第七十話:英雄の末路・前篇
冥界の空が夜に染まる。
その異常事態に、『超獣鬼』と闘っていたルシファー眷属の『女王』グレイフィアは目を見開く。
空が黒く染まったことに、ではない。
空から飛来する謎の存在に対して、だ。
そのシルエットは背中から水晶のような翼を生やしており、凄まじい速度で飛行している。こうして見ている今もなお、そのシルエットはグレイフィア達の方へと近づいてきている。
翼を生やし、頭の上にわっかを浮かべるその姿は──まるで、天使のようだとグレイフィアは思った。
「pvjkrts殲滅p/;czefyukeh」
言葉が
そもそもにして音の聞こえ方からおかしい。音源の方向そのものがずれている様な、不自然な音の広がり方をしている。
しかし、問題はそこでは無かった。
空に浮かぶ月を背に現れた
「──ッ!?」
サーゼクスの『女王』として、凄まじいまでの実力を誇るグレイフィアでさえ冷や汗を流す一撃。ギリギリで避け、直線状に居た『超獣鬼』の一部をいとも簡単に吹き飛ばし、肉塊と変える。
それだけの攻撃力を持つ翼が──およそ百以上。
長さこそ不揃いだが、あの射出速度は驚異的だ。視線を外せばそれだけで背中を撃ち抜かれかねない。
『超獣鬼』本体に加え、『超獣鬼』が生み出し続ける無数の魔獣達を相手にしながら、あの異形の天使を相手にするなど正気の沙汰ではない。まともな手段で戦ったとしても、消耗戦で削りきられる。
攻撃を受けた『超獣鬼』は雄叫びを上げ、敵意を以て天使へと攻撃を仕掛ける。
「──ryxos愚劣cowmakl」
同時に射出される複数の翼は瞬く間に『超獣鬼』を削り取って行き、再生速度を超える速度で肉塊へと変えていく。
いや、これは。
(……『超獣鬼』が、再生
本来攻撃を受けた部分から高速で再生する力を持つ『超獣鬼』は、同時に多数の魔獣を生みだしつつ侵攻する事を含めて相当な危険度を誇っていた。
しかし、再生しないと言うなら難易度は劇的に下がる。それだけ、この巨体での再生能力は厄介なのだ。
あの天使がどんな存在かは知らないが、余りにも常識外れに強過ぎる。再生を阻害する為の術式を付与されているのかどうかは知らないが、ルシファー眷属の総力を以てしても足止めしか出来ない程の魔獣を相手に、こうも一方的に攻撃している時点でまともでは無い。
それこそ、水や氷を使う事を得意とする魔王であるレヴィアタンよりも威力は高いのだ。
『ゴァァァァァァァァァ!!』
怒り狂った『超獣鬼』は、牙むき出しの口内から膨大な量の爆炎を生みだし、放った。
しかし、天使はそれを気にする事無く翼を振るう。更に、右手を空に掲げたかと思えば──上空に魔法陣が展開された。
規模を縮小し、準備時間を短縮し、連続して放つ事を可能とした魔術──『神戮』だ。
「不味い! 全員、離れてください!」
一目で上空に展開された魔術の「不味さ」を理解したグレイフィアは、その場に居るルシファー眷属全員に退避するよう呼び掛ける。
展開された範囲は狭い。ギリギリではあるが、範囲から逃れられた。
そして──流星が炸裂する。
「
夜空が瞬いた。
半径一キロ圏内に絞り、凄まじい勢いで『超獣鬼』という存在を削り取っていく。一つ一つが膨大な力を持ちながら、数千万という莫大な数で。
それでもなお死なない。『超獣鬼』は残った部分を基として、再生するのではなく新生する事を選択する。
傷が治らないなら新しく作り出せばいい。無事な部分から徐々に作り上げられていく身体は異様の一言に尽きたが、天使はそれさえも纏めて潰しにかかる。
青い光が輝く。
魔法陣が二度目の射出を準備する。
何度でも、何度でも、相手が死ぬまで投下し続ける。辺りに衝撃波が飛び散る事など最初から気にしていない。
億単位で降り注ぎ続ける流星を浴びて、遂に『超獣鬼』はその動きを止め、活動を停止した。だが、それでも足りないとばかりに流星を降らせ続ける。
肉片さえも残さない。圧倒的な火力で大地ごと削り取った天使は、次の目標を見定める。
即ち──グレイフィア達を。
「──ッ!」
「不味い!」
咄嗟に前に出たサーゼクスの『騎士』沖田総司は、その高速の刃で以て天使に手傷を与えようとする。
しかし、『超獣鬼』の肉体を軽々と引き裂くほどの腕を持つ総司の力を以てしても、その天使には手傷を負わせられない。
同時に『兵士』炎狗や『僧侶』マグレガー・メイザースも動くが、ほぼ一瞬のうちに百を超える攻撃を捌く事を強いられ、近づくことも出来ない。
至近距離過ぎてグレイフィアも思うように力を使えず、歯がゆい思いをしていた。
どうにかして現状を打破できないかと考えていた刹那──上空の空間が歪み、何者かが姿を現す。
その存在感は余りにも強過ぎて、目の前の脅威を一瞬忘れるほど。大きさは『超獣鬼』の二回り小さい位だろうか。だが、威圧感と言う意味では『超獣鬼』の比では無い。
その存在は龍。
赤い鱗、巨大な翼、ぎらぎらとした眼。特徴的な個所を上げればきりが無い。
しかし、更に妙なのはその頭部。龍の大きさに目を奪われて分かりにくいが、そこに誰かが居る。
──強大な存在感を従えるほどの、誰かが。
天使はその存在を見つけると、総司達への攻撃を止めて龍へと──正確に言うなら、龍の頭部にいる存在の元へと飛んで行った。
「……なんだ、まだこんなものか。以外と粘ったな、こいつらも」
グレイフィアは知っている。この強大な力と姿を。
かつて『天災』と称されるほどの被害を三大勢力に与え、三大勢力の総力を結集してようやく神器に封印した二天龍の一角。
「何故……ドライグが……」
神器の封印から解き放たれたと言うのか。
ならば、その頭部に乗る者も誰かは見当がつく。今代の赤龍帝──兵藤一誠だ。
その男が、こちらを見ながら言葉を呟いた。
「──ここに天地位を定む。八卦相錯って往を推し、来を知るものは神となる」
空に一つの星が浮かぶ。天より飛来するその星は、一誠の意思を以て狙いを定め、敵を滅ぼさんと迫りくる。
「天地陰陽、神に非ずんば知ること無し」
「これは……」
グレイフィアが思わずと言った様子で声を上げる。
余りにも巨大すぎる。国一つ滅ぼそうとでも言うつもりなのか。ここで放てば、その影響は首都リリスどころか悪魔側の領域を舐めつくすほどの衝撃波が発生してしまう。
守らなければならない。サーゼクスが信頼して託したのだから、彼の『女王』である以上は死力を振り絞って向かわねばならない。
「計都・天墜」
流星が落ちる。
それは天使の放ったモノとは違い、途方もない数の流星が落ちるのではない。落ちるのはただ一つのみ。
しかし、その大きさが余りにも理不尽に過ぎた。故に、ルシファー眷属の死力を振り絞って止められるかどうかというところ。
桁違いの術を前に、臆することなく踏み出すそのさまは美しく、誰もが認める存在だ。
だが──相手が悪過ぎた、と言うしかない。
「滅べよ、悪魔。お前等はもう必要無い」
一誠の言葉など聞こえてはいないだろう。
全員が全力を以て、流星を打ち砕かんと動き──
●
大規模な振動が首都リリスを襲う。先程見えた巨大な流星が原因だろうと誰もが思うも、それを誰が放ったかまでは予想がつかない。
いや、エルシャは誰がやったのかわかっている様だった。
「また派手にやったわね……『神の力』もそうだけど、もう少し何とかならないのかしら」
殲滅するには広範囲攻撃が最も有効であるとはいえ、あれじゃあ死体も残らない。死亡確認が出来ないのだ。
まぁ、実際の所は確認する必要すらないと言う事なのだろうけれど。
「……グレイフィア」
「ルシファー眷属が闘ってたんだっけ。……酷かもしれないけど、諦めた方がいいわよ。あんなのまともに食らって生きていられるのなんて、普通いないから」
オーフィスなら大丈夫だろうが、神滅具所有者でもあれはまず防げない。『絶霧』で別空間に逃げるならまだしも、真正面から受け止めたり破壊する事はほぼ不可能だ。
故に、生存は絶望的。
リアスもそれを分かっているのか、拳を強く握るだけで何も言わない。
「さて……彼も来たし、私の役目もこれで終わりね」
視線の先には一体の龍が居た。赤い鱗を持つ巨大な龍だ。かつて見たグレートレッドと遜色ない程の大きさを誇っている。
龍の頭部には一誠がおり、『神の力』は何処かに潜む悪魔達を殺しに行かせたらしく、隣には誰もいない。
一誠が龍の頭部から飛び降り、エルシャの隣に降り立つ。
「……曹操は見つかったのか?」
「近くに居ることは間違いないわね。彼らの相手をしてれば、その内来るんじゃない?」
辺りに居る英雄派、グレモリー眷属、シトリー眷属を見る。唯一興味がありそうなのは神滅具を持つゲオルクくらいで、それ以外の者は敵としてすら認識する必要が無い。
「まとめてかかって来てもいいが、どうする?」
「……舐められたものだね。じゃあ、一番手は僕が行かせてもらおう!」
六本腕のジークフリートが動き、一瞬で一誠の懐へと潜り込む。そのまま右手に持った魔剣グラムを一誠の首へと振るい──
ギィン──! と金属的な音と共に、弾かれる。
「な……ッ!?」
「龍殺しの剣か。確かにドライグを宿す俺には通用するだろうな。……お前がもっと強ければ、って話ではあるが」
呆然とするジークフリートを蹴り飛ばし、ビルに直撃させて破壊する。
背後に控える龍──ドライグに向かって、一誠は呟いた。
「どう思う? お前はあれが通じるか?」
「通じるかどうかなら、通じるさ。俺だって龍だ。龍殺しの剣を振るわれれば怪我をする。それも魔剣グラムだしな」
魔剣最強と称される程のグラムでも、一誠の肌を切ることが出来ない。現実的に考えればあり得ないのだが、肌の表面に展開された魔術がそれを可能にしている。
今の一誠には、まともな攻撃が通用しない。
それを認識したジークフリートは、壊したビルの中から現れつつゲオルクに言う。
「強いよ、彼。僕一人じゃまず勝てない」
「……なるほど、お前がそこまで言う程の相手か。なら、俺達も手伝わない訳にはいかないな。ヘラクレス」
「ああ、分かってるさ。更に強くなったみたいで、俺は楽しみだぜ!」
嬉々として神器を発動させるヘラクレス。殴りかかると同時に爆発させ、何度も何度も、執拗なまでに殴り続ける。
一誠の事を舐めているのか、それとも自分の力を過信しているのか──どちらにせよ、一誠は爆音に対して不快な顔をしていた。
「おらおらおらおらおらおらおら!! ハハハッ! どぉしたよ、反撃してみろフィアンマァ!」
「……やかましいな。耳障りだ」
ゴッ!! と、爆発したような音が鳴った。
それだけでヘラクレスはノーバウンドで数百メートル吹き飛び、ビルの壁を何枚も貫いてようやく止まる。
煙が晴れ、殴られ続けていた筈の一誠は無傷だと分かり、ゲオルクは戦慄する。
「……ヘラクレスの神器でも怪我ひとつ負わないのか! これは、少し不味いな……」
「だけど、敵に回した以上はやるしかないよ。ジャンヌも呼び戻さないと」
通信用の霊装を取り出し、ジャンヌと連絡を取りだすゲオルク。その間にジークフリートは一誠へと斬りかかっており、一誠も右手に長さを抑えた「史上最強の剣」を顕現させた。
数合打ち合い、ジークフリートを大きく凌駕して有り余る身体能力を確認して、ジークフリートは大きく距離を取る。
その瞬間、連絡を終えたゲオルクから凄まじい量の魔法による攻撃が放たれた。使い慣れない魔術より、使い慣れた魔法を選んだのは英断と言えるだろう。
しかし、一誠はその魔法の雨の中を防ごうともせずに歩き続ける。当たりはすれど痛みは無い。ダメージを受けていないのだ。曹操がオーフィスに攻撃しても力を削ることが出来なかったように、体表面に存在する魔術が攻撃を全て弾いてしまっていた。
故に、この場に居る者の力ではダメージを受ける事は無い。
「まずはお前だな、ゲオルク」
「くっ──!」
至近距離まで近づいた一誠は右腕を伸ばすが、横からジークフリートが魔剣を振るってずらそうとして──失敗する。
「何ッ!?」
「無駄だって何度言わせる気だ。白痴かお前」
振るわれた魔剣そのものを右手に持った剣で斬り飛ばし、そのままジークフリートの体を縦に両断する。
ゲオルクはその間に距離を取っており、気配を感じて見上げた空にはジャンヌの創りだしたドラゴンが見えた。
無感情なまま、一歩でゲオルクとの距離を詰め、その胸へと手を当てる。
「ま、まさか……」
「『絶霧』を貰うぞ、ゲオルク。お前にはもったいない神器だ」
胸から取り出した神器を左手に浮かべ、右手の剣で首を落とした。鮮血に濡れないよう、切り落とした直後に少しだけ距離を取る。
これで三つ目の神滅具。『煌天雷獄』はベルザードが手に入れるだろうから問題は無いとして、後は曹操だ。
切られてもなお復活したジークフリートと戻ってきたジャンヌを見て、一誠は右手の剣をおよそ五メートル程度まで伸長させる。
「ゲオルクを、殺したの……?」
「ジャンヌ、覚悟を決めるんだ。彼はもう仲間じゃ無い。英雄が打ち倒すべき化物だよ」
「でも……」
「言ってくれるじゃないか、
一誠は左手を横にかざし、呟く。
「アクセス──神器システム」
聖槍を持った左手と剣を持った右手。ジークフリートに対する手数には足りないものの、そこは先程と同じ様に身体能力でカバーする。
元より一誠は型も何も無い我流で振るっている。どの武器を持った所で同じだ。
とはいえ、ジークフリートに対しては攻略法は一つしか無い。
一歩踏み込み、ジークフリートの背後へと回り込む。気配で移動したのを察知したのか、ジークフリートは振り向きざまにバルムンクを持った腕で攻撃を仕掛けるが、一誠はそれを腕ごと切り飛ばして聖槍を振るう。
ジークフリートがついていけない速度による斬撃。数度魔剣で防がれたが、攻撃するだけで砕け散った。
そして、背後に回り込み──聖槍を突き刺す。
「英雄ジークフリートは、戦乙女ブリュンヒルデの臣下ハーゲンに投槍で殺されている。悪竜ファブニールを斃し、その血を浴びて不死になったジークフリートだが……背中に菩提樹の葉が一枚はりついていて血を浴びられず、そこが弱点となった」
あくまでも神話を再現する魔術は、そのまま神話の中身が弱点になり得る。聖人に対する聖槍然り、ジークフリートに対する背中への攻撃然り。
グラムだけは唯一まともに残り、ジークフリートの死体の傍に落ちる。
それを掴んで振ってみるも、主と認めていないようで、まともに力を振るえない。しかし、この剣を振るう度に寿命を削ることが分かると、一誠は即座に刃を握って粉々に砕いた。
「使用者にダメージを与える剣なんてのは、ただの使えねぇ欠陥品だ。幾ら強くても使い道が無い」
さて、とジャンヌの方へ視線を向ける。
所々傷を負っているが、『ダルクの神託』を使える彼女の事だ、ほとんどかすり傷にも等しい。
次は自分の番だと分かると、ジャンヌは顔色を悪くして後ずさる。
「い、いや……止めて、殺さないで」
「…………」
無言で聖槍を消し、右手に持った剣を向けて一歩踏み出す。その瞬間、横から何かが高速で飛来し、次々に一誠へと直撃する。
一つ一つはミサイルのような形をしており、魔術によって威力の底上げがなされている。まともに食らえばダメージは確実だと、ヘラクレスは思う。
最初の一撃で動けなくなったが、回復用の魔術を使ってなんとか動かせるようになり、禁手を使用して一誠を攻撃したのだ。
爆炎の中でも無傷の一誠を見て、ヘラクレスは顔が引き攣る。
「……どうなってんだよ、テメェは!」
「お前の頭じゃ理解出来ない位階に上がっただけだ。それに伴って、身体能力も大幅に上がったがな」
聖なる右の頑丈さが全身に回ったような状態、とでも言うべきだろうか。それこそ、ダメージを与えたければグレートレッドやオーフィスの攻撃でも無ければ通用しない。
ヘラクレスは、それを分かっていない。
「神話においても、ヘラクレスってのは短慮な部分が目立つ。ヒュドラの毒を塗った矢を師であるケイローンに射たりな」
そして、自身も最後はヒュドラの毒で苦しみ、火に焼かれて死んでいる。
お前はどうだ、と視線を向ける。
頭の足りない馬鹿を相手にする気は無いとでも言うような視線に、ヘラクレスは頭に血を上らせる。
「ふ、ざけ、てんじゃねえぞ、クソ野郎がァァァァァァァァッ!」
放たれたミサイルを無視し、その体を頭から股まで一刀のもとに両断する。どれだけ強靭な防御力を誇ろうとも、この剣の前では紙切れに等しい。
怒りに染まった表情のまま絶命したヘラクレスは、発車直前だったミサイルが身体から放たれる前に爆発し、その身を四散させた。
「さて、邪魔が入ったが……お前はどうする、ジャンヌ」
「や、やだ。お願い、殺さないで。何でもするから、殺さないで!」
恥も外聞も無く泣きながら懇願するジャンヌだが、一誠の表情は全く変わらない。
それを「拒否された」と取ったのか、ジャンヌは取り乱しながら言う。
「じゃ、じゃあ! 私も悪魔を殺すのを手伝うから! 一人でも多い方がいいでしょ、ね? 貴方が求めるなら、体だって──」
「ジャンヌ。勘違いをするなよ」
「え──?」
一誠の右手にある剣が、伸びている。その先を眼で追うと──自分の胸へと突き刺さっていた。
「が、ごふっ……ッ!」
どうして、と眼で訴えるジャンヌに対し、一誠はただ一言告げるだけだった。
「英雄ジャンヌ・ダルクの魂を受け継ぐなら、『自ら体を差し出す』のは最大のタブーだよ」
かつてフランスで活躍した英雄ジャンヌ・ダルクは、その戦いの果てに捕えられ、凌辱されて魔女だと焼き殺された。その悪評が撤回され、聖人と称されるようになったのは後の時代だ。
コンピエーニュで牢獄に捕えられ、裁判で改宗したジャンヌは男装をする事無く女装することになったが、その後男装に戻ったことで殺されている。
捕えられていた時、何かしらの理由によって男装に戻ったのだ。どういう理由かは想像するしかないが──女であった以上は、犯されたと見るのが妥当だろう。
昔のことである以上、真偽は定かでは無いにせよ……少なくとも、神を信じるものである以上は積極的に体を差し出してはならない。
「『助けて』の一言も言えない程、俺は怖かったのかね」
「怖いだろうさ。相棒は次々にあの女の仲間を殺した訳だからな。次は自分だと思っても無理は無い」
一誠の言葉に、ドライグが答える。
血の気の多いヘラクレスやジークフリートはともかく、ジャンヌは別に生かそうが殺そうがどちらでも良かった。敵対した所で同じだと言うのは変わらないが、単純に今後の問題でもある。何度も挑まれるのは面倒だ。
心を折るよりも殺した方が早い。
その点、ジャンヌは既に心が折れており、今後一誠へと牙を向こうなどと考えることも無く、生かしても問題は無かった。
今後悪魔や堕天使は殲滅するし、しばらく身を隠せば追手もいなくなる筈だ。
神器だって、今後誰かが持つことも無い。システムを掌握した為、持ち主が死んだ際には他の誰かに転生する事も無くなる。
ただ一言、『助けて』と言えばそうするつもりだった。
だが、仮にもジャンヌ・ダルクの魂を受け継ぐ英雄が、恐怖に屈して自ら進んで体を差し出すのは駄目だ。
それは、かつての英雄を汚す事と同義であるが故に。
「さて──後はお前だけだな、曹操」
いつの間にか背後に立っていたその男へと、一誠は言葉を投げかけた。