エピローグ
地の果てまで続く砂漠。近くにあるのは動かなくなったゴグマゴク程度で、それ以外のものなど存在しない世界。
風も無く、生物の気配も無く、何よりそこには
──否。
唯一つ、いや、唯一人を除いてと付け加えねばならない。
何故なら、そこには一人の少年が歩みを止める事無く進んでいたからだ。
赤いローブを着てフードを目深にかぶっているため、その顔を窺う事は出来ない。しかし、その雰囲気は殺伐としており、威圧感と言ったものは皆無に思える。
かつて最強の座についていたグレートレッドを屠り、悠久の時を経て二天龍の争いに終止符を打ち、オーフィスをこの次元の狭間に眠らせた少年。
あれから如何ほどの時が経っただろうか。
ミーシャに任せて悪魔と堕天使、天使の三大勢力を完全に滅ぼしたのがおよそ十五年前。
時折ふらふらと世界を歩きまわり、目障りな動きをしていた『禍の団』の残党を纏めて消し潰したのが大体十三年前。
その後、ギリシャ神話の神々はハーデスが殺された事を重く受け止め、全神話の勢力を結集させた連合軍を設立。帝釈天やトールと言ったトップテンのランカーも文句なしとして殲滅の動きに出た。シヴァでさえ動いたのは、それだけ一誠の力を脅威に思ったからだろうか。
そして、それを殲滅したのが十年前。
最早、神話の神など殆ど残っていない。手を出さなかった小さな勢力の神話群も、大勢力であるギリシャや北欧神話の神が滅んだことを受けて頭に乗り始め、派手な行動を取り始めて一誠の眼にとまった時点で撃滅。
聖書の神が残した神滅具も全て回収。邪魔をした者はすべからく殲滅させ、この影響で吸血鬼の勢力も滅んだ。人間の魔法使いも、今や数えるほどしか残っていない。
世界から神秘は消えつつある。
だが、同時に一誠の存在が際立ちつつもある。
既に世界にその名を知らしめ、逆らうものなど無く、挑む無謀な者もいない。元々、一誠にとっては手を出してこなければ手を出す必要性すら感じない相手だ。意識を向ける事さえ無駄と思えた。
濁りきった瞳は何も映さず、何も無い荒野をただ歩むのみ。
目的も無ければ目標も無い。
指針も無ければ指標も無い。
行くべき所も帰るべき所も無い。
残ったのはドライグと言う唯一無二の相棒と歴代赤龍帝のかつての意識。そして振るう相手を無くした強大で膨大な力のみ。
何処へ向かう訳でも無く。
此処に留まる訳でも無く。
目的も無く歩み続け、世界が変わりつつあるさまを見続ける。そこには誰の意思も存在せず、誰かの遺志も存在しない。
止められる者が居ないのだ。どうしようもなく極めてしまった一誠にとって、世界の全てが脆過ぎる。
脆弱過ぎて、貧弱すぎて、触れただけで壊してしまいそうになるほどの弱さを感じた。だから一誠は誰にも関わろうとしないし、自分が消えるその時まで次元の狭間にいても良いと思っていた。
オーフィスとて、寝ている所を邪魔さえしなければ起きる事は無いだろう。
ただ──問題が一つあった。
ふとした拍子にフードが外れ、その素顔が露わになる。その顔を見ただけで、全てが理解できるだろう。
一誠は
神上という存在に至ったが故か。内在する力が無限の域に至ったが為か。それは一誠自身にも分からない。
このままでは何時死ぬとも分からない自分の体を見て、自死や自壊の衝動に駆られることも無い。
理由など知らないし、求めない。求める必要も無いのだ。
今を生きるだけ。そこには意味も理由も必要無い。その考え方は『今さえよければいい』というもので、先を見据えていない。
何処までも破滅的に。
何時までも刹那的に。
一体何時から、何処から狂っていたのかは分からない。そもそも世界そのものが異質だったと言ってしまえばそれまでの話だ。何故ならば、この世界には一誠の知らないことが余りに多過ぎた。知っている筈の事と大きく違いすぎた。
生まれ落ちた時には既に誰とも知れない過去があった。
意思を持った時には既に理性的な知識を持ち合わせていた。
成長するにつれて自身の持つ力を自覚し、振るうことに快感を覚え、その果てに振るう相手を無くし、振るう必要性を無くした世界へと成り果てた。
何かが違えば、今は変わっていたのかもしれない。仮定に仮定を重ねたものだったとしても、今を否定する事になっても、一誠はそれを考えてしまう。
「……何か一つが、致命的なまでに違っていたから、か」
それは一誠であろうし、聖書の神でもある。
どちらかがいなければ、この世界は成立しなかった。
聖書の神の目的のせいで、一誠の意思は生まれた──しかし、果たして本当に聖書の神の思い通りにいったのだろうか。
日本には『八百万』という考え方がある。これは、万物には神が宿ると言うものだ。聖書の神の言う『畏怖した者を祀る』日本の考え方の一つでもある。
この考え方を知らなかったとは考え辛い。
だが、これを知っているならどんな方法でも聖書の神の目的は果たせないと分かっていた筈だ。──万物に神が宿ると言う事は、万物が存在している限り神が居なくならないと言う事を示す。それこそ、一誠のように人が神になる事さえあるのだ。
人は弱い。誰かに頼らなければ、何かに縋らなければ生きていく事すら出来ない者だっている。
所詮、人間にとって神とは縋りつく為の対象で、偶像でしか無い。本物が居なくなった所ですぐに信仰心が無くなる訳ではないのだ。
一誠自身が日本人だからこういう考え方をしているのかもしれない。日本は酷く宗教の薄い国だし、同時に多数の宗教が混じり合っている。
"神"という存在そのものが酷く曖昧で、どうしようもなく漠然としている。
極端な事を言えば、自然だって"神"として扱う事は出来るのだ。そこに信仰心があって、宗教が生まれてしまえば、それは今までと何ら変わる事は無い。崇める相手が変わるだけだ。
何も、変わらない。
「結局、聖書の神がやった事は単なる無駄骨だったわけだ」
『だが、欧州辺りの信仰心が強い者へは多大な影響を与えていた。一概に無駄とは言えんだろう』
一誠の呟きにドライグが返す。
ドライグは結局神器の中に居座ることになった。肉体を表出させることにこだわりを見せる訳でも無いので、必要になったら出てくればいいと考えているらしい。
大概は一誠一人で片がつくので、暴れることも無くなって大人しくなったものだが。
「十字教、か。結局のところ、奴は何を思い描いていたんだろうな」
人を愛し、悪を断罪する善の存在。時に苦難を与え、時に試練を与え、時に力を与え、時に予言を与える。
策謀の類は不得手だと言っていたが、一誠を此処まで思い通りに動かした辺り、妄言としか思えない──とは言え、聖書の神が一誠の思ったことに気付いていたのならば、それは確かに策謀の類は不得手だと言える。最初から目的が目的として機能していないのだから。
矛盾に気づきながら矛盾を押し通す。結果的に神は失われ、神を失った人々は次代の神を求め始める。
全て繰り返されていく。
何も変わりはしない。
「──だが、聖書の神は確かに世界へと一石を投じた。それは、それだけは、無駄じゃ無かったのかもな」
少しずつでも変えていけばいい。人が変わるのは己の意思を己で変える時だけだ。
切欠がなんであろうと、誰でも強くなれる。
『世界に少なからず影響を与えられれば良かったと?』
「ああ。幾ら聖書の神が人を愛していると言っても、一から十まで自分の掌の上で動くのなら、それは単なる家畜に過ぎない」
自分の意思を押し通せ。力と意思があれば、世界だって変えられる。
そう言っているように、一誠には感じられた。
「だから、まぁ──俺も、何かしらの『目的』って奴を探してみるかな」
そう告げた一誠の顔には、僅かに笑みが浮かんでいた。
目的が生まれればそれは意思となる。どうせ永く生きるのだから、多少は目的があってもおかしくはあるまい。そう考えた一誠。
歩みを止める事無く進み続ける。それが、一誠が生きてきた"証"となる筈だ。誰かに証明する訳でも無い、自分が歩んできた軌跡を覚えておくだけのこと。
世界が終焉を迎えるその時まで、一誠はきっと歩みを止める事無く進み続けるだろう──。
ご愛読ありがとうございました。安藤先生の次回作にご期待ください。