第一話:目的のために動く者
兵藤一誠は最悪の気分で起床した。
夜中に幽霊を見るわ、いつの間にか気絶しているわ、床の上で寝ていたせいで体が痛いわと散々なのだった。
それでも生来より頑丈な身体は風邪のウイルスをはねのけてくれている。この辺は自分の頑丈さをしみじみと思い知る一誠であった。
ルーチンワークと化した朝の準備を手早く終え、一誠は駒王学園へと向かう。
登校中に見る学生の殆どは女生徒であり、元々女子校であった駒王学園ならばそれもまた当然だった。二年生は男女比三対七。三年生は脅威の二対八である。
今日もまた、女子生徒に囲まれた一日を過ごすと言うだけで十分いい気分になれるのだが、最近ではもっと素晴らしい事態が起こっていた。
「おはよう、イッセー」
背後から掛けられた声に、反射的に振り替える一誠。そこに立っていたのは、『二大お姉さま』とまで呼ばれている女性の一人、リアス・グレモリーその人だ。
紅い髪が特徴的で、その碧眼に見つめられるだけで一誠は幸せな気持ちに慣れる。一日の初めに彼女と話せるとは、一誠にとっては私服の時間だ。なんとも単純だが、一誠にはそれで十分なのである。
幸せな気分をかみしめている一誠とは対照的にリアスは僅かな違和感に気付いた。
「……あら、昨日は仕事を休ませた筈だけど、疲れているの?」
「あー……いえ、夜中に変なモノをみたもので」
視線を明後日の方向に向けつつ、一誠はそう答える。
リアスの下僕として悪魔になった一誠であるが、悪魔が幽霊に怯えているなどかっこ悪いにも程がある。見栄を張った一誠は、なんでもないこととして処理しようとしたのだ。
とはいえ、単純な一誠が人をだませるだけの嘘など付ける筈も無く。あからさまな様子に逆にリアスが溜息をついた。
「まぁ良いわ。それより、今日はオカルト研究部に顔をだしてちょうだい。新しい仕事を始めるわ」
「分かりました!」
リアスの言葉にはきはきと返事をする一誠。それに満足したのか、一度頷いてから校舎の方へと歩き始める。
周りの学生からは、嫉妬とか色々混ざった視線が突き刺さるように投げかけられている。
なんとなく優越感もある一誠だが、中には殺気に近いのも混じっているので油断は出来なかった。
●
放課後。悪友二人に別れを告げ、一誠は旧校舎にあるオカルト研究部の部室に顔を出していた。
暗幕が掛けられているのか、部屋の中は驚くほど真っ暗だ。明りは床においてある蝋燭のみで、点々とした明かりは蛍を思わせる。
数日前に悪魔へと転生し、その仕事を教えられた一誠は自転車でチラシ配りをやっていた。悪魔を呼び出す為のチラシを、欲望を持った人間に届けると言う仕事だ。
リアスの下僕は誰しもが通った道で、今日から始まる仕事は次のステップと言うことになる。
「では、イッセー君。陣の中央へ来て下さい」
手招きするのはリアスの下僕の一人である姫島朱乃。黒髪をポニーテールにした美女である。
言われる通りに魔法陣の中央へと踏み入れる一誠。これからどうするんだろうと疑問を出す前に、リアスが説明を始めた。
「今からやるのは、チラシを配った家から呼び出しを受けて、その相手の願いを叶えるというものよ。小猫に予約が二つ入っちゃってね、その片方を頼みたいの」
ちらりと向けられた視線の先に居るのは、小柄な少女。こちらもリアスの下僕である塔城小猫。例に漏れず美少女である。
無表情なまま「よろしくお願いします」と頭を下げる小猫に、一誠は「よしこい!」と張り切った表情を見せる。
グレモリーの家紋を示す魔法陣に一誠の魔力を読みとらせた後、依頼主の所まで瞬間移動するという仕組みだ。悪魔ならば子供でも持っている程度の魔力で依頼主の所までジャンプし、依頼主の願いを叶え、対価を貰う。
それが、リアス達悪魔の仕事だ。
淡く光る魔法陣に一誠の魔力を読みとらせ、完全に記憶させる。数分とはいえ、一誠からしてみれば初めてのことであり、緊張感が増すのも仕方無いと言える。
準備が終わり、リアスは最後の確認をした後、一誠の方を向いて激励を飛ばす。
「それじゃ、行ってらっしゃい」
「うす! 頑張ってきます!」
初めての仕事に対し、一誠は体育会系のノリで転移を開始した。
●
「……して、経過は?」
『問題はあるまい。「兵藤一誠」には少々細工を施したが、リアス・グレモリーが気付くとも思わん。加えて、そこらの魔術師風情に見破れる訳も無い』
絶対的な自信から来ているのか、声の主はいっそ傲慢と言いたくなるほどにハッキリと断言する。
それを聞いて軽く嘆息するも、声の主の自信になど興味はないため、話を続けさせる。
「それなら良いが。余り余計なことに力を使いたくはないのでね」
『こちらも同様だ。牢屋の中とはいえ、出来る事は幾らでもある。誰であろうと邪魔をされたくはない』
駒王学園屋上にて一人の少女が誰かと話していた。
夕暮れの中で風になびくのは銀色の髪。均整のとれた身体つきは男性を惹きつけ、世の女性が羨むものだ。顔立ちは西洋人のそれだが、この学校の生徒たちは詳しい事をまったくと言って良い程知らなかった。
右手に持つのは単なる携帯電話のようで、実際は遠距離通信用の霊装である。
落下防止用のフェンスに体を預け、緑色の瞳は旧校舎のほうへと動く。まるで、誰かを探すかのように。
「……それで、次の段階に進むのか?」
『左様。アーシア・アルジェントは既にそちらへ向かった。レイナーレの方も対処は終わっている。後は流れに任せるだけで良い』
「多少の修正が必要な場合は?」
『こちらから指示する──と、言いたい所だが、そうもいかない。元より「あの女」の眼を引きつけるのが彼らに課した役割。私が下手に動くのはまずかろう』
「……勝手に動いて良いと」
『ある程度は。レイナーレならばこちらで動かす事も出来る。綿密な計画を立てたところで、計画が崩れやすくなるだけだ。ある程度の「ぶれ」は許容する必要があるだろう』
「了解した。では、こちらも予定通り動こう」
『ふふ……よろしく頼むよ、|愚かな道化《オーギュスト》』
通話を切って携帯を仕舞い、手早く階段を下りて校舎から出る。
校舎に残っていた生徒たちからの視線を集めていたが、何時もの事だと割り切って借りているアパートへと向かう。
アパートへと向かう途中、商店街に寄って夕飯の買い物を済ませ、笑顔を振りまいて最低限の近所付き合いをしておく。こうしておけば、余計なトラブルを起こす事も無いからだ。
彼女が住んでいるアパートは最近建てられたもので、グレモリーなどの悪魔の息のかかっていない類の物件だ。
この辺りはグレモリーの縄張りなので、基本的に彼らが仕切っている。それゆえに、忍び込むのには苦労した。住民票や経歴など、あらゆる情報を偽装してようやく駒王学園に入学したのだから。
その苦労と言ったら筆舌に尽くしがたい……のだが、実際にやったのは彼女では無くそういったことが得意な者なので、彼女自身は特に苦労していなかったりする。
アパートの二階へ上がり、鍵を回して部屋の中へ入る。
部屋には生活に必要最低限の物資だけが置かれており、それ以外は何も無い。年頃の女性の部屋としては些か以上に簡素だ。友人を家に呼んだ事など無いので、他者からの評価も受けた事はない。
交友関係と呼べるものも殆ど無いが、彼女にとっては必要性を感じるものでは無かった。
彼女は成すべき事があるから此処に居るだけで、他者と慣れ合う為に此処に来たのではないのだから。
(……しかし、この私が人に顎で使われる日が来るとはな)
エプロンをして髪を結び、夕飯を作りながら、彼女はそう思った。
●
数日後。一誠は依頼主から契約破断を受けていながら、その後のアンケートで最高評価を受けると言う意味のわからない状況に困惑していた。しかも連続。
一体どうなってるんだ、という感想を抱いたのは一誠だけでなく、リアスや朱乃も同様だった。
今までにこんな事が無かった為、二人とも顔を見合わせて不思議な顔をしていた。木場は苦笑し、小猫は無表情で何を考えているのかわからなかったが。
「しかし、どーすっかなぁ……」
ハーレムを目指す。それだけの為に悪魔街道を突っ走ると決めた一誠としては、こんな所で躓いていては先が思いやられる。
表向きの部活も終わり、一旦家に帰ろうとしている最中──一人の少女が視界に映り込む。
「はわう!」という声と共に転び、一誠の眼の前に倒れ込んだ。手を広げて顔面からアスファルトの地面に倒れ込んだその様子を見て、一誠は何よりもまず「痛そうだ」と感想を抱く。
「……だ、大丈夫っすか?」
とりあえず手を差し伸べ、転んだシスターを起きあがらせる。
その際に風でシスターの纏っていたヴェールが飛ばされ、金色の長髪が露わになる。一誠はその緑色の瞳と、何よりも少女の顔立ちに見蕩れて呆けてしまう。
いきなり呆けた顔をした一誠を不思議に思ったのか、少女は首を傾げていた。
「あの……どうしたんですか……?」
「あ、あぁ、いや、ゴメン。えっと……」
見蕩れていたと言う訳にもいかず、どうしようかと思案した直後、直ぐ傍から誰かの声が聞こえた。
「鼻の下を伸ばしてどうしたんだ、兵藤」
そちらに眼を向けると、右手に先程飛んで行った筈のヴェールを持った銀髪の少女がいた。
銀髪の少女は金髪の少女へ近づくと、右手に持ったヴェールを渡し、一誠の方を見る。
「ほら、気をつけた方が良い。日本は治安の良い国だが、だからと言って犯罪者がいない訳ではないからな」
「こっち見るなよ、レヴァンストラ……」
普段の行動を鑑みれば、レヴァンストラと呼ばれた少女の視線は間違っていないのだが。一誠は気まずそうに視線を逸らし、レヴァンストラは軽く嘆息する。
下の名前で呼ぶ事を許可した覚えはないのだが、呼び方一つに一々眼くじらを立てている程狭量でも無ければ暇でも無い。
まぁ、同学年と言えども多少の礼儀は持っていて欲しいものだが、と心の内で呟く。
「それで、君は何故この町に? 見ない顔だが、近くの教会にでも赴任してきたのか?」
「はい。今日からこの町の教会に赴任して来ました、アーシア・アルジェントと言います。あなた方もこの町の方なのですね。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げるアーシア。それに対して、一誠とレヴァンストラも自己紹介を始める。
「俺は兵藤一誠。イッセーって呼んでくれれば良い」
「レヴァンストラ・オーギュストだ。好きなように呼んでくれて構わない」
聞けば、日本語が話せずに道に迷ってしまい、困っていたそうだ。
EU圏からの留学生(と言うことになっている)レヴァンストラは当然英語が喋れる。一誠も悪魔となったことで言葉の壁が取り払われたので、話すだけならば誰とでも可能だ。
言葉が通じる者がいることで随分とほっとしたのか、アーシアの表情は心なしか嬉しそうに見える。
「教会なんてあったっけか」という一誠の言葉に対し、レヴァンストラは「町の外れにある古びた教会だろう」と答える。
納得した一誠の様子を見て場所が分かると思ったのか、アーシアの顔が一気に明るくなった。
「送ってやれ、兵藤。私は用事があるから帰る……金髪碧眼の美少女と一緒に歩けて幸せだろう?」
「お前……ありがとうございます!」
思わずと言った様子で頭を下げる一誠。アーシアは状況が分からずぽかんとしており、言った本人であるレヴァンストラも若干顔が引きつっている。
まさか頭を下げるとまでは思わなかったのだろう、若干頭が痛くなりつつも、ひらひらと片手を振ってその場を離れる。
「……よし、じゃあ教会に行くか」
「お願いします」
アーシアが首から下げているロザリオに気をつけつつ、一誠は先導して歩きだす。
本来ならば、悪魔である一誠は神の信徒である彼女を助ける義理など無い。だが、そんな事がどうしたとばかりに一路教会へ向かう。
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古ぼけた教会の一室。窓から見える先には、金髪の少女と黒髪の悪魔が門の前で会話していた。
どういった理由で悪魔が教会に来たのかは分からないが、そのまま踏み込んでくるならば──と構える一人の男。そして、それに追随しようと思っているのか、金髪のゴスロリ服を着た少女もまた構える。
さて、どう動くか。遠目に見える金髪の少女はアーシアだと分かっており、黒髪の悪魔は先日男──ドーナシークが殺し損ねた悪魔だ。リアスの下僕だとわかってはいるが、教会の中に踏み入れれば殺しても文句は言われない。
いや、場合によってはドーナシーク達堕天使の本拠地である教会の傍まで来ていることから敵対宣言と受け取り、殺す事も可能だと判断しようとした時、部屋の入り口から一人の女性の声が聞こえた。
「止めておきなさい。下級悪魔なんて相手にするだけ時間の無駄よ」
窓際まで歩み寄り、アーシアと手を振って別れている場面を見ているのは堕天使の女性──レイナーレである。
つい先日の話だ。
彼女が「天野夕麻」と称して兵藤一誠に近づき、その神器の危険性を把握した上で殺害せよと上層部から命令を受け、命令に従って兵藤一誠を殺した。
その後にリアスが一誠を悪魔にして、今に至る。
「でも、レイナーレお姉さま」
「あの程度の存在なら気にする必要はない。そう判断したまでよ。アーシアが無事に此処に来ている事といい、敵対の意思は無さそうだもの」
それに、レイナーレにとって一誠は興味を惹かれる対象では無い。敵対するなら滅ぼすまでだが、踏み込んで来ないなら敵対する必要も無い。
それよりも、とレイナーレは続ける。
「アーシアを迎えに行ってあげなさい。彼女は私達の計画の要なのだから」
「わ、分かりました、お姉さま!」
ミッテルトがドアを開けて階下へ降りて行く。それを見送ったドーナシークとレイナーレは、互いに視線を交わした。
「私も部屋で休むとする。何かあったら連絡を寄越してくれ」
ドーナシークもまた部屋から出て行き、この場に残ったのはレイナーレ一人となった。
レイナーレは壁にもたれかかりつつ、今回の計画について思いをはせる。
今回の計画は堕天使の上層部は知らない。あくまでも彼女たちが勝手にやっているだけだ。それゆえ、後ろ盾は無いに等しい。いや、下手をすれば堕天使の上層部さえも敵に回すだろう。
ドーナシークやミッテルト、カラワーナは眼先の欲に駆られて計画を手伝っているが、レイナーレはその辺りの事を最も危惧していた。
中級堕天使の中でもそれなりの強さを持つと自負しているし、力も技術も自信はある。しかし、それが通用するのはあくまでも同程度か少し上のレベルまで。
最上位の存在──アザゼルやシェムハザと言った、聖書に名を連ねる堕天使相手では意味のないものだ。
ばれれば追われるのは眼に見えている。だが、それを分かってでもやらねばならない理由が、彼女にはあった。
そこまで考えた所で、先程出て行ったミッテルトがアーシアを連れて部屋の中へと入ってくる。
「は、はじめまして。アーシア・アルジェントです」
「はじめまして。私はレイナーレ。今日からあなたの上司になるわね」
「アタシはミッテルト。よろしくな、アーシア」
「よろしくお願いします! ……あの、私は此処で何をすればいいのでしょうか?」
「別段、何かをしなくてはならないと言う事はないけれど……しいて言うなら、誰か神父と一緒に悪魔祓いにでも出かけて貰うくらいかしら」
とはいえ、アーシアはレイナーレの計画の要だ。出来る事なら部屋の中に軟禁でもしておいた方が安全性と言う意味でも良いのだが。
どう見たって戦闘向きの性格ではないし、神器もまた後方で援護する方があっている。
やはり、教会の中で好きなように過ごさせるのが一番か。と考えた所で、アーシアはやる気に満ちた様子で返事をした。
「わ、私に出来るのなら何でもやります! ですから……あの、此処に居させてください!」
「……そうね。近日中に準備は終わるでしょうけど、それまでなら自由に過ごして貰って構わないわ」
最低限、ミッテルトかカラワーナ辺りを護衛につけておけばなんとかなるだろう。リアスがバアル家に伝わる「滅び」の魔力を所持している事は既に周知の筈だが、彼女達は頭の回転が悪い。
使える人員の質の低さには舌打ちをしたくなるが、その辺りは自分でどうにかするしかあるまい。
部下の神父で一番の使い手と一緒に行動させれば、ある程度は危険性も減るだろう。そう判断し、レイナーレはアーシアに自由行動の許可を出した。
もっとも、何処に行くかは事前に教えてもらうことになるし、堕天使の誰かを必ず連れておくように念を押して置かねばならない。
ここにいるメンバーの中で「霊装」を持ち、扱う事が出来るのは自分だけだ。「あの方」から賜った霊装の調整は既に済んでいるものの、出来る事なら使う事態には発展させたくない。
切り札を切らざるを得ない事態になど、出来る限りしたくないと思うのは当然なのだから。