今のうちに正義が自分達にあると告げてしまえば、こちらが何を言っても『裏切り者の戯言』で済む。
相変わらず人心掌握には余念の無い奴だ、と呟く一誠。
残して来た魔術派の面々が気がかりだが、研究自体は知られた所で問題無い。どのみちあれは一誠には関係無いものが大半で、オーフィスとグレートレッドに関する研究資料の殆どは一誠の手にある。
殺された所で、一誠にとっては打撃になり得ないのだ。
「英雄派に狙われた上、オーフィスの願いをかなえようとした二天龍とその関係者全員がやられたわけか。難儀だな」
がっくりとうなだれたルフェイ。一誠の隣の席に座った彼女は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私達はただ、グレートレッドさんをはじめとした世界の謎や、伝説の強者を探し回ったり、オーフィスさまの願いを叶えていただけなのですが……英雄派の皆さんは、力を持ちながら好き勝手に動く私達が気に入らなかったようです。特にジークフリートさまは私の兄の事をライバルだと思っていて、その兄がヴァーリチームに来たので、余計に……」
「俺達魔術派は基本的に『力の無い』グループだったからな。俺とプリシラを除けば、英雄派の構成員でも難無く殺せる雑魚ばかりだ」
なにせ、殆どが研究職なのだ。ある程度は自衛の手段を持つとはいえ、禁手まで至った英雄派の構成員相手に闘えるとは到底思えない。
その分、プリシラと一誠の強さが異常なほど高いのだが。
「グレートレッドに関しても、俺は情報を得てる。後は確証さえつかめれば……といったところか。オーフィスに関してもそんなところだな」
なにせ、京都で少しだけヒントを得られた。
オーフィスの事を『単体で存在する特異点』と称したグレートレッド──ならば、グレートレッドはその対象的存在となるだろう。
どちらにせよ、詳しく調べるにはもう少し情報が必要だ。
「……と、噂をすればなんとやら、か」
オーフィスが戻ってきた。何をしてきたのかは知る由もないが、感じられる力は一誠よりも強い。
この階層を見て回ると言い、一人で歩き回っていたオーフィス。それが、今になって戻って来たのだ。
「で、具合はどうだ、オーフィス」
「弱くなった。我、全盛期の二天龍より一.五倍くらい強い」
「そいつは……弱くなったな」
元々は無限を体現した存在と言うだけあって、誰もが手出しできないほどの実力を備えた化物だった。それが、三大勢力が結集して事に当たれば討伐出来る二天龍より一.五倍強い程度となれば、弱くなったとも言えるだろう。
しかし、それでは些か腑に落ちない。
曹操は今のオーフィスの事を「搾りかす」と蔑んだが、これだけの力が残っていればどうとでも出来る。力を奪う途中で一誠が乱入したとはいえ、力の大半は持っていかれた筈だと言うのに。
「曹操、多分気付いてない。我、サマエルに力取られる間に蛇にして別空間に逃がした。それ、さっき回収した。だから今は二天龍より一.五倍強いくらい」
「なるほど、あの野郎はまんまとはめられた訳だ……良い気味だな。オーフィスを舐め過ぎだ、曹操め」
この階を回ってくると言ったのも、別空間に逃がした蛇を回収するためだったのだろう。
しかし、それでもオーフィスは出られないと言う。
一誠はそれを聞いて、一つだけ心当たりがあった。
「『絶霧』の禁手だろう。ゲオルクがオーフィスを捕えるための術式を書きこんだんだ。ルフェイ、お前と黒歌でどうにか出来ないか?」
「少々難しいかと。魔法だけならともかく、最近は魔術の術式も混ざってますので……」
「魔術に関しては俺がやるが、穴を開けるのが精一杯だろうな」
一誠には魔法の知識が、ルフェイと黒歌には魔術の知識がそれぞれ足りない。基幹となる部分は魔法を用いているのだろうが、ところどころで魔術を用いて結界を強固にしている。
本来、魔法とは頭の回転や計算力を必要とする。──そこだけを取り出してみれば、かの世界の『超能力』に通じるもモノがあるが、それはまた別の話なのでおいておくとして。
魔術は『この世界とは別の法則を無理矢理適用させる』ものだ。宗教防壁さえ存在すれば誰でも使える異能の力。
方向性さえ決めてしまえば、手間のかかる魔術でも『絶霧』で代用する事で時間を短縮できる。魔術を使うにあたって、『絶霧』の存在は非常に大きい。
なにせ『絶霧』の能力を用いれば、術式や星の並びまで事前に準備した状態で闘う事が出来る。魔術師にとって、このうえない最良の神器だ。
科学的に星の並びを再現するプラネタリウムなどと違い、確かに魔術的効果を発揮するのも確認している。本物には程遠かったが、発動するだけ良しとしておくべきだろう。
「出られるのは多くても二人か三人。外に英雄派の構成員が待ち構えているかもしれないから、そこそこ実力のある奴らが外に出る必要がある」
「采配をどうするか、ってのが問題だな。つーか、お前さえいればこっちの問題はあらかた片付くんじゃねぇか?」
「そこまで万能を自称したつもりもないが。ここにいる面々を守りながら死神の相手をしろ、というのなら不可能じゃない」
「……とすると、イリナ、ゼノヴィア、それと朱乃だな。戦闘力に関しては何の問題も無いし、サーゼクスとミカエルに英雄派の真意とハーデスのクーデターを伝える必要がある。ゼノヴィアはエクス・デュランダルの修理もして貰うと良い。かろうじてデュランダルの力は使えるだろうが、余り無茶はするなよ」
「よし、それじゃあその面子は手早く準備をしてくれ」
椅子から立ち上がり、ルフェイと共に別室へと向かう。
「反撃の狼煙をあげろ、ってな。俺を甘く見た事を後悔させてやるよ、曹操」
ぞっとするほど冷たい事で、小さく呟く一誠。──その声は、誰にも聞こえる事は無かった。