第六十六話:反撃の狼煙
ホテルの一室の窓から外を見る。
漆黒のローブを纏った骸骨達が、眼球の無い目でぎらぎらとした眼光を輝かせている。敵意や殺意、悪意といったものに塗れているのだ。
死神は下級の者でも中級悪魔に匹敵する力を持つ。更に、死神の鎌に斬られると生命力などが削られてしまう。
オーフィスでさえ、有限となった今は死神の鎌に斬られるといずれ死んでしまうだろう。かなり力が削られた今、その力を奪われると問題は更に肥大化する。
これ以上ハーデスの好きにさせる訳にはいかないのだ。
「この結界を破壊する方法は三つ。ゲオルクが自分で解除する。ゲオルクを倒すか、ゲオルクが作った結界装置を破壊する。強制的に出入りする。三つ目に関してはルフェイと黒歌、俺でそっちの三人を転移させる。二度目は無い……正確には三度目、だったか」
一誠が指差した先には、イリナ、ゼノヴィア、朱乃が準備を終えて待機していた。
強制的に転移する方法も、一度はヴァーリとフェンリルを入れ替えて転移させたために、今回の二度目が終われば恐らく不可能になる。
ゲオルクとて、それなりの術者だ。二度もやられれば結界を強化する。三度目は無いと思うのが通常だ。
「結界装置に関してはルフェイに探って貰ってるが、壊す役割が問題だ」
『絶霧』の禁手によって創られた結界装置はその結界の中心だ。それを破壊してしまえば、結界は自然と消滅してしまう。
ルフェイは術式を使って瞑目しつつ場所を探査し、ホテルの見取り図に丸をつけて場所を示した。
「ホテルの屋上に一つ、ホテル二階のホール会場に一つ、駐車場に一つの計三つが確認出来ました。それらは尾を咥えた蛇……ウロボロスの形の像です」
オーフィスを捕えるための結界だからか、随分と趣向が凝っている。
しかし、結界装置が三つも用意されている時点で、相当大がかりに準備したと言う事が分かる。
しかも、結界装置の周りには多数の死神がいる。数としては駐車場が一番多いため、そこにある結界装置が一番重要なのだろう。
部屋の外にも随分な数が群がっており、非常に鬱陶しく思っていた。
「曹操が居ない代わりにジークフリートがいるようだ。ゲオルクは残ってるらしいが……甘く見過ぎだな」
一誠が窓の外を見ながらぽつりと呟く。
事実、英雄派が何人来ようと今の一誠の敵では無い。そう思っている所に、イリナが疑問の声を上げた。
「イッセー君なら一人で勝てるの?」
「まぁな。ただ、結界装置を破壊するのは面倒だ。俺がやると結界そのものまで破壊しかねない。無理矢理引き裂くとどうなるかは、さっき説明しただろ」
次元の狭間に放り出される。元々そんな無茶なこと自体不可能に近いのだが、一誠ならやれてしまうだろう。オーフィスもまた然り、だ。
ある程度威力を抑えた上で広範囲を巻き込む攻撃。そんな都合の良い物は一誠には無い。
威力が上限突破し過ぎているのだ。対象を死神にした聖なる右なら、ある程度力を抑えた上でどうにか出来るかもしれないが──超巨大な剣を振るう事は不可能に近いだろう。さっきは大丈夫だったが、あれはあれで相当結界にダメージを与えている、二度目は無いと考えた方が良い。
以前シャルバ相手に使った時も、『竜王の吐息』を連続で使用して結界を引き裂き、崩壊寸前までいっていた。直後にゲオルクが結界を修復して事なきを得たが、今回はそんな事をするとも思えない。
ハーデスの頼みでオーフィスを捕えようとしているとはいえ、英雄派がそれに素直に従うとも思いにくい。その上、ハーデスなら次元の狭間からでもオーフィスを連れだす事は可能だろう。
「……まぁ、ちょっと待ってろ、屋上と二階のは手早く破壊して来てやる」
「破壊してくる、って……まさか、一人で行くつもりなの?」
「一人で十分だ。ルフェイ、俺が出て行ったあとで結界を強化しろ。上から下まで移動するのが面倒だが、十分もあれば大丈夫だろう」
「分かりました。お気をつけて」
ルフェイの言葉に手をひらひらと振って答え、階段で結界を壊そうと奮闘している死神を爆炎で吹き飛ばす。
「お前等は駐車場の連中を相手してやれ。因縁があるんだろ」
襲いかかる死神を焼き殺し、一誠は悠然とした部屋を出て行った。
●
「とはいえ、上にいって下に行くと言うのも面倒極まりない」
『俺を実体化させてもいいが、それだとホテルごと吹きとばすことになるからな……』
脱出用の魔術は既に準備しておいたため、ルフェイがなんとかやってくれるだろう。黒歌ともども、魔法方面に関しては十分信用できるだけの力を備えている。
ヴァーリとて、やられっぱなしでは気が済まないだろう。一誠個人としては神器さえ回収できれば文句は無いので、好きなようにやらせてもいいと考えていた。
それよりも、現状としてはこちらの方が問題だ。
上って下りるか下りて上るかは重要ではないが、後々駐車場に攻め込む事を考えると下の方を後回しにするのが良いかもしれない。
「……面倒だな」
正確な位置が分からない為に遠距離砲撃は使えない、しかも使うと結界に多大なダメージを与える。
ならば、こういう時にこそ神器の力を使うべきだ。
「アクセス──
辺りの死神を焼き潰した後に目を瞑り、自身の魂とリンクしているシステムへとアクセスする。
目的は自分の持たない神器の利用だ。全ての神器と繋がるシステムを掌握している以上、神器を使えるのもまた当然。
故に、この場においてはもっとも効果的なものを選択する事が可能となる。
「エルシャ、ベルザード」
「はいはいっと」
「……」
使用したのは『魔獣創造』。しかし、魔獣と名がついていた所で結局は使用者の想像力に依存する創造神器だ。形として人間を創造することもまた不可能ではない。
とはいえ、それなりに力を消耗するのもまた確か。エルシャとベルザードが人間だった頃よりも力は強まっているだろうが、その分一誠が疲弊している。
手元に本体がある訳では無いので、特殊な術式も付与できていない。
「赤龍帝の力も使える筈だ。二人は屋上にある結界装置を破壊してくれ」
「分かったわ。……でも、まさかまた自分の足で立てる日が来るなんてね。貴方といると本当に驚かされてばかりよ」
「退屈しなくて済むだろ?」
「そうね。じゃ、行きましょ、ベルザード。ドライグの力も借りて行くわね」
手早く禁手状態へと移行し、天井を突き破って屋上へと向かう二人。多少疲弊したが、一誠もそれを気にかけずに階下へと向かう。
襲いかかる死神など相手にするまでも無く、右手に持った霊装から魔導書の知識を動員させて滅ぼした。加減など不要。火力においては誰にも負ける事は無いと自負している一誠だからこそのやりかただろう。
まぁ、ある程度威力の低い物を使用しているのは確かだが。
魔力によって構成されている炎は対象以外のモノを燃やさない。二次災害でホテルを炎上させてもこちらに得は無いのだから、ある意味では当然と言える。
迫り来る刃を紙一重で避け、突如として発生した炎で焼き潰す。左手には炎剣を構え、右手の霊装は依然として輝いたまま魔術を発動させ続ける。
二階のホール会場には所狭しと死神が並んでおり、殺意に塗れた眼光が一誠を貫く。
「……邪魔だな──『硫黄の雨は大地を焼く』」
空中に突如として現れたオレンジ色に灼熱する矢の様な物の雨。それは一つや二つではきかず、吊り天井を彷彿とさせるほどの数を以て死神へと襲いかかった。
蹂躙される者、あるいは味方を盾にして防ぐ者。
まだそこそこ数は残っているが、場を乱す事には成功した。続いて放つのはウロボロスの像を破壊する為の魔術。
「『
赤黒い閃光が連なる死神を貫いて像を砕き、同時にホテルが揺れる程の振動が外から伝わってきた。
恐らくはオーフィスだろう。あの中にいる面子でこれだけ滅茶苦茶な事をやれる者はいなかったはずだ。
爆風が衝撃波と化して窓硝子を一つ残らず叩き割っている。丁度いいので窓際に寄って駐車場の様子を見てみると、今ので少なくない数の死神が消し飛んだらしい。
「オーフィスの奴、えげつないな……」
『何の為に相棒が力を抑えてると思ってるんだかな』
「……いや、これはある意味朗報か? オーフィスの攻撃に耐えられるなら、俺の攻撃にも……だが、オーフィスは今のところ力が落ちているし、この結界はオーフィスを逃さない為の結界だ。オーフィスの攻撃に対して耐性を持つと言って良い。空間自体にも大分ダメージを与えているようだし、やり過ぎるのは危険だな」
対象を死神にした聖なる右を一度だけ振るい、全ての死神を消し飛ばす。壁も吹き飛んだが、まぁその辺は気にする事もないだろう。
直後に天井を壊してエルシャとベルザードが現れ、禁手を解いて話し出した。
「死神と闘ったのは初めての経験だけど、そんなに強くないのね。装置はちゃんと破壊して置いたから、大丈夫よ」
「感謝するよ、エルシャ、ベルザード」
「気にしなくていいわ。死人に鞭打つやり方だけど、私達も久々の外だから。二度と出れないと思っていた分、これは大きいわよ」
「……そうか」
「ええ。だから、機会があったらまた呼んでね」
エルシャは笑いながら、ベルザードは相変わらずポーカーフェイスのまま姿を消していく。
精神──魂の残滓がドライグの中に戻ったのだ。
「さて──駐車場の方はどうなってるかな、と」
窓枠に足をかけ、一誠は気軽にそこから飛び降りた。高さは二階分なので、一誠にとって苦もない。
●
駐車場は悲惨な有様だった。
辺りは瓦礫の山で、粉塵が舞っている。オーフィスの攻撃があったのも大きいが、ヴァーリが大暴れしたのだろう。
一誠は粉塵が舞っているのを見て嫌そうな顔をして、魔術による風で粉塵を吹き飛ばす。その中から出てきた死神が大ぶりで鎌を振るうが、一誠は気にする事無く一歩を踏み出した。
一誠の周りには三本の剣が滞空している──『豊穣神フレイ』の剣だ。
北欧神話において、神と武具というのは共に負けるのが普通だが、フレイの剣は一度も破れたことが無い。それほどの力を持つ剣なのだ。
自動的に宙を舞い、確実に敵の息の根を止めてくれる武具。
それは近づいてくる死神を次々に切り裂き、一誠の歩みを止めさせることは無い。
「やあ、久しいね、フィアンマ」
「ジークフリートか。曹操の次にお前とはな。ジャンヌは元気か?」
「君が敵対したと聞いて落ち込んでいるよ。君に味方しようとしたみたいだけど、頑張って説得したさ」
そうか、と一誠はさして興味も無さそうに返答し、ジークフリートは苦笑する。
「説得されるって事はその程度って事だ。どの道、あれは要らん」
「辛辣だね。──さて、お喋りもここまでにして、君には彼らの相手をして欲しい所だけど──」
音も無く集まってくる死神たち。他の面々が闘っている者に比べると、ローブや鎌の意匠が凝っている。中級クラスの死神なのだろう。
とはいえ、一誠にとっては下級も中級も同じようにしか思えないのだが。
「雑魚に用は無い」
右腕を一度だけ振るい、ジークフリートごと群がってきた死神を消し飛ばす。相対的に力を発揮する聖なる右の対象は死神の強さだった為、ジークフリートはダメージを受けても死んではいない。
木場と因縁のある相手だと一誠も分かっているため、木場に目配せして相手をさせる。
さてどうしようかと思った刹那、空間にゆがみが生じ──一体の死神が姿を現した。道化の仮面を被り、どす黒い刀身の鎌を携えて。
<死神の事を舐めて貰っては困ります>
そういう死神は、他にいる死神とは格が違うと思わせるだけの威圧感がある。
「お前は……」
<はじめまして、今代の赤龍帝。私はハーデス様に仕える死神の一人──プルートと申します>
「へぇ、最上級死神のプルートか。伝説級の死神を寄越すとは、あの骸骨野郎も舐めたことしてくれたもんだ」
<テロリストの首領たるオーフィス、グレモリー眷属、堕天使の総督と共に同盟勢力を内側から崩そうとしました。それは万死に値します>
「……なるほど、そう言う風に筋書きが出来あがっている訳か」
<今のところは、まだ理由づけが必要ですので。──さて、私は先程の死神達とは格が違いますよ>
姿が消える。余りに早過ぎて動きを捕えられないほどの速度で動いているのだ。咄嗟に禁手化して身体能力を引き上げ、プルートに対応する一誠。
一誠の首を狙って振るわれたどす黒い鎌は、しかし紙一重のところで避けられる。
見切りに特化して修練した一誠の眼は、アザゼルをも上回る速度であっても見切る事は不可能ではない。とは言っても、かなり体に負担をかけているのだが。
「アクセス──神器システム」
プルートがそのままの速度で再度振るった鎌を、一誠は右手に現れた槍で受け止める。
<──ッ!? その槍は!>
「正解、『黄昏の聖槍』だよ」
動揺した一瞬の隙を突き、聖槍のオーラを解放してプルートを弾き飛ばした。しかし、動揺したのはプルートだけでは無く、その場にいるもの全員。
神器は一人につき一つ。一誠の神器は『赤龍帝の籠手』であって『黄昏の聖槍』では無い。しかも、持ち主である曹操は未だ生きている。
ならば、何故──と、全員が疑問を持った。
その中で、唯一神器に詳しく、一誠が今まで何をやっていたのか知っているアザゼルは、驚愕の表情で問いを投げる。
「お前……まさか、聖書の神に会ったってのは」
「聖書の神から神器システムの管理権限を貰って来た。慣れて無い分、使うのはちょいとキツイがね。ま、この程度なら問題ないだろう」
ついでに禁手も出来ないが、その辺は特に気にする事も無い。
こういうものは使わなければ慣れないのだ。今後の事を考えれば、出来るだけ早く使いこなしておいた方が都合が良い。
実践こそが何者にも勝る修練だ。
聖槍を右手で軽く回し、状態を確かめて「よし」と呟く。
「さぁ、来いよプルート。曹操とはまた違う、聖槍の使い方って奴を見せてやる」
<ふざけた事を……貴方の話からすれば、それは使いなれた武器ですらない筈。禁手どころか使いなれた武器ですらないのに、私に勝てるなどとは努々思わない事です>
プルートの高速移動は確かに脅威だ。アザゼルを超えるだけの速度を叩きだすのだから、一誠でも籠手を禁手状態へ移行しなければ対応できない。
しかし、それは所詮速度に限った話に過ぎない。
攻撃を見切れると言う事は、動きを捉えられると言う事。
どれだけ速度を上げようと、鎌という武器を使う以上は最後に一誠の至近距離に来なければならない。ならば必然、闘い方はカウンター狙いということになる。
それをプルートも分かっている以上、慎重になりつつも背後から一誠の首を狙って鎌を振るう。
「確かに使いなれた武器じゃあ無いが──そもそも、俺は武器なんて使う闘い方をしないんだよ」
自然体のまま、プルートの鎌は吸い込まれるように一誠の首へと振るわれ──その直前で、一本の剣に受け止められる。
<何──ッ!?>
「フレイの剣。これは武器じゃ無い、魔術だ」
聖槍はブラフ。本命はやはりと言うべきか、魔術によるものだ。
新たに二本出現したフレイの剣を巧みに避けるプルートだが、そこは未だ一誠の射程範囲。逃れる事など出来はしない。
ゴッッ!!!! と。
数百数千とある爆音が一度に発生した──と、勘違いするほどの間隔の短さで次々に炸裂した為、総体として一つの音のように聞こえてしまう。
何かが見えた訳ではない。
何かを感じた訳ではない。
しかし、確かに強烈な力が発生し、プルートは直にそれを浴びて吹き飛び倒れ伏した。それだけは、何物にも変え難い事実だ。
──直撃した以上、肉体がまともな形を保っているとも言い難い。
最早、ホテルの壁にぶつかったそれは、プルートと呼ばれていたただの肉片でしか無い。
「……駄目だ、やっぱり未だ辛いな。魔術の調整もシステムを使う『慣れ』も、もうしばらくかかりそうだ」
息をつき、汗を腕で拭う。
実践で試すのは些か無謀だと思わなくもないが、聖なる右さえあればどうにでもなる。それを人は慢心と呼ぶのだろうが、一誠にとってそれは確信と言えた。
聖槍を消し、僅かに乱れた息を整えて辺りを見回す。
ジークフリートに手傷を負わせた木場、死神の大半を潰したアザゼル達、ゲオルクと相対するヴァーリ。
ゲオルクは神器を使用して更に死神を召喚しており、かなりの数の死神に囲まれている。これだけの物量では、如何に質が高くとも削られ続けていずれ死ぬ──ジークフリートは笑いながらそう告げた。
とはいえ、一騎当千の二天龍相手にその程度の物量で勝とうなどとは無謀にも程がある。
「下がれよ、お前等。一撃で消す」
多少結界にダメージが行くが、気にし過ぎるのも考えモノだ。ようはやりすぎなければ良いだけの話。
その程度の加減は、一誠にも出来る。
ヴァーリ達が後方に下がったことを確認して、群がる死神達を一撃のもとに粉砕する。聖なる光に包まれて消えていき、残るのはジークフリートとゲオルクのみ。
しぶとい事に、駐車場の結界装置はゲオルクが結界を重ね掛けしているため、先程の攻撃では壊す事が出来なかった。
「……不味いな。相手が悪過ぎる」
「そもそも、俺の右腕の事を知ってた上でやろうとしてたんだろうが。多少殺される覚悟くらいしておけ」
一誠を敵に回すと言う事は、そう言うことだ。
ジークフリートの顔に苦渋の色が浮かんだその時──。
「……なんだ、あれは」
結界空間内に奇妙な音が響き始める。この音は空間に穴が開く時のモノだと一誠が判断した時、それは現れた。
ジークフリートたちさえ訝しげな顔をしている。英雄派もこれは想定外の出来事なのだろう。
現れたのは、軽鎧とマントで身を包んでいる一人の男。その男は、一誠とジークフリートの間に降り立った。
「久しいな、赤龍帝。──それと、ヴァーリ」
一誠と、一誠の後ろにいるヴァーリを睨みつけながら男は言った。
「シャルバ、だと……? お前、確かに殺した筈なんだがな」
「ハーデスの協力で生き残ったのだよ。オーフィスの蛇を無くし、多少はパワーダウンしたがね」
「なるほど、あの死にぞこないめ、随分と俺のイラつく事をやってくれる……それで、てめぇは何の用だ」
「なーに、宣戦布告をと思ってね」
シャルバのマントの内側から姿を現したのは、英雄派に属する少年──『魔獣創造』の持ち主、レオナルドだ。
ただ、レオナルドの瞳は濁っており、自分の意識を保っていないように思える。操られているのだろう。
「レオナルドは別作戦についている、と言っていた筈だが……お前のことだ、どうせ何かしらの術を使って無理やり連れて来たんだろう」
「少しばかり協力して貰おうと思ったまでの事。──このようにな!」
シャルバが禍々しいオーラの小型魔法陣をレオナルドの頭につけ、展開させる。すると、悪魔文字が高速で動くと同時にレオナルドが叫び声を上げる。
「うあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
絶叫を上げ、苦悶の声を上げ、酷く苦しそうに頭を抱える。
それと同時にレオナルドの影が広がって行き、遂には結界内部全域を覆う程の規模となった。
その場で空中に浮かび、シャルバは哄笑し始めた
「ふははははッ! 素晴らしい、これが神滅具の力か! その中でも『魔獣創造』はやはり理想的な力だ! しかも彼はアンチモンスターを作るのに特化している! 英雄派の別動隊から攫ってきた甲斐があるというものだ! 多少構成員に邪魔されたので殺してしまったが、そんな事は些事でしか無い! さぁ、それでは作って貰おうか! 現悪魔どもを滅ぼせるだけの力を持った怪物をッ!」
レオナルドの影から、巨大な──それこそ二百メートル程度の大きさがあるのではないかと思えるほどの巨体が姿を現す。
気味の悪い構成をした二足の怪物。それを、百メートル規模の化物を次々と創造していく。
『ゴガァァァァァァァァァァァァァァッ!!』
叫びを上げるそれは、突如として足元に現れた魔法陣に沈んでいく。──シャルバの使用した転移魔法陣だ。
「フハハハハハッ! 今から、こいつらには冥界で思う存分に暴れて貰う予定だ! これだけの規模を誇るアンチモンスターだ! さぞかし多くの悲劇を作り上げてくれる事だろう!」
狂ったように笑い続けるシャルバを、一誠は酷く冷めた目で見ていた。
復讐者の目をしている、シャルバを。
「止めろォォォォォォォ!!」
アザゼルの叫びと同時にリアス達が同時に攻撃を始めるが、一誠は動こうともしない。
これで冥界が滅ぼされるならそれまでの事。一誠にとって、悪魔と堕天使が住む冥界は殲滅対象だ──それが、プリシラの願いでもあったのだから。
夢半ばで倒れた彼女の遺志は、上に立つ者として叶えねばならない。
シャルバの方法に乗るのは癪だが、これで冥界にダメージを与えられると言うのは事実。
故に、一誠は動く事は無い。
攻撃もむなしく、転移魔法陣の中に消えて行ったアンチモンスターたち。それと同時に、この結界空間も音を立てて崩壊し始める。
それを確認して、ゲオルクがジークフリートへと叫ぶ。
「装置がもう持たん! シャルバめ、キャパシティを大きく超える無理な能力発現をさせたな!」
「……仕方ない、頃合いだ。レオナルドを連れて撤退を──」
「させないさ」
ゴッ!! と、強烈な衝撃と共に弾き飛ばされるジークフリート。
右手に霊装を持ったまま、気絶して倒れているレオナルドの胸へと手を置く一誠。それが何を意味するのか、ゲオルクは察したのだろう。叫び、止めようとする。
「止めろ! それを抜けば──!」
「抜けば、なんだ? お前らだってテロリストで、俺を裏切ったんだろう? なら──こいつは、俺が貰って行く」
引き抜いたのは神器──『魔獣創造』。
それを自身の胸へと収め、ちゃんと機能する事を確認してシャルバの方へと視線を向ける。
けじめだ。あの男だけは、この手で殺さなければならない。かつて一度裏切り、プリシラを殺そうとした屑は、殺さなければ。
一誠が視線を向けた先には、オーフィスへと悪魔文字を使った術式の縄を使い、捕えている所だった。
──どこまでも、俺の癪に障る野郎だ。
ジークフリートたちが撤退するのを視認した後、一誠はシャルバの方へと近づいていく。
「フハハハハハハッ!! これはいい! オーフィスは今、力が不安定で私でも捕えられると! このオーフィスは真なる魔王である私に協力した者への手土産だ! パワーダウンした私にもう一度『蛇』も与えて貰う! いただいていくぞ!」
「させるか!」
ヴァーリが魔力弾を放ってシャルバを撃墜しようとするが、強力な防御の魔法陣の前に消えていく。やはり、まだ本調子ではないのだろう。
狂気に包まれた表情のシャルバは、ヴァーリを指差しながら笑い続ける。
「これは呪いだ! 私自身が冥界の、悪魔の毒となり、アンチモンスターと共に冥界を滅ぼす! 最早覇権も支配もどうでもいい! 私を拒絶した冥界など、私を拒絶した悪魔等、滅びてしまえば良いのだ!」
「シャルバ・ベルゼブブ……ッ!」
アザゼルが苦々しげにその名を呼ぶが、当人は聞こえてすらいない。
後方で待機していた黒歌が叫ぶ。
「このフィールドはもう限界にゃん! 今ならまだ転移は可能だろうから、魔法陣を展開するわ! それで皆ここからおさらばするよ!」
そう言う黒歌の元に集う面々。間に合わないと判断したのか、アザゼルも。
唯一人、ヴァーリだけは禁手のマスクを外して一誠の方を見ている。
「……行け。俺がやる」
「……分かった。任せたぞ」
それだけで十分だったのだろう。ヴァーリは黒歌の元へと走り、転移の魔法陣を輝かせ始めた。
たとえこのまま次元の狭間に堕ちたとしても、一誠ならば大丈夫だ。それに、一誠自身も転移の魔術が使える。何も、問題は無い。
そうして、二人だけがこの空間に残った。
「兵藤、一誠──ッ! 貴様は、また私の前に立ち塞がるのか! あの時も、私のプライドを粉々に打ち砕いた天龍がッ! また私の前に!」
「五月蠅いんだよ、蝿風情が。俺はさ、お前に一つだけ言いたい事がある訳だ」
「真なる魔王の血を蔑ろにするのがそこまで楽しいか!? どうせ貴様もオーフィスにとりいって力を得ようと言う魂胆なのだろう!」
一誠の話を聞くでも無く、血走った眼でただ狂気に毒されたように話し続けるだけのシャルバを見て、一誠は悟る。
これは、もう駄目だ、と。
何を言っても聞きはしない。最後にプライドの一つでも叩き折ってやろうかと思ったが、この男には折るべきプライドすら存在していない。
この場にいるのは、ただ言葉を喚き散らすだけの害悪でしか無いのだと、そう認識した。
「『魔獣創造』の外法によって創られしアンチモンスターが冥界を滅ぼす! その力を使えば、貴様とて殺して見せる!」
「──お前さ、五月蠅いよ。ぶんぶんと蠅みたいに五月蠅い。──もう、良いよ。死ね」
ゴッッッ!!!! と、聖なる右の一撃が結界空間内を埋め尽くす。
ただ一度腕を振るだけ。それだけで、シャルバは跡形もなく消え去った。
初めからこうしておけばよかった。無駄に高いプライドを粉々に砕いてやろうとしたのが間違いだった。
「イッセー」
「……オーフィスか」
崩れゆく世界。オーフィスを連れ、ホテルの一室に横たえてあるプリシラの遺骸を抱きあげ、立ち上がる。
人のぬくもりの無い冷たい肌。死後硬直によって動く事の無い肢体。胸に開けられた穴が酷く痛々しい。
「……せめて、ちゃんとした所に埋葬してやりたいところだな」
曹操が向かったのは英雄派のアジトの一つだ。一度目に吹き飛ばした際、探知用の魔術を仕掛けて置いた。
オーフィスの力をサマエルが奪ったからと言って、それがサマエルの中に留まる訳じゃない。どこかへと送る必要がある筈だと一誠は思い、仕掛けたのだ。あの場所で曹操を捕え、聞きだしても良かったが──奴とは、きちんとした場所で決着をつけたい。
プリシラを殺し、オーフィスを害し、イリナを殺しかけたあの男とは。
もっと良い場所で。
もっと良い舞台で。
足手纏いもおらず、最大の力を振るえる場所で。
恐らく、曹操が向かった場所にこそオーフィスから奪った力がある。それを回収し、オーフィスを完全に戻す必要がある。
次こそ、手加減の必要も無く殺せる。
瓦礫がや風景が次元の穴に呑みこまれ、ホテルは倒壊していく。その一角で、一誠はゆっくりと歩みだした。